人間関係は有刺鉄線──俺が四半世紀で出した答え
誰に読ませるために書いたわけでもない。
自分の思考整理のために書き殴った文。
きっとこのままだと、ストレージの中に埋もれて、PCを買い換えた時に2度と見つけられなくなってしまうから。
戒めとして使うために、私はこれをのこすのです。
小学校の頃、俺はルールを順守するウザいガキだった。 自分だけが守るならいいが、ルール違反を目にするとすぐ注意したり告げ口したりする、煙たがられて当然のガキだった。 当然嫌な思いもしたし、いじめのようなことも受けた。 個の生き方は疲れると学んだ。 中学生の頃、既に俺は疲れていた。 もう他人にルールを守らせる気力もなかった。 でも自分がルールを破る勇気は無かった。 そんな小学生時代を過ごした俺だから、人との接し方を知らなかった。 空気の読み方を知らなかった。 だから孤立した、空気が読めない行動をして、目をつけられ、嫌な思いもした。 被害者のように語っているが、今思うと接し方を間違えたせいで嫌な思いをさせた奴もいる。 彼が気にしているのか、どう思っていたのかわからないが、客観的に見て彼が当時俺にいじめられていたと主張するなら、認めるしかないなというレベルの事はしていたと思う。 とにかく、俺は人との接し方を知らなかったし、学べもしなかった。 結果、目立てば誰かに嫌われる、嫌われれば嫌な思いをする、じゃあ嫌われなければいい、誰にも嫌われないために空気になろう。俺はそう思った。 高校時代、確かに俺は空気だった。 同窓会をしたら、クラスメイトで俺を覚えている奴は殆どいないだろう。逆に俺もクラスメイトを1人しか覚えていない。 部活の面子とはかなり濃く絡んだが、クラスではひたすらおとなしく、目立たないように過ごしていた。 実際、俺のことを嫌いな奴は1人しかいなかった。 まあ訳の分からない理由で嫌われていたようなので、彼は俺が何をしても嫌いになっていただろう。 とにかく、高校時代は空気になった。 専門学校時代、俺はそれを継続した。 いや、しようとした。 しかし、まあ専門学校の指導は大手企業の研修のようなものだ。 特に実習は空気になるのは不可能である。 俺はストレス耐性が無かった。 怒られることが無かったのだ。 俺は優秀な子供だった。 真面目な子供だった。 成績も中の上、問題行動も起こさない、怒られる要素の無い子供だった。 俺は怒られるのが怖かった。 いや、今でも怒られるのが怖い。 子供の頃から怒られていれば怒られるのが怖くなくなっていたか、はたまたそうであっても別に変らなかったのかは知らないが、とにかく怒られるのが怖いのだ。 専門学校ではよく怒られる。 座学はいいが、実習はミスは詰められる。 俺は就職したら楽になると信じて2年間を耐えきった。 就職した。 苦しかった。 ブラック企業だったというのもある。 でも俺はストレス耐性が無かった。 今まで耐え続けてきた心はもう限界だった。 専門学校時代は2年という制約があった。 明確なゴールがあった。 でも社会人はどうか、出口は2ねんなんて茶っちなものじゃない。40年である。 俺の心は折れた。 俺は不眠症になった。対人恐怖症になった。ニートになった。 数年後、俺は3Dモデリングに手を出した。 今見るとお世辞にもうまいとは言えないが、形にはなっていた。 それで調子に乗った。 偶然掴んだ人脈で、3Dモデラーが欲しいという人が居た。 初心者でもいいとのことで、当時人間関係が諸悪の根源と思っていた俺は、リモートの仕事を探していたので即飛びついた。 まあこの件については語りたくないほど嫌な思いをしたので省くが、結論から言うと、クズ見たいな大人にボロクソに言われた。 まあでも彼の言う事が全て滅茶苦茶だったわけではなく、俺の技術じゃお金にならないという点に関してはどうしようもないほどに正論だった。 俺は思った。 圧倒的な技術が無ければ、リモートの業務は無理だと。 あるとき、SEの友人がスマホアプリを作ったと言ってきた。 ちょっとしたゲームだったが、正直な話何が面白いのかよくわからなかったが、確かに動くものだった。 