8 万珠さん
万珠さん
温泉旅行に行くらしい。
ご飯を食べたあと、シュートさんが大きな声でルートさんに「温泉に行こう!」と誘う。
「いや、行くぞ!決定!」
万珠おばあちゃんのインフォグラスが直らないと聞いてかなり落ち込んでいたけど、シュートさんが何かを思いついたような顔をしていたので、ちょっと安心してご飯を食べられた。
ルートさんは怪しいけど、シュートさんはそういったキモチを解ってくれている。多分・・・。
温泉行きたいだけかもしれない。ルートさんと二人で行くのだと思っていたら、私たちも行かないかと言い出した。でうっさん(私たちサピエンスがディーモスを呼ぶときの愛称)は、なんてフッカルなんだ。
小さい頃、時々空からふわりと降りてくるS-TALが好きで、よく空港の近くの野原で遊んでいた。
私が生まれ育った町はS-TALの中継地点になっていたので、色々なところからやってきていた機体を見ることができた。
だいたいどれも同じ形をしていて、それぞれ拠点になっている町の名前か、個人所有の機体には屋号が書かれているのが一般的だ。少し文字を読めるようになった年頃には、駐機場のS-TALの屋号を大きな声で読みあげて遊んでいたのを覚えている。
「私もパイロットになりたい!」と言うと、親からは「勉強嫌いのお前じゃいつになることやら。」と笑われた。
「なれない」と否定しなかったお父さんには感謝している。
そんな中で、一機だけ町名や屋号ではなく花の模様が描かれたS-TALがあって、それから降りてくるパイロットスーツの女の人がカッコよくて、あんな風になりたいと思った。それが万珠さんだった。
S-TALへの荷物の積み下ろしは空港のガントリーオペレーターが行うけど、降ろした荷物の仕分けはパイロットも手伝わなければならない。結構な力仕事のためパイロットといえば体格のいい人というイメージだ。
でも、万珠さんは見た目細身だった。腕を見せてもらったことがあるけど、すごく締まっていてきれいな筋肉だった。空港のマッチョに混ざって同じように仕分けをしているそうだ。
私の家は花を栽培する農家で、父が研究好きだったことから、色々な品種の花を交配して新しい模様の花を創っていた。
万珠さんは花がすごく好きで、他にはない模様の花を売っていたうちの店にはよく訪ねてきてくれていた。店といっても圃場に隣接する普通の一軒家で、看板も出していなかったのによく見つけたものだと思う。
S-TALのパイロットは頭がよくてどこにでも飛んでいくので、独自のネットワークや口コミがあって知ったのかもしれない。世界中の事を何でも知っている所もカッコいいと感じるところだ。
空港にいる万珠さんはスマートでカッコいいお姉さんって感じだったが、うちの温室で花を見ているときは子どもみたいな、お母さんみたいな顔をしていた。買う花を決めるときはいつも「きみ、うちに来るかい」とポロッと言っていた。万珠さんのS-TALに乗せてもらって、一緒に旅して帰るだろう花が羨ましかった。
12歳で基礎学習プログラムが終了したらすぐにS-TALの操縦資格を取るために弟子入りしようとしたが、お母さんに「勉強がしたあないだけやろが!」と頭ごなしに怒られた。
事実、S-TALの操縦資格に必要な学習プログラムがどれだけ大変か理解していなかったし、軽く考えていた。
そんなことあるか、自分は本気だ!と突っ張っていたが、証拠を見せてみろと言われて何の勉強もせずに挑戦した試験は惨敗だった。
共通語の試験は日常会話は問題なくできたが、航空管制の部分はほぼ解けず。地域言語(私の地域では
3種類)に至っては日常会話すらおぼつかずだった。総合理学(数学、物理学、化学が統合されたもの)は、分野としては得意だったはずなのに、知らない問題ばかりで、解答欄は半分以上空欄のままだった。
試験が無駄に難しいことをシュートさんに愚痴ったら、「あっ・・ああ、そうだね。」みたいな反応で、なんか腹が立つ。
彼らは常日頃から旅をしているので共通言語は当然として、地域言語についても一週間くらいで問題なく日常会話ができるようになるらしい。航空管制の単語は近い地域では方言くらいの違いしかない、なんて言う。理学に至っては、「全部理屈で説明できるんだから、楽勝じゃないか」という具合だ。
ディーモスはほんとずるい!
なので、24時間のシミュレーターによる操縦訓練と緊急対処訓練(サバイバル訓練はディーモスにとってとはいつもの旅の野営みたいなものらしいので免除されることが多い)だけで仮操縦士免許が取得できてしまう。
シュートさんに、なんででうっさんはS-TALに乗らないのか聞いたが、「乗る意味がわからんから2度と乗らん!」と言っていた。昔なんかあったのかもしれない。
結局私は16歳まで実家で手伝いをしながら勉強を続けた。
12歳のとき、家を抜け出して万珠さんのS-TALに密航したことがあった。
その時は「パイロットになりたかったら、本気で勉強して親を説得してこい」と、こっぴどく叱られた。
離陸時のヨークが僅かに鈍かったので重量変化に気付いたらしく、貨物室のカメラを確認してすぐに気付いたらしいが、私の親とは昵懇だったこともあって、次のフライトで立ち寄るまでの間、預かってくれることになったそうだ。
憧れた人に叱られるのはかなりこたえたけど、家に泊めてもらっている間はとても大事にしてくれて、仕事のことや世界の話をたくさんしてくれた。案内してくれた庭の花畑には、うちの店で買った花がたくさん育てられていて、入口には私が好きだった(うちの店を訪ねてくれたとき、私が勧めたらしい)黄色のつる薔薇が植えられていた。
その縁もあり、16歳で万珠さんについてこの家に住み込みで仕事をするようになり、22才のとき娘が生まれた。
万珠おばあちゃんは娘が生まれてすぐに鬼籍に入ったが、その少し前に突然、形見だと言って私にインフォグラスをくれたのだ。「男どもはそんな古いんは要らんて言うし。」赤いのは似合わんからといって受け取らなかったと。受け取ったら最後な気がして、逝ってほしくないという気持ちもあったのだろう。
深い紅色に金の線でつる薔薇が描かれていて、すごく綺麗だった。おばあちゃんもとても大事にしていた。
万珠おばあちゃんが引退してからは夫が跡をついでパイロットをしていたのだが、万珠おばあちゃんが使っていたS-TALには町の名前が大きく書かれ、バラの模様は一部消えてしまっていた。
夫は工場長の仕事(雑用)があるので、パイロットの仕事が重荷になっていたし、娘の美緑が基礎学習で学校に通うようになって、少し時間が取れるようになったので残っていた語学試験を何とかクリアし、残すはシミュレーター訓練と仮免許訓練だけになっていた。
私はどうしても万珠おばあちゃんのメガネで飛びたかった。
未来のAI像は、多分、攻殻機動隊(地上波放送)のタチコマの影響が強いです。
誤字脱字、物語の矛盾などがあれば、修正がんばりますので教えてください。