2.婚約は簡単ではない3
先手のアイリス嬢は二枚のカードを開いた。クローバーのAとスペードのA。そのカードを回収して、続けてもう二枚カードを捲る。今度はハートのAとダイヤのA。またアイリス嬢のターンだ。
誰にだってすぐに分かる。これはおかしい。
「シェリーに聞きたいことがあるの」
「何ですか?」
「呪文なしで魔法を使うことは、できるのかしら?」
「呪文ではなく詠唱です。人によって程度は違いますが、簡単なものなら無詠唱でも魔法は使えます。さっき私が応接室の扉を開けたのも、無詠唱ですよ」
やっぱりそうか。
「ちなみにオリバーの性別を確認したのも無詠唱です」
「その情報は今どうでもいいわね」
言われてみれば、グローリアス公爵もアイリス嬢も無詠唱だった。まあそれに関しては、今はどうでもいい。気にしてはいけない。
俺は次のカードを捲ろうとしていたアイリス嬢を、まっすぐ見据えて言った。
「貴方魔法使ってるわよね」
「ふん、最初から使わないとは言ってない。魔法も実力のうちよ」
「アイリス、魔法はフェアじゃありません」
「いいのよ、シェリー。彼女が納得しないと、この勝負の意味がないわ」
「オリバーは心が広いです」
アイリス嬢は心底面白くなさそうに、次々とカードを揃えていった。
アイリス嬢が魔法を使ってくるなら、こちらは使われる前提で行動するだけだ。彼女が使っている魔法は、絵柄の入れ替えか透視のどちらかだろう。取られるカードの場所から、俺は透視の方だと当たりをつけた。
言うまでも無く、この勝負はアイリス嬢の完勝だった。ずっとアイリス嬢のターン状態で、俺に順番が回ってこないのだ。どうあがいても俺に勝ち目は無い。
「私の勝ちね。さっさと負けを認めたら? もう一回やったって、時間の無駄なんだから」
「いいえ、無駄ではないわ」
「並べますよ」
俺が何かを企んでいると察知したシェリーが、トランプを再び並べ始めた。
「今度は俺からでいいわよね」
すぐ近くにあった二枚を捲った。当然絵柄が揃うはずはない。
「ふん、やっぱり無駄じゃない」
アイリス嬢は一戦目と同じように、一度も間違わずにカードを揃えていった。
彼女には無駄にしか思えないだろうが、この行為は決して無駄ではない。意味がちゃんとある。時間稼ぎという意味が。
カードを揃えるアイリス嬢には注意を払わず、思考にだけ神経を集中させた。
アイリス嬢は直情的だ。俺に魔法を使っていると悟られなければ、俺を出し抜くこともできたのに、彼女はしようとしなかった。彼女はそこまで頭が回るタイプではない。この時間が思考の時間に充てられていることも、きっと彼女は分かっていないだろう。
アイリス嬢が無詠唱で、透視の魔法が使えるのは確実だ。それ以外に何ができるかを知っておきたい。無詠唱で出来るのは、簡単なものだけとシェリーが言っていた。アイリス嬢はシェリーの目を気にして、無詠唱以外はやらないだろう。筋金入りのシスコンのようだし。
さて選ぶ勝負内容だが、手札を使うようなカードゲーム系は不利だ。運が絡むものも避けたい。俺が色々と試せて、確実に勝てるとなるとチェスしかないか。いろんな意味で時間稼ぎできる。
「終わり、またあたしの勝ち」
アイリス嬢の勝利宣言で、俺の意識は引き戻された。
「ああ、終わったのね」
「何よ、その余裕ある感じ。むかつく」
トランプをまとめながら、アイリス嬢が不機嫌に言った。
「次の種目を決めるのは俺ね。チェスはあるかしら?」
「待っててください。今出しますね」
そう言ってシェリーが持ってきたチェスセットは、見たことが無い素材で出来ていた。高いと俺の本能が告げてくる。透き通った水晶のような素材だが、輝きが水晶のそれではない。
固そうな見た目に反して、持ってみると少し変形した。絶妙なふにふに感。
「え、何これ。何で出来てるのよ」
思わず声に出ていた。
「大して珍しくも無い魔晶石製です」
「何それ」
「魔晶石は魔晶石ですし」
「そうね、魔晶石は魔晶石ね」
アイリス嬢がシェリーに同調してくる。初耳の素材過ぎて、その価値が全く分からなかった。
「これ高いのかしら……?」
「大した価値はないですよ。ただ亡国の外では、国宝級の扱いをされるらしいです」
「壊したらまずいやつじゃないの……」
「亡国内にはごろごろありますし、私でも作れますから、壊しても大丈夫ですよ」
つまりシェリーは国宝が作れる? 魔法使いすごすぎない?
