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妄想が現実になる世界

作者: 杉下カオス

"情報、それは説明。

情報、それは記述。

情報、それは構成。

情報を支配する者、世界を支配する。" -- ドビッド・ベン・オリアン


パラレル・ワールドへ行った、思考を読み取られた、宇宙人に遭遇した、殺人ピエロにナイフで刺された…こういう経験を語る者は、精神障害者のレッテルを貼られる。

本当にそれを経験した者もいれば、デタラメを言う者もいる。

しかし、人々は同時に望んでいるのだ。パラレル・ワールドへ行きたい、他人の思考を読み取りたい、宇宙人に遭遇したい、と。まあ、さすがに殺人ピエロに刺されることを望む者はおらぬだろうが。

本来は望む事柄を経験した者を異常者だと言い張るのは、そんなものは存在しないと彼らは信じているからだ ー現実という名の妄想をー

ボルツマンの脳、偶然生まれた脳みそが互いにやりとりしているだけの見せかけの世界に、どんな現実があるというのか。

情報だ。我々は情報によってつながっている。情報によって守られている。アインシュタインがその情報を作り上げたとき、すでに世界は高い整合性を維持したのだ。

理論が現実を構成する、という冗談が昔からある。これはその時代には冗談ではなかった。硬い現実を構成するもの、それは情報に他ならない。


普通の人々が経験しないことを、何度も経験する一般人がそこにはいた。その者は何の才も持ち合わせておらず、普通の日本人のプログラマーとしてブラック企業で働いてAIもどきを作っている。そのAIもどきは、世間の連中がAIだと信じている存在だが、実際のところ、19世紀の数学を賢く使った程度のものに過ぎない。つまり、凡人でも作れる代物だ。障害者である彼がそのようなものを作れることは奇跡的に思われた。だが実際のところ彼は思っていた。こんなものはガラクタだと。


さて、その者の過去の経験にはさまざまな妄想で満ち溢れており、精神障害であるという診断はすでに下っていた。彼は昔、パラレル・ワールドへ行った。少なくともそう彼は記憶している。毎日、住んでいるアパートの裏の風景がコロコロと変わっていた。ある日は学校がそこにあり、ある日は神社があり、ある日は畑があった。彼はそれをパラレル・ワールドと認識し、錯乱した。警察へ伝えたところ、保護入院をすることになったのだった。


その後、彼は自分のあらゆる信念は妄想の可能性があると考えるようになった。彼の信じる現実はどこにも存在しない。生きる理由も、彼にとっては妄想だ。そして、妄想こそが現実であった。


「はあ、今日も一日疲れた...」


その30才の子供部屋おじさん ーその名をタカシというー は母親に「ただいま」のかわりにそんな苦しみをささやかにつたえた。テレワークで働いていて、ただいまとはいわないのだ。


「はい、お疲れ様。ご飯を作っとくね」


実は、彼はまた新しい妄想を持っていた。「死ねば別の世界へ行ける」と。そのために必要な道具一式 ーロープと留具ー はすでに用意していた。彼は異世界アニメを見るのが趣味で、それを見ては現実逃避をしていた。しかし、ついに狂ってしまったようだ。彼は本当にその世界へ行くつもりでいるのだ。


「ふう、これで準備完了。あとは逝くだけだ...」





グイッ


そう、彼は死んだのだ。


***


神「おい、起きよ、起きるのじゃ。」

タカシ「は、はい」

光り輝く球体がそこにはいた。あれ、ここはどこだ?

神「タカシくん」

輝く球体は俺に何か言っている。

タカシ「話しかけてくるあなたは誰ですか、ここはどこですか?」

球体はフワフワと浮かびながら言った。

神「おかしいのお、意識と記憶の情報を構成し直したはずじゃが、おぼえとらんかのお?」

タカシ「なんの話ですか?」

神「君は、自殺したのじゃ」

俺ハッと思い出した。そうだ、俺は異世界に行くために死んだんだった。では、ここは異世界?

神「ここは、異世界というより、いわば停留場じゃ。死者の意識を次の場所へ運ぶ場じゃ」

タカシ「では、俺を異世界へ連れて行ってくれるのですか?」

俺は目を輝かせた。

神「君が好きそうな、魔法の存在する世界へ連れて行くことは可能じゃよ。君向きの世界もちゃんとある。そこへ記憶と意識を維持したまま連れて行くことは可能じゃ」

タカシ「では、どんなチート能力をくださるんですか?」

神は少し眉を潜めた。

神「自殺は罪じゃよ。そんな者にチート能力など授けることはできぬ。まあ、強いて言えば、年齢を若返らせることは可能じゃが、それ以外はだめじゃ。」

俺はがっかりした。やっぱそうだよな。自殺は罪だったんだ。

タカシ「そんなぁ!異世界転生って大抵チート能力を得られるじゃないですか!」

神は未熟者の俺に対して怒りを上げた。

神「ええい、いい加減にせい!貴様のような命を大切にしない輩にチートもなにも授けられぬ。貴様がやるべきことは、新しい世界で善行を達成し、罪を償うことじゃ」

タカシ「善行?ですか?」

神は冷静に話し始めた。

神「いいか、タカシよ。良い行いをすれば何が得られる?」

特に何も思い浮かばない。

タカシ「別に、何も?」

神「それが大きな間違いなのじゃ」

間違い?神は何かを知っているようだ。

タカシ「というと?」

神「神の存在理由はなんじゃ?」

タカシ「うーん、よくわかりません」

神「では、人智を超える神という存在に善悪の概念が備わっていないとでも?」

タカシ「それは、備わっているでしょうね」

神「では、善に基づいて神が世界を構成したとすれば?」

タカシ「なにが言いたいのかわかりません。ハッキリとおっしゃってください」

神は渋々と答える。

神「神は情報によって作り出された存在じゃが、その存在こそが世界を作ったということになっている。そして、それは善いものであるとされる。つまり、世界が悪い方向に向かうなら、それは神の意思ではないということなのじゃ。」

俺はこの言葉の意味をわかっていなかった。

タカシ「それで、善行をするとどうなるのです?」

疑心暗鬼な俺に、神は淡々と答えた。

神「無限のバリエーションの多世界の中でより効用の高い場所へ行ける。つまり、より良き世界じゃな。貴様の世界がつまらないのは、貴様の善行の少なさ故じゃよ。もちろん、アインシュタインが世界を収束させすぎたのも要因じゃが…」

