1.婚約破棄は不幸ではない1
序盤は短編版に加筆修正を加えたものです。一部設定変更もあります。
寒さが緩み始めた三月某日、ラルド帝国にある国立学院の卒業パーティーで、事件は起こった。私が見て見ぬふりしていただけで、うすうす嫌な予感はしていたのだ。
約一年前の去年の四月に、ある令嬢が学院に転入してきた。私の婚約者である皇太子殿下は彼女に熱を上げ、私を全く顧みなくなった。彼女が現れるまでは、最低限の婚約者の義務を果たしていたが、それも全くなくなった。
特殊な政略結婚である私と殿下の間に、愛は一切なかったのだ。いやあっても本気で困るのだけれど。無くて嬉しいぐらいだったけれども。愛があるとか想像するだけで、鳥肌が止まらないぐらいだし。
パーティーで私をエスコートする気はないという事前の殿下の宣言、殿下を思わせる黄色のドレスを着た彼女の存在、わざわざ目立つ小高い場所に陣取る殿下、まだ会場内に現れていない陛下と私の父ディアレイン公爵、と最悪の条件が現在揃っていた。
「オリビア・ディアレイン公爵令嬢、この場をもって、私とお前との婚約を破棄させてもらう!」
無駄に響く声で、殿下は私との婚約破棄を高らかに宣言した。
オリビア・ディアレイン公爵令嬢としてなのは、殿下からの慈悲か、それとも何も考えていないのか。まあ何にも考えていないだろう。殿下がちゃんと考えていたなら、こんなことになっていないのだから。
傍らに庇護欲をさそう可愛らしい令嬢を侍らせて、殿下は悦に浸っていた。ピンクゴールドのふわふわとした髪、潤みがちな大きな琥珀色の瞳、ほっそりとした腰に反して大きな胸、私も可愛らしいと思ってしまうような小柄な容姿。遥か遠国からの留学生であり、殿下や私と同じ卒業生である、シェリー・グローリアス男爵令嬢だ。
私と彼女の間には、越えられない壁がある。冷たい印象を与えるまっすぐな銀色の髪、切れ長のきつい目をしていて、胸は詰め物をして誤魔化しているが絶壁で、可愛げのかけらも無く背が高い私。当たり前のことなのだが、私と彼女は正反対なのだ。
私もずっと見ていたくなる程に、大変愛らしいシェリーであるが、現在のシェリーの表情は、可愛らしさとはかけ離れた状態になっていた。不機嫌丸出しだ。普段のマナーや礼儀がしっかりしているシェリーを、ここまでさせるとは。この現状は彼女にとって、よっぽど不本意な状況らしい。
出席者たちは皆見ていないことにしているが、シェリーの目が異常に怖い。大きな目は細められ、完全に殿下を睨みつけている。殿下が婚約破棄を言い出した時点で、おかしい事態なのだが、それに輪をかけておかしい状況だ。何もかもがおかしいと、会場内のほとんどが思っている。悦に浸った殿下だけが、何も気づいていない。
「なぜですか、殿下。理由をお聞かせくださいませ」
殿下の婚約破棄宣言で静まりかえっていたパーティー会場に、少しハスキーな私の声が響いた。ろくでもない理由なのは分かっていても、社交辞令的に理由を尋ねざるを得なかった。
「そんなの決まっている。お前が皇妃に相応しくないからだ」
不機嫌丸出しなシェリーは、ずっとせわしなく動き続けている。肩を抱かれた状態から抜け出したいようだが、殿下はびくともしない。無駄に馬鹿力だからなあ、殿下。
「今からお前の罪を白昼にさらしてやろう。はっ、怖気づいて声も出ないか」
話す必要がないから、話していないだけだ。加えて殿下が言う罪というやつに、私は心当たりがまるでない。何を言われるか分からない以上、余計なことは言わないに限る。
「お前の罪、それは」
無駄に勿体ぶる殿下。話が進まなそうだったので、私は雑に相槌を打った。
「それは?」
「私が愛するシェリーを苛めた事だ!」
「私がシェリーを苛めたことなどありません」
馬鹿め。お前馬鹿じゃねえの、という表情にならないように必死で堪えた。不機嫌を一切隠そうとしないシェリーの表情は、ますますひどいことになっている。
「ちょっ」
「ふ、しらばくれるつもりか。いいだろう。この私自ら、お前の罪を一つ一つ、挙げていってやる。まずお前はシェリーにひどい罵声を浴びせ、何度も泣かせた」