俺の価値観は亡国の外準拠のものだ。なので違う意味での緊張感に満ち溢れたチェスが始まった。今俺は国宝でチェスしている。
肝心のチェスの戦況はというと、ずっと五分五分を維持したままで経過していた。早く決着がついては、俺がアイリス嬢を観察考察する時間が減ってしまう。いくつか罠を仕掛けつつ、ただただ時間がかかるように、俺はゲームを誘導していた。
アイリス嬢は仕掛けた罠に、どれも見事に引っかかってくれた。これでアイリス嬢は未来視や予言の類はできず、俺の心を読んだりもできないことが分かった。無詠唱でできないのか、そもそもそういう魔法ができないのかは分からないが、今はさして問題じゃない。
俺が次の一手を考えている間に、アイリス嬢はこっそりサイコロを動かせるか試していたので、サイコロの出目も操作できると考えて良さそうだ。小さなものは動かせると。
ここで俺は今後の方針を決めた。積極的に勝つことは諦めて、消極的に勝ちにいく。負けないことを最優先として、アイリス嬢が折れてくれるまで、俺は粘ることにした。アイリス嬢は結構気が短い。対して俺は忍耐に自信がある。だてに十一年間あんな生活を送っていたのではない。
辛かったあの皇妃教育も、捨てたものではなかった。戦略や知略が関わる各国のゲームを知っていたことで、俺が選べる勝負はいくつもあった。それらの道具が揃っている、グローリアス公爵家の遊戯室の品揃えにも感謝したいところだった。
いくつもゲームをしていれば、アイリス嬢がルールを知らないものも当然出てくる。そういったものは、ルール説明にも時間を取られた。アイリス嬢の忍耐を削るには、これもかなり有効だった。
俺とシェリーの婚約をかけたアイリス嬢との真剣勝負は、ほんの少しの仮眠と軽食を挟みながら夜通し行われた。途中で様子を見に来たグローリアス公爵は、シェリーに追い払われていた。アイリス嬢にも追い払われていた。不憫だ。
そして、夜が明けた。
海を越えた東方では有名だというショウギをしながら、俺は欠伸を噛み殺した。アイリス嬢も眠そうだ。会話は無く、駒を動かす音だけが室内に響いた。
駒の動かし方が書かれた紙と、盤面を見比べるアイリス嬢。ここでシェリーが大きな欠伸をした。
「シェリー、寝ててもいいのよ?」
「駄目です。そういうわけにはいかないです。あ、そうです」
今まで勝負をずっと見守っていたシェリーが、ふらりと遊戯室を出て行ってしまった。さすがに飽きたのかもしれない。
「あんたはシェリーお姉様のこと、どう思ってるの?」
盤上の駒を動かしながら、アイリス嬢が俺に質問してきた。
「どうって、そうね。見ていて飽きない人かしら。一緒に居て楽しい人よ」
「他には?」
「いろんな意味で俺を救ってくれた人かしら。今まで人生で色んなものを諦めてきたけれど、シェリーとの結婚だけは諦めたくないわ」
「……それってつまり、だからもう一声ないの?」
「もう一声?」
アイリス嬢が何を言いたいのか、俺には全く分からなかった。
「あんたはシェリーお姉様をす……」
「す?」
「え!? もしかして、自覚ないの……?」
アイリス嬢は目を丸くした。
「何の自覚よ?」
先程から彼女が何の話をしているのか、俺はよく分かっていない。俺の返事にアイリス嬢は、再び不機嫌な表情になった。