俺はその説明が全く気に入らなかったが、わかったふりをした。

タカシ「…わかりました。それではとにかく、その俺向きっていう世界に連れて行ってください。年齢は15才くらいがいいかな。」

神「よかろう。しっかり罪を反省してこい。そしてより良い世界を手にするのじゃ」

すると、俺の周囲を魔法陣みたいなものが取り囲み、光り輝いた。次の瞬間、俺は街にいた。若返った体で、しかしスマホも服装もそのままの状態で。


***


その街は古風なようで巨大だった。巨大な迷路のように入り組んでおり、文明らしきものもちゃんとある。例えば、何らかの動力で動く移動物体があったが、それは車のようなものに違いない。その形は楕円形で車輪がない。空中に30cmほど浮いている。そして、透明な窓の中には人らしき者が見える。

あるいは、全く古臭い文明もあるように見える。コンビニのようなものではなく、路頭販売で ーつまり八百屋のようにー ものを売るのが基本らしい。

タカシ「さて、どこで何をしたらよいものやら...」

俺は試しに、その通路で通りかかった人に声をかけた。

タカシ「あのー、お金を稼ぎたいのですけど...」

すると、思ったとおり、その人はわけのわからない言語で話し始めた。

タカシ「えっと、あなたの言語まったくわからなーいでーす」

その人は、なにやら手についた指輪のボタンを押し、手を電話のように使い始めた。

5秒ぐらい経つと、中世の兵士っぽい服装の男が一人現れた。

その2人がなにやら会話をしたあと、私は兵士の方に手を捕まれた。

そして、気がつくとそこには兵士がもう2人ほどいる部屋だった。

俺を連れてきた兵士が別の兵士に何か命令したあと、その兵士が指輪らしきものをもってきた。

その兵士が俺にその指輪をはめると、指輪についた3つのボタンのうちの一つを押した。

兵士A「さて、これで言語がわかるだろう。俺はマーカスだ。君の名前は?」

なんと、言語がハッキリとわかった。というか、完全にこの世界の言語を理解したと実感できる。文字すらもイメージできる!

タカシ「は、はい。タカシです」

マーカス「近頃多いんだよね、別の世界から来たとかいう妄想を持って来る人たちがさ。そういう人は不思議なことに、こちらの言語を知らないんだよ。何かの魔法にかけられたのかな?まあいいや。その指輪を使えば魔法を使えるって知ってるか?」

タカシ「いいえ、知りませんでした」

すると、別の兵士も話し始めた。

兵士B「マーカス、そいつもなのか?」

兵士C「へえ、これは面白い現象だな。記憶操作か何かか?まあいい、説明してやれよ。」

どうやら他にも俺と同じような人 ー異世界転生人ー がいる可能性が高い。

マーカス「この指輪は魔法情報を3つ登録できる。君はこの世界の言語を知らないから、1つ目のボタンには言語理解の魔法を埋め込んだ。他の2つを登録したければ街で購入できる。もっと登録可能数の多い腕輪も売ってるぞ」

タカシ「魔法情報ってなんですか?」

マーカスはハハハと笑った。

マーカス「学術的なことを聞くねー君。そういうことを知りたければアレクサンドリア図書館に行くといい。世界最大の図書館がこの街にあるからね。でも図書館利用パスを購入するためには金が要るから、ギルドへ行くといいぞ。」

ギルドって商業ギルドとか冒険者ギルドとかそういうやつのことか?まるでゲームだな。

タカシ「その、さっきのワープ魔法でギルドまで連れて行ってくれませんか?いや、その前に…お腹減りました。」

マーカスはハハハと笑うと、仲間に命令して即席の肉団子と野菜、それと何か炭水化物っぽい白い餅のようなものを作ってくれた。もちろん、その製造工程は魔法が関係していそうだった。なにせ材料を出してから10秒で作ったのだから。

タカシ「これ、なんていう食べ物ですか?」

兵士B「キャタピラーフロッグの肉団子と、キャベジーの炒めもの、それとライシーの練り物だよ。」

よくわからん食べ物だが、俺はその飯をガツガツと平らげた。

タカシ「ふう、けっこう美味かったです」

マーカス「そりゃよかった」

タカシ「では、ギルドへ行きましょう」

俺は焦っていた。なにせ新しい世界で生活することになるのだから。

マーカス「わかった。そっから先はお前次第だ。がんばれよ」

マーカスは俺の手を握り、自分の指輪のボタンを押すと、別の場所へ移動していた。


***


ギルドには、様々な武器や防具を持った人々がいた。壁には張り紙があり、クエストと呼ばれる仕事だそうだ。クエストを直接、スタッフらしき人に聞くこともできるらしい。

タカシ「すみません」

受付スタッフ「はい、クエストをお探しですか?」

タカシ「はい、そんなところです。手っ取り早くアレクサンドリア図書館の利用者パスを買える程度のお金が欲しいのですが」

受付スタッフ「申し遅れました。わたくしはメルルと申します。その程度の資金集めなら、キャタピラーフロッグの収穫で十分でしょう。キャタピラーフロッグを数匹討伐して食材として提供してください。まああ、1匹でも十分ですが。」