私の所為でシェリーが泣いたことは、たったの一度も無い。シェリーが私の近くで泣いていたというと、なんてひどい奴なのかしらと、涙ぐむシェリーのことを慰めていたことに思い至った。主語を明らかにすると不敬まっしぐらなので、はっきり言うわけにはいかなかったのだ。
シェリーが泣いていたのは、現在進行形でせっせと私に濡れ衣を被せている殿下のせいだ。好意を抱いていない野郎が、しつこく付きまとい、べたべたと身体を触ってきたら、普通の女性にとっては不愉快以外の何物でもない。恐怖を感じることもあるだろう。
「あのっ」
「他にもシェリーは何度も水をかけられ、制服を濡らしていた。ああシェリー、なんて可哀想に」
誰もシェリーに水をかけたことなどない。シェリーが水を被ったのは自分からだ。あんな奴にべたべた触られた制服など着ていられないと、止める間もなく自分から水を浴びに行った。その後の事までは考えていなかったようで、『あ、乾かせないんでした』と困っていたところを、むしろ私が助けた。シェリーが転入してきてから数か月の間は、何度もあった出来事だ。まだ一年経っていないのに、思い出すと懐かしくなる。
「まっ」
「他にもまだあるぞ。シェリーは――」
私がシェリーを苛めていたと、殿下の主張は終わらない。続く。まだ続く。
早く終わってくれ。
殿下の一方的な主張に、卒業生たちは大いに首を傾げていた。私はシェリーを苛めたりはしておらず、むしろシェリーが私に懐いていたというのが、卒業生の間では周知の事実となっている。卒業生からその親族に、ひそひそと真実が伝えられ、時間が経てば経つほど私の味方が増えていく。
刻一刻と不利な状況に追い込まれていることに、殿下は気付いていない。
「だからっ」
「この一年お前とシェリーは共に昼食を食べ、お前はシェリーのことを独り占めしていた。これは許されざる行いだ」
これに関してはどう考えても罪でも何でもないので、会場が少しざわついた。いじめの話は一体どこにいったのか、もはやただの『殿下プレゼンツ俺の嫉妬した話』だ。卒業パーティーの出席者達から見れば、女生徒同士の楽しいランチタイムに、嫉妬する束縛男。要するにただのやばい奴。
ちなみに私と一緒に食べたいというのは、シェリーの希望だったので、私は完全に無実だ。それとも、殿下のために断われとでも言いたいのだろうか。私がそんなことするわけなかろうが、馬鹿め。
私が思うに殿下の根底には、シェリーが私に奪われるのではという不安がある。私と殿下の事情を知っている人ならば、同じ考えになっても不思議ではないが、ここにそんな人はいない。
先程から殿下はシェリーをしきりに可哀想がっているが、可哀想なことになっているのはむしろ殿下のせいだ。殿下の話にシェリーはずっと口を挟もうとしているが、殿下の独り舞台には立ちうちできずにいる。シェリーだって言いたいことがあるだろうに。
「シェリーと出会って、私は真実の愛を見つけ生まれ変わったのだ!! そんなシェリーに嫉妬しお前が行った行為には、目に余るものがある」
こいつ、もげればいいのに。
「っち」
……今絶対シェリーが舌打ちした。気付けよ殿下、お前の耳は飾りか。
殿下の独り舞台はまだ続く。ここまで殿下の側近候補たちがその姿を見せていないことから、今回の件には心底関わりたくないのだと容易に推測できた。賢い人たちに囲まれておきながら、殿下は女性がからむと何故こうも馬鹿になるのか。
「これまでの罪状を踏まえて、オリビア・ディアレインを国外追放に処する!」
「その処罰は、陛下や我が父も了承しているのでしょうか」
「そんなもの必要ない! 皇太子である私が決めたのだぞ」
女性が関わると無能になるという駄目なところは、陛下からばっちり引き継がれている。陛下の心配は杞憂ではなく、現実のものとなった。どちらにしろ結果として、こうしてやらかすことになるのなら、私を巻き込まないで欲しかった。皇帝家の中で勝手にやっていて欲しかった。巻き込まれなければ、今頃私は。
続けて殿下はより一層声を張り上げて、とんでもないことを言い出した。
「そして私はこの場で、私とシェリーの婚」
それ以上は言わせてもらえず、ようやく殿下の独り舞台、完。




