2.婚約は簡単ではない2
「シェリーと結婚するなら、彼女は将来家族になるのよ。ちゃんと認めてもらいたいの。遺恨があるままは良くないわ」
「私との未来を、そこまで考えてくれているんですね。オリバーはやっぱり私が好きになった人です」
シェリーが目を輝かせて見つめてくる。
「そういうことになるの? なるか、なるわね。人目があるんだから、今はやめなさい」
抱きつこうとしてくるシェリーを制止した。火に油を注ぐことになるのは目に見えていたからだ。
「あたしの前でいーちゃーつーくーなー」
アイリス嬢がテーブルをばしばしと叩いている。シェリーを止めても駄目だったか。
ここはさっさと話を進めよう。
「俺とシェリーの婚約をかけて、俺と貴方で勝負するということでいいのよね。具体的な勝負の内容は、決めてあるのかしら?」
「今思いついたばかりだから、何をするかまでは決めてない」
さてどうする。ここから俺の有利な方向に誘導して、完膚なきまでに打ちのめすのは不可能ではない。ただそんなことをすれば、俺とアイリス嬢の仲は間違いなく修復不可能になる。遺恨を残さないためにも、ボロ負けさせるわけにはいかない。かといってこちらが負けることも、あってはならない。
アレの婚約者だった時に、接待チェスはいろんな人と何度もやった。あの時はただわざと負ければ良かったが、今回は厄介だ。勝負をある程度コントロールしようにも、アイリス嬢の得意なことと、不得意なことが分からない。それは自己申告してもらうようにするか。
「勝負内容は俺と貴方で交互に一つずつ決めて、二連勝した方が勝ちというのでどうかしら? 自分で提案した内容で負けたのなら、互いに文句は言えないでしょう?」
考え得る限り、これなら互いに一方的な勝負にはならないはずだ。俺が勝つのも大変にはなるけれども、アイリス嬢の出方を見てから勝ち筋を考えよう。
「うん、それでいい」
アイリス嬢が同意してくれたことで、ルールは決まった。内容に関してはまだ分からないが、とりあえず髪を下ろしたままでは何かと邪魔になる。でもあいにく髪を結べるようなものは、今俺の手元には無い。
「シェリー、何か髪を結ぶものを持っていないかしら?」
「こんなこともあろうかと」
シェリーはどこからともなく、ピンク色のリボンを取り出した。
「えへへ、私色です。ささオリバー、背中を向けてください」
「もうシェリーったら」
「だから、いーちゃーつーくーなー」
アイリス嬢が再び、テーブルをばしんばしんと叩いている。そんなアイリス嬢を気にも留めずに、シェリーは俺の長い髪をリボンで一つに結んだ。
「色々と物も揃っていますし、遊戯室でやるのがいいですかね。移動しましょう」
シェリーの提案に従って、俺たち三人は応接室から遊戯室に移動することにした。先に廊下に出たアイリス嬢が一人で前を行き、俺とシェリーが並んで後を付いて行く。ふとアイリス嬢が後ろを振り返った。
「近過ぎる!」
俺とシェリーの間に割って入るアイリス嬢。
「オリバ~、アイリスが酷いです」
「今は我慢してね」
「オリバーがそう言うなら我慢します」
「いちゃいちゃ禁止!」
廊下の窓から射す夕日に、俺は目を細めた。パーティー会場を出て以降、何だかんだやっていて、時刻はもう夕方だ。
昨日の今頃はこんなことになるなんて、夢にも思っていなかった。昨日の俺に今の話をしても、きっと信じはしないだろう。
たとえ婚約破棄されなかったとしても、俺の幸せはあの国のどこにもなかった。死ぬまで女性として、生きなければならなかった。七歳から十八歳までの間、辛いことはたくさんあった。あのままだったら、この十一年間が目じゃないぐらいに、俺の後の人生は悲惨になっていたと断言できる。
