4.境界は明瞭ではない8
「ウィッグまでつける必要あるのかしら?」
俺は毛先を少し掴んで、視線を落とした。
「髪が短い女性と長い女性なら、長い女性の方を選んでいるらしいので、かぶったほうが確実ですね。……うーん……お揃いは嬉しいですが……こんなはずじゃなかったんですけど……。いえこちらの話です」
ぶつぶつと呟いていたシェリーが、俺の顔をじっと見つめてきた。
「オリバーに聞きたいことがあります。ばっちり化粧より薄化粧の方が、より女性らしいとは、一体どういうことですか?」
「そんなの俺が聞きたいわ。メディッサさんの腕のおかげではなくって?」
「いえ、私めの化粧の腕は人並みでございます。それでここまでとは」
鏡の中の俺は、帝国にいた時より肌艶がいい気がする。食生活か? 食生活のおかげなのか? ストレスが無いのも大きいのか?
「あ、ミネルヴァも気になって見に来たみたいですね」
シェリーの視線の先をたどると、開いたままになっている部屋の扉から、茶色い髪がはみ出していた。
「あの状態は一体なんなの」
「直視されたら寿命が縮むからだそうです」
「だから何それ、どういうことなのよ」
シェリーと俺がミネルヴァについてやり取りしている間、王立学園の制服を着たアイリスが、俺の部屋の前を偶然通りかかった。
「何でこんなところにミネルヴァが? ってオリバーお義姉様!?」
女装した俺に対して、見本のような二度見をアイリスがやってくれた。そのまま部屋に入り、アイリスは女装した俺まで駆け寄ってきた。
「なんて、なんてすんばらしいのよ!!」
俺の記憶が確かならば、アイリスは女装した俺を見るのは初めてだったか。
「見ていたい。でも遅刻する。遅刻する。でも見ていたい」
葛藤するアイリスは、達してはいけない究極の結論に達した。
「いっそ今日は休む?」
「ああもう、分かったわよ。アイリスが帰ってくるまでは、この恰好でいるから」
俺のせいで学園を休ませるわけにはいかないので仕方ない。
「本当!? 約束よ! じゃあ行ってきまーす」
制服姿のアイリスは、鞄を持って駆けて行った。
「あんな約束して良かったんですか?」
「アイリスに学園を休ませるわけには、いかないでしょう? 一日過ごすぐらいなら、苦でも何でもないわ。前と違って、ちゃんと終わりがあるのよ。終わりが。ふふふふ、終わりが」
「オリバーの闇が漏れ出てます」
「俺に闇なんてないわよ。ただ少しだけ、昔の絶望感を思い出しただけで」
「それを闇と言うんです!」
昨日と同じようにシェリーの幻獣に乗って、蹄の跡を見つけた場所まで再びやって来た。俺とシェリーを降ろした幻獣は、今回は消えることなく上空で待機するようだ。ふわふわと空で漂う黒猫を目で追っていると、シェリーが俺の服を引っ張った。
シェリーの機嫌はあまりよろしくない。
「私が危険な目にあって欲しくないと、昨日オリバーは言いましたが、やっぱり私だって、オリバーに危ない目にあって欲しくないです」
ぶーたれていたシェリーが、何かを閃いた。
「はっ、囮が一人でいけないと誰が決めましたか! どんな囮も二人でやれば怖くないです。まずは罠の準備ですね」
俺が反論し始める前に、シェリーは罠の準備に取り掛かった。
「■■■■■■■■」
どうやら今回は、俺が折れるしかないらしい。俺のか弱さを考えると、シェリーの不安も分からなくはないのだ。シェリーが罠を仕掛け終わるまで、俺はしばし待ちぼうけだった。
「ひとまずこの辺りを、ウロウロしているしかないですね」
「早めに出てきてくれるといいわね」
「今日中に決着が付けばいいんですけどね。はっ、これはデートじゃないですか? どうせなら、ピクニックセットを持ってくれば良かったです」
「いいえ、デートじゃないわ」
