掌返せど心なし
前アカウントで投稿していた短編の再投稿です。
___窓から差し込む陽の光。少しだけ開かれたそこからは、少し冷たい風が、花の香りを連れて部屋に舞い込んでくる。
鳥の声に、舞う蝶々と、薄桃の花弁。満開の桜が春が訪れたことを雄弁に語る。
その事実に、私は胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
机に置かれた、写真立て。1人の少年が照れ臭そうな笑顔を浮かべ、隣に立つ私は笑みを浮かべてその腕に抱きついている。
もう、叶うことはない、遠い春の情景。どれだけ悔やんでも悔やみきれない。あの時の私の愚かさが、今もなお、こんなにも私の胸を苦しめている。
それは去年の三月の初めの頃だった。まだ桜の花も開いておらず、それなりに寒い日が続いていた、そんな日だった。
いつも通り友人と遊んで、笑って、そんな時戯れで一つの『賭け』をしたのだ。
ゲームで負けた人が、勝者が指名した人に告白して、受け入れられれば一カ月間は付き合う、という『罰』と『愉悦する権利』を賭けたゲーム。
そうして、私は負けて、優しい彼に、嘘告白をする事になったのだ。
校舎の裏に呼び出して、偽りの気持ちを少年に伝える。
「あなたのことが好きです。付き合ってくれませんか?」
そういうと、彼は顔を真っ赤にして、信じられないものを見るように、でも嬉しそうに破顔して、「僕も、あなたのことが好きです」と、眩しいくらいの笑顔で言った。
正直、彼の顔はかっこいい、というほどではなく、ブサイクではないが、それなり。冴えない、という表現が合うもので、この時の私は、嬉しそうな彼の様子を、何処か気持ち悪い、とそう思ってしまっていた。
__どうせ、君も私の顔しか、みてないのでしょう?
そう、思っていたから。
そうして、彼と交際を始めて、色んなことをした。『恋人』らしいことを、体裁だけでも。
意外に彼は気遣いが出来るようで、さり気なく荷物を持ってくれたり、車道側を歩いたり、遅くなっても待ってくれたり、でも送るのは駅までだったりと、決して無理強いすることなく、心地の良い距離感を保ってくれた。
そう言った、さりげない、素朴な優しさに、私は、彼に対してしている事に、罪悪感を持つようになってしまっていた。
騙して、揶揄って、弄んでる、その事実に。
だからある意味、この日が待ち遠しかったとも言える。告白から1カ月たった、指定されていた、罰ゲームの期間、その最終日。
私はもう一度、彼を校舎裏に呼び出した。
「別れましょう」
端的に、余計な事実を伝えて苦しませなくていいように、あるいは私を酷い女と思ってくれれば、そう思って、冷たく。
なのに彼は、悲しそうに、でもわかっていたような顔で口にした。
「うん、ごめんね。付き合わせちゃって。__それでも、たとえ気持ちが向いてなくても、この一月、僕は幸せでした」
そう言って、泣きながら、触れれば壊れてしまいそうな、はかない笑顔を浮かべて、踵を返すと歩き去ってしまう。
どうして、いつ、なんで。
…………気付いていたの。
口にした言葉は、けれど問い質したい相手には届かず、虚空に溶ける。
伸ばした手は届かず、ただ、ただ、罪の意識が、私の胸に、しこりのように残ってしまう。罪の意識から解き放たれる、なんてことはなく。
あまつさえ、ごめんなさい、そう伝えることも、できなかった。
そうして、彼と別れた5日後、皮肉なくらいに空は澄み渡っていて、桜はこれでもかというほど花を咲かせ、風によって花弁が舞い、桃色の吹雪が視界に広がる。
視界を埋め尽くして、けれどすぐに遠くへと流れていき、遮られた視界の先には、私が傷付けた彼がいた。
優しげな笑顔で、何処となく不潔な、けれど困った様子の老人に嫌な顔せず、手を貸していて。
ずきりと、胸が痛んだ。
その日から、彼から目が離せなくなっていて、気がつけば、目で追っていた。
いつも彼は優しくて、少し前までは、自分にも向けられていたと、そう思わずにはいられなくなっていた。どうして手放したんだと、そう思わずにはいられなくなっていた。
自分で壊したのに、離したのに、弄んでいたのに、自分勝手にも程がある。
けれど、どうしようもなく、惹かれていった。
___最近はいつもこうだ。あの写真見て、後悔して、けど捨てられない。
交際して、三週間目くらいに撮った、デート中の写真。
見ては思い出して、自分のした事に苦しんで、けど私が彼に好意を伝えることは許されない、そんな資格はない。
「はぁ、やめよう」
グルグル回る思考に、ため息をついて、私は家の外に出た。
今日も今日とて、鬱陶しいくらいの快晴で、鳥は唄うし、花は揺れる。
子供たちは元気にはしゃいでいて、女子高生と思しき、同年代くらいの集団はきゃいきゃいとはしゃいで、道を埋めるように広がって歩く。
そんな中に、見覚えのある人影を見た。
愚かしくも、恋焦がれ、未練を持ち続ける彼。その隣には、仲睦まじく、腕を組んで幸せそうに微笑む少女。
「……そう、だよね」
ざくり、ざくりと全身が貫かれるような、そんな錯覚すら覚える。苦しみが全身を満たし、叫びそうになる。
ああ、あの隣にいたのは、自分だったのに。
「失ってから、だなんて遅過ぎるよね」
あの日の風景だけ、鮮明に残り続けたまま、周りの風景が急に色褪せていくように感じた。
心の中のカメラは、いつからこんなにポンコツになったんだろう、そう自重しながら、逃げるように、私は踵を返して駆け出した。
水の入った器がひっくり返って、けれど器の中に溢れた水がもう一度入ることがないように、私が捨てた、彼の愛情は、もう私のところには戻ってはこない。
会いたくて、恋しくて、焦がれて。けれど離してしまったから、捨て去ってしまったから、あの時はもうこない。望む未来は、訪れない。