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君の想い人は俺じゃない

初投稿


  俺はきっと恋をしている。レナと一緒にいると何をしていても楽しい。小さな村で家は隣同士。生まれたときから12年間ずっと一緒にいるけど飽きない。これを恋と言わずして何と言う。


 今日もいつものように親父に稽古を付けてもらってからレナと遊びに行く。と言っても、村からすぐの森でテキトーに話しながら体を動かしているだけだ。


「ねえグレン、魔法見せてよ。また新しいの覚えたんでしょ?」

「おういいぜ! 風起こしの魔法だ。やっぱ俺って天才なのかなー」


 この村で魔法が使えるのは村長と俺だけ。たまに村長のところに行って簡単な魔法を教えてもらっている。レナは魔法が使えないからいつも俺を羨ましそうに見ていて、今みたいに魔法を見せてってねだってくることもよくある。俺が新しい魔法を覚えたときなんかに多い。


 風に揺れる金髪に視線が吸い寄せられる。やっぱり俺、こいつのこと好きなんだなー。無意識のうちにレナを目で追ってしまうことが最近は多くなってきたと自分でもわかっている。でも告白はしない。だって、告白をするまでもなくレナも俺のことが好きなのが伝わってくるし、いずれレナと結婚することも決まっているからだ。親父とレナの父さんがそういう話をしていたのを聞いた。もちろんその時レナも一緒にいた。顔を赤らめてあたふたしていたのがかわいかった。思えばあの時にレナを初めて異性として認識したのかもしれない。


 日が傾いてきて村に戻ろうとしたとき、遠くから大勢の足音が聞こえてきた。村に近づいていくと、それがいつの間にか、足音から人の悲鳴や金属のぶつかり合う耳障りな音に変わっていた。どう考えてもよくないことが村に起こっている。案の定、村の中に足を踏み込んだ俺の目には信じられない光景が映っていた。


 重厚な装備を身に纏った兵士が村人を切りつけている。何人かの村人は応戦しているが全く歯が立っていない。いや、一人だけやりあえている人がいた。親父だ。


「ね、ねえ……どういうこと」

「――ッ!」


 あまりにも悲惨な状況を前にして体が固まってしまっていた。早く逃げないと。


「逃げるぞ!」

「た、助けないと……」

「そんなこと言ってる場合じゃない! 現実を見ろ!」


 この状況に追いついていないのか、動けないでいるレナの腕を掴んで無理やり村の外に連れていく。確かこっちの方向に進めば領都に着くはずだ。親父が友人に会うとか言って領都に行ったときに俺も連れていかれたから知っている。


「おい! ガキがいたぞ! 逃がすな!」


 まずい。まずい。まずい。このままだと死ぬ。


「え、グレン……? どこ行くの?」

「レナはこの方向にまっすぐ行け。近くはないけど、いずれ領都に着く。何とか生き延びてくれ」

「グレンは……」

「俺のことなら心配すんな。ちょっとあいつらを挑発して、頃合いを見て逃げるから」


 だから、そんな顔しないでくれよ。これが今生の別れかのようなそんな絶望した顔をしないでくれ。


 俺の決心が揺らいでしまうから。


「走れ!」


 俺の声と共にレナは走り去っていく。その顔は涙なのか鼻水なのかよくわからない液体でびしょびしょだったけど、相変わらずかわいかった。


「ばーかばーか。俺はお前らみたいな雑魚に捕まんないよー」


 レナが逃げた方向とは逆の方向に走る。程度の低い煽りに反応した兵士たちは俺を追いかけてくるが、この森に慣れていない奴らはなかなか俺との距離を縮めることができない。レナが追いかけられても困るので、たまに煽りながら逃げていく。


 クソ! 逃げる先にも兵士がいる。挟まれる形になってしまった。村の周辺を探索していたようだ。レナの逃げた先にいないだろうな。


「ハァハァ、やっと追い詰めたぞこのクソガキ!」


 追いかけてきていた兵士の一人が声を荒げている。重厚な装備で走っていたためか、息も絶え絶えだ。


「風起こし!」


 風起こしで辺りに落ちている葉を巻き上げる。今の季節は落ち葉が多い。さらに、日も完全に沈んでいて、明かりのない森の中で落ち葉を巻き上げれば兵士からは俺の姿を視認しにくくなるはずだ。


