第2話:『空白の教室』
クラスメイトたちの顔が変わった。
見慣れたはずの友人たちが、まるで別人のように見えた。いや、顔が変わったのではない。彼らの「記憶」が変わったのだ。蒼一は、混乱と恐怖に全身が震えるのを感じた。
「おい、どうしたんだよ、蒼一」
隣の席の男子生徒が、心配そうに声をかけてきた。その顔は、蒼一が知る彼の顔と寸分違わない。だが、その声には、蒼一が知る彼との間にあったはずの、ある共通の記憶が、完全に欠落しているように感じられた。
「……お前、ルカのこと、知ってるか?」
蒼一は、震える声で尋ねた。
男子生徒はきょとんとした顔で首を傾げた。
「ルカ? 誰だよ、それ。うちのクラスにそんな奴いたっけ?」
その言葉は、蒼一の胸に冷たい鉛となって沈んだ。何度か他のクラスメイトにも尋ねてみたが、反応は同じだった。誰も、天原ルカという名前を知らない。彼女の席は、最初から空席だったかのように、そこに存在していた。
世界は、本当に彼女を忘れてしまったのか。
スマホの画面を再び開く。未送信メール。
『もし世界がわたしを忘れても、蒼一くんだけは、わたしを覚えていてください。』
その文字だけが、唯一の真実として、蒼一の指先に熱を帯びていた。このメールは、ルカが消えることを予見していたのだろうか。なぜ、未送信のまま残されたのか。
放課後、蒼一はルカの家へと向かった。いつも通っていた道なのに、風景がどこか違って見える。家に着くと、そこには見慣れない表札がかかっていた。
「鈴木……?」
ルカの家は、天原家だったはずだ。恐る恐るインターホンを押すと、出てきたのは見知らぬ老夫婦だった。
「どちら様ですか?」
「あ、あの、天原さんのお宅は……」
「天原さん? ここは鈴木ですがね。ずっと前から」
老夫婦の言葉は、蒼一の足元から地面を奪い去った。ルカの痕跡は、どこにもない。彼女の存在は、この世界から完全に消え去ってしまったのだ。
夕焼けが、蒼一の心を嘲笑うかのように赤く染まる。
彼は、ただ、スマホの画面に映る「天原ルカ」という文字を、何度も、何度も、指でなぞった。
この記憶だけは、誰にも渡さない。
世界が何度書き換わろうと、この痛みだけは、僕だけのものだ。
その時、スマホの画面が、一瞬、ノイズを走らせた。
まるで、遠い場所で、何かが崩れ落ちるような、微かな、しかし確かな“音”がした。
世界は、まだ、揺らいでいた。