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アネモネをきみに  作者: 影山ナイト
2/16

はりぼて

 春休みが明け、今日からまた新しい1年が始まる。その日の空は、雲ひとつなく青かった。ただひたすらに澄んだ青空に少し冷えた春風が吹き、桜の花びらが舞う。その光景は希望を象徴させる春そのものだった。


桜並木を音無く歩く。


 桜並木に快晴。多少心が浮かれるぐらいには爽やかな朝だった。

 しかし、僕の頭の中には昨日出会った彼女のことでいっぱいだった。


 8時18分。だいたいいつも通りの時間に学校に到着する。学校に到着すると、さすがに現実に戻された。


 終わりの春、始まりの春。そんな風に言われる春だが、僕の春は何も終わらないし、始まらない。学年が上がっても僕の下駄箱と教室の場所は変わらない。下駄箱に靴を入れ、春休みに洗うために持ち帰った上履きを手持ちの袋から取り出し、足を入れる。一階にある教室を目前にし、音楽プレイヤーを操作し、音楽を停止する。ヘッドフォンを肩に掛け、ふと上に目線をやる。


 変わらない。今年もここで過ごすのか。


 教室を開けると、中には去年と同じクラスメイト数人しかいない。

 スマホを開き、挨拶をする。


『おはよう』


 僕が挨拶をすると、朝から元気溌剌な女子生徒は両手を挙げ、笑顔をこちらに向ける。


『おはよー! 今日も相変わらず元気ないね!』


 女子生徒は悪気なく、僕にいう。


『そりゃ元気も出ないよ。むしろキミが朝からそんなに元気なことが不思議だよ』


 教室には10席あり、僕は黒板に指示された通りの席に座る。

 僕の席は一番左後ろで、前が元気溌剌な女子生徒だ。


『え~、だってさ! 春だよ! 春! 新しい何かが始まる予感!』


 彼女は両手を胸の前で組み、楽しそうに話す。

 そりゃ、キミの人生は楽しいだろうね。


 思ったことを口に出さず、心の中で呟く。彼女は僕と同じ、瞭綜高校2年生。明るく活発な女子生徒で、クラスのムードメーカーだ。それに加え、テニスで世界中を駆け巡るアスリートとしての一面もある。たしか、次の世界大会の出場も内定している凄腕のテニスプレイヤーだ。


 僕と女子生徒が挨拶を終えると、僕の右前、女子生徒の右隣りの男子生徒がこちらを振り向く。


「―――――」


 男子生徒は暗く、何かを話す。

 その様子を見て、女子生徒が男子生徒に何かを教え、少しして僕の方を向く。


『……おはよう、ございます』

『うん、おはよう』


 暗い男子生徒は緊張した面持ちで話す。


『……あの、きみが水瀬くん、だよね?』

『そうだよ』

『ああ、よかった。今年もよろしく』


 男子生徒はそう言うと、嬉しそうに微笑む。彼も去年から同じクラスメイトだ。物忘れが激しいが、毎年、数学オリンピックに出場する天才だ。そんな天才が集まるこのクラスで僕の居心地が良いわけがない。


 僕には何の才能もない。


 普通(・・)の高校生だ。

 天才に囲まれることに多少居心地の悪さを感じても、僕は自分が普通であることに何の劣等感もない。むしろ、誇りに思っている。


 普通に、平凡に過ごせればいい。それが僕にとって何よりも求めていることだ。


 この教室には一年生から三年生全員が一緒に授業を受ける。当然、内容は学年や本人の能力によって異なるので実質、個別授業のようなものだ。


先月で三年生が卒業し、今年、また新たに数人入って来るだろうから席の数はほとんど変わらない。座る席の場所が少し変わるくらいだ。


このちょっとした席替えが進級による変化だ。変化といえば、教室の雰囲気がいつもと違う。


 先生がいない。


 このクラスには先生が2名いる。常に生徒の側にひとりはいるための処置だろう。そのはずが今、数人生徒がいるにも関わらず、先生がひとりもいない。


 新学期で忙しいのだろうか。


 本でも読んで待っていようかと思ったが、それだと先生が教室に入っても気付かない可能性がある。スマホで適当にネットサーフィンをしようかと思ったが、3年ほど使っているスマホは朝充電が満タンで特に弄っていたわけでもないのにすでに充電は50%だ。