「クソ! 魔法が使えるのか!」


 案の定兵士たちは俺の姿を見失ったようで、その隙をついてその場から逃げ出す。すれ違いざまに腰にぶら下げた木刀を引き抜いて近くの兵士の股間に叩きつけ戦力を減らしておく。


 これで撒くことができたはずだ。レナを追いかけないと。


 遠回りをしてレナの逃げ去った方向に走り出す。遠くからはさきほどの兵士たちの声が聞こえてくるが、距離的に一安心だ。そう思って油断していたから気が付かなかった。


「おうおう。俺の部隊をコケにしてくれたみたいじゃねえか」

「うがっ……」


 いったいどこから現れたのか。俺の頭を鷲掴みにして持ち上げた大男は、俺を見て口角をこれでもかと釣り上げる。


「お前、魔法使えるんだなぁ」

「グフッ」


 大男に腹を思いっきり殴られたと思ったら、目の前が暗くなる。


「有効活用してやる。殺さなかったこと感謝しろよ」



「よぉ、目が覚めたか」


 目を開けると、そこは石畳みの床に前方が鉄格子で覆われた暗い部屋の中だった。牢屋だ。俺の足は鎖で地面とつながっている。鉄格子の向こう側に座っているのは俺の腹を思いっきり殴った大男だ。


「……どういうことだよ」

「あぁん? 何が聞きたいのかよくわからねえなぁ」

「俺をどうするつもりだって聞いてんだよ!」

「あぁ、そういうことか。安心しろ。殺しはしない」


 殺しはしない。そういえば意識を失う直前、有効活用するとか言っていたような。


「お前は兵士になったんだ。このアンベシル公国のな」

「はぁ? 誰が兵士になるか」

「お前に決定権はねぇよ。腕を見てみろ」


 腕? ……なんだ? この跡。


「隷属魔法だ。お前は公国の言うことを聞くしかない」

「なっ……隷属魔法!?」


 聞いたことがある。隷属魔法をかけられた者は使用者の命令に逆らうことができず、反抗なんてしようものなら死んだ方がマシなレベルの痛みが襲ってくるという。俺の住んでいたオキデンシス王国では、その魔法を使った者は死刑に処される。


「お前は魔法が使えるし、身体能力もガキにしてはかなり高い。だから殺さずに公国の兵士として育てることにした」


 その大男の言うことは本当だった。拘束を解かれた俺はボロボロの狭い部屋に移され、隷属魔法の術者だという頭頂部が禿げ上がったおっさんに命令された。


『お前は今から公国の兵士だ。ランベルトのもとで厳しい訓練を受けるように。ランベルトの言うことは私の次に優先して聞きなさい』


 ランベルトというのはあの大男の名前だ。あの大男はオキデンシス王国との国境付近に駐在している部隊の隊長らしい。


 そして現在、俺は訓練の真っ最中だ。大男のサンドバッグになっているこの状況を訓練と呼んでいいのか、議論の余地はあるが。


 拘束が解かれてから2週間。毎日同じような訓練だ。朝から昼過ぎまで大男にボコボコにされ、その後は部屋で魔法の勉強をさせられる。ハゲと大男以外の兵士とは話したことがない。食事が三食しっかりと出ることだけは良心的だった。まあ、俺を兵士として利用するために栄養をしっかりと与えているだけなのだが。


 公国と王国の関係も教えられた。アンベシル公国軍が俺の村を襲撃したのはオキデンシス王国に対する挑発だったらしい。現在王国軍も国境付近まで近づいていて、睨み合いが続いている。本来、公国は王国に圧倒的に戦力的な面で劣っているのだが、王国は複数の国と接しているのに対して、公国が接しているのは王国のみ。王国は戦力の一部しか動かせないのに対して、公国はほぼすべての戦力を動かせる。だから公国は強気に出られる。



 食事訓練食事訓練食事勉強の毎日が続くこと6年、俺はいまだに前線に呼ばれていない。ランベルト曰く、俺はすでに近接戦闘だけでも部隊長級の実力があるらしい。


 いつものように訓練の支度をしていると外が騒がしくなってきた。剣を腰に下げて外に出る。俺の目には6年前と似たような光景が映っていた。王国軍が攻め込んできたのだった。


