9:10 年末
聖なる夜が幕を閉じれば、特に変わらぬ平日の時間経過はあっという間のこと。ノアとルナが最後にその年を締めくくるために足を運んでいた場所は、
「何か、懐かしいよね~」
建っていたことさえ忘れてしまうほど寂しげな校舎の前だった。
「あー…そういえば生徒が減ってから、あまり利用しなくなったからな」
「ちょっとだけ中を覗いてみる~?」
「そうだな。そうするか」
二人は誘われるように、昇降口から校舎内へと足を踏み入れる。相も変わらず新品同様の綺麗な床に、染みの一つさえない白い壁。とてもじゃないが、この場所で死闘が繰り広げられていたとは思えない。
「入学してきた頃はさ~? みーんな殺気立ってたよね~」
「ここは殺し合いをするための孤島なんだ。殺気を奮い立たせなきゃ殺られるとでも全員思ってたんだろう」
ネームプレート・Z~Sクラス・ジュエルペイ…。体育館で様々な説明をゼルチュから聞いた生徒たちは、教室に入るなり見ず知らずの周囲の生徒に向けて"敵"を見るような視線を送っていた。あの温厚な"ブライト"や"ヘイズ"でさえも。
「その後が個人的に面白かったと思うなぁ~」
「面白かった?」
「ほら~、ウィッチ先生から殺し合い週間の話を聞いたみんなの反応だよ~」
ゼルチュが殺し合い週間について始業式で説明し忘れていたことで、生徒たちは皆が皆、すぐに殺し合いを始めなければならないと思い込んでいたのだ。
「確かにあの瞬間だけ、その辺の学校と変わらない教室の雰囲気に戻ってたかもな」
それに対しての不安を抱えていた生徒たち。ウィッチの口から"殺し合い週間"という期間で殺し合うことを説明され、ほぼ全員が同時に安堵し、殺気を引っ込めるという気が緩んだ瞬間を彼らは見せた。
「なんか可愛らしい若さを感じるよね~」
「あれが若気の至りだ」
どうやらルナにとってそれが面白かったようで「ふふっ」と思い出し笑いをしている。
「あ、でもでも、けっこー私たちも若くない~?」
「それは見た目だけだろ。実際は百年以上生きてきたんだ。俺はクソジジイでお前はクソババアだよ」
「草」
そんな他愛もない昔話をしていれば、ノアとルナは無意識のうちにZクラスの教室へと入室してしまう。
「最初にあそこまで俺たちの元に人が集まったのも、ブライトやお前が呼びかけてくれたおかげだな」
「そうだね~。後はティアが積極的に意見を述べて、参加してくれたからじゃない~?」
「それもあるな」
「最初の殺し合い週間も楽ちんだったしね~。全然苦戦しなかったもん~」
第一殺し合い週間。それを乗り切るためにノアが考えた作戦は、Sクラスの階にある空き教室で身を潜めてやり過ごすというもの。
「あれは第一回目だったからこそ、上手くいった作戦だ。どんな敵がいて、どんな戦法があるのか。それがまだ定まらないうちは、臆病な戦い方が利口だからな」
自身の命が懸かっている以上、自分よりも強い者たちへと戦いを挑む馬鹿などはいない。必ず自分よりも下のクラスへと奇襲を仕掛ける…という心理を利用し、最上階にあるSクラスの階で待機するという安全策。
「けどノアは、レインのことですぐ飛び出しちゃったけどね~」
「考えてもみろ。レインは俺の恋人のレプリカだ。記憶を失っていても放っておけないのは当たり前だろう」
この時、ノアたちにレインは付いてこなかった。Zクラスの教室前で、Cクラスのフリーズたちを相手に奮闘していたのだ。
「私と"この殺し合い週間では戦わない"って約束したのに『俺ツエー』を皆に見せつけちゃうんだもん~!」
「長期間による戦いで手の内を晒すことが、どれだけ愚かなことかお前になら分かるはずだ。見せつけたくて見せつけたわけじゃない」
「体術で圧倒すればよかったんだよ~! あーあ、私も颯爽と現れて「何だあの強さは!?」みたいな反応貰いたかったな~」
そう口先を尖らせる彼女にノアは、
