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いくじなしで自惚れた、少し頭のいい受験生

作者: さよなら

 これは、自叙伝である。しかもただの自叙伝ではなく、懺悔のためのものと言おうか、救いを請うものと言おうか。とにかく、これを読んでくださったあなたからは、なんらかの意見が欲しいのである。意見は、作者Twitterまでお願いしたい。

 まずは、私の紹介をさせてもらおう。私は進学校の高校三年生、すなわち受験生である。第一志望は東京大学理科一類。執筆している日は、前日にハロウィンがちょうど終わった、2019年の11月である。

 私は今、ある大きな悩みを抱えている。それが、「受験勉強をしたくない、する気が起きない」という、あと4ヶ月と少しで東大を受ける身としてはありえない悩みである。なぜこの悩みが生まれ、なぜ抜け出せないのか、その説明のためにこの自叙伝の全てをさく。



 時間は、今年の3月の終わりまで遡る。多くの受験生が第一志望をなんとなく決定する、まさにその時期であった。私も例に漏れず、第一志望の大学を決めなければならなかった。私は学校でもトップクラスの成績だった上、ちょうどその時塾に通い始め、あろうことかその塾は「東大〇〇塾」であったから、なんとなく第一志望は東大になった。特に東大でなければできないような志もなく、ただ「日本で一番だから」程度の理由だった。今思えば、ここにも自分の学力への慢心があったのだろう。

 それから私は、真面目に勉強をした。本気かと言われればそうではないが、並に勉強していたと思う。塾にも通い続けた。このまま今までやってこれていて、かつこれから本番まで続けられていれば、東大合格を掴み取っていた可能性は十分にある。

 この受験生として正しい姿勢が初めてほころんだのが、8月に受けた東大模試のときである。東京大学や京都大学、東京工業大学などのトップ校には、その名前を冠した模試が存在する。それらは各大学の二次試験の難易度に合わせて作られていて、東大模試はとても難しい。私は実際、三つの予備校の東大模試を受けた。その三つのうち最初の東大模試の日、私は自分の実力でどのくらい太刀打ちできるのか、ドキドキしていた。そして試験時間初めの合図がなり、問題冊子を開き、問題を解き始めたそのとき、何かが、音もなくほころび始めたように思う。

 私は東大模試を終え、帰宅した。「確かに難問だったけど、まあ東大だしな。そんなに簡単に解けたらみんな合格しちゃうもんな」というのが、最初の模試の感想である。そう、このとき私は、受験生としての何かがほころんだことに気づいていなかったのである。だが、そんな悠長な私を一つの異変が襲う。その日から勉強のやる気が全く出なくなったのである。それまでは何となく、そして苦ではあるが受け入れられる苦の強度とともに、一日の多くを勉強をして過ごすことができた。それなのに、模試を受けたその日は全く勉強に手がつかなかった上、その後の一週間も集中して勉強しているとは程遠い日々が続いた。だが、悠長な私はこの異常事態を「難しい模試と闘ったせいで一時的に燃え尽きちゃったかなあ」としか捉えず、深刻にならずにいた。

 最初の模試の一週間後、次の東大模試があった。試験開始の合図があり、問題冊子を開き、問題を見た。その瞬間、私は人生で初めての感覚を、初めて自覚する。この感覚は、最初の模試にすでに潜んでいたはずなのにもかかわらず、である。

 「全然解けない」

 脳を駆け巡ったこの初めての感覚を、今でも忘れることはない。この表現は主観的なものであって、一般には語弊を含むので補足説明をさせていただく。冒頭にもある通り私はそこそこ頭が良いので、普通の模試や定期テストでは、たいていの問題を解くことができていた。だから、より客観的に言うならば、「半分以上解けない」の方が正しい。

 無論、「全然解けない」問題がそれ以前になかったわけではない。しかし、あったとしてもそれは「前提知識がないから解けるはずがない問題」たちであった。私は東大模試までに高校の範囲は一通り履修済みであった上、発展問題の演習も少なからずしていたので、東大模試の問題は「前提知識があって解けるはずなのに解けない問題」として私の前に立ちはだかった。

 言い忘れていたが、私は中学校では帰宅部、高校ではゆるい文化部に所属していた上、学校外のクラブや習い事などもほとんどしたことがないので、試合や発表会で真剣勝負をしたことがない。だから、私は「全く解けない」感覚はおろか「挫折」というものを味わう機会がなかったように思える(本当に味わったことがないかはわからないが)。「全く解けない」感覚をここまで悪魔たらしめたのは、それが未曽有の「挫折」であったからだろう。

 さて、なぜ私が最初の模試で「挫折」の感覚を自覚しなかったか。それは恐らく最初の模試の時点では、この感覚を自覚するための思考回路の途中に「難しい問題を解いてやろう」というやる気が挟まり、邪魔をしていたから、自覚するまでには至らなかったのだろう。だが、最初の模試から一週間、最初の模試での自分を無意識のうちに反芻していた私はそのやる気をどんどん失い、挟まっていたやる気は綺麗に外れてしまったようである。その結果、「全く解けない」という「挫折」の感覚を明確に自覚したのである。

 その後三つ目の模試も受けたが、今思い返せるのは「挫折」の感覚だけである。



 夏の東大模試ラッシュを過ぎ、多くの受験生が本気で勉強をしているであろう8月下旬から9月。私は、最初の模試の直後のやる気のなさを、だんだんと悪化させるような形で、引きずっていた。なぜこんなに長引くのか、今でもわからない。「挫折」とは、そんなに大きなものなのだろうか。

 この時期、私の学習態度はゆっくり悪化する一方であったが、もう一つ、大きな変化があった。それが「志望する学科の変更」である。これも思えば、この「挫折」と何か関係があったのかもしれない。