 なぜ? 王国は強国だが、こちらに攻め入るほどの兵を動かせば他国からの守りが薄くなる。だから攻められることはないとランベルトは言っていた。


「グレン! なにグズグズしてやがる!」


 ランベルトも騒ぎに気が付いて出てきたようだ。すでに王国軍は目と鼻の先まで迫ってきている。俺やランベルトは最も奥にある兵舎で寝泊まりしているから、ここまで来たということは公国軍の兵の多くはすでに戦闘に入っているはずだ。


 戦わないと――戦わ、ない、と――た――


 ――なぜ? 俺はなぜ王国軍と戦わなければならない? 俺の敵は公国で、目の前にいる大男のはずだ。


 こちらに目も向けず、俺に背を預けている大男に切りかかる。6年間ひたすら磨き続けた剣技。最初こそサンドバッグ状態だったが、2年も経つ頃にはちゃんと訓練らしくなっていた。


 俺に裏切られた大男は、地面に倒れ伏す。大男は驚愕に目を見開いていた。


「な、なんで、グレン……まさか……魔法が……」


 魔法? ああ、ああ。思い出した。なんだか今は頭が冴えていると思っていたが、そうか。隷属魔法が解けたのか。てことはあのハゲ、死んだんだな。


 俺は気付かないうちに王国を敵、公国を味方と思いこまされていた。隷属魔法には洗脳のような効果もあったのだろう。しかし、使用者が死亡したことでその効果が切れた、と。


「なぜ仲間を……いや、どうでもいい。武器を下ろせ!」


 王国の兵士が俺の奇行ともとれる行動に警戒心を強め、複数で囲んでくる。俺は大男の血で濡れた剣をその場に捨て両手を上げる。


「怖がらないでください。俺は王国の味方です。こんな姿では信じられないかも知れないですけど」

「なら、おとなしく拘束されてくれ」


 王国の兵士はおそるおそる近づいてくる。俺の両手は縄できつく縛られ、王国軍の基地に連れていかれた。


「団長!」


 基地内に入ると、俺を連行してきた兵士たちの一人が上司を呼ぶ。


「どうした? 捕虜は要らないと言ったはずだが」


 団長と呼ばれた男は俺のことを捕虜だと思ったのだろう。


「いえ、この者は公国の部隊長を討ち王国の味方だと言うのです。この者の処遇に関して伺いに来ました」

「俺は王国の味方だ。左腕の袖を捲ってみてくれ。奴隷紋があるはずだ」

「奴隷紋? ……本当だな」


 「じゃあなんだ。お前は隷属魔法で命令されていたが、術者が死亡したことで解放されたと?」と、男は言う。察しが良くて助かる。


「ああ、6年前、俺の村は公国の兵士に襲撃された。その時に奴隷として公国に連れていかれて隷属魔法をかけられたんだ」

「まて、6年前? ……………………お前、グレンか?」


 え。なんで俺の名前を知っているんだ。こんな人と会ったことなんて一度もないはずだが。


「父親の名は?」

「オリバー」

「母親は?」

「セイナ」


 俺の両親の名前を知るや否や、男は俺を抱きしめた。何が起こっているのか王国兵はわかっていない。もちろん俺もだ。


「そうか、生きてたのか。よかった」


 男は力強く抱きしめてくる。鍛えている俺でもちょっと苦しくなるくらいだ。一般人なら圧死しているぞ。



「ここがグレンの部屋だ」


 団長――デックスさんが俺に与えてくれた部屋は王国騎士団の宿舎の一室だった。


 あの後、数人の王国騎士に囲まれてデックスさんと話をした。デックスさんは俺の親父の友人で、親父に連れられてくる俺のことを覚えていたらしい。親父は元王国騎士で、同期入団ということもあり昔から仲が良かったんだとか。


 6年前、村が襲撃されたことを知ったデックスさんはすぐに村を訪れ親父やお袋の弔いをした。そのとき、村の周辺をどんなに探し回っても俺の遺体が見つからず、そのことをずっと不可解に思っていたらしい。


