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アネモネをきみに  作者: 影山ナイト
9/16

友だち


 あいつとの出逢いは最悪だった。でも、最高だった。


 高校一年生の夏。相も変わらず、僕はクラスで孤立していた。いじめられているわけではない。ただ、僕は周りから敬遠されていた。クラスで浮いた存在になっていた。


 僕は、この1年A組という集団の中で孤独だった。


 大勢の生徒が賑わっているであろう昼休みの教室。友人同士で賑やかに話し、高校生活を謳歌しているクラスメイト達。その賑わっているであろう中、ひとり昼食をとるのは苦痛でしかなかった。


 集団の中で、ただひとりでいることは孤独だ。ただ、誰もいない教室でひとりであるならば、まだ僕はここまで孤独を感じていない。


 孤独であることと、ひとりでいることには大きな違いがある。集団の中でたったひとりだからこそ、余計に孤独を感じるのだ。周りから疎外されているように見える。


 いや、僕が僕自身をそう見ているのだ。だから僕は、僕を孤独たらしめる昼休みの教室が嫌いだった。僕はこれ以上、孤独を感じたくなく、コンビニで買ったサンドウィッチとお茶を持って教室を後にした。


 向かう先はどこだ。決めていない。ただ、あの孤独な空間から一刻も早く抜け出せればよかった。額から流れる汗を腕で拭う。さすがにこんな暑い中、外で食べるのは無理だな。


 しかも今日は台風が日本に上陸し、あいにくの大雨だ。教室にいるよりましだが、それでも外に出ようとは思わない。


 どこか昼食を食べるに適した場所はないだろうか。本校舎の4階廊下を歩き、階段にさしかかる。本校舎は4階建てのため、この上は屋上だ。


 屋上は生徒の安全のため、終日解放厳禁となっており、扉は施錠され、入れない。屋上付近に近づくことも禁止されている。以前にも一度、教室を抜け出し、ひとりで行ったことがある。


 そのときは不運にも生徒指導の先生に見つかり、注意をうけた。階段付近を見回す。先生も、他の生徒もいない。辺りを確認したのち、僕は階段に足を掛ける。薄暗く、埃っぽい階段を一段一段と進む。


 屋上手前のスペースは広く、昼食をとるには充分なスペースがある。階段を登りきると、そのスペースはお花畑になっていた。いや、いろんな種類の鉢植えがあり、色とりどりの花が咲いていた。花は雨に濡れ、鉢植えからは水がしたたり落ちている。


 こんなところで、花を飼育している? いや、鉢植えがびしょ濡れになっているのを見るに、今しがた外から回収してきたようだ。


 僕が怪訝な目で花を見ていると、開かないはずの屋上の扉が開かれた。


「――――――!」


 何事かと驚いている間に、びしょ濡れの男子生徒が鉢植えを両手に持ち、何か叫んでいる。そして、僕の姿を見て彼も驚いたようだ。この男子生徒には見覚えがある。


 見覚えというか、クラスメイトだ。


 身長180cmを越え、顔のパーツが整っており、いわゆるイケメンだ。


 しかし、その見た目に反して性格はおとなしく、教室でもあまり他の生徒と話しているわけではなく、いつも本を読んでいる。かと思えば、休み時間には颯爽といなくなり、明るい調子で誰かと電話しているのを何度か目撃したことがあった。


 そういえば、昼休みの教室で一度も彼を見たことがなかった。


「――――――!」


 彼が僕に向かって何かを訴えかけてくる。何を言っているかさっぱりわからない。ただ必死なことはわかる。立ち入り禁止の屋上で何やら怪しいことをしていることを誰にも言いふらすなとのことだろうか。そういうことならば、安心していい。


 僕は誰とも話さない。話せない。


 何も見なかったことにしようと屋上から立ち去ろうと後ろを向くと、腕に衝撃が走った。


 驚いて腕を見ると、たくましく、雨がしたたっている手でつかまれている。

 後ろを振り向くと、びしょ濡れの彼がいた。


 なんだよ。誰にも言いふらさないよ。


「――――!」


 彼が何かを言っているか、わからない。僕は眉間に皺をよせながら、ジェスチャーをする。


 両耳に手をあて、その後、手で×(ばつ)を作る。次に、口から何かを話すジェスチャーをし、再び手で×をつくる。


 彼はそれをまじまじと見つめる。数秒して、彼は理解したようで、拳を手のひらに押す。古い表現だが、僕にとってはわかりやすいジェスチャーだ。理解してくれて、なによりだ。


