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アネモネをきみに  作者: 影山ナイト
6/16

勇気


 その日の昼休み、僕は勇気を振り絞って園川さんに話しかけた。


『お昼ご飯、ご一緒してもよろしいでしょうか』


 よほど焦っていたのか、クラスメイトに向ける言葉にしてはおかしなものになってしまったかもしれない。やはりおかしかったのか、園川さんは控えめに笑いながら答えた。


『もちろんよろしいですよ。同級生なんですし、そんなにかしこまらないでいいですよ』


 嬉しくて、飛び上がりそうになる。


『はい! ちょっと待ってて』


 僕はこの特別支援教室に来てから誰かと一緒に昼食を共にするということがなかったので、誘ったもののどうしていいかわからなかった。とりあえず、僕の机と椅子を急いで引きずり、園川さんの机の対面にくっつける。


『わざわざ、机を持ってきたの?』

『うん。あれ、お昼ご飯ってそういうものじゃない?』


 恥ずかしくなって、顔が火照る。


『ううん、いいと思うよ。ふふっ、水瀬くんって面白いね』


 園川さんは口元を抑えて笑う。

 笑われたことが恥ずかしい反面、笑ってくれたことがすごく嬉しく舞い上がってしまう。


『全然、面白くなんかないよ。でも、園川さんも面白いよね。なんか、見た目や雰囲気はもっとクールなイメージだったから』


 園川さんは、鞄からお弁当を取り出し、困ったように応える。


『よく言われる。私って、そんな怖い見た目しているのかな』


 僕は慌てて否定する。


『怖くなんてちっともないよ。というより、すごく美人だから近寄りがたいって感じかな』


 自身の見た目に疑問を抱くということは、彼女は生まれつき目が見えない、もしくは、かなり前に失明したのだろう。園川さんは、お弁当を広げる手を止める。


『なにそれ。もしかして水瀬くんってけっこう遊び人?』


 園川さんから、遊び人という似合わない単語が出て、少し可笑しくなる。


『遊び人なんかじゃないよ。全然そういうのとは無縁な人生だな』


〈でんごんくん〉で会話をしているので、毎回話すのには少し時間差がある。僕が文字を入力している内に、園川さんはお弁当を広げ、何か呟き合掌している。


『へー』


 特に僕の場合は、文章を入力しなければならず、誤字脱字がないか確認してから再生するので、やっと通じたと思ったらすぐに返ってくる。長い文章を入力した後に一言だけ返されるとすぐに僕のターンがきて忙しい。


『へー、って』


 僕が音声を再生すると、彼女はその間にお弁当に手を付けていた。お弁当はB5サイズのプリントほどあり、けっこうボリュームがある。どういう理屈か、彼女はどこにどのおかずがあるかを完璧に把握しているようで一口目にハンバーグを食べ、ご飯を咀嚼し、その後、言葉を発した。


『わざわざ転入生の私に挨拶しにくるくらいコミュニケーション能力が高い人だから、てっきりそういうのに慣れているのかと思った。そういう(・・・・)遊びに無縁ということは、あまり見た目がよくないのかな』


 小悪魔のように笑う。

 からかっているのは目に見えている。


『いや、どうかな。見た目が悪いとは生まれて一度も言われたことないよ』


 褒められたことも一度もないが。


『ふ~ん。見てみたいな水瀬くんの顔。平凡に一票』

『残念だね。その賭けは僕の勝ちだ』

『そんなに自信あるんだ』

『中の下に一票』

『微妙に卑屈だね』


 園川さんは苦笑いをしながら、ウインナーを頬張る。野菜にはまだ一口も手を付けていない。

『それはたしかに、自分の見た目に自信はないよ。園川さんに釣り合うような男じゃない。けれど、人は見た目じゃない。中身だから』


 良いこと言うなと自分で思いながら、僕はコンビニで買ってきたサンドウィッチを食べる。


『……』


 でんごんくんはテキスト欄に何も表示をしない。彼女は口に食べ物を入れて話すタイプではないみたいだが、今は口に何も入れていない。ただ黙っているだけのようだ。


 しばらくして、口を開く。


『水瀬くんは変態ですね。最低です』

『なんで!?』


 急な罵倒にサンドウィッチを噴き出しそうになる。


『水瀬くんのお顔、見られるのを楽しみにしています』


 微妙にリアクションに困る返答だ。いや、彼女はそういう人なのだろう。自分の目が見えるようになることを本気で願い、叶えようとしている。僕は、自分の耳が聞こえるようになればいいなと思うことは多々あっても、それを本気で叶えようと努力はしていない。いつからか、諦めてしまっていた。