 その話を聞き、俺の左腕の奴隷紋も確認した王国騎士たちは俺を無害認定してくれた。ちなみに奴隷紋は教会で消してもらったのでもうない。


 そうして今に至るわけだが、俺には一つ疑問がある。もうこの際どうでもいいのかもしれないが、気になるものは気になるからな。


「あの、なんで王国は公国を攻めることができたんですか? 王国は他国との国境付近にも騎士を配置しないといけないのでは?」

「同盟を結んだんだよ。我が国の第一王子とメリディエス帝国の第二王女の婚約と同時にね。それで、この機会に鬱陶しかった公国に牽制の意味を込めて攻め込んだんだ」


 なるほど。帝国と同盟を結んだのか。


「で、グレン。しばらくはここに住んでいていいが、ずっとはいられない。何かやりたい仕事はないのか?」


 やりたい仕事。俺は12歳までは親父の畑を継ぐ予定だったし、公国に行ってからはずっと兵士として生きてきた。だからやりたいことと言われても何も思いつかない。となると、俺の今までの経験を活かせる職業で生きるしかないのでは。


「王国騎士、になりたいです」

「そうか、じゃあ今から俺の執務室に来い。上には俺から言っとく」

「試験とかはないんですか?」

「公国で兵士だったんだろ? なら大丈夫だ。それに部下からもいい剣の振りだったと聞いている」


 執務室で必要書類にサインをし、部屋に戻ってくる。


 意外にも簡単に王国騎士になれてしまった。王国騎士になるには試験を受けて基準を満たしていることを証明しなければならない。国の機関ということもあり給料が高く、多くの男子が子供のころに一度は憧れる職業だ。かくいう俺も憧れていた時期があった。



 それから2年。俺は20歳になり、王国騎士としても立派に働けていると思う。入団当初は、身寄りのない奴が団長の情けで中途入団したという噂によって周りから避けられたり馬鹿にされたりもしたが、訓練や遠征を通して俺の実力を認めてくれた。


「グレン、今日の夜空いてるか? 前に話したかわいい女の子が店員やってる店にみんなで行こうって話になってるんだ」

「行く」

「そうかそうか、やっぱお前も男だよなぁ。女に興味ないからそっち系かと心配してたんだが、どうやら杞憂だったようだな」

「別に女に釣られたわけじゃない」


 同僚のアレクだ。俺が入団したときから普通に接してくれる良き友人だ。こういうノリはウザいが。


 訓練を受けた後、王城の警備をして今日の仕事は終わった。着替えて待ち合わせ場所に向かう。待ち合わせ場所にはいつものメンバー――アレク、ルード、ケントがいた。ルードとケントも初めから仲良くしてくれた奴らで、こうして度々食事に行く仲だ。


 店に着いた。印象は普通。席についてアレクから話を聞いて頼む料理を決める。アレクは二度目らしいが、俺とルード、ケントは初めてなので料理を決めるのに少し時間がかかってしまった。


 料理が決まり、アレクが店員さんを呼ぶ。奥からは俺たちと同じくらいの年齢の女性店員が出てきて、目を奪われてしまった。


 確かに彼女は美しかった。綺麗な金髪は背中の中ほどまで伸びており、しっかりと手入れされているのがわかる。顔のパーツ一つ一つも整っていて、人形かと思うほどに完成度が高い。


「ご注文を承ります」


 声も澄んでいて、いつまでも聞いていたいと思わせる。俺の頭は軽くパニックを起こしていた。俺の状況などお構いなしにアレクは四人分の注文を済ませ、彼女は奥に戻っていく。彼女が俺の視界から消えて、やっと解放される。見間違いか? いや、でも彼女は――


「今の店員が俺の言ってた人な。かわいかっただろ?」

「確かにかわいかったなー」

「俺はもうちょっと大人びた感じの方がいいかな」

「お前年上好きだしなーって、おーい、グレン。どうした―」


 アレクの声によって現実へと引き戻された。


「え? あ、すまん。なんて?」

「今のが俺の言ってた人だよ。かわいかったろ?」

「あ、ああ」

「おー、グレンがかわいいっていうの初めてじゃねえか? ああいうのがタイプなのか」


 俺の耳にはもうほとんどアレクたちの言葉が入ってこなかった。料理を運んできたのが別な女性だったことは覚えているが、料理の味もアレクたちと何の話をしたのかも覚えておらず。気が付いたら自分の部屋のベッドに倒れこんでいた。


 8年前から背も伸びてより一層綺麗になっていた。美しい金髪、澄んだ声。


「レナ、だよな」


 8年前、俺が公国の兵士から逃がした幼馴染であり初恋の相手。彼女が王都の飲食店で働いていた。見間違いかとも思ったが、12年一緒にいて毎日見ていた相手だ。人違いだとは思えない。