タカシ「討伐ですか?武器も何も持っていないのですが...」

メルルはうーんと考え込んでから言った。

メルル「そうしましたら...実は武器は提供できるのですが...公共トイレの掃除というクエストがございます。1日で1000ペリカ稼げます。」

異世界転生してトイレ掃除か...。俺は少し悩んだが、そのクエストを実行することにした。

タカシ「ちなみに、図書館の利用者パスっていくらなんですか?」

メルル「たしか、500ペリカです。」

何だ、そんな高くないんだな。よし、それならトイレ掃除ぐらいやってやるさ。


***


ギルドでもらった地図と説明が書かれた紙を頼りに、街の役所へ歩いていった。

役所は非常に込み入った場所で、どの窓口が何を表すのか見つけるのが困難だった。書類によれば、公共施設課の窓口へ行く必要があるらしい。

タカシ「あったあった。やっと見つけた。あれが公共施設課だな。」

そうつぶやくと、公共施設課の窓口の行列へ並んだ。

役人A「はい、どうされましたか。」

タカシ「トイレ掃除のクエストを紹介されました。」

役人は手際よく答える。

役人A「そうしましたら、担当のゴトーをお呼びします」

役人Aは指輪のボタンを押して電話をした。するとすぐに、ゴトーらしき男がワープしてきた。

ゴトー「あっしがゴトーでっせ。トイレ掃除のクエストですな。いまから連れて行くのでつかまってくだせぇ」

ゴトーにつかまると、そこには小奇麗なトイレが数個あった。

ゴトー「ちなみに、兄さん、何か魔法はつかえますかな?」

タカシ「いや、言語理解の魔法しか使えません。」

ゴトー「ということは、兄さんも異世界転生したとかいう妄想を信じている方ですか?まったく、最近たまーにいるんだよな、そういう奴がさ」

俺はこの世界でも自分の考えが「妄想」扱いされていることに少しいらついた。

タカシ「それで、何をすればいいですか?」

ゴトー「公共トイレはここも合わせて30箇所ある。そこへ順番にワープして掃除するだけだ。掃除用具は各用具入れに入れてある。」

仕事は簡単そうだな、と思った。

タカシ「ゴトーさんも手伝ってくださるのですか?」

ゴトー「俺はもともとこの仕事担当だからな。お前が来れば、より少ない時間と労力で仕事が終わるというわけだ。仕事のない人に仕事を提供するための役割としても機能している。」

タカシ「他に何人がトイレ掃除へ応募しているのですか。」

ゴトー「他に1人、アヤメとかいう女が応募している。ほら、そこで掃除してるだろ。」

そのアヤメという女性はどう見ても日本人の女子大生という感じだった。

アヤメ「ここはもう終わりましたから、次へ行きましょう。あれ、その方は?」

ゴトー「こいつも、お前と同じ妄想人だ。ほら、異世界から来たとかいう」

俺はアヤメに聞きたいことがあったが、ゴトーに止められた。

ゴトー「仕事が先ですぜ。終わったらお話し合いでもすればいい。」

タカシ「とりあえず、よろしくアヤメ」

アヤメ「こちらこそ」


***


ゴトーのワープの呪文で役所へ戻ってきた。

ゴトー「ほら、今日の仕事の賃金1000ペリカな。」

タカシ・アヤメ「ありがとうございました」

ゴトー「そんじゃ、また」

俺とアヤメはその場を去った。行く先もないが、歩きながらアヤメと話した。

タカシ「アヤメさん、あなたは日本人ですか?」

アヤメ「そうそう、その話をしようと思ってたの。私は元日本人で昨日この世界に来たの。」

当たり前のような言い方に少し腹がたった。異世界転生はあたりまえのことなのか?

タカシ「俺は今日来ました。大学生ですか?」

アヤメ「元数学科の学生ね。でも交通事故で死んだみたい。それで神様にここに連れてこられたの。」

タカシ「そうでしたか。この世界ではどこに住んでいるのですか?」

アヤメ「教会よ。教会で貧民に宿を無料で貸しているから。あなたはなぜこの世界へ?」

俺は言いたくはなかったが、でも言うことにした。

タカシ「自殺だよ。」

アヤメ「それは…大変だったのね。」

少し会話が止まった。アヤメは悪いことを聞いてしまったような顔をしている。話題を変えよう。

タカシ「そんなことより、アレクサンドリア図書館に行きたいんだけど、明日行かない?この世界の情報が欲しいんだ。」

アヤメ「なるほど、図書館か。悪くないアイデアね。ところで、教会へ行けばあなたは私の連れってことになるのかしら?」

タカシ「そうじゃない?なんで?」

アヤメ「そうなると、同じ部屋で過ごすことになるから...」

アヤメは顔を赤くした。かわいいところもあるようだ。

タカシ「大丈夫、変なことはしないから。」

アヤメ「変なことって何よ?変態。」


教会につくと、宿を借りようと待つ人々が並んでいたので、それに続いた。

先頭では、「この哀れな羊に慈悲を」などと言ってパンを配っていた。

タカシ「なあ、この世界の宗教って何を信仰しているんだ?」

アヤメ「正確にはわからないけど、善なる偉大な創造主って感じのようね」

タカシ「でももちろん、この世界にも悪はあるよな?」

アヤメ「もちろん。でも、私達の世界にいたときの悪とはまったく別の質のものよ」

悪にも質があるのだろうか?