 でも、彼女は違う。諦めていないのだ。


 その前向きな姿勢が、彼女――園川奏たらしめるのだろう。


 何事もハッキリとした性格に、凛とした佇まい。


 自分にはないものを持っている彼女にますます惹かれていった。


『お楽しみに』


 そうこうしている間に、園川さんはお弁当ほとんど食べ終わっていた。残るは後、野菜だけ。


『園川さん、食べるの早いね』


 僕がコンビニのサンドウィッチをまだ食べ終わっていないことを考えるとすごいスピードだ。ましてや彼女は目が見えていないにも関わらずだ。


『食べるの好きだから』


 またもや、彼女の新たな一面が見られた。


『そうなんだ。好きな食べ物はなに?』

『お肉と甘いもの。水瀬くんの好きな食べ物は?』

『僕は特にないかな』

『あははっ、つまらないね』


 笑いながらすごい辛辣なこと言うなこの人。でんごんくんの翻訳が間違えているのではないかと思って二度見してしまった。しかし、有力な情報が手に入った。好きな食べ物は肉と甘いもの。


『食べられればなんでもいいかなって』


 彼女は顔をしかめる。


『えー、もったいない。ほら、私って目が見えないからその分、他の感覚で楽しみたいんだ。水瀬くんもこの気持ち、わからない?』


 どうだろう。あまり意識したことがなかった。何かの本で読んだことがある。人間同士のコミュニケーションは7割が視覚で行われているらしい。普段、問題なくコミュニケーションを取れている僕にとってはその意見には同意だ。だから、僕はあまり自分の感覚が欠けているという自覚は薄い。


 しかし、その理屈でいうと、彼女の場合、残り3割でコミュニケーションをとっていることになる。その視覚7割分のエネルギーが他の感覚に供給されるのだろう。かくいう僕も、他人より視覚や嗅覚が優れていると自負しているので彼女の言うこともわからないでもない。


 この感覚もまたひとつ、彼女と共有できるものだと思うと胸がくすぐったくなる。


『なんとなくわかるよ。味のちょっとした変化とか人よりもわかるかもしれない』


 それを聞いて彼女はパッと笑顔になる。


『そう! それ、私も自信あるんだよね。あーそういうのを活かせる仕事に就きたいな~』


 可笑しくて笑いながら入力する。


『どんな職業それ』

『えー、わかんないけど、美食家、みたいな? ずっとパフェだけ食べて生きていていたい!』


 食いしん坊な女の子は見ていてかわいいものだ。

 僕は彼女が大量のパフェをおいしそうに食べる姿を想像して、頬が緩む。


『パフェ、好きなんだ』


 彼女は手をブンブン上下に振り、興奮ぎみに応える。


『好き! 大好き! 三食パフェでもオッケー』

『さすがにそれは体に悪そうだな』


 そう言いつつ、僕はべつのことを考えていた。

 もしかしたら、これはチャンスなのではないか? 


 園川さんを遊びに誘うにチャンスでは?


 いや、しかし断られたら立ち直れない自信がある。


『パフェの話してたら食べたくなってきた』

『いま、昼食食べたばかりでしょ、すごいな』


 顔中に嫌な汗をかく。この時ばかりは見られていなくてよかっと思う。ここで誘わなければ男が廃る。いや、しかしまだその時ではないのではないか。まだ全然仲良くなっていない。もう少し親密度を上げてからでも遅くはないのではないか?


 でもそんなことをしていたら手遅れになるのではないか?


 容姿端麗で、明るい性格。この瞭綜高校でも確実にトップレベルの逸材だ。どこの馬の骨かわからぬ連中が湧いてくるのも時間の問題だ。


 そもそも、彼氏はいないのか? 彼氏がいたら僕、余裕で転校する。


 いやでも――

 頭の中で延々と自分会議を繰り広げる最中、当事者である彼女はあっけらかんとしている。


『パフェは別腹なんです』


 もうどうなろうが知ったことか!


 ダメでもともと。彼女が僕の希望なら、その希望にただ真っすぐ手を伸ばすだけだ。


 心の雑音を振り払い、音声再生ボタンを押す。


『それじゃ、一緒にパフェ、食べに行きませんか?』

『え? 学校にパフェが売ってるの?』

『いや、そうじゃなくて、休みの日に、一緒にどこか食べに行きたいなって』


 勇気を振り絞り、僕は言うと、彼女はしばらく悩んで答えた。


『ごめん。すごく魅力的な提案だけど、遠慮しておくね』


 終わった。視界がどんどん灰色の砂嵐に覆われ、見えなくなる。前後不覚。なにもわからない。絶望という単語では言い表せない。真っ黒な闇もない。色も、音もない、ただ何もない穴へと吸い込まれてゆく。その様子が伝わったのか、園川さんはゆっくり口を開く。