 さて、他に昼食を取れる場所を探さなければと、僕は屋上を後にしようとした途端、


『驚かせて、ごめんなさい。ちょっと、手伝ってほしいことがあります』


 驚いた。彼は拙いながらも手話をした。


『なに?』


 手話が通じるなら話が早い。適当に断って、さっさと昼食を済ませてしまおうと思ったが、残念ながら彼にはその思いが届かなかった。彼はどうしてか笑顔になり、僕の手を取った。


 どうやら、僕が手伝ってほしいことを了承したと受け取ったみたいだ。僕は掴まれた腕を離そうとするものの、彼のたくましい腕からはまったく逃れられなかった。


 そうこうしていう内に、滝のような大雨と突風が吹き荒れる屋上に連れてこられた。


 なにするんだこいつ!


 僕は、目に雨が入らないよう腕を額にくっつけるが、意味をなさない。すでに全身がびしょ濡れになってしまった。すると、彼は僕の方を向き――


『花、ここから、出すの、手伝ってください』


 拙い手話とジェスチャーをする。


 なんで、そんなこと協力しなきゃいけないんだ!


 文句の一つでも言ってやりたかったが、それどころではなかった。


 屋上に置いてある鉢植えは突風で無残にも倒れ、土が散乱している。花が鉢植えから飛び出しているものもある。彼は鉢植えに駆け寄り、急いで持ち上げる。


 くそっ、なんだっていうんだ!


 僕も倒れた鉢植えを抱え、それを何回か繰り返しやっと屋上すべての鉢植えを回収した。


 屋上前のスペースはボロボロの鉢植えとびしょ濡れの僕たちでいっぱいになっている。


 全身から雨が滴る。Yシャツがべったりと肌にはりつき、下着のトランクスも股にはりつき、非常に気持ち悪い。僕が気持ち悪さと疲労と戦っている最中、彼は息を切らしながらも花を鉢植えに丁寧に戻し、土を整えている。


 ある程度整え終わったのか、立ち上がり僕の方を向く。


『本当に助かった。ありがとうございます』


 さきほどよりもスムーズに手話をしながら礼を言う。


 もともと手話ができるのだろう。


『いいよ。それじゃあ』


 僕はとりあえず着替えたかった。教室にある体操着に着替えるため早々に退散しようとうする。それでも彼は感謝が足りないといわんばかりに話を続ける。


『きみ、同じクラスの水瀬くん、だよね?』


 彼はスマートフォンを開き、『水瀬くん』と入力し、その画面を見せながら手話をする。


『そうだけど』

『俺は、同じクラスの花宮蘭太郎(はなみやらんたろう)っていうんだ。今まであまり話したことなかったよな?』


 あまり、というか、一言も話していない。そもそも僕は人と話せない。嫌味を言っているのだろうか。僕はさきほどの仕打ちもあり、イライラしていた。


『うん。それじゃあ、僕は戻るから』

『ちょっと待って』


 花宮くんは焦りながら、鉢植えを蹴らないよう気を付けながら僕に駆け寄る。


『いきなりごめん。本当に助かった。ありがとう』


 花宮くんは泥まみれの手を差し出す。僕はその手を嫌そうに見つめるも、彼は手を引こうとしない。


 どうせ、僕の手も泥だらけだ。仕方がない。僕は手を伸ばし、彼の大きな手を握る。花宮くんは感謝のしるしを表現するかのように、強く手を握り返してくる。


 痛いっての!