タカシ「つまり?」

アヤメ「つまり、魔王とそれを率いるモンスターこそが悪だと考えられているの。人々はピュアすぎるぐらいの善みたい。」

タカシ「人同士の戦争もないってこと?」

アヤメ「たぶん...」

と、話しているうちに先頭に来たのでパンをもらった。そして、教会の指定の部屋へ行くよう伝えられた。

その部屋は、窓とトイレらしきものがあり、あとは布団が2つ置かれている。

アヤメ「よかったね、布団がちゃんと2つあって」

タカシ「残念だったかなー。」

アヤメ「なに、添い寝でもするつもりだったの?」

タカシ「そのつもりだった。」

アヤメはまた顔を赤くした。

タカシ「明日は図書館で利用者パスを500ペリカで買って情報収集しよう」

アヤメ「うん」

俺は布団を準備しながらそういった」

タカシ「じゃ、俺は寝るわ。おやすみ」

アヤメ「もう少し話をしてもいいじゃんよ」

アヤメは寂しそうにこちらを見た。

タカシ「だめだめ、明日の体力を残すためには今寝ないと」

アヤメ「わかった。おやすみ、タカシ」

タカシ「おやすみ」


***


タカシ「ふああ、よく寝た」

横にはアヤメがまだ眠っていた。寝顔がなんとも可愛らしい。

タカシ「アヤメ、起きて。朝だよー。」

アヤメ「ふえぇ、もっと寝てたいママー…ふにゃふにゃ」

俺はアヤメの布団をひっくり返した。

アヤメ「ふぎゃ」

タカシ「起きた?」

アヤメ「…起きた」

タカシ「それで数学者さん、図書館に興味はおありですか?」

アヤメ「とても興味がありますねぇ。さっそく図書館探しを始めますか。」

俺とアヤメはそのままの服装で ーつまり最初から同じ服装でー 部屋の外へ出た。教会の神父に声をかける。

タカシ「神父さん、アレクサンドリア図書館はどこにありますか」

神父は答えた。

神父「ここから見える一番巨大な建造物がアレクサンドリア図書館だよ。」

アヤメ「あら、そうだったのね」

神父「あんたたち、そんなことも知らなかったのかい。あそこは<情報>の宝庫だからね、覚えておくといいよ」

タカシ「となると、窓から見えるあの建造物がアレクサンドリア図書館?」

神父は「こいつらなにも知らないんだな」という顔で答えた。

神父「そうそう、そうだよ。」

タカシ「教えてくれてありがとうございました。では今日はそこへ行ってみます。」

神父「あなた方が教会に頼らず暮らせるようになれるようお祈りします。」


教会を出ると、さんさんと心地よく晴れていた。さっそくあの建造物へ向かって歩いていこう。


タカシ「距離的にどのくらいかな?」

アヤメ「おそらく、5kmぐらいね。割と近いわ」

タカシ「あの、提案なのだけど」

アヤメ「何?」

俺はアイデアを思いついた。

タカシ「ワープ呪文を使える人を探して連れてってもらおうよ」

アヤメ「ヒッチハイクってこと?ワープ呪文は確か役人の専売特許だったと思うから、役所か兵士交番へ行けばよさそうね。ここから近い兵士交番は200mぐらい先にあるわ」

タカシ「じゃあそこで頼んでみよう」

タカシとアヤメは兵士交番へ行くことにした。


***


兵士「うーん、悪いけど、僕らの仕事はそういうものじゃないんだ。君たち、いくらもってるの?」

アヤメ「私は1800ペリカ」

タカシ「俺は1000ペリカ」

兵士「じゃあ、200ペリカ払ってマジックカーを借りなよ。それが早いよ。」

タカシ「どうやって借りればいいんですか」

兵士「公共魔法ってのをつかうんだ。これは指輪は必要ない。空中で模様を数回描くだけだ。こういう模様だ」

そう言うとその模様を紙に書いてくれた。

兵士「試しにやってみなよ」

アヤメはその模様を宙に描いた。

すると、近くのマジックカーがやってきた。例の楕円形の乗り物だ。

マジックカー「リヨウニハ200ペリカヒツヨウデス。ペリカイレテクダサイ」

俺はペリカコインを200分だけマジックカーに入れた。すると、ドアが開いたので俺達は入った。

マジックカー「ドコニイキマスカ」

アヤメ「アレクサンドリア図書館へ」

マジックカー「リョウカイイタシマシタ」

そういうと、時速120kmぐらいで、あれよあれよという間についてしまった。地球人の自動運転車を遥かに超えている!


***


さて…この建造物が、どうやらアレクサンドリア図書館のようだ。

俺達はまず、1階の受付で図書館利用パスを500ペリカで購入した。

建造物は1階から50階まであり、それぞれの階で特定のジャンルの本を揃えている。見た目は中世風、というかバベルの塔みたいだが、中身は最先端を行っている。魔法で動くエレベーターがあり、書籍を検索するための公共魔法もあるようだ。


さて、何を知りたいか。まず基本的な生活様式だ。俺達は公共魔法を使って「生活方法の本」と唱えた。それについての本は2階にあることがわかり、いくつかの本を読み漁った。


ー この世界の生活は、衣・住・食・職・魔・金によって成り立つ。

ー 金は基本的に職によって得る。

ー 衣・住・食は基本的に金によって得るが、家族の一人以上が固定職を持つ場合には必要最低限だけ支給される。

ー 職はギルドで得る方法が基本である。固定職の登録も可能。

ー 魔については購入が可能だが、作成も可能。腕輪や指輪に保存して持ち歩けて、魔力がある限りはいつでも使える。

ー 魔についての詳細は「ドビッド魔法論」がより詳しい。

ー 誰とでも家族になれるが、上限人数は8人まで。役所で家族契約を結ぶことができる。

ー 他者に危害を加えてしまった場合、罰金を支払う必要がある。特に、重罪の場合の罰は一生分の労働となり得る。

ー 法律についての詳細は「七法全書」が詳しい。


地球で六法全書を読んだことがないのに、魔法法も加えた七法なんて覚えられるわけがない!…まあ、目立ったことをしなければ大丈夫か。


問題はドビッド魔法論の方だ。


ー 魔法、それは発現したことのある情報をとどめておいたもの。発現したものは情報と呼ばれる。情報を再び発現させるには、情報に対する説明や記述が必要となる。その記述が厳密であるほど、発現しやすくなる。


タカシ「さて、つまりどういうことだろうか。数学者さん?」

アヤメ「何かが発現するってのがどういうことなのか、詳しいことが書かれてない?」


ー 情報の発現には、複数の要因が関わる。観測者の存在、環境、そしてそこにある「何か」である。発現したときには、観測者はそれを発現だとハッキリとわかる場合が多い。その場合、その時点で情報は記憶される。記憶が蓄積されるほど発現方法は固定化される。固定化される前に理論化すれば、理論のとおりに固定化される。


タカシ「要するにどういうこと?」

アヤメ「要するに、不思議な現象が現れたとき、それを厳密かつ意図した方法で説明できれば、魔法化できるってことみたいね」

タカシ「なーるほど。妄想も発現すれば魔法化できるってことか」

アヤメ「なに、何か発現を経験したことがあるの?」

俺は言い渋ったが、アヤメに対しては隠す理由がなかった。

タカシ「実は、パラレル・ワールドに行ったことがあるんだ。こっちじゃなく、あっちの世界で」

アヤメ「それも発現になるの?」

タカシ「わからない。けど、この世界には数学はない。ってことは、アヤメが俺の経験を数学的に記述すれば魔法化できるんじゃない?厳密だし。」

アヤメはインテリっぽく言い返した。

アヤメ「問題は意図よ。どういう意図を持ってその情報を再発現させたいの?」

タカシ「たとえば、望まない未来を避けるために使えるとしたら?」

アヤメ「その場合、他の世界への干渉を一時的に可能とする条件が必要になる。」

タカシ「それを魔法として発現させるためにはどうやってとどめておけばいいのだろう?」


ー 魔法として情報を再発現させたい場合、当該の記述を魔法石に保存すれば良い。魔法石は魔法を使うための指輪や腕輪に用いられている。魔法石は膨大な記憶を保存できるため、記述の修正も容易である。魔法石への保存方法は「魔法保存技術」と呼ばれ、書籍化されている。ただし、魔法保存は通常、プロに頼むものであり、一般人は魔法の記述と賃金をプロへ提出するだけで良い。


アヤメ「タカシ、仮に私があなたの経験を記述したとして、それを魔法として魔法石にとどめてどんなことができるかな。悪影響はない?」

タカシ「次の文章を見て」


ー この世界の魔法の特徴は、発現した魔法は、魔法石にとどめておかない限り再発現しないことと、魔法石は互いに独立していることである。つまり、ある魔法石に情報を保存しても、他の魔法石に影響を与えることはない。ただし、魔法石への保存は何らかの結果を残す。例えば、火を操る魔法についての情報を魔法石に保存した場合、結果として身近なモノが燃える。


アヤメ「つまり、理論が現実になっても、それは単一の魔法石内に限った話みたいね、やって見る価値はありそう。」

タカシ「俺も、俺のそれが妄想ではなかったことを見極めたい」

アヤメ「なら、次に探すべきは…」

タカシ「魔法石に情報を保存する屋さん、だな」


***



アヤメ「タカシ、今何ペリカある?」

タカシ「マジックカーに200で、図書館利用パスに500だから300残ってる。そっちは?」

アヤメ「マジックカーはタカシの200ペリカで私も乗れたから、1300ペリカあるわ。」

タカシ「安い飯屋とかないかな?」

アヤメ「そうね…お腹も減ったし、そこの喫茶店っぽいところで何か食べていく?」

タカシ「そうするか」

その喫茶店っぽいところ ーカフェlalalaと書かれているー へ入ると、なんと!猫耳娘が働いているではないか!

