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アネモネをきみに  作者: 影山ナイト
3/16

特別支援科

 始業式を終え、そのまま残り数分の1限目で、自己紹介が行われた。


 僕のクラスのもうひとりの担任、東先生は転入生である彼女を紹介した。


 東先生は4,50代くらいの男性教諭。


 おしゃれなのか教育界のストレスにやられてなのか、髪型はスキンヘッド。切れ長の目に無精髭を生やしているので一見、極道の人間に見えるが、立派な先生だ。


 僕の感情をすぐに見抜き、具合が悪いときなどにはすぐに声を掛けてくれる。このヤクザ、もとい先生がいなければ僕はここまで不便なく学生生活を過ごすことはできていないだろう。ただ、怒らせると本当に怖いのでそこは玉に瑕だ。


 教壇で黒髪の女子生徒が何か話している。

 その隣で、東先生が彼女の言葉を代弁する。


『はじめまして、園川奏(そのかわかなで)といいます。高校2年生です。趣味はピアノと音楽鑑賞です。よろしくお願いします』


 端的に挨拶を済ませる。僕はまっすぐ彼女を見つめる。


 やっぱり、昨日見た黒髪の女の子だ。


 真っ黒な髪に、真っ白な肌と杖。挨拶の端的さも相まって、彼女の印象は大人しいが、白黒とはっきりしているタイプのように見える。


 話してみたい。彼女をもっと知りたいと思った。


 東先生が説明を加える。


『彼女は少し目が悪い。光の明暗はわかるが、それ以外は見えない。慣れない学校で色々と不便があるだろうから、みんな、彼女に力を貸してほしい』


 目が見えないのか。

 だから昨日、話しかけても無視されたのかと納得する。


 まさか昨日出会った少女が、僕と同じ特別支援科の生徒だとは思いもしなかった。


 僕たちのクラスは瞭綜学園高等部特別支援科。


 普通科の生徒は一般校舎におり、僕たち特別支援科の生徒は特別校舎の1階に教室を構える。

 そんな特別支援科のクラスに彼女はやってきた。


 その後、新入生が数名、緊張した面持ちで自己紹介をしていたが、正直、全然話の内容が入ってこなかった。黒髪の女性生徒、園川奏さんのことで頭がいっぱいだった。


 自己紹介を一通り終え、彼女は席に着いた。教室の前扉に一番近い席だ。僕とちょうど正反対の位置。


 そこで1時限目が終わり、休み時間になった。必然、クラスの話題は園川奏の話しになる。僕の前の席に座る、元気溌剌な女子生徒は後ろを振り向く。


『すごい美人な子がきたね!』


 そう笑顔を振りまきながら言う彼女の両足は、ない。


 昔事故で両足をなくしてしまい、今では車椅子生活を余儀なくされている。ただ元々得意だったテニスを、車椅子テニスに転向し、優秀な成績を収めている。


 彼女の隣の席の男子生徒も振り向く。


『…………うん。あれ、名前なんて言ったっけ?』


 この男子生徒は生まれつき、物事を記憶する能力に欠けている。その代わり、論理的思考力がずば抜けているらしい。


 そして僕は――


 耳が聞こえない。


 休み時間が終わり、僕と前の席の女子生徒、その隣の男子生徒はスマホのメッセージアプリを閉じる。東先生が教壇に立ち、今度は周りの生徒と交流を深めるためのグループワークの説明をする。


 これは園川奏さんと話せるチャンスかと思ったが、グループの分かれ方が左と右の5人ずつだったので、その機会は失われた。どうせ、10人しかいないんだから全員で集まればいいのに、と僕はハゲ、じゃなく東先生に心の中で悪態をついた。


 グループワークも特に問題なく終え、その後、今日は授業を行うことなく下校になった。本来なら、早い帰宅時間に心を躍らせるのだが、今日は違った。僕はただ焦っていた。


 結局、園川奏さんと一言も話せていない。


 このままではまずい、と思い、帰りのホームルームを終えた後、急いで支度を整え、席を立つ。バクバクと心臓が強く脈打つのがわかる。手は汗で湿り、そのくせ口の中はカラカラで舌が上あごにはりつく。


 僕は、びくびくしながら彼女――園川奏の席に近づく。


 彼女は机の中から今日配られた数枚のプリントをクリアファイルに入れ、鞄に入れている最中だった。


 手慣れたものだった。


 今日一日(といっても一時間ほどだが)見ていたが、彼女は目が見えないとは思えないほど何事もスムーズにこなしていた。グループワークで机を動かす際も、先生に少し助言をもらっただけで、ぴったり所定の位置に机を動かしていたし、やはり見えていなくてもその生活が当たり前であれば特に問題なくこなせるのだろう。


