#06 黒猫「オルサ」
煙の中から現れたのは一匹の黒猫だった。
艶やかな漆黒の毛並みは、まるで夜そのものを撫で固めたようだ。
金の瞳がゆらりとこちらを見上げ、喉の奥で小さく鳴いた。
こいつが俺の愛しの奴隷……じゃなくて「使い魔」か。
スキルブックには「使役」に関する魔法もあった。魔法によって使役できるのは「使い魔」と呼ばれる従僕である。
魔法師は「魔物」であれば従僕を作ることができる。そしてそれは多くが黒猫や鴉、狼などの動物である。そして大抵の魔物は人間に化けることができるのだ。
「使い魔」の用途は様々だ。某イギリスのファンタジー小説のように、ふくろうで手紙や荷物を運ぶこともできる。
その他には留守番や偵察がある。
「黒猫か……」
黒猫に荷物持たせて配達でも……。
……いや、止めておこう。
ならば引っ越しの時はパンダかアリを使役して……。
……いい加減にしておこう。
毛並みの整った黒猫は、しなやかに尻尾を揺らしながら俺を見上げた。
「召喚に応じて参上いたしました、ご主人様」
そう呼ばれた瞬間、背筋にぞわりと鳥肌が立った。
先日までただの庶民だった俺に「ご主人様」なんて敬称は荷が重すぎる。
それに、どこか虫唾が走る。
某執事漫画の二番煎じよろしく「イェス・マイ・ロード」とか言われたら、たぶん鳥肌を立てていたかもしれない。
「ご主人様早めてくれ。せめてレネって呼んで」
「ではレネ様で」
黒猫は金色の瞳をじっとこちらに向けたまま、抑揚のない声で淡々と答えた。
「お前はなんていうんだ?」
「名前はございませんので、レネ様がお付けください」
以前、どこかのなろう漫画で読んだことがある。
猫の名を付けるときに「シロ」だの「クロ」だの「タマ」だのと、安易に決めてしまうのは「敬意がない」というセリフだ。
確かに、何も考えずに異世界の人々を尊重せず、ゲームや漫画の中の出来事のように扱い、ふざけた感覚で名を与えてしまえば、責任が希薄になるだろう。
かといって、じゃあ「ブラック」だの「ノワール」だのと名付けても、根本的には語感が気に入っているだけだ。
結局、意味は「クロ」でしかない。
それが自分の味方になるような存在であればなおさら敬意を払うわなければならない。この世界は今日から俺の「現実」になるのだ。
たまに転生ものの主人公が、周囲の人間をNPCのように扱うが、それは大きな誤りりだ。この世界の人々は、「物語の登場人物」ではなく、俺と同じ現実の中で生きている。
その上で、某VR装置を使ったデスゲームを描いた作品の主人公は偉大だった。NPCとわかっていても人間性を維持するために決して犠牲にはしなかったのだから。
だからこそ、目の前の猫には真剣に向き合いたかった。
使い魔だとしても俺の魔力が生み出した一つの生命なのだから。
「ならば『オルサ』でどうだ?」
「オルサですか?」
俺は「オルサ」という文字を書く。アルファベット表記ではorsaと書くのだ。
これはラテン語で「すべての始まり」を意味する。
「むかしの言語で『すべての始まり』って意味なんだ。俺がこの世界にやってきて、最初に出会った命も、召喚したの従者も、最初の味方になったのもお前だからな」
「……そうですか」
黒猫――オルサは、まっすぐに俺を見上げた。金の瞳がかすかに揺れる。
猫だからか、それとも無機質な声のせいか、喜んでいるのか、不満なのか――俺には分からなかった。