 さきほどから僕をイラつかせてばかりだ。でも、泥だらけでも笑顔で感謝をする彼を見ると、その怒りは呆れに変わり、どうでもよくなった。


 怒りが収まると、今度は疑問が湧いてきた。


『ところで、花宮くんは何をしているの? 学校の屋上で菜園?』


 僕は気になったことをそのままいうと、彼は気まずそうに頬を掻いた。


『まあ、部活動、かな』


 園芸部なんてあっただろうか。もともと僕は部活動に入るつもりがなかったため、学校にどんな部活があるかは知らなかった。部活動が理由なら、屋上を自由に出入りできるのも納得がいく。


『大変だね。それにしてもすごい量の花だけど』


 そこそこ広い屋上前スペースは鉢植えでいっぱいになっていた。

 鉢植えには花が開いているものもあれば、まだ小さな芽が植えられた鉢植えもある。


『ああ。学校の催し物で披露するものだから、どうしても大量に用意しなきゃならないんだ。それがもしも、ひとつの花でも披露できませんってなったら、姉貴にどやされるからさ』


 花宮くんは雨で冷えてか否か、青ざめ体を震わす。


『お姉さんも園芸部なら、お姉さんに手伝ってもらえばいいのに』

『うーん、まあ、そうなんだけどな……』


 花宮くんは歯切れ悪そうにいう。


『何か言っちゃまずいことなら、聞かないけど』

『いや、べつにそういうわけじゃないんだ。なんていうか、その……姉貴を喜ばしたくてさ』

『どういうこと?』

『姉貴が3年生で、今年卒業なんだ。だから、卒業式にはいっぱいの花を披露して卒業さしてやりたいんだ。やっぱなんか恥ずかしいよな』


 花宮くんは照れ臭そうに笑う。


『何も恥ずかしいことなんてないよ。すごく、立派だと思う』


 きょうだいのためなら頑張れる。きょうだいってそういう関係が一番良いに決まっている。僕は、面倒見の良すぎる妹を思い出した。


 誰かを喜ばせるために頑張れる人もいるんだな、と僕はそのとき知った。


 まあ、そのために僕を巻き込み、その後、風邪をひくはめになったことは今でも根に持っている。


 それから僕と蘭太郎は、昼休みは共に屋上で昼食をとるようになった。お互いに興味のある本があれば貸し借りをし、休日も遊びに行くようになった。


 蘭太郎と出逢ってから一か月が経過した、ある日の昼休み。


『歩、今日もサンキュな。おかげで姉貴を喜ばせそうだ』


 蘭太郎は笑顔でいう。


『べつに、大したことはしてないよ』


 今日は昼休みが始まってすぐ、鉢植えに新しい苗を植える作業をした。そしてそれが終わり、青々と無限に広がる快晴のもとで昼食をとっていた。


 あれ以来、蘭太郎はちょくちょく、僕に手伝いを頼んできた。


 ものすごい量の鉢植えとそこに咲く花の手入れはすごく億劫だったが、僕はそれを引き受けた。今まで、誰かを必要とすることは多々あったけど、誰かに必要とされるのは初めてだった。それがとても嬉しく、楽しかった。


『そういえば』

『うん?』


 僕が前から気になっていたことがあった。蘭太郎はお弁当の白米をほおばり、こちらをうかがう。弁当には、花屋らしく食べられる花が添えられていえる。


『蘭太郎はどうして、手話ができるの?』


 今どき、医療や福祉に関わる人以外で手話ができる人に会ったことがない。それにも関わらず、蘭太郎はどこで手話を覚えたのだろうかとずっと疑問だった。


『あー、手話な。ほら、俺ん家って花屋だからさ』

『なにそれ』


 あまりにも脈絡のない返事に苦笑してしまう。


『お客さんでけっこう手話が必要なときがあんだよ。それで、姉貴に徹底的に叩き込まれた。そりゃもう……泣けたよ』

『なにが泣けたのか気になるけど、怖いから聞かないでおくよ』


 蘭太郎は何かを思い出すようにして、体を震わす。


『そうしてくれ』


 蘭太郎はおかずを頬張る。


『それにしても、そんなに多いの? その、耳が聞こえないお客さんとか』

『ああ、けっこういるよ。他には、目が不自由な人や、体が不自由な人。たぶんだけど、花屋ほど色んな人が来るお店はないんじゃないかと思うぞ』

『そうなんだ』


 それほど花というのは人にとって何か大切な存在なのだろう。


『花を買っていく人たちには、それぞれ何かしらの思いがあるんだよな。お見舞いだったり、激励だったり、悲しいことだったり、誰かに思いを伝えたいとき。俺はまだまだ半人前だからわかんないけどさ、花っていうのは、言葉だけでは伝わらない思いを人に届けられるんだと思う』