 もっとも、かくいう僕自身も特に問題なく生活しているし、そのことを他人に驚かれることはしょっちゅうある。


 特に驚かれることは、人の気配を察知できることだ。完璧に察知できるわけではないが、なんとなく、自分を見ている人、話しかけようとしている人の視線は自分の視界に入っていなくてもわかる。


 察知した上で、話しかけられて応答するので特に祖語なく会話ができるのだ。もし、気づかないまま、急に後ろから肩を触られたら驚きと焦りで一瞬、戸惑ってしまう。


 昔はそういうことも多々あったが、だからこそ、人の視線に敏感になって得た能力なのだろう。そのせいで、他人の視線に過敏に反応してしまうところもあるのでプラスマイナスゼロだ。自分が急に話しかけられることに慣れているせいか、それが他人でも当たり前だと思ってしまい、急に話しかけ、驚かれてしまうこともある。


 普段は気をつけているのだが、今の僕はどうかしていた。


 なんとか一言、園川奏さんと話そうという意識が先行し、配慮などしていられなかった。


 僕は彼女――園川奏さんの肩を優しく叩いた。


 すると、彼女は飛び跳ねた。


「――!」


 そのまま立ち上がり、狼狽しながら何か言葉を放っている。

 しまった。驚かせてしまった。


 そうだよな。普通、急に後ろから話しかけられたら誰でも驚くものだ。

 僕は慌てて、彼女の前に立ち、手話をする。


『驚かせてごめんなさい。僕は――』

「――――」


 再び、彼女が何かを訴えている。しかし、その声は届かない。


 な、なんて言っているんだ? くそっ、こんなことなら読唇術でも習得しておけばよかったと後悔する。僕はすかさず、手話で応答する。


『すみません。なんて言っているんですか? 僕、耳が聞こえなくて』

「――?」 


 やはり彼女が何を言っているかさっぱりわからない。まるで会話が成り立っていない。


 僕の手話が通じていないのか?


 うん? あれ? 待てよ……。


 ――――。


 あ! そうだった! 彼女は僕が見えていないんだった!


 焦りと緊張で、昨日と同じ轍を踏んでしまった。

 迂闊だった。自分の目が見えているのが当たり前だが、それは僕にとっての当たり前でしかないんだ。


 決して、誰にとっても当たり前なんてことはないのだ。


 しかし、ということはどうすれば僕は彼女と話しができるんだ? 


 僕の手話は彼女には見えないし、彼女の声は僕に届かない。


 ……あれ? それじゃあ、どうやって話せばいいんだ?


 彼女は困った様子で辺りをきょろきょろしている。僕もどうしていいか分からず、固まってしまった。その様子を斉藤先生が見て、駆けつけてきた。


『どうしたんですか?』


「――――」『彼女に用があって』


 彼女と同時に僕は斉藤先生に訴える。

 少し困った表情を浮かべながら、斉藤先生は彼女に事情を説明していた。そして説明が終わった後こちらを向き


『用というのは何ですか?』


 そう改めて問われると、いいづらい。


『同級生なので、改めて挨拶しようと思いました』


 そう説明すると、斉藤先生は柔和な笑みを浮かべた。


『なるほど。良い心がけですね。私が彼女に伝えますので、自己紹介してください』


 斉藤先生は園川奏に説明をし、こちらを向いた。心なしか警戒しているように見えるが、自意識過剰だと思いたい。僕は心の中で咳ばらいをし、手話で自己紹介をする。


『僕は瞭綜高校二年、水瀬歩といいます。先ほどはごめんなさい。僕は耳が聞こえないので、話すのは難しいですが、園川さんと仲良くなりたいと思っています。よろしくお願いします』


 どうだろうか。上手く伝えられただろうか。


 笑顔で斉藤先生は頷き、園川奏に伝えている。


「――」


 伝え終わった後、彼女は斉藤先生に何か一言呟き、先生がこちらを向く。


『よろしくお願いします。だって』


 よかった。はじめて会話が成立した。よし、これを皮切りに何か聞こう。なんだろう。趣味、とかかな。いや、いきなりプライベートの話しをするのも失礼か? それとも昨日学校に来てたよね? とかかな。


 と、僕が話しの内容を考えている間、いつの間にか彼女は目の前から姿を消し、教室の前扉から出ていた。


 あれ?


 状況が読み込めず、立ちすくんでいると斉藤先生が苦笑いをしながら僕に手話をする。


『ちょっと驚かせてしまったみたいね。でも気にしないで。頑張りなさい』

『はい』


 やらかしてしまったのか……?

 視界が歪む。さきほどまでの緊張と焦りから解放され、その代わり絶望が体に重くのしかかる。もう僕の人生はおしまいだ。僕はしばらくの間、魂の吸い取られた抜け殻のように教室で立ちすくんでいた。


 帰宅するときには、暗い音楽と言われているクラシック『魔王』を大音量で流し、家に帰ったらすぐにベッドに倒れ、目を瞑った。


 ああ、もう学校なんて行きたくない。


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