猫耳娘「いらっしゃいま・・・」

タカシ・アヤメ「猫耳!かわゆす!」

タカシとアヤメは猫耳娘を撫で回した。

アヤメ「うーん、このモッフモフ具合…最高。」

タカシ「その上美人ときた…神様、ありがとう。」

猫耳娘「あの、お客さん…ご要件は?」

俺は冷静になろうと努力した。

タカシ「あ、えっと…とりあえず200ペリカぐらいで買える安い飯ない?腹ペコペコで。」

アヤメ「ネコミミさん、できるだけ安くて満腹になるものない?」

猫耳娘「私の名前はネコミミじゃなくて、ウカだよ。安くてお腹いっぱいになるものといえばライシーボールぐらいしかないけど、それでいい?」

タカシ「もちろん!ウカたんがそれでいいなら俺はそれで満足です!」

アヤメ「あんた、言ってることおかしいよ」

そんなこんなで、俺達はウカに会い、ライシーボールなるものを出された。それは俺達の世界でいう「おにぎり」そっくりだった。

ウカ「君たち、見ない顔だね。どっから来たの?」

タカシ・アヤメ「異世界」

おにぎりをだらしなくくわえながら二人は同時に答えた。

ウカ「それはそれは…(この人たち、例の妄想を持った自称異世界人みたいね。)」

ウカ「それで異世界の人、この世界に目的を持って来たの?」

タカシ「目的、なんだっけ、善行…そうそう善い行いをすることだよ」

アヤメ「私も同じこといわれた。善いことをすれば良い未来が、って具合に」

ウカ「誰に言われたの?」

タカシ・アヤメ「神様」

ウカ「(この人たち、相当あたまやられてるね。)」

ウカ「どんな善い行いができそう?」

どんなって、知るかそんなもん。

タカシ「とりあえず、悪い未来を打ち消す力が欲しいんだ。それで、もしかしたらそれを実現できるかもしれないから、試そうとしているところ。それで、魔法保存技術士を探している最中。」

ウカは少し驚いたような顔をした。

ウカ「なにかの魔法を記述したの!?」

アヤメは冷静に言い返す。

アヤメ「いや、まだこれからよ。記述の方は問題ないわ。私がなんとかやる。でも、実際にできるかどうかがあやしいの。だってこのタカシの単なる妄想なのか、それとも情報の発現なのか区別がつかないし…」

タカシ「あ、お前、疑ってるのか?」

アヤメ「私は事実を述べたまでよ」

ウカはエヘンと喉を鳴らした。

ウカ「じゃあ私言うわ。私はその魔法保存技術士の一人よ。」

タカシ・アヤメ「…ええええっ!」

俺達はこの偶然に驚きまくった。

タカシ「探す手間省けてよかった。行いが善い証拠だな。」

アヤメ「ほんとほんと」

ウカ「…と、とにかく、記述とお金を持ってくればテキトーな魔法石に魔法保存をするよ。」

問題は金額だな。

タカシ「それで、おいくら?」

ウカ「記述によるけど、最低でも3万ペリカは必要だね。」

タカシ「3万!それってトイレ掃除何回分!?」

アヤメ「とにかく、もっと稼げる職を探したほうがよさそうね。」

ウカ「固定職についてないの?」

そうだ、固定職には何か特典があったっけ?

アヤメ「いや、この世界のことよく知らんし、まだ早いかなーって」

タカシ「固定職で思い出したけど、アヤメと家族契約することになるのか?そうしたら、アヤメは俺の…

嫁!?」

ウキウキしていたのもつかの間だった。

ウカ「嫁とは限らないわ。一緒に生活する共同体を私達は家族と呼んでいるの」

アヤメ「なに想像してたのよ」

アヤメは顔を真っ赤にさせた。

アヤメ「そ、それで…共同体の利点とは?」

ウカは淡々と答える。

ウカ「一番大きいのは、誰か一人が固定職に就けば、家族全員が生活必需品、つまり、衣住食を得られることよ。」

タカシ「それはわかってるんだけど、他にはないの?」

ウカ「あとは、普通に家事を協力したり分担したりできる。」

アヤメ「まあ、共同体ってそういうものよね。それで、問題は、誰が固定職に就くか」

ウカ「そうそう、そういうのを巡るトラブルは昔はあったね。だから、保護者制度が導入されているよ。保護者制度では、固定職についている人の共同体になる場合、責任は固定職についている人に向く。言い換えれば、その共同体の行動の決定権は固定職についている人にあるの。」

タカシ「じゃあ、固定職に就くのはアヤメで決まりだな」

アヤメ「なんで?」

タカシ「だって、俺より年上<に見える>し、人生経験豊富そうだし…」

アヤメ「タカシ、私はあなたの実年齢を聞いていないわよね、一体何歳なわけ?」

タカシ「そ、それはか弱い少年に聞いてはいけない質問だなぁ」

アヤメ「実年齢30才ってことないわよね」

タカシ「…!」

アヤメ「あ、図星なわけ、そういうこと?私は言っておくけど19才よ。ピチピチの10代よ、言っている意味わかる?」

ウカ「えーっと、とりあえず、保存したい魔法記述の詳細を聞きたいなー」

そうだった。その話だった。

タカシ「えっとだね、まずはオレ個人の経験について話すよ」

俺はパラレル・ワールドに行ったこと、そしてそれを使って望む未来へ行く方法を探っていることを話した。

ウカ「うーん」

アヤメ「どう?」

ウカ「理論的には可能」

タカシ「ほーら、可能だってさ」

ウカ「ただし、あなた達の望みを厳密に表現する必要がある。」

アヤメ「私もそれ思った」

タカシ「どういうこと?」

アヤメは数学者らしく話し始める。

アヤメ「効用関数よ。私達が何を満足とし、何を望むのか。それを厳密に決定づける記述が必要になるわ」

ウカ「厳密さは必要ない、けど厳密な方が好ましい場合も多い。どうだろう、もしそれが「唱えた条件に合致する並行世界へ移動する魔法」だとしたら。」

アヤメ「それなら…なんどでも試せそうね。なにせ平行世界の時間の流れる速さが同じとは限らない。全く同じ時間に感じていたとしても、時間の流れの速さが違う世界だってありうるわ。その平行世界へ移動したとしたら過去に行くことだってできるし…」