『ごめんなさい。その……やっぱり、パフェ、すごく食べに行きたいの。でも、私と一緒だと、水瀬くんに迷惑かけちゃうから』


 しどろもどろになりながら言う彼女は嘘をついている様子はなかった。


『迷惑なんかじゃない!』


 みっともないかもしれないけれど、僕は必死になってくらいつく。


『迷惑だよ。だって、私、ひとりで学校に行くこともできないんだよ? 毎日、親に車で送ってもらわなきゃ、自分の身の安全も確保できない。それなのに、親でもない誰かと外出するなんて……無理だよ』


 彼女は唇を噛んでいる。悔しそうに言っているのが声を聴かなくてもわかる。


『無理、かもしれない』

『うん』


 僕も、自分は他の人と比べて、欠けている部分があるから無理だと諦めたことはこの人生で数え切れないほどある。


 つい最近も、好きな女の子に話しかけることすらも、僕は自分の欠点を理由に諦めようとした。それを、僕は園川奏という希望があったから前に進むことができた。


 でも、それは本当に偶然で、奇跡だった。偶然で勝ち取った希望を、他人に押しつけるのは傲慢なのかもしれない。そんな傲慢じゃ、僕たちの障壁は越えられない。


 僕たちが、人が大勢いる街に出て、危険があるのは事実だ。彼女にそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない。それはわかっている。


 僕たちは欠けている。

 でも、欠けているからこそ


『一緒にいたいんだ』

『え』


 彼女は困惑した表情を浮かべている。


『たしかに、一緒に外出するのは危険だ。ただでさえ、外出するのは危険なのに、同伴者が僕だとなおさら不安だと思う』

「……」


 彼女は否定も肯定もしない。


『でも、だからこそ、僕たちが行くことに意味があるんだ』

『どういうこと?』

『僕は、自分が欠けている人間だと思ってる。だから、自分が生きている世界も他の人とは違う未完成な世界なんだ。そう、思っていたんだ』


 自分の感覚をただ、そのまま表す。相手に伝わるかどうかを一切、考えていない。ただ、思っていることを吐き出す。


『うん、わかるよ』


 そんな自分よがりな言葉を、彼女は受け入れる。


『でも、それは違うんだって最近気づいたんだ。偶然だけど、奇跡だけど、僕は今まで自分がする資格なんてないって思っていたことが、できたんだ。すごく嬉しかった。僕にもそれをする資格があるんだって、僕の世界は未完成なはりぼてじゃなかったんだって気づいた。自分自身で世界を未完成にしていただけで、ちょっとだけ勇気があれば、世界は変えられる。未完成じゃない、完成された本物にできるんだ』


 彼女は俯き、呟く。


『勇気……』

『それを、園川さんと共有したいんだ。それを共有できるのは、他の人じゃない。僕たちだからこそ、欠けた未完成の世界に生きる僕たちだからこそ、それを補って、完成させて、本物の、ありきたりな日常を一緒に過ごしたいんだ』


 自分勝手で、他人の気持ちを一切考えない押しつけだ。それでも、僕は信じたかった。


 僕が、自分の生きている世界を未完成だと思うように、彼女もきっと、自分の生きている世界と、他人が生きる世界には明確な線引きがされていると、その線引きがとても、寂しく、孤独であることを。その孤独を知る人間同士だからこそ、僕たちは理解しあって、共に、前に進みたい。


 僕は彼女と、世界を共有したい。


「…………」


 園川さんは俯いたまま、何も言わない。


『ごめん。急に色々、訳のわからないことを言って』


 彼女は顔を上げ、少し無理して笑っている。


『ううん。ありがとう。なんとなく、わかるから。でも、ごめんなさい。少し、考えさせて』

『うん。返事は、無理にしなくてもいいから』


 こういう問題は、考えるだけでも、水深くに潜るほど疲れる。ここまでいっておいていえる立場ではないが。彼女を追いつめたくはない。


 ゆっくり、彼女は頷く。


『うん』

『それじゃ、また』


 そう言葉を残して僕は、自分の机と椅子を動かし、自分の席へと戻った。また、なんてあるだろうか。人付き合いというのは本当に難しい。近づかなければ、接することもない。


 しかし、近づきすぎると、今度は以前よりも距離が遠くなってしまうことがある。それを恐れて、一定の距離を保ち、関係を継続するという方法もある。お互いが抱える闇に一切触れず、表面上だけで付き合う関係も悪くない。


 でも、僕はそれを選ばなかった。


 なあ、未来の僕。教えてくれ。未来の僕は、また後悔するのか。何度同じ過ちをすれば気が済むんだと。答えは出ない。ただひたすら今を、がむしゃらに生きるしかない。


 でも、それがきっと、僕の生きたかった世界なんだと思う。後悔と興奮が交錯する。汗でYシャツが肌にはりつく。せっかく、園川さんと一緒に昼食をとったのに、


 サンドウィッチの味は、覚えていない。



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