2.婚約は簡単ではない5
「お二人とも怪我しても私が治すので、思いっきりやっちゃってください。では始め~!」
シェリーの掛け声によって、戦いの火ぶたが切られた。
最初に言っておく。酷かった。とにかく酷かった。
公明正大な木の枝探しより、酷かった。
「覚悟、きゃあ」
悲鳴と共に、アイリス嬢が地面に這いつくばった。ぬかるみに足を取られ、始まった瞬間から、見事なまでの自滅。
「隙ありよ」
一歩足を踏み出し気付いたときには、俺も地面に倒れ伏していた。要はアイリス嬢と同じように、俺も自滅。
こうしてお互いの自滅から、決闘は始まった。あの宣言に反して、先に地面に這いつくばったのはアイリス嬢だったので、そこだけは勝ったと思い込みたい。
立ち上がった俺とアイリス嬢のその後は、ダイジェストでお送りする。まともに描写すると、俺とアイリス嬢への精神的ダメージが深刻過ぎるからだ。
空振りした回数、数知れず。
ぬかるみで滑った回数、数知れず。
転倒した回数、数知れず。
まともに打ち合えた回数、一回も無し。
手から枝が飛んでいき、探しに走ること十数度。
あまりの見つからなさに、再び身も蓋も無いことを言い出すアイリス嬢。
「もう決闘はなかったことにして、あの公明正大な木の枝を見つけた方が」
以下略。
結局公明正大な木の枝は見つからなかったので、新しい公明正大な木の枝探しで決闘は中断された。見つけてきた公明正大な木の枝でお互い構えるも、構えた瞬間何の前触れも無く、公明正大な木の枝が折れて、再び公明正大な木の枝探し。
ぐだっぐだっの、ぐっだぐっだだった。
頭を過る、決闘ってこういうものじゃないという事実。嫌だ。認めたくない。
公明正大な木の枝探しの途中で、こっそりシェリーに教えてもらったところによると、アイリス嬢は今十五歳だそうだ。十五歳の少女と、決闘でいい勝負をしている十八歳の俺。情けなくて、泣きたい。
もう何度目かという公明正大な木の枝探し中、俺とアイリス嬢が思っていても口に出さなかったことを、シェリーがついに言葉にした。
「これ決闘ですか?」
「決闘じゃないわね」
「じゃあ今あたしたちがやってる、これは何なのよ!?」
両膝を地面について、アイリス嬢が地面を叩く。
「とりあえず今は、公明正大な木の枝探し中です」
「決闘じゃないわね」
「公明正大な木の枝って何よ。枝ならなんだっていいじゃない」
アイリス嬢の一言で、木の枝探しは一気に雑になった。
互いの武器が公明正大な木の枝でなくなっても、俺とアイリス嬢の低レベルな争いは、低レベルな争いのままだった。向上の気配は全くなかった。
息切れ、泥だらけ、体力の限界、しんどい。もう無理。
「そろそろお昼にしませんか?」
二人を見かねたシェリーから、中断の申し出があった。
「一旦……仕切り……直し……よ……」
アイリス嬢も息絶え絶えだ。
今のところ俺もアイリス嬢も、自滅しかしていない。あれだけ間抜けなことをしておきながら、不幸中の幸いで二人とも一切怪我はしていなかった。精神的には傷だらけだけれども。
泥だらけになった服と身体をシェリーに魔法でどうにかしてもらい、そのまま庭園の四阿で昼食をとることになった。
四阿のテーブル上には、既に昼食が用意されていて、おいしそうなサンドイッチが並んでいた。近くに控える黒髪の侍女が、給仕をしてくれるらしい。遊戯室で座った時と同じように、シェリーを間に挟んで俺とアイリス嬢が向かい合って座る。
壁が無い吹きさらしの四阿でじっとしていると、今の時期はまだいささか寒い。体脂肪が少なすぎて、俺は寒いのが苦手だ。寒そうにする俺を見て、シェリーが優しく笑った。
「今暖かくしますね」
急速に寒さが和らいでいき、シェリーの気遣いが身に染みた。
「ありがとう。助かったわ」
「……っていうか、あんたの言葉遣いは、なんでそんなことになってるのよ?」
テーブル上で上半身をだらけさせながら、アイリス嬢が半目で聞いてきた。
「いまさら!? 突っ込むの遅くないかしら」
「最初から多少は気になってたけど、ここまでそれで通されたら、聞かざるを得ないじゃない!」
「昨日の昼ぐらいまでは、女性として生活してたのよ。急には直らないわ」
アイリス嬢のお前正気で言ってるのか、という視線が痛い。
「はぁ? あんたの出身はどこ?」
「ラルド帝国よ」
「結構な大国じゃない。ラルド帝国は何やってるのよ。風習かなにか? それとも頭おかしい系?」
「皇帝とアレは、間違いなく、頭がおかしいわ」
俺は感情が乗りすぎて、思わず右手を握りしめた。
「何なのよ。どんだけ切実そうに言うのよ。ちょっと気になっちゃうじゃない」
「聞きたいですか? アイリスもオリバーに興味が出ましたか?」
「いらない。説明しなくていい。こいつはあたしの敵」
アイリス嬢がサンドイッチを掴んだ。つられて俺もサンドイッチを手に持った。
「ついてるんだから、ちゃんと男なのよね。見た目や話し方は、男装令嬢みたいなくせに。無駄に色気もあるし。あ~あ、お姉様だったらどんなに良かったか」
サンドイッチを齧ったアイリス嬢が、かっと目を見開いた。
「…………………あ、お姉様が増えたと思えば、いいのでは」
聞き捨てならないことを、今アイリス嬢が言った気がする。
「この手があった……! これなら全部丸く収まるじゃない! あたしにとってお姉様とは崇め奉る存在。崇拝対象が増える、もしかしてこれはあたし得案件。しかも愛するお姉様二人が仲良くしてる。なにそれ最っ高じゃない」
一口齧ったサンドイッチ片手に、アイリス嬢は立ち上がった。
「オリバー・ディアレイン! あんたをシェリーお姉様の婚約者として、認めてあげなくもなくってよ。その代わり、あたしにオリバーお義姉様と呼ばせなさい!」
「えぇ……何を言い出すのよ……」
「良かったですね。アイリスが認めてくれるそうです!」
良かったの、か? いままで散々女性として生きて来たし、まあいいか。今さらお義姉様と呼ばれるぐらい、どうってことない。……ないよね?
「アイリス嬢」
「アイリスで構わないから。オリバーお義姉様」
アイリス嬢は本当に、今後俺のことをそう呼ぶつもりらしい。
…………よし、諦めよう。人生は諦めが肝心だ。
「改めてこれからよろしく、アイリス」
「こちらこそよろしくね、オリバーお義姉様」
俺とアイリスの間に、固い握手が交わされた。二人とも反対の手には、サンドイッチを持った、なかなか間抜けな絵面で。
「聞かせてよ。ラルド帝国で何があったのか」
「ついさっきどうでもいいって、言ってたわよね」
「オリバーお義姉様のことなら、知っておくのがあたしの義務よ」
「手短に話すなら、昨日の婚約破棄からですかね」
あの険悪だった空気は、もうどこにもなかった。紆余曲折あったものの、とりあえず俺は、グローリアス公爵家に温かく迎えられることとなった。
和気あいあいと何の気兼ねもせずに食べるサンドイッチは、自然と笑みがこぼれるぐらいにおいしく感じられた。