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2.婚約は簡単ではない1

 シェリーとお互い抱きしめあうこと数分、俺に限界が訪れた。


「ギブだわ……」

「え!? どうしたんですか、オリバー!?」


 俺の上から降りたシェリーはソファの傍らにしゃがんで、寝転がったままの俺の肩を揺さぶった。


「オリバー、死なないでください! オリバー!」

「確かに俺は虚弱だけど、さすがに死なないわよ! 揺らさないで、頭がぐ~らぐらするわ」


 なんとか起き上がって座り直し、俺は素直に白状することにした。


「ただ単にシェリーの重さに耐えられなかったのよ」

「私そんなに重かったですか!? これはダイエットしないといけませんね」


 シェリーが少ししょんぼりし、俺の良心が非常に痛んだ。


「しなくていいわよ! 貴方が重いんじゃなくて、俺がひ弱なだけなんだから! ほら座って」


 シェリーは素直に俺の言葉に従って、ソファに再び座った。


「食事制限以外にも、いろいろと制限されてたのよ。運動だってそう。男らしい体格にならないために、少しでも筋肉をつけないようにさせられてたんだから。だから俺は致命的に体力、筋力その他諸々がないのよ」

「確かに実技系の授業は、よく見学してましたね」

「はぁ、情けないにも程があるわ」


 溜息を吐かずにはいられなかった。


「……ん?」


 ここで俺は妙な視線を感じた。アレの婚約者をしていると、危害を加えようとしてくる輩も多かったので、そういう視線にはだいぶ敏感にならざるを得なかった。この感じは殺気か?


「シェリー、何か視線を感じないかしら?」

「グローリアスの使用人に、覗きを働くような輩はいません」

「でも扉に隙間が空いているわ。外に誰かがいるみたいよ」

「あ、本当ですね。では」


 次の瞬間ひとりでに扉が勢いよく開き、部屋を覗いていた人物とぶつかる音がした。


「あ痛っ」


 声の主は応接室の外の廊下で、額を押さえてしゃがみこんでいる。まっすぐなピンクゴールドの髪を編み込んだ小柄な彼女は、愛らしい雰囲気を身にまとっていた。


「あ! アイリス! ただいまです」


 シェリーと彼女は知り合いのようだ。知り合いどころか恐らくは。


「お゛帰゛り゛な゛ざい゛、シェリーお姉様」


 しゃがんだままの彼女は、強打した額が相当痛いらしい。呻き声とお帰りなさいが混ざり合い、すごいことになっている。


「オリバーに紹介します。妹のアイリス・グローリアスです」


 涙目で呻く彼女を気にも留めず、シェリーは俺に彼女を紹介してきた。


 うずくまる彼女は、やはりシェリーの妹だった。シェリーよりも赤みが強いピンクゴールドの髪と、シェリーよりも色味が薄い琥珀色の瞳、二人とも小柄なのは同じだ。わざわざ姉妹だと言われなくても、すぐに分かった。


 短いやりとりからでも分かる二人の仲の良さが、俺には少しだけうらやましく思えた。


「いつまで痛がってるんですか?」

「痛いなぁ。シェリーお姉様に治してもらいたいなぁ」


 シェリーの様子をちらちら伺いながら、アイリス嬢はシェリーに治療をせがんでいるようだ。


「治癒魔法はもう学園で習っているはずです。自分で治しましょう」

「厳しいシェリーお姉様も素敵。■■■■■」


 呪文と思しき言葉は、相変わらず全く理解できないものだった。極めて異質な文法や発音から推測するに、失われた古代言語の一種なのかもしれない。


 セルフ治療で事なきを得たアイリス嬢は、額を押さえるのをやめて立ち上がった。そしてものすごく睨まれる俺。


 この感じは身に覚えがある。ラルド帝国の某公爵令嬢から受けた視線と同じだ。『なぜお前が殿下の婚約者なのか』『お前は殿下の婚約者に相応しくない』と如実に物語っている視線に、いつも俺は内心苦笑いだった。シェリーのおかげで、最終的にその公爵令嬢とは和解できたのだけれど、この話に関しては置いておいて、今は目の前にいるアイリス嬢のことだ。