あるとき、俺は有名ゲームをやっていた。全体的には面白かったし、すごく完成度の高い作品であったが、とてもストレスのたまる要素があった時に、「「これ作ったやつさぁ」と声が出た。 そこではっと気が付いた。 俺は知り合いのあいつが作ったクソゲーに文句を言わないのに、このクオリティのゲームに文句たれるのか?と。 ここで気が付いたのだ。人間、顔の見えない相手には心無いことが言えてしまうのだ。 ゲームや商品のレビューもそうだ。だいたいが、知らないだれかだからかけていることだと気が付いた。 25歳になった。 俺は社会復帰することに決めた。 怖かったけど、一歩踏み出した。 当初は人間関係を拒絶するつもりだった。 多分1年早くバイトに受かってたら、多分そうしていただろう。 仕事以外では何も話さない、空気のような人間になり、時間通りに来て、やる事だけやり、時間通りに帰る。そのつもりだった。 でも、今だった。バイトを始めたのは、気が付いた後の今だった。 俺は思った。 人間関係は俺を傷つけるだけの物じゃない、俺を守る盾だったんじゃないかと。 人間関係は有刺鉄線だった。 確かにそれは俺を傷つければ、上手く味方にすれば、俺を守るのだ。 人間関係を拒む行為は、回避主体のプレイだ。 回避率を上げ、当たらないように立ち回る。でも社会人では、仕事ではそれが難しい。 ケアレスミスでセルが1か所ずれてました、なんて経験をしないで定年を迎えるのは不可能だろう。どうしたって人間怒られる機会がある。 そういう時に、当たってしまった時に相手は容赦ない、等倍の攻撃を食らわせてくるのだ。 回避全振りプレイではワンパンである。 それに対して人間関係の構築はデバフだ。 人間関係というデバフを、周囲の人間に撒くのだ。 人間関係が無いとき、相手は俺に指摘するときにこう考える。「良く知らない奴だし、挨拶もしない、こんな奴にどう思われたっていいし、普通にこのミス腹立つから強めに言ってやろ。」 関係を作ると、相手は俺に指摘するときにこう考えるようになる。「あの人ミスしちゃってるな…言わなきゃいけないよな、でも嫌われるような言い方は不味いよな…ええっと言葉選んで…」 場合によっては「あーあの人ミスしてるな…フォローしておくか」まであり得るようになる。 これはデバフによる攻撃力低下であり、攻撃の無効化なのだ。 まだ理論だけで実証できたわけではない。 先週始めたバイトで実験している最中である。が、恐らくこれが正解なんだろう。 今日も、頑張って社員の方に「今日は冷えるっすね」と声をかけてみた。彼が帰るときに「頑張ってね」と声をかけてもらった。 きっとこの繰り返しが、俺を助けるのだろう。 これが、人間関係に対する、俺の四半世紀で出した解答である。
段落訳もしてないから、本当に読みづらいので、AIに要約してもらったので、それを以下に残す。
人間関係は有刺鉄線──俺が四半世紀で出した答え
小学生の頃の俺は、ルールを絶対視するウザいガキだった。
自分だけが守るならまだしも、ルール違反を見つけるとすぐ注意したり告げ口したりする。煙たがられるのも当然だ。
当然、嫌な思いもしたし、いじめのようなことも受けた。
「ルールを守ることは正しいはずなのに、なんで俺ばかりこんな目に?」
そう考えていたが、ある時気づいた。
──この生き方は、疲れる。
中学時代:目立つことをやめた俺
小学生の時の経験から、俺はルールを押し付けるのをやめた。
しかし、自分がルールを破る勇気は持てなかった。
その結果、人との接し方が分からなかった。
空気の読み方を知らなかった。
だから孤立した。
空気を読めない行動をして、目をつけられ、嫌な思いをした。
今思うと、俺のせいで嫌な思いをした奴もいたのかもしれない。
客観的に見れば、当時俺に「いじめられていた」と主張する奴が居るなら、それを否定できないレベルのことはしたと思う。
当時の俺はいじめをしている自覚も無かったし、それが問題になることも無かったが、今客観的に見るとあれはいじめだったのかもしれない。