タカシ「まってくれ、基本的な物理パラメータを書き換えるような世界移動は危険を伴わないのか?」

ウカ「確かに、場合によっては行った先の世界崩壊も考えられる」

俺は、自分の妄想が世界崩壊をもたらすなど考えてもいなかった。

アヤメ「ではやはり効用関数ね。でも根本的にどうなのだろう。定義された満足度に従って自動的に決定される未来には満足できるの?」

俺は知ったように次のように言う。

タカシ「では、間違えたときにやり直せる魔法なら?」

アヤメはそれを訂正した。

アヤメ「それを、果たして平行世界への移動という概念の派生系で定義できるの?タカシくん?」

ウカ「理論的にはできるかもしれない。ただし、その平行世界が私達の世界とは別バージョンだと認める必要があるよ。あなた達が一度移動すれば、二度と同じウカには会えない。」

タカシ「言ってたよな、神様が。善い行いをすれば良い未来がって」

アヤメ「うん、それがどうかした?」

タカシ「もしそれがこの世界の事実だとしたら、それ以上に何を望むの?」

俺達は黙り込んだ。ウカは神様を信じていない様子だったので、冗談のように言う。

ウカ「うむ、もはや哲学なり」

タカシ「ウカちゃん、最後に聞く」

ウカ「うむ」

タカシ「俺達のような無能でもできる仕事で一番稼げる仕事って何?」

アヤメ「「達」は余分ね。少なくとも私は知的労働でやっていける自信はあるわ。」

ウカ「いい仕事がある。しかも、世のため、人のためになる仕事」

タカシとアヤメは息の飲んだ。

タカシ「その仕事とは?」


***


ウカが提案したのは、「魔法記述士」だった。なんでも、ああいうタイプの議論ができるなら、魔法記述の才能があるのではないかということらしい。そのためには実績を作る必要がある。まずは、どうやって情報の発現を確認するかだ。それは、地球人は実験観察と呼んでいるものに近いが、この世界では、その観察の範囲は広い。日々、起きたことを観察するのだ。そして、幅広い観察結果を生むためには様々な情報に触れる必要がある。そのためには、<冒険>をする必要があるようだ。


ウカによれば、この世界には数学というものはないが、厳密であるほど再発現性が高くなるので良いらしい。そこでウカは、情報の発現を確認するのはタカシが行い、それを記述するのはアヤメがやれば良いと提案した。最終的に、俺は冒険者ギルドへ行くことになった。


冒険者ギルドもいくつかあるが、初心者向けのものとして「サポーターズギルド」を勧められた。このギルドは、一文無しになっても、クエストに必要な最低限の物資は出してくれると言う保証がある。といっても、それは最初に訪れたメルルさんのいた場所だった。最低限というのは本当に最低限だ。安い短剣、安い防具と靴、それだけだ。それでも、ないよりあったほうがマシだ。キャタピラーフロッグの討伐だって、短剣があってこそのものだ。


というわけで、俺、タカシは冒険者として定職に付きます。嫁、つまりアヤメは、1つ目の情報記述を完成させるまでは専業主婦というわけだ。そしてもちろん、役所で家族契約も締結済み。結婚おめでとう…というわけでは残念ながらない。


タカシ「それで、最初のクエストはやはり…」

メルル「はい、キャタピラーフロッグの討伐ですね」

タカシ「キャタピラーフロッグはどこに出現しますか?」

メルル「アレクサンドリア街を南方向に出た草原です。」

タカシ「そこまでの交通費は?」

メルル「支給されま…せん。ただ、ここからなら歩いてたったの3kmです。マジックカーも安いですし。」

タカシ「だーかーらー、俺は今一文無しなの!」

メルル「それではご無事をお祈りしております」


ぶつぶつと文句を垂れながら、ひたすら南へ歩いた。といっても、たったの3km。それでも引きこもりだった俺にとっては長距離だ。


タカシ「はぁ、はぁ、疲れた。この草原でいいのか?どこだキャタピラーフロッグ!」


そいつはゴソゴソと音を立ててゆっくりと現れた。芋虫とカエルを合わせたような形をしていて、しっぽは芋虫、それよりも前はカエルだ。そして5mほどの巨体。カエルのくせに足がなく、ピョコピョコと飛べないらしい。のっそりゆっくりと動くが、油断は禁物だ。メルルさんによれば、こいつはすばやく粘着質の舌を出してくるらしい。


うむ、どうやって仕留めるか。と、その時だった。その舌をいきなり飛び出して来たのだ!俺は粘着質のその舌に絡め取られた。だが、冷静だった。俺は舌を丁寧に短剣で切り落とした。


奴の武器を奪ったならこっちのものだ。あとは、傷をできるだけつけずに殺すだけ。こいつの脳の位置はわかっている。あとは…しっぽから駆け上がるだけ!


俺は勢い良く脳天までかけ登っていった。そしてその位置にくると、ザクッと一突き。やれやれ、あっという間だったぜ。


あれ…俺、今どうやってこの巨体の上によじ登ったんだ?


これが情報の発現…今回はまるで重力を無視するかのように高いところに登るスキル…よし、これをアヤメに記述してもらおう。このために、わざわざ「スマホ」で戦いの風景を撮っておいたってわけだ。俺って用意周到だろ?


***


メルル「はい、ありがとうございました。こちらが当該のキャタピラーフロッグの肉ですね。今回のものはサイズが大きいので、5000ペリカで引き取ります。」

タカシ「よろしくおねがいします。」

よし、まずは5000ペリカゲット!物価水準は知らないけど、トイレ掃除の5倍と考えれば悪くない!

