幕間-「ホレイシオと王への手紙」
宇鷹ユウへの“捜査協力承諾“を得てから、数週間が経った。
劇団ウィリアムの公演開始まであと1ヶ月程となった今、捜査本部の忙しなさも日に日に増している。周りのざわついた雰囲気から兼賀はそう感じた。
所轄に開設されたこの特別捜査本部は、警視庁からの応援で駆り出されている者もいるようで、人数は多い印象だった。
捜査会議開始15分前。この場での大きな会議は今回で3回目になる。
既に着席して1人資料を確認していたところに、その男はやってきた。
よく焦がされた土のように明るい茶髪に、スポ根漫画に出てきそうなさっぱりとしたベリーショート。
薄 啓司だ。
「お疲れ様です。薄警部」
薄の顔を確認してから声をかけると、ツリ目がちな三白眼もこちらを捉え、瞬く。
その瞳からは、相変わらず感情が読めない。
「……お疲れ様です。兼賀さん」
そう言い放ってから、薄は隣に座る。
表情も態度も普通だ。しかし明らかに声のトーンが落ちていると感じた。
「え、”さん”付け?」
身体を乗り出して薄の顔を覗き込む。
「そちらだって警部ってわざと言ったでしょう」
そう言う薄は表情をひとつも変えず、視線は捜査資料のままだ。
「冗談じゃん」
「冗談で済ますかは俺が決めることですよ」
一瞥もくれることなく、薄はそう言い放つ。
俺との会話はついで作業のようだ。
「同部屋との再会だっていうのに、そんなツンケンすることないじゃん」
この男とはいつだって距離感が掴めない。
思えば、初めて出会った時からずっとそうだった。
凹凸が食い違うように、コミュニケーションが上手くいかない。
ほかの警察学校同期たちとはあんなにも楽しくやれるのに、こいつの態度はいつも壁が阻んでいるようで、その先に踏み込むことが難しい。
「最初に突き放してきたのはそっちでしょう」
「つれないなー。じゃれあいのひとつじゃん」
「……というか」
薄はようやくこちらに視線を寄越して、口を開いた。
「前から仲良くも無かっただろ」
「……あはは!酷いな。そうだっけ?」
そうだ。
唯一とも言えるほどに反りが合わない――そんな薄との関係値を忘れる訳はなかった。
薄の言う通り、決して良好ではなかった。
が、ここは忘れたように振舞う。
そうしなければ、今回の仕事が全うできないと考えた。
「お前が俺をどう思っていようともうどうでもいい。ただ、捜査に支障をきたすようなちょっかいはかけるなよ」
薄の鋭い瞳は、揺れることなくこちらを見ている。
その目からはなんの感情も見えてこない。波のない水のように、何も伝わってこない。
どうでもいいと、本気で思っているような目だった。
「なんだよそれ。まるで子供扱いだな」
捜査会議開始5分前。
少しばかりの静けさが訪れる。
「……昔からお前は一々突っかかる。正直邪魔にしかならない。構って欲しがる小さい子供と相違ないと思うが」
そういう所。
ナチュラルに見下すような発言が出来るお前が気に食わないんだよ。
俺らは対等であるべきだろ。
それをお前も望んでたんじゃないの。
「あはは。お前さ〜、相変わらずだな」
だんだんと、捜査員も席に着き始める。
視線はとっくに薄から外し、正面を向いていた。
「なんとでも言えよ」
椅子を引く音が増えてくる。
その音に紛れて、人を傷付ける為だけの言葉が口から飛出た。
「流石、警視総監の息子」
薄からの返事は聞こえなかった。
*
「捜査会議は以上とする。お疲れ様」
野村管理官がよく通る声でそう言えば、皆一斉に「お疲れ様です」と返す。もちろん自分もそうした。
「薄」
「……なんだ」
資料をカバンにしまっていると、兼賀が声をかけてきた。
「少しだけ時間貰える?」
「どれくらいだ」
「10分」
「わかった。外で話そう」
パイプ椅子を引き、俺達は廊下の方へと進む。
引き続き聞き込みや情報の洗い出しへと向かう捜査員の波とは反対方向に出ていき、兼賀に向き合った。
「それで……何の用だ」
「野村管理官から聞いた?」
「ああ、聞いた」
なぜ先程兼賀が絡んできたのか。何となくわかった気がした。
きっと、今後しばらくは一緒にいることになったからだろう。お互い仲良くは無いどころか、反りが合わないとすら感じている。だが、体裁くらいは良くしておきたい――恐らくそういうことなんだろう。
公安部と刑事部での合同捜査。その話が上がってきたのは、数週間前だった。今回被疑者としてあがっている人間は、公安部でも目をつけていた人間だったらしい。
本部長や課長たちが話し合った結果、今回のような結果と相成った。
しかし体裁を保つためとはいえ、兼賀のあの絡み方はないとは思うが。
「やだなー、そんな嫌そうにしないでよ」
「いつもこんな顔だ」
半笑いで「ごめんごめん」と言う兼賀は、その気持ちを隠す気が無さそうである。自分の眉間のしわが深くなるのを感じた。
「まあそういうことだから。今後は一緒に行動する頻度も増えると思っておいてほしいんだよね」
「ああ。というか」
「うん、今日からかな。よろしくね」
兼賀は自分の言葉を拾って続ける。この人はせっかちだな、と昔思っていたことを思い出した。
「……よろしく」
そう応えたあと、間を埋めるようにスマートフォンが鳴った。
「悪い、電話だ」
スマートフォンを取り出しながら、兼賀にそう言う。
画面には『長部』と表示されていた。その意味を理解した瞬間、どんどんと頭が冴えるのを感じた。
「はいはい。先に車行ってるよ」
兼賀は手をひらりと振りながら、捜査員たちと同じように外へと向かっていた。
それを確認してから、外とは反対方向に歩く。突き当たりすぐ右横にある喫煙所へ入った。この中には監視カメラ及び防犯カメラが無いからだ。数分の通話程度なら怪しまれることは無い。
「もしもし」
『お疲れ様です!長部です!』
神奈川県警 地域課の長部。
何度聞いても若々しくて威勢の良い声だな、と思う。
周りの環境音が入ってこないことを考えると、恐らく当直明けで非番になったのだろう。
「ああ、お疲れ。それで用件は」
『2つほど報告があります』
先程の元気いっぱいなトーンからは打って変わり、落ち着いた声色で長部は言った。
「大漁だな。続けてくれ」
『横浜市内で70代男性の死体が見つかりました。ですが、どう見ても20代にしか見えない容姿です。おそろくナトリ達の仕業です』
「わかった。22時頃そっちに行く」
『いま忙しいんじゃないですか?』
「たぶん明日からな。だから今日行きたい。それで、もう1件は?」
聞いてみたが、大方予想はついている。
『”落し物”が届きました。詳細は通話が終わり次第送ります』
「了解」
やっぱりな、と思いながら、長部にそう返事をした。