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1.婚約破棄は不幸ではない3

 母上は元々、体が強くはない人だった。俺を産んだ後、なかなか体調が戻らないところに、俺が殿下の婚約者になったという話が追い打ちをかけた。それ以来母上は、ほとんどを自室のベッド上で過ごしている。


 学院にいるはずの俺の姿に、母上は動揺した。ゆっくりとベッドから立ち上がり、バルコニーのドアを開けると、ただならぬ空気を感じたようだった。顔色が悪い母上に、こんなことを伝えないといけないのは胸が苦しくなる。


「母上、別れの挨拶に来たの」


 俺はそう切り出した。俺が母上に話したのは、あの卒業パーティーでの顛末だ。シェリーの幻獣を見られている時点で、今さらではあるけれど、魔法のことだけは伏せておいた。


「もうこの国にはいられないから、俺は彼女に付いて行くことにしたわ」


 話を振られたシェリーは、幻獣の上から元気に名乗りを上げた。


「シェリー・グローリアスと申します。オリバー様を婿にください」


 ややこしくなるので、今は否定しないでおく。


「何も、できなくてごめんなさい。あの時も、今も、いつも、いつも……気付くのが遅くて……なにも貴方のために……できなかった……」


 顔を覆って涙を流す母上に、胸が締めつけられた。


「そう思ってくれただけで十分よ」


 本当に優しい母上だった。優しすぎるほどに優しい人だった。


「息子のことを……オリバーのことを……よろしくお願いします」


 いつの間にか幻獣から降りたシェリーが、俺の横にいた。


「オリバー様は、私が必ず幸せにすると約束します。ただこのままだと、オリバー様が幸せになってくれなさそうなので、失礼します。他言は無用ということで。■■■■■■■■」


 シェリーは母上の胸に手を触れると、あの理解できない言葉を唱えた。今なら分かる。シェリーが話す謎の言語、これは呪文だ。シェリーの魔法を受けて、母上の顔色は劇的に良くなった。


「今までありがとう、母上」


 泣きながら手を振る母上の姿は、一生忘れられなさそうだ。シェリーが駆る俺達を乗せた幻獣は、再び大空に舞い戻る。心地よい風が、俺の濡れた頬を優しく乾かしてくれた。


「ありがとう、母上のこと治してくれて」

「この子も見られてしまいましたし、あそこで治さないのは女が廃ります。なによりもオリバー様のお母様ですよ、気合を入れて治療させていただきました。それにしても、公爵家となるとやっぱり屋敷が大きいです。友人に招待してもらった、男爵家の屋敷とは大違いですね。私も男爵令嬢という身分を仮で使っていましたが、実はそこそこの貴族の娘なんです。だから決して、オリバー様に苦労はさせませんよ」


 話を聞く俺は大人しくシェリーに掴まっていた。先程まで余裕は一切なかったが、慣れてしまえばこのスピード感はくせになる。


「魔法使いの生活はどういうものなの?」

「普通の人とそんなに変わらないですよ。魔法を日常生活で使うことはあまりないです。使うときもありますけどね」

「日常生活で使うときもあるのね」


 聞いたのは純粋な興味と心構えの為だ。これから恐らく一緒に暮らすであろう、シェリーのことをもっと知りたかったから。でも彼女は違うことを考えたようだった。


「はっ、学院の試験で魔法を使ってたのでは、とか疑ってますか? 学院では一切魔法は使っていません! あ、ごめんなさい。一切は嘘です。一回だけオリバー様の性別を確認しました」


 性別確認の件は突っ込んではいけないと、自分に言い聞かせた。


「そんなこと全く疑っていないわ。でも本当にそれだけ?」

「……実は、オリバー様がどうしてアレの婚約者をやっていたのかを、調べるためにも使いました。言っておきますけど、学院外も含めてあの国にいた時に魔法を使ったのは、オリバー様が関係するときだけです」


 殿下をアレ呼ばわりか。もう殿下と呼びたくないというのは、俺の本音でもあった。


「ということは、俺の事情は全て知っているのね」

「はい。あそこの一家は頭がおかしいと思います」


 だろうなという感想だった。それが普通の感覚なのだと安心できた。


「でもナルシュ殿下は至ってまともだったの。アレの一つ下の妹で、皇帝の計画のことは一切知らなくて、未来の義姉なのだからと俺にとても良くしてくれた。あの方をアレらと一括りにするのは忍びないわ」

「むう。とにかく話を戻しますと、勉強は実力で頑張っていたんです」


 シェリーは少しむくれて、無理やりに話の軌道修正をした。


「今思えば、あそこまで頑張る必要なかったですね。成績の件もあって、アレに目をつけられたわけですし。オリバー様とお近づきになりたいと思って、近くをうろちょろしていたら、アレを一本釣りしてしまうとは、何たる不覚です」


