第3話:『世界の歪み』
スマホの画面を走ったノイズ。それは一瞬の出来事だったが、蒼一の心臓を鷲掴みにした。遠くで何かが崩れるような“音”。それは、世界がまだ、ルカを消し去ろうと蠢いている証拠のように思えた。
自宅に戻っても、蒼一の心は休まらなかった。リビングのソファに座る両親の顔を見ても、どこか違和感が拭えない。彼らの記憶からも、ルカは消えている。当たり前のように流れるテレビのニュースも、昨日と同じようで、どこか違う気がした。世界は、少しずつ、しかし確実に変貌を続けている。
「ルカ……」
蒼一は、自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。天井を見つめながら、ルカの顔を思い浮かべる。あの笑顔、あの声、あのキス。それらすべてが、自分だけのものになってしまった。まるで、世界から切り離されたかのように、たった一人、記憶の檻に閉じ込められた気分だった。
彼はスマホを手に取り、検索エンジンを開いた。「天原ルカ」。入力する指が震える。
検索結果は、ゼロ。
次に、「記憶 消える」「世界 上書き」「精神時間粒子」と、思いつく限りのキーワードを打ち込んだ。
しかし、出てくるのは無関係な記事ばかり。SF小説の紹介、心理学の論文、量子力学の入門書。どれも、蒼一が体験している現実とはかけ離れたものだった。
「どこにも……ないのか」
絶望が胸を締め付ける。この世界で、ルカが存在した証拠は、本当にあの未送信メールだけなのか。
その時、ふと、机の上のカレンダーに目が留まった。
昨日まで、明日の日付の下に小さく書かれていたはずの「定期テスト」の文字が、消えている。代わりに、その横に「文化祭準備」と書き加えられていた。
蒼一は、自分の目を疑った。定期テストは、来週に迫っていたはずだ。それが、文化祭準備?
彼は慌てて、クラスのグループチャットを開いた。そこには、クラス委員長からのメッセージが流れていた。
『みんな、来週から文化祭準備が本格化するから、協力よろしく!』
メッセージの日付は、今日の午前中。蒼一が学校にいた時間だ。
誰も、定期テストのことに触れていない。彼らの記憶の中では、最初から文化祭準備が予定されていたかのように、すべてが“上書き”されていた。
「また、だ……」
蒼一は、自分の記憶だけが、この世界の変容に抵抗していることを痛感した。それは、孤独であると同時に、ルカとの唯一の繋がりでもあった。
世界が、ルカを消し去るために、自分以外の記憶を書き換えている。
ならば、この記憶こそが、ルカを取り戻すための唯一の武器だ。
蒼一は、強く拳を握りしめた。
この歪んだ世界で、自分だけが覚えているルカの記憶を、決して手放さない。
そして、必ず、彼女を見つけ出す。
たとえ、世界が何度、音を立てて崩れ落ちようとも。