「お前は本当に"色々と"貧しいな」
と意味ありげな苦言を呈する。
「ん~? その貧しいって単語は"どこの"話をしてるのかな~?」
「何の話をしているのか理解が及ばないが、"貧乳"を気にするのはあまり良くな――」
「阿修羅ァ!!」
ノアがそれを言い終える前にルナは左拳を彼の背中に叩きつけ、教室のロッカーまで吹き飛ばす。
「あぁ、そういえば、このロッカーもまさかあそこまで上手く使えるとは思わなかったな」
「…これってノアが発見したんだっけ~?」
「ああ、この一階の地図を見てな」
左手でロッカーを軽く叩きつつ、右手首に付けたジュエルペイに校舎一階の地図を映し出して、ルナへと見せた。
「もっと警戒すれば良かったのにね~」
「ブレイズやフリーズは自分の力に絶対的な自信があったんだ。俺から言わせてもらえば、その自信が警戒を怠った原因だったと思うよ」
Zクラスの教室へと続く廊下に偽物の壁をB型のメンバーで創り出し、その隣にある空き教室へとCクラスを誘導する作戦。上手く引っ掛かるように、何十体ものマネキンを中へと配置し、ロッカーの中からわざと廊下へ聞こえるような小さな喋り声を流した。
「よく言うよね~? 大事な時に眠ってたくせしてさ~」
「こっちだって寝たくて寝ていたわけじゃない。すべての原因は転生の影響で、肉体と魂の波長が合っていなかったせいだ」
マラソン選手の魂が一般人の肉体へと転生をすれば、限界を見誤りまだいけると走り続けることと一緒のこと。ノアは精神的に良好な状態だと自負していても、肉体がそれに付いていけているのかどうかは分からない。
「ノアと一夜漬けのレッスンをしてたおかげかな~? レインはフリーズに圧勝してたからね~」
「レインを鍛えるために費やした時間は測り知れないが…一夜漬けはしていない」
ノアはロッカーの前から窓際へと移動し、外の景色を眺めながらそれを否定する。
「それに、すべてが上手くいったとは言えないな。モニカたちがBクラスのワイルドに殺されたんだから」
「…私とノアが眠っている間に、ね」
未だに散らばる肉片とステラの泣き顔がノアの脳裏にこびりついていた。思い出せば思い出すほど、どうにか助けられたのではないかと考えてしまう。
「Bクラス。俺たちにとってアイツらが第一の壁だったな」
「それは同感だよ~。私とノアはともかく、レインたちとの実力差は雲泥の差だったし~」
凶器の"Fool"・陰気臭い"Necro"・馬鹿っぽい"Dyrann"・人を喰らう"Wild"。この四人を率いていた人物、それが"Desire"だ。
「ブレイズとフリーズに想いを託されていなかったら、レインたちもあそこまで強くなれなかった」
「あの二人こそが、才能を持った唯一の"一般人"だったね」
「…俺もその意見に同感だ」
Noel Projectの件も含めて様々な情報を知った今だからこそ、そう強く確信できる。Sクラスの生徒は何千年も前にノアとルナの仲間だった者たちの"クローン"。Aクラスのローザは四色の蓮。Bクラスの生徒たちも性格からして、通るべき道を通って来なかったことが窺える。
「それで何とかみんなを鍛え上げて~…Bクラスを倒し――」
「待て。Bクラスの前に、七代目たちのことがあるだろう」
「…私はあんまりあの事は思い出したくないかな~」
七代目救世主である小泉翔と、七代目教皇である妲己。この二人がエデンの園へと赴いて、生徒たちに知識や技量を教えるという特別授業が夏休み期間にあった。
「あの二人も、死んじゃったしね」
「エデンの園を襲撃し、俺たちを殺すこの方法でしか助けられない…と小泉は言っていた。あの発言がDrop ProjectやNoel Projectに関連するのかどうか…」
「~♪」
考え込んでいるノアを他所に、ルナは自身の髪に付けられた髪飾りを何やら嬉しそうに触る。
「…何かいいことでもあったのか?」
「別に~?」
