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1.婚約破棄は不幸ではない2

 傍らにいたシェリーの頭突きが、殿下の顎に見事に決まっていた。ゆっくりと後ろに倒れていく殿下。後頭部も強打し、殿下は大丈夫だろうか。顎と後頭部どちらからも、してはいけない音がした気がするが、無駄に丈夫な殿下だから、まあ大丈夫だろう。


 確実に帝国史上初の出来事に、出席者たちは言葉を失っていた。皇太子が婚約を宣言しようとした瞬間、相手に頭突きされ気を失うというのは、これから先も決して起こり得ないことだろう。もはや伝説だ。


 歴史に名を残す男になるという夢が叶って、殿下も本望だろう。やったな。


「潮時ですね」


 ぶっ倒れた殿下には目もくれず、殿下に触られていた場所を手で払いながら、涼しい顔でシェリーはそう言った。頭突きしたシェリーの頭が心配だったけれど、大丈夫そうなら何よりだ。


「■■■■■!」


 謎の言語でシェリーは声高らかに叫んだ。皇妃教育のたまもので、私は周辺諸国の言語をほとんど習得済みだ。彼女が叫んだのは、その中のどれでもない言語だった。


 彼女が叫び終わった次の瞬間には、会場内の人々がバタバタと崩れ落ちていった。慌てて近くにいた人を確認すると、皆穏やかな顔で寝息を立てていたので、危害を加えられたわけではないようだ。


 広い卒業パーティー会場の中で、立っているのは私とシェリーだけ。私と目が合うと、伸びている殿下をわざわざ乗り越えて、シェリーは私に駆け寄ってきた。


 求婚した相手に蹴っとばされて踏まれて、踏んだり蹴ったりな殿下だが、今までのことを考えれば、ざまぁもいいところだ。ふん、馬鹿な奴め。


 シェリーは手袋をはめた私の右手を両手で優しく包み込み、輝くような笑顔で私を見上げた。


「一目見た時から、ずっとずっとずっとお慕いしておりました! オリバー・ディアレイン様!」


 彼女が呼んだのは、私の、いや俺の本当の名前だった。



 オリバー・ディアレインは七歳の時に死んだ。代わりに七歳のオリビア・ディアレインが生まれた。男として生まれた俺は、女として生きる羽目になったのだ。十八歳になり学院の卒業パーティーを迎えた、今この時までずっと。


 我がラルド帝国の皇帝は代々女癖が悪かった。この国の歴史上、皇帝が皇妃に殺されそうになったのは、一度や二度ではない。皇妃以外の女性に殺されそうになったのも、一度や二度ではない。何代にもわたって、同じようなことが繰り返され続けている。


 そんな皇帝家がなぜ長らくこの国を治めているかというと、女癖が悪い以外は、至って優秀な治世を行っているのだ。女癖の悪さには目をつむるしかないほどに。


 現皇帝ニコラウス・エルフランドルも例に漏れず、皇妃に殺されかけた。大事にすることはできず、表向きは何事も無かったことにされた。殺人未遂があった翌日でも、普段通りに二人で公務していたそうだ。二人がこの時どんな心中だったのか、少しだけ気になる。


 皇妃に殺されかけたことで、皇帝は息子の身を案じて、あることを考えるに至った。普通なら実現されないような計画だが、実現できるだけの権力を皇帝は持っていた。


 女性以外を皇太子妃にすればいいと、皇帝は考えたのだ。そうすれば少なくとも、女癖の所為で妃に殺されることはない。それに愛妾をいくら持っても、皇妃にとやかく言われずに済む。皇帝の思考は、かなりぶっ飛んでいた。女性がからむと、無能の極みだ。


 というか、そこは息子の身の安全より、自分の妻のことを考えるべきだ。というか、息子もやらかす前提かよ。ばっちりやらかしたけど。


 そんな皇帝の計画の生贄として、白羽の矢が立ったのが俺だった。ディアレイン公爵家の四男であり、殿下と同い年、存在がまだあまり周知されていなかったことも災いした。皇帝から話をもってこられた父上は、いとも簡単に俺を差し出した。金と地位と名誉にあっさり負けたのだ。

 

 母上が気付いてくれたときにはすべて手遅れで、俺はオリビア・ディアレインとして生きるしかなくなっていた。



「私は婿を探すために、この国に留学して来たんです。最初にお会いしたときに、私は貴方に一目惚れしました。女性に一目惚れとはと悶々としていましたが、二度目にお会いしたときに男性だと分かって内心ガッツポです」

