3.常識は絶対ではない4
「改めましてグローリアス公爵、これからこの屋敷でお世話になりますわ」
「こちらこそシェリーのことをよろしく頼む。グローリアス公爵ではなく、もっと砕けて呼んでくれて構わんよ。家の中まで堅苦しいのはね」
「ではフェルド公爵?」
外れた。
「フェルド様?」
外れた。
「フェルドさん?」
「それで頼む」
よし当たった。
「私は君と仲良くしたいのだ。私も婿でこの家に入ったから、親近感がこう」
そして親近感を覚えたのは俺だけではなかった。
「お父様への用は済みました。では失礼します」
シェリーはさっさと俺を連れて執務室を出て行った。フェルドさんの扱いがなんというか雑だ。
執務室を出たシェリーは、続けて屋敷の中を案内してくれた。魔法使いといえども、屋敷の中は実家の屋敷とそう変わらなかった。
一階の廊下を歩いている時のことだ。
「この先に食堂があります」
俺に食堂を紹介しようとしたシェリーを、使用人の女性が呼び止めた。
「シェリー様、夕食の時間にはまだ早いかと」
「はっ、そういうことですか」
使用人の言葉に、シェリーは何かを察したようだった。
「この先は食堂です。また後で来ましょうね」
シェリーは踵を返して、来た廊下を戻った。共用スペースの案内が終わり、続いてシェリーは個々の部屋を教えてくれた。グローリアス公爵夫妻とアイリスの部屋をさらりと紹介したあと、自分の部屋を教えるシェリーはやたらと気合が入っていた。
「ここが私の部屋です」
「ええ、分かったわ」
「オリバー、いいですか、ここが私の部屋です。ここが、私の、部屋、ですよ!」
「主張が激しすぎるわよ!」
「必ず覚えてもらいたいからです!」
「俺の部屋の隣なら、忘れるわけないじゃないの!」
忘れるような人がいるなら、是非会ってみたいぐらいだ。
「そしてここがオリバーの部屋になる部屋です」
俺の突っ込みを華麗にスルーして、自分の部屋の隣にある扉をシェリーは開けた。
「しばらく使ってなかった部屋ですけど、家具は一通り揃ってます。必要なものがあれば、遠慮なく言ってくださいね。模様替えも好きにして大丈夫です」
部屋の中に入ったシェリーは、窓を開けて俺の方を振り返った。
「これだけ揃っていれば十分よ」
部屋の中にはシェリーが言う通りに、ベッドや机と椅子を含めて一通りの家具が揃っている。ドアを開けたままにして、俺も部屋の中に入った。こういったところから、良識ある行動を心掛けていきたい所存だ。
使っていなかった部屋と言っていた割に、部屋の何処にも埃は見当たらない。俺が壁際に置かれた長椅子に腰かけると、シェリーは隣に座った。
「もう夕方ですね。夜まで時間を潰しましょうか。今日の夜はきっと」
シェリーはにやりと笑った。
「楽しみましょうね、オリバー」
「え、何する気なの」
「秘密です」
シェリーはそれ以上教えてくれず、俺は聞き出すことを諦めた。このまま他愛のない話でもしようとしていた俺だったが、シェリーにその気はなかった。
「したいことは思いつきましたか? ささオリバーがやりたいことを教えてください」
考えるとは確かに言った。でも見つめてくるシェリーに、俺は何も答えられなかった。
「ごめんなさい、何も思いつかないわ」
「それでもいいですよ。時間はたくさんありますから」
急に自由になったって、どうしていいか分からない。俺に望みは何かあるのだろうか? 隣にシェリーがいてくれているのに、ただの自問自答の時間が過ぎて行った。
日が暮れていき部屋の中に明かりが必要な程の暗さになった頃、アイリスの声が聞こえてきた。
「やっと見つけた。ここにいたのね」
アイリスは俺とシェリーを探していたようだ。
「シェリーお姉様、もしかしてここをオリバーお義姉様の部屋にしたの?」
「はい、そうですよ」
「自分の部屋の隣とは、また大胆なことをしたものね。いけない。急がないといけないんだった。あたしは二人を呼びに来たの」
俺とシェリーの手を取ると、アイリスは駆け出した。アイリスが走れば、俺とシェリーも走らないといけなくなる。楽しそうなシェリーに、俺も自然と笑顔になっていた。そのままアイリスに連れて来られたのは、先ほどは入らなかった食堂だ。
「シェリーお姉様とオリバーお義姉様入りまーす!!」