帰りは公共魔法でマジックカーを呼んで200ペリカ支払って、<自宅>へ戻った。そう、何を隠そう、俺達は、1人以上の同居人が定職に就いたので、家族という共同体が最低限の生活必需品<住>を、役所の手続きによって手に入れることができたのだ。なんという素晴らしい世界なんだ。


タカシ「ただいまー」

アヤメ「おかえり、早かったね。」

早かった?そういえばこの世界の時間ってどうなっているのだろう。

タカシ「アヤメは図書館での情報収集をしてたんでしょ?どう?収穫はあった?」

アヤメ「そうそう、この世界、飛行機みたいなものはまだなくて、未開の地も残されている可能性が高いらしいよ。あとは、魔法記述についてのいくつかの手法を勉強してきた。まあ、言っても理解できないと思うけど」

タカシ「じゃあさ、試しにこれを記述してみてよ」

俺はズカズカと命令口調で言う。

そう言って今日の戦闘動画を自慢気に見せた。

アヤメ「これ、本当に重力が関係していると思う?」

タカシ「まあね、そう感じたから」

アヤメ「身体能力が強化された可能性は?」

タカシ「それも無くはないけど、重要なのは記述の利便性だろ?違うのか?」

俺はプログラマーだったのでそのあたりは詳しいような言い方で言った。

アヤメ「そうね…記述には思ったほど厳密性は問われない。けど、厳密であるべき部分はある。例えばそれが重力の変化だとしたら、あなたの体の周辺だけ変化が生じたのかしら。というかそもそも重力の正体は何?」

タカシ「なんだよ、どちらでもいいんじゃないのか?」

アヤメ「オッカムの剃刀よ。重力変化と考えるのと、身体能力向上と考えるの、どちらがシンプルなのか」

シンプルさなんて何が重要なんだろう?と俺は疑問だった。

タカシ「あるいは、そのどちらでもないのかも。何かが生じて浮力がついた。結果的に浮き上がった。それ以外はわからない。」

アヤメ「つまり、その<何か>には任意性が残されているわけね」

タカシ「そういうことになるのかな。」

アヤメ「わかったわ。あなたの言う<利便性>に基づいて式を立ててみるわ。情報ありがとう、タカシくん」

そう言うと、アヤメはその難解な数理化作業に取りかかった。おっと、この世界では、紙とペンは生活必需品に含まれているようだ…!


***


アヤメは最終的にそれを記述した。しかし、それは危険を伴うものだった。万有引力定数の値を局所的かつ一時的に操作することで、タカシと星との間で生じる力を0以上1以下にすることだった。つまり、0であれば無重力、1であれば通常の重力がはたらく。アインシュタインが定式化したような「時空の歪み」は考慮しなかった。つまり、この世界では多少の厳密性は排除できる、と考えたのだ。事実、多くの文献が指し示すように、この世界のいう「厳密さ」はすべて自然言語による記述だった。


アヤメ「さて、これでいけるかどうか…」


正直、アヤメには自信がなかった。なにせ「定数」を操作するのだから。それでも、ウカに提出するには十分かもしれない。そう思っていた。一度ウカに確認してみよう。


ウカ「うーん」

アヤメ「どう?この記述でいけそう?」

ウカ「厳密なのはわかるけど、この数学?っていうのが私はいまいちよくわからないからなぁ」

アヤメ「そうか…でもまだ3万ペリカはなくて…」

ウカ「いま何ペリカある?」

アヤメ「ざっと5000ペリカ」

ウカ「…いいよ、5000でやってあげる。でも後払いで25000払ってよね。」

アヤメ「ありがとう!ウカちゃん、恩に着るよ」

ウカ「さて、魔法石魔法石っと。」

アヤメはふと疑問に思ったことを聞く。

アヤメ「その記述をどう魔法石に移すの?」

ウカ「この世界の紙は魔法石に反応するんだ。だから触れて技術を施せば…ほい。」

ボォオオオン。魔法石は輝いた。そして結果を残し、つまり…この部屋のものを一時的に無重力にした。

ドカン、と音を立てて部屋のものが落ちた。

ウカ「やった、成功だよ!」

アヤメ「よかった。これをどうすればいいの?」

ウカ「あなた達の持っている指輪に移せばいいだけだよ。この分なら5人分くらいは作れるよ。」

アヤメ「ありがとう。恩に着るよ」

ウカ「それじゃ後払いの25000ペリカ、忘れないでね。」

アヤメ「わかってるって」

ウカ「それと、その魔法を売買するためには、その魔法石を指輪に移す必要があるけど、移すときは指輪のボタンを押しながら魔法石に触れてね。」


***


アヤメ「ただいまー、ってまだタカシは帰ってない?」

タカシ「いるよー。おかえり。どうだった?」

アヤメ「一応、できたみたい。」

タカシ「俺は今日はまたキャタピラーフロッグの討伐で4000ペリカもらったぜ。じゃあ早速使ってみよう、その魔法石」

アヤメは魔法石を取り出すと、タカシの指に触れ、その指の2つ目のボタンを押しながら魔法石に触れた。

アヤメ「そのボタンを押してから、0以上1以下の実数値を唱えて。そうすれば重力が変化するわ。」

タカシ「じゃあ...0!」

俺は無重力状態に達した。プカプカと浮かんでいる。俺はわざとらしく泳ぐ仕草をした。

タカシ「やった、成功だ。ジャンプ力も強化できるし、高いところから落下もできる!」

アヤメ「それでさ、これをあと4人分移せるみたいなんだけど…どうだろう、オークションを開いてみるっていうのは?」

タカシ「それはいいアイデアだ!人が集まりそうな場所はあるのか?」

アヤメ「あるわ。アレクサンドリア街の東にテレサパークっていう公園があって、そこは毎日商売人も集まっているって話だよ」

タカシ「明日はそこで」

アヤメ「オークション、決まりだね」


***


俺達はテレサパークにつくと、様々な商売を目にした。ある人は魚を売りさばき、ある人は魔法石を売っている。またある人は服を売っていて、フリーマーケットのようだった。

アヤメ「はいはい皆さん、ご注目!」

俺は驚いたが、どうやらオークションをやるらしい。

アヤメ「珍しい魔法を買わないかい?オークションだよ、さあさあ来た来た」

通りすがりの男A「お嬢さん、一体どんな魔法を売っているんだい?」

通りすがりの男B「そこらの魔法じゃないだろうな?」

アヤメは俺に向かってウインクした。そうか、俺のジャンプ力をご披露というわけか。

俺は指輪のボタンを押し「0!」と唱えてジャンプした。

重力が0なので、俺は空高く飛び上がった。

観客「オオッ」

アヤメ「これは、星が皆さんを引っ張っている力を弱める魔法だよ。使い方は0から1までの実数値を唱えるだけ。さあ、誰が買うかい?」

通りすがりの男C「20000ペリカ!」

通りすがりの男D「30000ペリカ!」

...と順調に値段が上がっていたとき、ある不思議な男が現れた。

不思議な男「100万ペリカ」

あたりがざわついた。100万って、この世界の物価水準を考慮するとどのぐらいだ?