「お出掛けから帰って来てみれば屋敷の中が何やら騒がしくて、話を聞いてみたらシェリーお姉様が帰って来たって言うじゃない。もっと詳しく話を聞いてみれば、婚約者まで連れて来たって言うじゃない」


 アイリス嬢の抑え込んでいたものが爆発した。


「婿探しに出たんだからと、いつかは覚悟してた! けど! シェリーお姉様が婚約者をーーーー!! 無理~! 受け入れられない!」

「アイリス、この方が私の婚約者オリバー・ディアレイン様です」


 アイリス嬢の魂の叫びをスルーして、シェリーは俺の腕を抱き、改めて俺のことをアイリス嬢に紹介した。


 シェリーの胸が俺の腕に当たっている。柔らかい感触に、自分が男だと強制的に思い出させられた。平常心、平常心だ。


「あ゛―――!!」


 俺が平常心を追い求める一方で、俺を直接紹介されたアイリス嬢は、令嬢にあるまじき声を出していた。だが叫んだおかげでアイリス嬢は、多少落ち着きを取り戻したようだ。俺もシェリーが腕を放してくれて落ち着いた。


「あたしは認めない。絶対に認めない」


 小声でぶつぶつと呟くと、アイリス嬢は俺とシェリーの向かい側、先程までグローリアス公爵夫妻が座っていた場所に、腕組みをして腰かけた。上から下まで俺をじっくり観察し、アイリス嬢は耳を疑うようなことを言い出した。


「その見た目と色気で本当に男なの? あ、ちゃんとついてる」


 本日二度目の性別確認だった。シェリーの分も含めると、二度あることは三度あった。もう何なの、この一家。


 ……もしかして魔法使いはこれが普通……? 得られたこの結論が合ってるのか、合ってないのか、確かめる術は俺に無い。


「父様と母様がシェリーお姉様とあんたの婚約を認めたとしても、このあたしが認めない」


 そしてグローリアス公爵が言っていたあの子とは、どうやらアイリス嬢のことだった。両親よりも妹の方が壁だったとは、魔法使いはことごとく常識に囚われない存在だ。


 なにはともあれ、シェリーと結婚するためには、アイリス嬢をどうにかしないといけない。ひとまずアイリス嬢の説得を試みることにした。


「俺をどさくさ紛れにこの国まで連れてきて、だまし討ち同然で婚約させたのは、シェリー自身よ。シェリーはそれほどまでに、俺のことを好きでいてくれているわ。……自分でこんなこと言うと、恥ずかしいわね……。とにかく俺とシェリーの婚約を否定することは、シェリーの思いを否定することになるんじゃないかしら?」


 俺の言葉を受けて、アイリス嬢はちらりとシェリーの方を見た。


「オリバーが言うとおり、私はオリバーのことが大好きです。でもオリバー、もしかして婚約のこと根に持ってますか?」

「シェリーが言ってたじゃないの。遅かれ早かれ俺とシェリーは婚約するって。だから気にしてないわ」


 俺とシェリーを交互に見比べるアイリス嬢は、今間違いなく葛藤している。自分の気持ちとシェリーの気持ち、どちらを優先するべきか。


「ぐぬぬ、こうなったらあんたがシェリーお姉様に相応しいか、あたしが見極める。シェリーお姉様と結婚したければ、このあたしを打ち倒していきなさい」


 アイリス嬢の提案は、落としどころとしては、妥当なところだろう。本当は話し合いで決着をつけたかったが、無理なら仕方ない。


「ええ、受けて立つわ」

「アイリスは昔から、私のことが好き過ぎるんです。アイリスの我儘は無視していいんですよ?」


 シェリーはとても不安げだ。でもここで引くわけにはいかない。

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