 また明日、行くか。



 翌日、回らない頭のまま訓練をしていたせいで力加減を誤り、アレクをボコボコにしてしまったが、そんなことは今晩の俺の予定に比べたら些細なことだ。


 店に行き、昨日と同じ席に座って同じメニューを注文した。注文を繰り返す彼女の顔を観察する。8年も経つと成長して多少は顔も変わるだろう。正直見ただけで100%レナだとは断言できない。


「あの、何か顔についてますか?」

「え? い、いや、ついてない、ですよ。すみませんボーッとしちゃって」


 まずい。見過ぎた。彼女は「そうですか」と言って裏に戻っていってしまった。観察なんて遠回りなことせずにさっさと名前と出身を聞けばよかった。


 料理を運んできたのは昨日と同じ女性店員。なぜか俺のことを睨んでいるようにも見えるが……気のせいだよな。何も変なことしてないし。



 そのまた翌日、訓練と見回りをした後、例の店に行った。今日はちゃんと力の加減が上手くいったので、アレクをボコボコにせずに済んだ。


 昨日と同じ席に座り、昨日と同じメニューを頼む。彼女が注文を繰り返した後に名前を聞こうとするが、声が出ない。彼女はそんな俺の様子に気が付かずに行ってしまった。どうしてしまったのだろうか、俺。


 料理を運んでくるのは昨日と同じ店員。……やっぱり俺のこと睨んでないか?



 二日後。昨日は店の定休日だったので行けなかった。同じ席に座り同じものを頼む。彼女が来て、そして、彼女が戻っていく。一昨日に続いて今日もとなるとわかってしまう。


 もしかして俺、ヘタレになっているのか?


 8年間女性と話さなかったせいかもしれない。思えば、今の俺と8年前の俺は性格が全然違う。昔はもっと明るかった気がする。でも、こうして毎日通っていればいずれなんとかなるだろう。



 いずれなんとかなるだろう。そう思っていた時期が俺にもあった。結論から言おう。店に通い始めて一か月、俺は今だに彼女に名前すら聞けていない。とはいえ、少しずつ前進してはいる。


 さすがに一か月も通い続ければ相手も覚えてくれるようで、俺はすっかりこの店の常連になっていた。


「今日もいつものでいいですか?」

「はい、お願いします」


 彼女に会うことが目的なので、なにも考えずにいつも同じものを頼んでいる。


「この間、騎士団の制服を着て歩いているの見かけましたよ。騎士団の方だったんですね」

「ええ、まあ一応」


 こんな感じで軽く注文の時に話せるようにはなった。だから名前だって少し勇気を出せば聞けるはずなのに。その少しの勇気が出ない。俺は一ヶ月前から変わっていない。


黒豚(クレアス)の鉄板焼きでーす」


 変わらないと言えば、料理を持ってくる女性も相変わらず睨みを利かせてくる。



 騎士としての職務のない日。それでいて訓練も行わないという本当の意味での休日を月一で取っている。


 今日は昼からいつもの店に行こうかと思う。昼なら客も少ないだろうから、こんなヘタレになってしまった俺でも名前くらいなら聞けるはずだ。そう考えて、大通りを歩いていく。


 店内のいつもの席に着いて店員を呼ぶ。奥から出てきたのは彼女ではなく、いつも睨んでくる女性だった。


「ご注文は?」

「いつもので。昼はいつもの方じゃないんですね」

「あ?」

「あ、なんかすみません」


 料理もその女性が持ってきた。しかし、会計の際、おもわぬ形で彼女の名前を聞くことができてしまった。


「あんた、レナのこと好きなの?」

「え?」

「いっつもレナのこと見てるでしょ」

「あ、えっと……」

「レナは私の親友なの。変なことしたら許さないから」


 やっぱり、レナだったんだ。そう思うと、顔が熱くなってくるのを感じた。久しぶりの感覚だ。レナがしっかりと生き延びて、親友もできて、そしてこうして王都で再会できた。奇跡だ。これほどまでに嬉しいことは今までになかった。


 だからこそその光景を目にした時、俺の心臓はこれまでにないくらい締め付けられた。


 そりゃそうだ。俺はこの8年間女性とほとんど話してこなかったが、レナは違う。あんなに美しい女性だ。たくさんの男からのアプローチもあっただろう。だから、その可能性を失念していた俺が馬鹿なだけなんだ。勝手に期待して、勝手に絶望して。