 シェリーが一本釣りだと思っていたことに驚きだ。男爵令嬢でありながら、可愛らしい容姿、礼儀作法は身に付いていて、明るく人に好かれる性格、学年主席に匹敵する頭脳、それらを備えたシェリーが、学院内で好かれないはずがない。ときどきドジッ娘なのも、彼女の魅力だった。実情は一本釣りどころではなかったのだけれど、もやもやするから黙っておくことにした。


「貴方もアレに目をつけられて災難だったわね」

「でもアレのおかげで、オリバー様に目をかけてもらえたんですから、怪我の功名です」

「俺としても女生徒からの苦情が減ったから、貴方には申し訳ないけれど、少しだけ感謝していたわ」

「オリバー様のお役に立てていたなら、喜ばしい限りです! そんなにやらかしていたんですね、アレ」

「輝く金髪に赤い瞳で顔立ちは整っていて、見目は良かったでしょう? イケメンは何しても許されるという風潮で、調子に乗ってたんだと思うわ」

「アレそんなにイケメンでしたか? 私はオリバー様の菫色の瞳の方が好きです」

「世間一般ではそういうことになるのよ。貴方が転入してくる前のアレは、休み時間や放課後いつだって、とっかえひっかえ女生徒を侍らしていたの。貴方に目を付けてからは、貴方にべったりだったわね。真実の愛を見つけて生まれ変わったとかほざいていたから、将来愛妾を囲うことはやめて、貴方だけを愛そうとか、考えてたんじゃないかしら。だから俺の存在は用済みで、後先考えずあんな暴挙に出たわけね。しかも本当は男だから、シェリーを盗られてもおかしくないと。でもあの筋金入りの女好きが、そう簡単に変わるとは思えないわ」


 思わず目が遠くなる。もっと平和な学院生活が送りたかった。でもシェリーと一緒だった最後の一年間だけは、楽しくて悪くはなかった。


「よくアレに対応していたわね。貴方もアレに好意を抱いているのではと、最初の一週間ぐらいは思っていたもの。でもどうやら違うし、不敬にはならないように上手くかわしているし。俺がシェリーだったら、そのうちキレているわね」

「私は一切アレに好意を持っていませんよ!」

「見ていれば分かるわ。パーティーの時に表情ときたら、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないの」

「こちらの言うことを何も聞いてもらえず、あんな場に引きずり出されれば、不機嫌にもなります。加えてオリバー様を悪く言うなど、許すまじです。今からでも戻って、正義の鉄槌を食らわしたいぐらいです」


 右手を握りしめて、わなわなと震わせるシェリーはとても勇ましい。まあまあとなだめれば、右手は元の場所に戻っていった。


「ただ暴走してくれたことにだけは、感謝したいです。暴走してくれたおかげで、こうしてオリバー様をどさくさまぎれに国に連れて帰って、婚約することができるんですから」

「婚約はまだ了承してないわ」

「好かれるように努力します!」


 空の旅をすること数時間。


 シェリーは幻獣のスピードを緩めて、後ろに座った俺の方に向き直った。胸元をまさぐり、チェーンをつけて首飾りにしていた指輪から、チェーンを外した。


「これを着けてください。魔法使い以外は、着けないと国に入れない決まりなんです」


 俺の左手を取り、シェリーは薬指に指輪をつけた。つけられた指輪は、まるで俺専用に作られたかのように、俺の指にぴったりフィットしている。


「これは魔法の指輪なんです」


 どうやら自由にサイズが変わる指輪らしく、すごいとしか言いようがない。指輪をつけてシェリーは、とても嬉しそうに笑っていた。


「オリバー様、知っていますか? 魔法使いは皆一途なんですよ」

「急にそんなこと言ってどうしたのよ。あとオリバーでいいわ。様はいらないから」

「はい、オリバー」


 どうして今シェリーがそんなことを言ったのか、軽く流した俺はあまり気にしていなかった。その意味はすぐに分かることになる。


「そろそろ国境です」


 前方に広がるのは山と森だ。この先に国があるとはにわかには信じられない。半信半疑のままいると、いきなり強い風が吹き、俺は思わず目を閉じた。目を開けると、森や山だったはずの場所には、のどかな農村風景が広がっていた。


「国境を超えましたね。グローリアスの屋敷まではまだかかるので、もう少し空からの景色を楽しんでください」


 眼下に広がる穏やかな風景を見ていると、魔法使いの国だとは到底思えなかった。どこの国にもある自然豊かな有様で、魔法要素はどこにもない。


 しばらくすると、大きな屋敷が見えてきた。俺の実家と同じぐらいかそれ以上。まさかあれが目的地か?


「あれが私の実家です」


 シェリーがそこそこの貴族と言っていたのは、本当のようだ。そのまま敷地内の庭に着陸し、俺たちが降りた後、にゃーと鳴いてから幻獣の黒猫は光となって消えていった。


 俺と手をつないで、シェリーはずんずんと屋敷の玄関に向かっていく。玄関に辿り着いたシェリーは、勢いよく扉を開けた。

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