第5話:『もう一人の私』
家族写真からルカの姿が消えた。その事実は、蒼一の心に深い傷を刻んだが、同時に彼の決意をより強固なものにした。世界がどれだけルカの痕跡を消し去ろうとも、彼だけは決して忘れない。そして、必ず、彼女を取り戻す。
翌日、学校へ向かう蒼一の足取りは重かった。通学路の風景は、昨日と何ら変わらない。だが、彼の目には、その「変わらなさ」こそが、世界の歪みの証拠のように映った。
「おはよう、蒼一くん!」
明るい声が、背後から聞こえた。振り返ると、そこにはクラス委員長の**沢村美咲**が立っていた。いつも笑顔で、クラスの中心にいるような存在だ。
「おはよう、美咲」
蒼一は、努めて平静を装って挨拶を返した。美咲の記憶からも、ルカは消えている。彼女に、この異常な状況を打ち明けることはできない。
学校に着くと、教室は文化祭準備の話題で持ちきりだった。誰もが楽しそうに、出し物や役割分担について話し合っている。蒼一だけが、その賑わいの中で、まるで異物のように浮いていた。
授業中も、蒼一の意識は「精神時間粒子」の記事に囚われていた。
——「特定の個人の意識が集中すること」
ルカが消える直前、彼女は泣きながら、笑っていた。そして、「きっと、わたしはもうすぐ消えるから」と言った。まるで、自分の運命を知っていたかのように。
もし、ルカ自身が、精神時間粒子の発生源、あるいはそれに深く関わっていたとしたら?
彼女の強い感情が、この世界の書き換えを引き起こしたのだとしたら?
放課後、蒼一は図書館へ向かった。オカルトサイトの記事だけでは不十分だ。もっと確かな情報、あるいは、この現象を研究している機関や人物を探す必要があった。
膨大な資料の中から、「並行世界論」や「量子もつれ」に関する専門書を手に取る。難解な数式や専門用語が並ぶ中、蒼一は必死に読み進めた。
その時、図書館の奥の書架から、微かな物音が聞こえた。
蒼一が顔を上げると、そこに、一人の少女が立っていた。
長い黒髪。伏せられた瞳。そして、どこか儚げな雰囲気。
その少女は、ルカによく似ていた。
いや、ルカそのものだ、と蒼一の心は叫んだ。
しかし、彼女の顔は、蒼一が知るルカよりも、少しだけ大人びて見えた。そして、彼女が手にしている本は、蒼一が今読んでいるものと同じ、「並行世界論」の専門書だった。
少女が、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳が、蒼一を捉える。
「……あなたも、それを読んでいるの?」
少女の声は、ルカの声よりも、少しだけ低く、落ち着いていた。
蒼一は、息を呑んだ。
「君は……ルカ、なのか?」
蒼一の問いに、少女は静かに首を傾げた。
「ルカ? 私は、天海ユキ。あなたは?」
天海ユキ。
違う名前。しかし、その顔は、紛れもなくルカだった。
蒼一の脳裏に、あの記事の一文が蘇る。
——「別の人格、別の選択、別の彼女に出会い続ける。彼女は毎回違う名前で現れる。別人として生き、また消える」
目の前の少女は、ルカなのか? それとも、ただのそっくりさんなのか?
蒼一の胸は、期待と混乱で激しく波打った。
世界が、新たな扉を開いたのだった。