 この時期以前までは、私の志望学科は物理学科一択であった。他のことなど考えもしなかった。私は昔から宇宙論や量子論に魅せられてきたので、それらに関わることに疑問が一切なかったのである。しかしこの時期、私は急に志望学科を情報系に変更した。

 なぜこんなことをしたのかーーその理由は、この時期に起きた急激な価値観の変化である。

 私は4月から、塾で国語の授業を受けていた。東大は理系であっても二次試験に国語を課すのにもかかわらず、私の国語の学力が至らなかったからだ。しかし思うように現代文の授業内容は入って来ず、私はなんとかしようと夏休み中ある参考書を読んだ。そして、その参考書が見事的中し、現代文の内容が入ってくるようになってきていた。この状態で国語の授業を受けていると、かなり授業内容が頭に入り、理解されるようなってきた。すると、授業を通してあまたの価値観が改変されていく中、ほとんどの授業の根底にあるものが、私にはこう響いた。

「全ては没価値、本質はない」

 この意味は「この世のすべてに、内在するような普遍的な価値や性質はない」ということである。これが私の価値観に深く入り込んだときに、物理学科から情報系に変更する転機が来たと思う。以下は、これを前提とした私の考えである。

 「物理学をやっていると、この世の真理をどんどんと解明している気になる。しかし、それは実は違う。物理学は真理などではなく、ただ『現象をうまく理論で表したもの』なのである。だから、理論は真理とは違うかもしれない。けれど、実験的に成り立つので、理論は現象を説明して予測するには十二分なわけである」から、私は物理現象を理論化するととても興奮するタチだが、これは真理の追求という意味では、なんの意味ももたらさない。さらに、この世に真理もクソもないなら、宇宙論や量子論なんか特にやったって意味がないじゃないか。真理が意味をなさないなら、自分たちへの実利を考えるしかない。とすると、宇宙論や量子論は現実への寄与度もあまりに小さいから、ほとんど意味がない。卑近な例をあげれば、20億光年先の星が300個だろうと4万個だろうと我々の生活には全く関係がないし、素粒子が20個だろうと500個だろうと、我々がここに生きている限り「何個かの素粒子か何か」が生活を支えているわけで、それでなんの問題があるのか。

 私は、この時期から物理学をこのように捉えている。今でも物理法則に感情的に興奮してしまうのは抜けていないが、理性的には非常に冷めているのである。だから、実利に結び付きやすい情報系に転向した。プログラミングを習えば、どこでも役に立つのは目に見えている。

 この志望の転向と勉強のやる気のなさの因果は分からないが、何か関係がある気がしてならないのだ。



 その後、どんどん勉強をしなくなりながら10月になった。ここでさらなる価値観の変化が訪れる。それは「嫌いな現代社会の部品になってたまるか」という信条の芽生えである。

 まず、現代社会が嫌いな理由を話そう。私は人間が理性と感性の両方に挟まれて生きているという美しさに魅了されたせいか、人間というものが大好きである。しかし、現代社会は人間を幸せにしない。最近多いブラック企業での自殺が好例である。私が大好きな人間を苦しめる現代社会が嫌いになったのである。

 次に、私が言うところの「現代社会の部品」とは、いわゆる普通のサラリーマンや作業員などのことである。誰でも代われる仕事をやらされている人たちのことである。私は、前述したように現代社会が嫌いだから、その一部として現代社会に貢献するのがとてもとても嫌なのだ。受験勉強とはみんなをひとつの解答に導こうとするという点で、子どもを部品化するものに他ならないので、私は受験勉強をやりたくはない。

 ここで、少し私の趣味嗜好について話さなければならない。私は幼い頃から絵をよく描き、中学校からはいわゆる二次元イラストをよく描いた。といっても何ヶ月もほとんど描いてない時期は多々あったのだが。参考程度に、挿絵としてつい最近描いたものをあげておく。アニメも中学校から見ていたが、漫画などの原作は読まないオタクであった。しかし、これが今私が最も後悔していることだが、高二の終わりくらいにやっと漫画も買って読み始めたのである。このことにより漫画の素晴らしさに気づき、高三の最初ごろに漫画家になりたいと思ってしまったのである。このときは受験勉強も真面目にやっていたから、そんなに強く漫画家になりたいとは思わなかったのだが、10月に入ると、そうとも言えなくなってきた。

 分かる人は分かったと思うが、漫画家はこの部品にはなり得ないのである。なぜなら、誰でも代われるわけがないからである。ある漫画家の描く作品は、その漫画家だけのインスピレーションに支えられた、その漫画家だけにしか描けないもので、代わりは効きようがない。だから、漫画家という職業は最近私をより強く魅了している。さらに、私は現実を忘れられるような漫画を描くと決めているので、漫画家になれば、現代社会に寄与しないどころか私の大好きな人たちが現代社会から逃れる手助けができるのである。私にとって、こんなに素晴らしいことはない。

 ただ、私は漫画をほとんど描いたことがない上、ましてコンテストに出稿などしたこともない。「漫画家になれなかったら死んでやろう」くらいには思っているのだが、かといって受験を今すぐ辞めるほどの勇気もない。



 以上を、自叙伝とさせていただく。漫画家になりたいのは本当だが、不確実すぎるし、これらの構想はすべて「東大模試の問題が解けない」から始まっていることを考えると、すべて闘いから逃げるためのいくじなしな私の屁理屈な気もするのだ。かといって勉強のやる気が本当に毛ほども出ないので困っている。

親や先生にも相談する勇気がなく、このようになろうに投稿した次第です。アドバイスお待ちしております。ありがとうございました。

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