今はただ、シェリーとの幸せを諦めたくないと思った。
向かった先の遊戯室にはビリヤード台や、ダーツの的、カードゲーム、ボードゲーム等々、遊戯に使えるようなものが数多く取り揃えられていた。
「各勝負は二勝先取で勝ちということにしましょう。最初の勝負は貴方が決めてちょうだい」
「それなら、この辺に」
アイリス嬢は戸棚の中を探し、手のひらに載るほどの小箱を取り出した。その箱を大きなテーブルの上に置いて、アイリス嬢は最初の種目を宣言した。
「トランプで神経衰弱!」
「え……」
俺は固まった。
「神経衰弱よ、神経衰弱。知らないの?」
「知らないわけないわ。知ってるわよ。意外と普通で驚いただけで。魔法使いだから、もっと素っ頓狂なものを言い出すのかと思ってたわ」
「あんたは魔法使いを何だと思ってるのよ」
アイリス嬢の声が明らかに呆れている。シェリーにちらっと視線を送ってから、俺は答えた。
「常識が通じない人々……?」
「え!? 今何で私を見たんですか!?」
「シェリーには驚かされてばかりだったんだもの。学院生活でもなかなか強烈だったわ」
「学院にいた時は、ちゃんと擬態してましたよ」
「貴方ちょいちょいやらかしてたから。階段の上から滑空事件とか」
「そんな馬鹿なです」
「はいそこ、いちゃつかない! あと二人しか分からない話して、あたしを蚊帳の外にしないで。疎外感で泣きそう。でも滑空事件に関しては、ちょっと気になっちゃうじゃない!」
「ごめんなさい」
ごもっともなことを言われ、素直に謝るしかなかった。
「こうなったら、オリバーが私のことを見直すように、すごいの見せちゃいますね。■■■■■」
シェリーが呪文を唱えると、トランプが入った小箱がひとりでに開き、中に入っていたトランプが宙を舞い出した。一枚一枚舞うトランプは、複数枚で円を描くように回ったり、一枚だけで高速回転したりと、統率がとれた様々な動きで、見る者の目を楽しませてくれる。
そしてトランプたちが大きなハートを描いた。
「おっと、私からオリバーへの愛が駄々漏れです」
「わざわざやらなくても、分かってるから大丈夫よ」
「ぐぬぬ……あたしが邪魔ものみたいじゃない……」
「やっと自覚したんですか?」
「シェリーお姉様が冷たい。でもあたしはめげるもんか!」
「はい、ジョーカーは抜きました」
いつのまにかジョーカーは、シェリーの手の中にあった。残りのトランプは絵柄を下に向けて伏せられたままランダムに動いた後、テーブル上に縦四列横十三列で寸分の狂いも無く整列した。
「どうですか、見直しましたか?」
「シェリーお姉様の精密ですんばらしい魔法を見れたことに、むせび泣くがいい」
何もしていないアイリス嬢が、ドヤ顔してくる。アイリス嬢の情緒が不安定過ぎて、だんだん心配になってきた。シスコン恐ろしい。
「ええ、すごかったわ。カードの準備もしてもらえたことだし、さっそく始めましょうか」
俺とアイリス嬢は向かい合わせで、テーブルの長辺側の席に着いた。テーブルの短辺側に座り、シェリーが二人の勝負の行方を見守る。
テーブルに頬杖を突いた、俺の婚約者はとってもかわいい。
「あたしが先手でいい?」
「ええ」
一般的に二人で行う神経衰弱は、後手の方が有利と言われている。勘繰るまでもなく、アイリス嬢に何か思惑があるのは確実だ。
「頑張ってください! オリバー!」
「シェリーお姉様、あたしも応援してよ」
「オリバーに負けて欲しくないので、あんまり頑張らないでください」
「あんたのことなんか、ボコボコにしてやるんだからね」
アイリス嬢の怒りの矛先が俺に向く。