アヤメ「100万だね!決定、あんたに売るよ!」

通りすがりの男C「ちぇっ、売れちまったぜ」

通りすがりの男D「でもまあ、まだ今日だけじゃないだろう。明日も売ってくれよなお嬢さん」

周囲の人が去ると、その購入者が近づいてきた。

不思議な男「ありがとう。ちょっといいかい。」

タカシ「はい、なんですか?」

不思議な男「申し遅れた。私はレオンと言う者だ。冒険者をやっている。どうやってその魔法を作ったのか。なぜその魔法をつくったのか。話を聞かせてほしい。無料とは言わない。」

アヤメ「あんなに高い値段で買ってくれたんだから無料で話すよ。話は簡単。情報が発現しやすいのはタカシが妄想男だから。そして、魔法記述をできたのは、私達がこの世界にはない厳密な言語を知っているからよ。」

レオンは驚いたように言った。

レオン「君たち、まさか異世界から来た人?俺も実は地球のアメリカから来た者だよ。」

アヤメとタカシは目を丸くした。

タカシ「レオンさん、アメリカ人?驚いたなあ。でもどうやって異世界人なのに100万ペリカも稼げたの?てか、なんでそんな大金を俺達に払ったの?」

レオンは丁寧に説明する。

レオン「まず、僕は冒険者なのだけど、高値のつく山岳地帯のクエストを狙っているんだ。その性質上、ジャンプ力をあれほどまでに向上できる魔法は便利だ。なにせ、崖を登る必要があるわけだからね。と、こんな説明で足りるかな?」

タカシは追加の説明を要求する。

タカシ「山岳地帯って、異世界人の俺達でもできるクエストがあるんですか?」

レオン「俺は昔、ロッククライマーだったんだ。それで、山のドラゴン退治を引き受けることが多い。ドラゴンもただの動物だから、首をかっ切れば簡単に死ぬ。だから山岳地帯を狙っているんだ。」

アヤメ「タカシ、あんたも少しは見習いなさいよ」

タカシは言い返したかったが、言い訳っぽいことしか思いつかなかった。

タカシ「ってことはさ、ジャンプ力強化した俺も山岳地帯のクエストができるんじゃない?」

レオン「十分可能だよ。でも、最悪は死に至る危険があることは覚悟したほうがいい。なにせ、ドラゴンは火を吹くからな。」

アヤメ「この世界の人たちはなぜドラゴンを退治したいのですか?」

レオン「決まっているだろう。治安維持のためだ。弱いドラゴンは生物保護のために放置しているが、たまに主のようにでかいドラゴンが出没するんだ。そいつを退治しないと街にやってきて悪さをする。だからさ。」

タカシ「じゃあさ、魔王についての情報はなにかある?」

レオン「君たち、図書館パスは持ってる?」

忘れてた。俺達は図書館へ自由にアクセスできるんだった。

アヤメ「魔王の情報も図書館で得られるってわけね。」

レオン「なんで魔王に興味があるの?魔王なんて気楽な貴族みたいなものさ。モンスターを統治しているけど、その実体はニートみたいなもの。勇者が現れて退治しようなんてことはまず起こらないね。だって、魔王は、そのありあまる力で美女のクローンを生成してハーレムをしたり、美味しい食べ物を異世界から取り寄せて食べているだけのしょうもないやつだから。そうだ、一度会ってきなよ。」

タカシ「会うって、簡単に会えるの?」

レオン「会えるよ。料金2000ペリカ取られるけどね。もはや観光地さ。」

タカシとアヤメは少しがっかりした。異世界で魔王を倒すのはセオリーだと思っていたのに。

タカシ「じゃあ、アヤメが前言っていたことは間違っていたことになるね。この世界の人たちは魔王と戦っているとか言ってたじゃん。でもそれはガセだった。なぜそんなガセが広まったの?」

レオン「ああ、それについては宗教が絡んでいるんだ。魔王と対峙するのが人の役目、というのが神の伝えとして残っているから、信仰心の厚い教会の人なんかはそういうことを信仰しているよ」

アヤメ「ああ、この世界の宗教ってお粗末ね」

レオン「ところで、連絡魔法って持ってる?」

街の人が電話のように使っていたあれか。

タカシ「いや、もってない」

レオン「会ったことのある相手と交信できる魔法なんだ。よかったら僕の魔法石貸すよ。」

そういうと、レオンはバッグから魔法石を取り出した。

アヤメ「これ、連絡魔法が入ってるの?」

レオン「そうだよ、あと8回分くらい残ってる。君たち2人に分けれるよ。」

タカシ「あのさ、気になってたんだけど、レオンは魔法いくつ所持しているの?」

レオン「え?ああ、10個ぐらいかな。なんで?」

俺の思ったとおりだ。わかってたけど、指輪によって保存容量が違うらしい。

タカシ「俺のは3つで限界だから、あと1つで限界に達するんだけど、これを別の指輪とか腕輪に移すこともできるの?」

レオン「なんだ、そんなことも知らなかったのか。うん、できるよ。それも対象の指輪さえあれば自分で無料でね。」

その後、レオンには様々なことを教えてもらった。冒険者として持っておくべき魔法や、俺達の魔法がどれだけ貴重なのかとか、生活のための秘訣とか、俺達と同じ世界から来た異世界人がどれだけいるのかとか、まあそんなところ。そして、レオンとは連絡魔法でやり取りし合うことにし、ついでに金庫を買って今日の給料をそこに収めた。


そして家に帰ると、いつもよりも豪華な料理をふんだんに用意し、それをアヤメと一緒に食べて食べて食べ尽くした。


妄想が魔法になり、魔法が金になる。そんな世界を俺は望んでいたのかもしれない。ここはまさにそんな世界だ。現実世界?そんなものは存在しない。俺は現実世界とやらが嫌いだ。無意味に他者と比較し合い、優劣をつけ合い、弱者を尊重しないクソ社会。この世界は違う。妄想で錯乱した弱者が生き生きと暮らせるそんな世界だ。


ようこそ、妄想ワールドへ。

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