第4話:『不確かな手がかり』
カレンダーの「定期テスト」が「文化祭準備」に書き換えられたのを見た時、蒼一は確信した。これは単なる記憶の混濁ではない。世界そのものが、ルカの存在を消すために、過去を、現在を、そして未来までをも“上書き”しているのだ。
「精神時間粒子……」
あの未送信メールに書かれていた「世界が消えるその前に」という言葉。そして、頭に浮かんだ「精神時間粒子」という聞き慣れない単語。それが、この現象の鍵を握っているに違いない。
蒼一は、自分の部屋で、パソコンに向かっていた。今度は、もっと専門的な情報を探す。学術論文、未解明現象の報告、都市伝説の類まで、あらゆる可能性を探るつもりだった。
数時間後、彼の目に飛び込んできたのは、とあるオカルトサイトの片隅に埋もれていた記事だった。
タイトルは『並行世界と記憶の干渉:未確認物理現象「精神時間粒子」の可能性』。
記事は、匿名投稿によるもので、信憑性は疑わしい。しかし、蒼一が体験している現象と驚くほど一致していた。
「精神時間粒子とは、異なる並行世界間で情報を伝達し、時に現実の記憶や記録を書き換える作用を持つとされる、仮説上の粒子である……」
読み進めるうちに、蒼一の心臓は高鳴った。記事には、精神時間粒子が活性化する条件として、「強い感情の揺れ動き」や「特定の個人の意識が集中すること」などが挙げられていた。そして、「干渉を受けた世界では、対象の存在が過去から現在に至るまで“なかったこと”にされる」と。
「これだ……」
蒼一は、記事の信憑性を疑うよりも、その内容が自分の状況にあまりにも合致していることに戦慄した。ルカは、なぜ消えたのか。そして、なぜ自分だけが彼女を覚えているのか。もし、ルカ自身が精神時間粒子と関係しているとしたら?
その時、部屋のドアがノックされた。
「蒼一、ご飯よー」
母の声だ。蒼一は慌ててブラウザを閉じ、パソコンをシャットダウンした。この情報は、誰にも知られてはいけない。特に、ルカの記憶を失った家族には。
リビングへ向かう途中、廊下の壁に飾られた家族写真が目に入った。
それは、蒼一が幼い頃、家族旅行で撮ったものだ。父と母、そして幼い蒼一。
その写真の、蒼一の隣。
昨日まで、そこに写っていたはずの、幼いルカの姿が、完全に消えていた。
まるで、最初からそこに誰もいなかったかのように、背景だけが綺麗に残り、空間がぽっかりと空白になっている。
「っ……!」
蒼一は息を呑んだ。写真のルカは、いつも満面の笑みを浮かべて、蒼一の手を握っていたはずだ。その記憶は鮮明なのに、目の前の写真には、もう彼女はいなかった。
世界は、彼の最も大切な記憶にまで、手を伸ばし始めたのだ。
「蒼一、早くしないと冷めちゃうわよ」
母の声が、何も知らない日常を告げる。
蒼一は、その空白の写真をただ見つめた。
このままでは、自分自身も、ルカを忘れてしまうかもしれない。
いや、違う。
たとえ世界がすべてを上書きしても、この胸の痛みだけは、彼女がいた証拠だ。
蒼一は、固く唇を結び、心に誓った。
この歪んだ世界で、ルカの痕跡を追い、彼女を取り戻す。
そのために、どんな危険も厭わない。
彼は、空白の写真を背に、食卓へと向かった。
その手には、誰にも見えない、確かな決意が握られていた。