 おとなしく席に座ってぼーっと黒板を眺めることにした。五分ぐらい待っていただろうか。あわただしい様子で先生が教室に入ってきた。


 入ってきた先生は斉藤先生だった。中年の女性で、全体的にふくよかな体をしており、雰囲気も柔らかく、常に柔和な笑みを浮かべている先生だ。斉藤先生は息を落ち着かせ、教壇に立ち、挨拶をした。


『遅れてごめんなさい。みなさん、おはようございます。今日からまた、よろしくお願いします』


 笑顔の斉藤先生は続いて、これから体育館で行われる始業式の説明をした。


 始業式か。嫌だな。


 斉藤先生の話が終わり、始業式に出るため生徒たちは廊下に集まり、列をなして体育館に向かう。体育館は校舎と渡り廊下でつながっている。つながっているといっても、渡り廊下は室外にあり、壁はなく、アスファルトの床に錆びた鉄の屋根があるだけとなっている。堅いアスファルトの床を靴底で擦りながら体育館へと歩を進める。


去年のことを思い出し、憂鬱なまま歩く。


 渡り廊下から特別校舎の2階にある美術室と、そこに置かれた絵画が視界に映った。


 ふと美術の授業を思い出した。


 筆についた絵の具を洗うために足元に水をためた容器を用意しておく。容器に入った水はさまざまな色が混ざり、薄汚い黄緑色に変色している。どんなに明るい色の絵の具を混ぜてもその水はずっと薄汚いままだ。その光景はなぜか、ずっと僕の記憶にある。原風景というものだろうか。キャンパスには色彩が描く綺麗な景色がある。それが、僕以外のみんなが見ている景色。僕の場合は、水が混ざることによってけがらわしい黄緑色。


 まただ。


 顔を上げると、目の前には体育館がある。しかし、それは白黒の積み木で作られた長方形のはりぼて。僕はそのはりぼてに入って、人間ごっこをする人形だ。未完成で中途半端な偽物の世界だとわかっていても、僕はその世界で生きなければならない。


 だって、僕にはそれしかないのだから。


 やはり少し体調が悪いと斎藤先生にいって、休んでいようか。


 もう、学校のなにもかもが偽物で窮屈なはりぼてにしか見えない。


 もう、学校なんて辞めてしまおうか。

 こんな思いを毎日するなら、いっそのことここから離れたい。


 僕は下を向いた。自分の影に吸い込まれるかのように視界が暗く、黒に染まっていった。


 するとその瞬間、僕の横を春風が通り抜けた。


 春風に黒の影は洗われ、いつもの学校の景色になった。

 顔を上げる。


 はりぼての積み木は一瞬で体育館に戻り、薄汚い黄緑色の世界が一瞬にして色彩を放った。


 目の前に、ひとりの女子生徒がいた。


 昨日の記憶が蘇る。

 僕は再び、あのブラウンの瞳に心臓が高鳴る。


 まっすぐ、その女子生徒を見つめる。


 腰まで届くほどの髪は夜を思わせるほどの純粋な黒。女子生徒の制服は黒のセーラー服であるにも関わらず、その黒さが薄く感じられるほどだ。さらにその漆黒を際立たせるのは、日本人形だと見紛うほどの肌の白さ。一瞬、本当に人形が立っているのかと思うほど白い。その白は黒のスカートから二閃伸び、磨かれた茶色のローファーに繋がっている。脚フェチというわけではないが、シミひとつない真っ白な脚につい再び見惚れてしまう。


 ただ、白い脚は二本だけではなかった。もっと細く白い脚、白杖をついている。

 もしかして、僕たちと同じ――


 彼女の虚ろな目を見つめる。また、見入ってしまった。斉藤先生が僕の肩を軽く手を乗せ、優しく微笑みかける。


『どうかしましたか?』

『なんでもないです』


 僕も返し、急いで体育館に入る。入る寸前、黒髪の女子生徒の横を通る。


 その際、息を止め、口元を隠しながら歩く。もしかしたら顔が赤くなっていたかもしれない。


 始業式は、いつの間にか終わっていた。


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