ノアはルナがストリアとの戦いで、薬の効果によって消された記憶を取り戻したことを知らない。そもそもルナがそれを自身の口から語ろうとはしなかった。彼女はそれを自分だけの記憶として、心の中に封じ込めておくことにしたのだ。
「呑気でいられるお前が羨ましいよ」
「羨ましいなら私と不倫する?」
「どうしてそんな考えになったのかは知らんが、お前とは絶対にお断りだよ」
ルナは媚態を呈するのだが、彼はそれを「滑稽だ」と言わんばかりに鼻で嘲笑う。
「どうせもう今年も終わっちゃうし、前から気になっていたこと…聞いてもいい?」
「あぁ、どうせ今年も終わるから答えてやるよ」
彼女は大きく深呼吸すると、ノアの顔を見上げながらも側まで詰め寄り、
「ノアって、○○○したことある経験者?」
至って真面目な顔でそう尋ねてきた。
「俺の記憶だと、高校生の頃にしたことがある」
「高校生の頃に…!?」
「あぁでも、正しくは今の俺ではなく雫が創り出した"雨空霰"だ」
ルナは彼が何を言っているのか理解できず、小首を傾げる。
「要は雨氷雫が描いた理想の世界で、雨氷雫にとって理想の雨空霰が行った…という話だよ」
「あれっ? でもそれってノアが経験したわけじゃ――」
「記憶は本物の俺に引き継がれている。だから経験した記憶がある以上は、俺の言い分は間違っていないだろう」
淡々と説明するノアに、ルナは「そっかぁ…」と何やら残念そうに呟いた。
「お前も経験したことあるのか?」
「え、私?」
「俺は答えた。それならお前も答えなきゃ平等じゃないだろ」
特に躊躇する様子もなくノアは質問を返す。まさか今度は自分が尋ねられるとは思いもよらなかったルナは、
「も、もっち~! 私はもう男子からモテまくったからね~!!」
動揺しながらも胸を張ってそう答えた。
「それもそうか。百年以上も生きていて経験無しの方がおかしいしな」
「そ、そうでしょ~? これでもし経験無しだったら、どれだけ男性と縁がないのって感じだし~!」
彼はジト目でルナへ視線を送る。
どう捉えても見栄を張っているようにしか見えない。
「ちなみに村正は経験済みらしいぞ」
「エ"ッ!?」
ノアが家族同士で彼女が同棲していた月影村正の話題を出せば、ルナは変な声を上げて目を丸くする。
「…? 相手はお前じゃないのか?」
「ち、違うよ!」
「そうなのか。あいつは自分から行かないタイプだから、俺は一番距離の近かったお前なのかと思ったんだが…」
「そ、そりゃあ私だってワンチャンあるかなーって思ったよ! 血も繋がっていないし、結構仲良かったし、幼い頃は一緒にお風呂だって入ったし…!」
突然暴れるように次々と喋り出した彼女の反応を見て、「ル、ルナ?」と頬を引きつりながらノアは小さな声で呼びかけた。
「でもあの子全然そういう目で私のこと見てくれないもん…! 見た目が不良みたいだから私ぐらいしか異性の友達もいないのに、全然性欲を曝け出さない!」
「あ、あの…ルナさん?」
「こういう関係性から発展するのはよくあるでしょ!? "初めて"はワンチャンあの子だなって狙ってたのに、結局何も起きないまま私は家を飛び出しちゃって――」
そう言いかけたところで、ルナは失言をしてしまったと口を閉ざす。
「その関係性から発展するって、どういう本を読んでいたんだお前は」
「えっ、えっとね~?」
「"初めての相手"として身近にいる村正を狙っていたのか。しかも言動からするにお前は今まで経験したことなさそうだし」
そしてノアは、畳み掛けるように次々と追及する個所をルナへと述べていく。
「色々と言い間違えちゃっててね~。ほら、○○○するときって○○して○○○○――」
「…あのさ」
「え、どうかした?」
「それ全部ネットで得た知識だろ」
その瞬間、時計の針が零時を指す。二人の年明けはとても味気なく、とても下らない話によって迎えられることになった。