 彼女――レナは、大通りを男と一緒に楽しそうに笑って歩いていた。それはちょっとした知り合いとかの距離感ではなく、心から信頼している者との距離感で、あの頃の俺とレナの距離感ほどではないにしろ、非常に仲が良いことが伺えた。


 自室に戻っても何もする気が起きない。ボーッと部屋の片隅で呆けている。


 デートだったのかな。いつ知り合ったんだろう。答えなんて出るはずもないのに。初恋を拗らせた俺は、今どれだけ滑稽に映っているのだろうか。



 翌日、いつかの時以上に回らない頭で訓練をしていて危うくアレクを再起不能にするところだった。


「グレン、今日はもう帰れ。何があったのか知らないが、一回落ち着いてこい」


 たまたま通りかかった団長に止められてなかったらまずかったかもしれない。今日の俺の職務をアレクに代ってもらって自室に戻る。


 部屋に戻ったら着替えて店に行く。これはルーティーンになってしまっていたから、気が付いたら店の前に立っていた。まだ昼前で、店内はガラガラだ。俺に気が付いておくからいつも睨んでくる女性が出てくる。


「何? 食べてくの?」

「あ、あの、レナは……どこにいますか?」


 つい口から出てしまった。こんなの端から見たらもうストーカーそのものだ。だが気が付いた時にはもう遅い。その言葉を聞いた彼女は、目を吊り上げた。


「あんたねぇ。騎士ともあろう人がストーカー? いい加減にしなさいよ! レナには心に決めた人がいるの。気持ち悪いからもうレナに付きまとうのやめて!」


 ああ。心に決めた人がいるのか。もしかしたらあの男はレナと恋仲ではないのではないかと希望的観測もしてみたが、どうやら彼氏だったようだ。


 空っぽになった俺はその場を後にし、食事もとらずに自室のベッドに身を投げ出してそのまま意識を失った。店からどのルートで帰ってきたのか。宿舎で誰とどのような会話をしたのか。何も覚えていなかった。



 翌日。意外にも心は穏やかだった。12時間以上眠ったのなんて人生で初めてだ。そのおかげか頭が今までにないくらい冴えている。空腹を満たし、朝の訓練をしに行く。


 訓練の後、団長の執務室を訪れる。


「グレンか。もう大丈夫なのか?」

「はい、問題ありません。実は団長にお願いしたいことがありまして」

「願い? 珍しいな。なんだ?」

「前線に行かせてください」



 公国とにらみ合いが現在も続いている国境付近。俺は一人、ここに持ち場を移された。公国軍は少しずつ兵を増やしているようだが大きな変化ではないため、王国も増援はしてこなかった。そこに俺を送ることが何を意味するのか。