入場アナウンスのようなアイリスの宣言と共に、食堂の扉は開かれた。
照明が点けられた明るい食堂内で、最初に目についたのはたくさんの人だった。食堂内には屋敷中からかき集められたかのような、不揃いなイスとテーブルが並べられていた。そこにつく男女の服装はばらばらで、ある者はメイド服を、ある者は作業着を、ある者はコックコートを着ている。服装から判断して、屋敷中で働いている人々が勢揃いしているようだった。
次に目についたのは、山と積まれた酒樽に、大量の酒瓶だ。人生で初めて見る量のお酒が、そこには用意されていた。
「あたしも午後から頑張って準備したんだから、今日は楽しんでよね」
「あら学園の課題は?」
「ふ、そんなの嘘よ。二人は今日の主役なんだから」
アイリスに背中を押されて、空いている席まで誘導された。すでに席についていたグローリアス公爵夫妻がにこやかに、俺達を迎えてくれた。勧められるままに席に着くと、テーブル上に並べられた酒瓶が目に入った。
俺の推測があっているなら、これから繰り広げられるのは、使用人たちと一丸になっての大宴会。ディアレイン公爵家では、こんなこと決して行っていなかった。俺の中の公爵家という概念がぐらぐらと揺らぐ。
「フェルドさん、これは」
「オリバー君、これがグローリアス公爵家というものだ」
その一言で全てを納得しろということらしい。
「うふふ、私のこともニーナさんと呼んでねぇ」
「あ、はい、分かりましたわ」
ニーナさんは席を立つと、部屋全体を見渡した。
「はぁい、皆の者、準備はいいかしらぁ?」
音頭を取るのはフェルドさんではなく、ニーナさんのようだ。フェルドさんは達観した表情になっている。もしかしてこれから始まるのは、普通の宴会ではないのだろうか?
「はいオリバー君、立ってぇ」
言われるままに立ち上がると、人々の視線が俺に集まった。
「新しくグローリアス公爵家の一員となりましたぁ。オリバー君ですぅ。まだシェリーとは婚約中だけど、細かいことは気にせず、もう一員と言っていいわよねぇ。オリバー君、さあ挨拶をどうぞぉ」
大声を張り上げているわけでもないのに、ニーナさんの声は部屋の隅までしっかり聞こえているようだった。
「拡声役は私に任せてください。■■■」
シェリーの言葉に、やはり魔法だったのかと納得する。俺は一度深呼吸をしてから話し始めた。
「シェリー・グローリアス公爵令嬢の婚約者となりました、オリバー・ディアレインですわ。ラルド帝国より参りました。初めて俺の姿を見た時に、困惑された方も多いでしょう。隠すことなく申し上げますと、俺は祖国で女性として生きることを余儀なくされていましたわ。普通とは到底言い難い環境で、俺は育ちました。加えて皆さまは魔法使いということで、生活習慣や価値観の違いなどもあるかもしれません。ご迷惑をお掛けすることもきっとあるでしょう。不束者ですが、これからよろしくお願いいたしますわ」
俺は深々と頭を下げた。公爵一家には受け入れてもらえても、その他の人たちに俺の存在が受け入れてもらえるのか、俺は不安だった。でもそれは杞憂に終わった。割れんばかりの盛大な歓声と拍手に胸が熱くなる。
顔を上げると泣きそうになった。なんとか涙を我慢して、もう一度礼してから、俺は椅子に座り直した。
「オリバー君もシェリーも十八だから、飲めるわねぇ。アイリスはジュースで我慢よぉ」
「それぐらい分かってるって」
ラルド帝国では十八歳から飲酒が可能だった。亡国でもそれは変わらないらしい。ニーナさん自らの手で、ワイングラスにワインを注いでくれた。そのまま俺に手渡してくれたのだが、グラスにはワインがこぼれる寸前まで注がれている。これは……入れ過ぎでは……?
「シェリーが帰ってきたこと、オリバー君が我が公爵家に来たこと、二人が婚約したこと、諸々祝して、今日は飲むわよぉ。いくぜ野郎どもぉ。せーのぉ」
ニーナさんが話す程に食堂内の熱気は高まっていき、使用人たちの盛り上がりは最高潮に達した。
「「「かんぱーーーい!!」」」
最初の方のことはしっかり覚えている。途中から記憶が曖昧になっていき、俺が最後に覚えているのは、死屍累々の光景。
翌日の俺は、二日酔いでかなり苦しんだ。