『言葉だけでは伝わらない……思い?』


 蘭太郎は照れ臭そうに笑う。


『いや、俺もよくわかんねーけどさ。人に何かを伝えるときって言葉だけじゃ足りないこともあるんだと思うよ。言葉ってのはさ、その一瞬にしか姿を現さない。でも、花ってのは咲き続ける限り、思いと一緒にあり続けるんだ』

『なるほど』


 僕は相槌をうったものの、内心、よく理解できないでいた。


 思いを伝えるのに、言葉だけじゃ足りない……。


 僕はこの言葉の意味を理解できなかった。僕は言葉を発することも受け取ることもできない。だから、文字を起こしたり、手話をして他人とコミュニケーションを取る。


 他の人は、言葉を発してそれを受け取り、キャッチボールのように言葉を返してお互いを理解しあう。


 言葉には感情を込められる。同じような「ありがとう」というセリフも、言い方によっては喜怒哀楽それぞれを表すようだ。そんな便利な言葉を使っても、まだ思いが足りないものなのだろうか。


『だからよ』


 蘭太郎はどこから取り出したのか、鉢植えを僕の前に出した。


 鉢植えは30cmほどの大きな鉢植えで、緑の棒が刺さっており、そこに弦が巻き付いている。上方には内側が黄色、外側が赤い綺麗な花が咲いている。


『なにこれ』

『グロリオサってんだ。花言葉は〈栄光〉と〈勇敢〉。これを歩にやるよ』


 蘭太郎はスマートフォンでグロリオサの説明Webページを見せる。


『え、なんで?』

『歩の輝かしい未来を祈ってな』

『ああ……』


 僕は、夏休みを機に、普通科から特別支援科に転科することになっていた。蘭太郎と仲良くなって以降、教室でも前ほど孤独を感じることは少なくなっていたが、どうしても、自意識過剰の悪い癖が抜けなかった。


 それに、蘭太郎への罪悪感もあった。


 蘭太郎が僕と接している限り、蘭太郎は他の生徒と関わりずらいだろうと思った。蘭太郎はそんなことを気にする人間ではないが、僕が許せなかった。はじめて、ちゃんとできた友人だ。


 大切にしたい。


『でも、どうしてこの……花? なの?』


 グロリオサという花を表現できず、戸惑いながら手話をする。


『なんか〈勇敢〉ってかっこいいじゃん?』


 蘭太郎は歯を見せて笑う。


『えー、そんな理由?』

『なんだよ、文句あるのかよー』


 蘭太郎は笑いながらいう。


『いや、すごく嬉しいよ』


 蘭太郎がこの花を選んでくれた理由を、本当はすぐにわかった。僕が色々悩んで、それで決断した転科という選択を蘭太郎はわかっているのだ。そして、それを肯定し、背中を押してくれているんだ。それがわからないほど、僕と蘭太郎の仲は浅くない。


 蘭太郎はそういうやつだ。決して自分を押し付けない。あくまで、僕の意思を尊重し、そっと背中を押してくれる。今まで僕は、地面に這いつくばったところを、立派にひとり立ち上がる人たちに手を差し伸べてきてもらった。


 でも、蘭太郎は違った。決して自分からは手を差し出さなかった。むしろ、助けてくれと言わんばかりに僕に頼り、僕が選択した道を、応援してくれる。初めてだ。僕の背中を押してくれる人は。これが、本当の友だちといえるのではないだろうか。


『行ってらっしゃい!』

『うん。ありがとう。って、叩くな。痛い!』


 蘭太郎は弁当を食べ終え、まだ昼ご飯のサンドウィッチを食べている僕の背中を叩く。

 こうして僕は蘭太郎に背中を押され、特別支援科に移った。


 風が奏でる自然の音も、鳥たちの鳴き声を聞くことはできないけれど、

 友だちと一緒に見る青空がとても、きれいに見えた。



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