 それは、こちらの前線を上げることを意味している。


 オキデンシス王国騎士団第七部隊長、それが俺の役職だ。


 俺が到着してから、王国軍は一気に前線を押し上げた。公国で学んだ魔法と剣の融合技。それが自国に振るわれることになるとは公国も思っていなかっただろう。


 一月ほど経ち十分前線を押し上げたところでおれは王都に帰還した。公国が増援した分以上の兵を俺がこの手で直接殺した。この王国の動きをみて公国はどうするのか、見物だ。



「で、説明してもらおうか」

「なにがでしょう」

「ここまで前線を上げる予定ではなかったはずだが。追い詰めすぎると何をしてくるかわからないから、ほどほどにしろと言ったよな?」

「……」

「言ったよな?」

「すみませんでした」


 団長が頭を抱えて溜息を吐く。もし公国が全面戦争でも仕掛けてきたら俺が前線に送られるのは確実だろうな。


「もういい、行け。やりすぎではあるがよくやってくれた。しばらく休暇を与える」

「失礼します」


 執務室を出て騎士の制服のまま街に出る。休暇を貰ってもやることがないから、王城の仕事を手伝おう。


「あ、あの!」


 王城に向かっていると、後ろから声をかけられた。振り向いた先には俺が一番見たくないレナ(ひと)がいた。彼女を見ただけで心がざわつく。


「もう一ヶ月近くいらっしゃらなかったですけど、どうしたんですか?」

「王都を離れていました」


 俺の淡白な言葉に一瞬怯んだ様子だったが、すぐに優しい笑顔に戻って言葉をつなげる。


「なら、これからまた来てくれますよね? 黒豚(クレアス)の新料理もできたんです! 良かったら是非食べてみてください!」

「もう――」


 おそらく行かない。そう言いかけた俺の言葉を同僚の声がかき消した。


「おっ! グレンか、久しぶりだな! ってあの店の女の子じゃねえか。いつの間に仲良くなってたんだ? 」

「別に「お前しばらく休暇出たんだろ? なら前線行く前に仕事代わってやったんだから、少し手伝え」」

「あ、ああ」


 こちらの話を聞かずにまくし立ててくるこの感じ。王都に戻ってきたことを実感する。


「仕事があるので失礼します」


 レナの方に目も向けず、言葉だけ伝えてその場を離れる。


 後ろから何か聞こえた気がしたが、無視してアレクと共に王城に向かった。


「さっきの子何か言いかけてたけどいいのか?」

「いい」

「ふーん。てかお前、公国で大暴れだったらしいな。公国軍を圧倒するお前があまりにも狂気じみてて、味方も怖がってたらしいじゃん」

「そんなことはない。みんな普通だった」

「なわけねーだろ。伝令のあんな顔見たことねーぞ」



 一週間後、俺の休暇の終わりと共に良くない知らせが王都に届いた。


「公国が全面戦争の準備って。お前のせいだろ」


 公国が全面戦争を選択したのだ。アレクが言っていることはあながち間違いではないので、俺は何も言い返せない。


 とりあえず今日は俺と団長とその他少数で前線に向かい、明日残りの兵を前線に向かわせるらしい。ちなみに、その他少数にはアレクとルードとケントも含まれている。


 すぐに準備を終えて集合場所に行った。先行メンバーのうちまだ来ていないのは団長だけだ。騎士団の施設の前でおとなしく待っていると、俺たち騎士を遠巻きに眺めている人垣の中から見覚えのある金髪の女性が駆け寄ってきた。レナだ。同僚が警戒心強め、すぐに剣を抜ける体制になったところを手で制する。


「一般の方はあまり近づかないでいただけますか」

「こ、これ。言葉だと長くなっちゃうから手紙にまとめたの。読んで、グレン」


 グレン。はっきりとその名を口にし、口調も丁寧なものから崩れたものになっている。どうやら俺が幼馴染のグレンだと認識しているようだ。


 手紙を受け取ると、同僚たちに頭を下げて何度もこちらを振り返りながら人垣の向こうに消えた。


「なんだそれ?」

「わからない」


 懐に手紙をしまいながらアレクに言葉を返す。


「読まなくていいのか?」

「職務中だ」


 団長がやってきたのを顎で示した。それに気づいた同僚たちは姿勢を正して団長を出迎える。ほどなくして俺たち一行は王都を離れ、前線に向かった。



 公国の制圧は驚くほどにスムーズに進んだ。一月も経たずに王都に戻ってこられるとは思いもしなかった。


 公国との戦闘に余裕が生まれたときにレナから手渡された手紙を読んだ。


 内容を簡潔にまとめると、村の襲撃の後、領都にたどり着く前に力尽きてしまった。そこをたまたま通りかかった商人に助けてもらい、事情を説明した。するとその商人の知り合いで、領都で飲食店を経営している方の家に居候させてもらえることになった。その家の娘があの店のいつも俺のことを睨んでくる女性だったらしい。2年ほど前、王都に店を出すことになり、レナもついてきた。


 領都では俺の生存を信じてずっと俺らしき子供の情報を探っていたようだが、一切手がかりはなく、もう生きてはいないのではないかと思った。だから、また会えて嬉しい。ゆっくり話がしたいから店の営業が終わった時間に来てほしい。


 それが手紙の内容だ。


 来てほしいと言われるとさすがに行かないことはできない。ついさっき王都に戻ってきたところだが、今晩行くつもりだ。



 店が閉まって大通りを歩く人の数も随分と減ってきたころ、俺は店の前に立っていた。外から見る限り店内に人はいない。店員は奥にいるのだろうが、果たして入っていいものなのだろうか。