これをデートにはカウントしたくない。だって今俺女装中だし。
その後長期戦を危惧していた俺とシェリーは、早々に釣り上げた。通りすがりの荒くれ者を。午前中から酔っぱらったこの二人組は、傭兵崩れの輩のようだった。
「ようお嬢ちゃんたち、俺達と楽しいことしようぜぇ?」
絡み方がテンプレートで、何のひねりも無い。下卑た笑いはどこまでも不愉快だ。相手に聞こえないように、シェリーと二人でこそこそ話す。
「オリバーのホイホイ力が、如何なく発揮されてますね」
「どうするのよ? こいつら」
「酔っ払いですし、眠らせて穏便に済ませましょうか。■■」
「「ぐはっ」」
シェリーが詠唱を唱え切る前に、野郎どもは遠くに吹っ飛んで行った。突然林の中から現れた、馬っぽい生き物の体当たりによって。
「「……………………」」
俺とシェリーは二人で言葉を失った。釣り上げたもので目的の獲物を釣り上げるという、まさかの二段階作戦は予想できなかった。
そしてこちらを見て、ドヤ顔してくる馬モドキ。俺は馬がドヤ顔できることを今知った。馬っぽい何かの鼻息は荒い。ははは、現実逃避に豆知識を。馬は口呼吸できないらしいですわよ。
「何か出たわ!?」
「あいつです!」
俺が先程から何故、馬っぽいものや馬モドキ等と表現しているのかというと、どう見てもただの馬には見えなかったからだ。長いたてがみがドリル状になったものを、奴は頭に装備していた。
馬に思えない馬は、じりじりとこちらに近寄ってくる。
「ごめんなさい。私はオリバーに嘘を吐いていました」
「急に何!?」
「実はオリバーが女装しても、囮にはなれないんです」
ここにきて、まさかのカミングアウトだ。
「オリバーが引きさがってくれなさそうだったので、女装なら諦めてくれるかなと思ったんです。でも諦めなくてくれなくて、言うに言えず結局まさかの無駄女装に」
無駄女装、また新たな単語が生まれてしまった。
じりじりと近寄って来ていた馬らしき何かは、徐々に加速をつけている。俺とシェリーは二人で走り出した。教えてもらわなくても、追いつかれたら一巻の終わりだということは分かる。
「こいつら実は、ついているか、ついていないかが分かるんです。私のついてるかついていないか分かる魔法は、それを応用したものでして」
「その説明は今いらないわ! 走って逃げてるけど、魔法でどうにかできないの!?」
「長年の進化でこいつらは、意識がある間魔法耐性を持っているのでだめです! だから罠を準備したんです! オリバーはそのまま、まっすぐ行ってください。私の方に引き付けて罠まで誘導します」
そう言ってシェリーは林の中に分け入った。俺は後ろを確認しながら、そのまままっすぐ走った。俺とシェリーが二手に分かれたことで、追いかけてきた馬モドキの動きが止まる。
迷いに迷った末、馬っぽいのは再び走り出した。俺の方に向かって。
「ええ!? オリバー! 逃げて!! 超逃げてください!!」
「なんで俺の方に来るのよ!?」
「オリバーの方が好みだからですー!」
「冷静に返答しないでー!」
「もうそのまま罠まで誘導してくださーい!! ■■■■」
「ちょっ!! きゃあ!!」
上空で待機していたシェリーの幻獣に、咥えられて運ばれる俺。追いかけてくる馬っぽいもの。林の中での追いかけっこの末、当初の作戦通りに馬っぽいものは罠にかかった。
シェリーは罠と言ったが、落とし穴だ。とても原始的に。落とし穴はシェリーが魔法で掘ったものであり、如何なく落とし穴を極める会の技術が発揮されていた。世の中何が役に立つか、本当に分からない。
幻獣に放してもらい、俺は再び地面に足をつけた。足腰はがくがくで、立っているのも一苦労だ。全力で走ったせいで息も苦しい。