「どうして分かったのかしら。今まで一度もばれたことはなくってよ」

「え? だってついてましたし」


 ……今なんて言った。


「ついてたってちょっと、貴方」

「はっ、もしかして何がって言ってほしい感じですか?」

「言わなくていいわよ!」


 卑猥なことを言わせないように、即刻止めた。令嬢がそんなこと言っちゃダメでしょう、まったく。


「さて追放された今なら、この国から連れて行っても問題ないですよね」


 先程までと打って変わってご機嫌なシェリーは、バルコニーの方へと俺の手をつかんで引っ張っていく。


「問題あるわよ! 確かにオリビア・ディアレインは追放されたかもしれないわ。でもオリバー・ディアレインは追放されていない。そもそも皇太子に、私を追放する権限はないわ」

「それは詭弁です。幸せになれないのが分かっていても、それでもこの国に残りたいんですか?」


 何も言い返せなかった。この国に残っても、ろくなことにならないのは事実だ。核心を突かれたのを誤魔化すように、俺は話をすり替えた。


「そもそも、シェリー貴方何者なの。会場中の人を眠らせるなんて、魔法でもあるまいし」


 魔法はとうの昔に失われたもの、それがこの世界の常識だ。だから魔法なんてありえない。


「そうなんです、魔法なんですよ。よく分かりましたね」


 あっさりとシェリーは肯定した。


「はあ? シェリーまさか貴方魔法使いなの!? 魔法使いの国は遥か昔に、滅びたはずじゃなかったの」

「いろいろと面倒くさかったので、滅びたことにしたんです。今でもばっちり繁栄してますよ。魔法も現役です」


 信じていた歴史が、あっさりひっくり返った瞬間だった。魔法使いなら国の滅亡を偽装するぐらい朝飯前だと、眠りについた周囲の人たちを見れば納得するしかない。


「それで魔法使いが俺をどこに連れて行くのよ。俺に何をさせる気なのかしら」


 言葉遣いがちぐはぐなことになっているのは、今は置いておこう。長年の癖が抜けなくて、すぐには直せそうにない。


「私の国に行きましょう。それで婿入りしてください」

「一緒に行かなかったら、俺はどうなるのかしら」

「魔法の存在を知られたからには、一緒に来ていただかないとまずいんですよね。来てもらえないのなら、あんなことやこんなことをしないといけなくなるというか。私もできれば、オリバー様にそういうことはしたくないんです」


 それ、確実に身の危険があるやつ。


「ああもう、分かったわ。婚約の件はまだ了承していないけれど、貴方と一緒には行くわ。その代わりせめて、母上に挨拶させて」


 早々に俺は諦めた。皇太子との婚約の時と同じで、大きな流れの前では、俺は無力でしかないのだ。


 バルコニーに出た俺とシェリー。彼女はこれからどうする気なのだろうか。静かに見守っていると、シェリーはよく分からない言語をまた唱え出した。


「■■■、■■■■」


 手から光が発せられる。あふれ出た光は収束し、何かの形を作り始めた。光が収まるとそこに現れたのは、白い翼が生えた大きな黒猫だ。人二人ぐらいなら余裕で乗れる。


「この子は私の幻獣です。ささ乗ってください」


 ドレスで跨るわけにもいかず、二人とも横座りだ。シェリーが前で、俺が後ろに乗った。


「しっかり掴まってください。道案内はお願いしますね」


 掴まれと言われてもどこに? 浮き上がる感触がしたので、慌ててシェリーの腰に手を回した。見た目通りに細い腰回りに、どきりとする。動揺したのを誤魔化すために、シェリーに伝えた。


「母上は今領地にいるはずだから、あの山の方角を目指して。街道沿いに進んで行くのが、一番分かりやすいわ」

「あの山の方ですね、分かりました」


 俺が腰に手を回しているのを気にも留めずに、シェリーは返事をした。良かった、俺の選択は間違っていなかったようだ。


 俺たちを乗せた幻獣は空を駆け、どんどん加速していった。早駆けの馬など目ではない速さで、しかも飛んでいる。無論俺に話す余裕など一切ない。


 そのまま会話も無く、俺とシェリーは俺の実家であるディアレイン公爵家の屋敷に到着した。母上が療養している部屋のバルコニーに下ろしてもらい、シェリーに見守られながら部屋に続くドアをノックした。

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