 逡巡していると、レナが奥から顔を出して手招きしていることに気が付いた。その表情は昔を思い出させてくれる。


「ありがとね、今日帰ってきたばっかりなのに来てくれて」


 そう言うやいなやレナは勢いよく俺に抱き着いてきた。突然の行動に反応できず、バランスを崩して床に倒れこんだ。俺のことを抱きしめたままレナは嗚咽交じりの声を漏らす。


「会いたかった。生きててくれてありがとう。ずっと、ずっと、ずっと、グレンのことを探してたの。でも、6年探しても何の手掛かりもなくて、もう死んじゃったのかなって。もう会えないのかなって。思ってた」


 俺の上に乗っかる形で抱きしめてくるレナを何とか引き剥がそうとするが、想像以上の力の強さでなかなかうまくいかない。俺がレナに覆いかぶさる体制になってやっと引き剥がすことができたが、今度はその体制を今最も見られてはいけない女性に見られてしまう。


「あんた、レナに何してんのよー!」


 ものすごい表情で俺に掴みかかってきて、俺の腹に馬乗りになる。


「ちょ、ちょっとメル!? なにしてるの!?」


 メルと呼ばれた女性はレナの声が聞こえていないのか、馬乗りのまま俺の顔に唾でもかかるのではないかという勢いで声を荒げる。


「レナには心に決めた人がいるって言ったわよね? ここしばらく来てないから諦めたのかと思ったけど、まさか強硬手段に出てくるなんて、あんた最低ね! 衛兵に突き出してやるから覚悟しなさい!」

「ち、違うの! 心に決めた人っていうのがその人なの! グレンを放して!」

「「え?」」

「いや、なんであんたも驚いてんのよ」

「え? でも、レナって彼氏いるよな?」

「いないよ! 彼氏なんて作るわけないでしょ!」

「この前、仲良く並んで歩いていた人は?」

「私が仲良く男の人と歩いてた? グレン以外の人とそんなことするはず――」

「……それってあんたが珍しく昼に来た日?」

「あ、ああ」

「それ、私の叔父さんだわ」


 ちょっと待ってて。メルさんはそう言ってどこかへ消えていった。急な展開に俺は置いて行かれてしまっている。


「グレン、昔と雰囲気全然違うね」

「いろいろあったからな」


 近くにあった椅子に腰かけて互いに無言になる。数分間その状況が続いたが、メルさんが一人の男性の腕を掴んで帰ってきた。それは、あの日レナと一緒に歩いていた人だった。


「この人?」


 どうやら彼はメルさんの叔父らしい。近くで見てみると少し皺もあり若くはない。それに妻子持ちらしい。あの日はたまたま大通りで会って話していただけのようだ。俺は安心したせいか声が出ず、頷くだけしかできなかった。


「レナは心に決めた人がいるからって、今まで一度も男の人と二人きりでの食事すら行かなかったのよ。あんたがしばらく来てなかったのって、私のせいよね……ごめん」

「いや、俺がヘタレてないで早くレナと話してれば良かっただけだ。メルさんは悪くない」

「……じゃあ私帰るわね。レナ、戸締りよろしく」

「あ、うん。ありがとう?」


 メルさんと彼女の叔父は裏から帰っていった。レナはなぜか少し俯いて無言のままだ。そんな彼女をそっと抱きしめる。その瞬間、少しビクッとしたがその後は特に動きがない。


「ごめん。勝手に勘違いして、勝手に避けて」

「……やっぱり避けてたんだ」

「ごめん」

「一か月前グレンに声かけたでしょ? あの時、怖かった」

「ごめん」

「ううん、私の方こそごめん。あの日、グレンの同僚の方が名前を呼ぶまで気付かなかった。幼馴染なのに。私の、想い人なのに」

「仕方ないよ。昔の俺とは全然似てないし」


 一瞬の間を挟んで、俺は今まで一度も言えなかったことを言う。


 12歳の時も言えなかった言葉を。


「レナ、好きだ」

「私も」

「結婚してほしい」

「いいよ」


 答えなんてわかりきったプロポーズ。


 雰囲気なんてへったくれもないプロポーズ。


 それでも俺たちの関係を前に進めたくて。


「キス、して」


 たくさん待たせてしまってごめん。


 初めては唇と唇を触れさせるだけ。でも今の俺たちにはそれでも十分恥ずかしい。体だけ大きくなって、心はまだ昔のまま。そんな俺たちは、これからを共に歩んでいく。


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― 新着の感想 ―
[一言] 良い終わり方なんだけど奴隷のこととか話してないからちょっともやっとしたわ
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