とにかく、俺は人との接し方を知らなかったし、学べもしなかった。
結果、俺は悟った。
──目立てば誰かに嫌われる。
嫌われれば嫌な思いをする。
じゃあ、誰にも嫌われなければいい。
空気になろう。
高校時代:影のように生きた俺
俺は空気になった。
同窓会があったとしても、俺を覚えている奴はほとんどいないだろう。
逆に、俺もクラスメイトを1人しか覚えていない。
部活の仲間とは濃く絡んだが、クラスではただひたすら静かに、目立たないように過ごした。
実際、俺のことを嫌っている奴は1人しかいなかった。
まあ、彼は俺が何をしても嫌いになっていただろう。
とにかく、俺は「空気でいること」に成功した。
専門学校時代:ストレス耐性ゼロの俺
俺は高校時代のスタイルを続けようとした。
だが、専門学校は違った。
特に実習では、空気になるのは不可能だった。
俺はストレス耐性がなかった。
なぜなら、「怒られる」ことに慣れていなかった からだ。
子供の頃の俺は、真面目で優秀だった。
成績は中の上、問題行動も起こさない。
だから、怒られる機会がほとんどなかった。
それが、専門学校では毎日のようにミスを指摘され、詰められる。
俺は耐えた。
──「就職すれば楽になるはずだ」
そう信じて、2年間を乗り切った。
社会人編:俺の心は折れた
就職した。
だが、そこはブラック企業だった。
専門学校は「2年間だけ耐えればいい」というゴールがあった。
しかし、社会人のゴールは「40年後」だ。
俺は心が折れた。
不眠症になり、対人恐怖症になり、ニートになった。
ニート時代:顔が見えない相手には容赦ない
数年後、俺は3Dモデリングを始めた。
初心者なりに形にはなっていた。
そんな時、知り合いのツテで「初心者でもいいから3Dモデラーが欲しい」という話を聞き、飛びついた。
だが、そこで待っていたのは 「クズみたいな大人」 だった。
ボロクソに言われた。
しかし、その中に1つだけ正論があった。
──「お前の技術じゃお金にならない」
俺は思った。
「圧倒的な技術がなければ、リモートワークは無理だ」
あるとき、知り合いのSEがスマホアプリを作ったと言ってきた。 ちょっとしたゲームだったが、正直な話何が面白いのかよくわからなかったが、確かに動くものだった。
あるとき、俺は有名ゲームをやっていた。全体的には面白かったし、すごく完成度の高い作品であったが、とてもストレスのたまる要素があった時に、声が出た。
「これ作ったやつさぁ……」
そこでハッとした。
──俺は知り合いの作ったクソゲーには文句を言わないのに、このハイクオリティのゲームには文句を言ってる。
──人間、顔の見えない相手には容赦なくなれるのか。
気づいてしまった。
25歳:社会復帰への第一歩
俺は社会復帰を決めた。
最初は「人間関係は拒絶しよう」と思っていた。
無駄な会話はせず、時間通りに来て、やる事だけやり、時間通りに帰る。
だが、今は違う。
俺は気づいた。
──人間関係は俺を傷つけるだけのものじゃない。
俺を守る盾でもあるんじゃないか?
人間関係は「有刺鉄線」だ
人間関係をゼロにすることは、一見リスクを避ける方法に思える。
だが、それは「回避率全振りのプレイ」だ。
社会人においては、回避率を上げるだけでは生き残れない。
いつかは攻撃を食らう。
だからこそ、人間関係は 「デバフ」 なのだ。
人間関係というデバフを、周囲に撒く。
・関係がなければ、相手は遠慮なく強く当たってくる。
・関係があれば、相手は言葉を選ぶようになる。
時には、「あの人ミスしてるな……フォローしておくか」となることすらある。
これはデバフによる 「攻撃力低下」 であり、「攻撃の無効化」 なのだ。
実験開始:今日の俺の行動
まだ実証段階ではあるが、今のバイト先で試している。
今日は社員の人に 「今日は冷えるっすね」 と話しかけた。
すると、帰り際に 「頑張ってね」 と言われた。
この繰り返しが、きっと俺を助ける。
これが、俺が四半世紀かけて出した「人間関係」の解答だ。