第7話(ぼくの謀略)
やがて、季節は冬に突入した。
文化祭で開催されたミスコンテストには、見事、結花がグランプリに選ばれた。
ぼくは、グランプリの恋人ということで、周りからずいぶん冷やかされたり、羨ましがられたり、妬まれたりした。
しかも、結花は文化委員が言ったとおり、雑誌社から取材の申し込みが入り、グラビアアイドルの仕事をしてみないかという正式なスカウトを受けていた。しかしそれには、結花の両親が難色を示し、一時保留となっていた。
「アイドルになりたい?」とある日、ぼくは結花に聞いてみた。
「そうだなぁ。憧れもあるけど…。でも、ああいうお仕事始めたら、恋愛出来ないんでしょ?」
「かも知れないね」
「わたし、そんなの嫌だし」
結花は、ぼくににっこりと笑いかけた。
でも、その言葉とその笑みは、ほんとうにぼくに向けられて発信されているのだろうか?
ぼくはこの頃、結花に対して、素直に向き合えずにいる自分に気がついていた。
和尚は和尚で、こころここにあらずといった感じだった。
「おまえ、最近、冷たくないか?」
ぼくは、教室の古い電気ストーブで手を温めながら言った。
「そうか?悪いな」
和尚は、机の上に何冊かの分厚い本をひろげて、熱心になにか英語を書いていた。
「悪くはないけど。なんかぼくに隠し事してない?」
「してるよ」と和尚はあっさり言った。
「なに?聞き捨てならないな」
「進路のこと」
「え??」
「もう1年も終わりだからな。来年からは本格的に勉強しないと」
「…っておい。おまえ、東大行くんじゃないの?」
「行かない」
「なに?」
「ハーバードにしようかと思ってる」
「はぁああ??」
「世界で最高のランクだと思う」
そのあと、付け足しのように、「おれの母親の母校でもあるんだよ」と和尚は言った。
「――さあ、これで隠し事はないよ」
ぼくの呆気に取られた表情をよそに、和尚は本の山々を片づけ始めた。
「かえろっか。ラーメンでも食う?」
(こいつは、自分の気持ちを隠し通す気だ)とぼくは思った。
だが、それは和尚の試合放棄のサインでもあった。
和尚がアメリカに進学するとすれば、たとえ二人が惹かれあっていても、いずれすぐに離ればなれになる。
彼の性格からみて、ぼくは彼が、そんな実りのない恋を育てるとは考えられなかった。
おそらく、一時的に結花に気を取られたとしても、すぐに体勢を立て直して、何食わぬ顔で学年トップを歩き、ひたすら前を目指していく――実際彼は、そんな男だった。
だから、ぼくは、いま、結花と和尚のあいだに芽生えかけている恋を、どうしても摘み取らなければならないと思った。
「おい、いつかの話だけど」
ぼくは和尚に交渉を持ちかけた。
「なんだ?」
豚骨ラーメンの熱いのをずるずるいわせながら、和尚が生返事した。
「おまえんち、ぼくと結花とのデートのとき使わせてくれるって話、あったじゃない。あれ、まだ有効?」
「――ああ。やっとその気になったか。いつだ?」
「まだわからないけど、近いうち」
「いいよ」
和尚はよどみなく言って、自分の離れのカギをくれた。
「マスターキー持ってるから。落とすなよ」
あまりのあっけなさに、ぼくは拍子抜けした。
◇◇◇
ぼくは、この際、一気に結花を自分のものにしようと決心していた。問題は、結花をどう呼び出すかだった。
考えたあげく、ぼくは、和尚と一緒に3人で試験勉強しようという話を、彼女に持ちかけた。
「あいつ、なんでも教えてくれるぜ。あたま無茶苦茶いいから」
「…そうなの?和尚の勉強の邪魔にならないかな」
「いいの。ミスグランプリには、誰にでも無条件で勉強教えますって、学級委員に誓わされてたんだから」
大嘘もいいところだった。だが、結花はそれで納得した様子だった。ぼくは、和尚にすまん、とこころのなかで手を合わせた。
決行日は、からりと晴れた暖かい冬の日だった。
でもぼくは、冬のプールから上がってきたばかりの間抜けな犬みたいにブルブル震えて、ものすごく緊張していた。
「え?和尚、いないの?」
結花は、部屋の座布団の上に座ったまま、愕然としていた。
「うん。なんか急用で、外に出たらしい。帰ってくるの、夕方になるから勝手にしててくれってさ」
ぼくは、ケータイをぱちんと閉じた。すべて、予定通りだ。
「そんなぁ。じゃあ、来た意味ないじゃない」
「そんなこと言わないでよ。ぼくだって、きみを教えることくらい出来ますよ」
「でも。和尚が教えてくれるからって来たのに」
「二人で一緒に勉強するのもいいんじゃない?」
「…なんだか変。翔ちゃん、和尚になにか言ったの?」
結花の顔つきが、急に険しくなった。
「なにも言うわけないでしょ」
「じゃ、どうして?和尚は、約束を破ったりする人じゃないと思う」
「ちょっと」
結花のあまりのしつこさに、ぼくは少し腹が立ってきた。
「きみの彼氏は、誰なの?」
「…え?…」
「ぼくのはずじゃ、なかったの?」
「どうして?翔ちゃん…そんなこと」
「結花、きみね。最近、ぼくのこと避けてるでしょ」
「そんなことないよ…、」
「じゃなんで?手を握るのもキスするのも駄目なの??」
「翔ちゃん、優しくない」
「ぼくだってね、男なのよ?」
ぼくは、結花に強引に口づけた。
結花が、こわい、と泣き始めた。その美しい大きな瞳をにじませて。
でも、この艶やかな彼女をつくったのは、ぼくじゃないんだ。――
「和尚!」
結花の声を聞いたとき、ぼくははっと息を止めた。そして、彼女の身体から離れた。
結花は、ずっと泣いていた。
ぼくは…、敗北感でいっぱいだった。
「和尚はね…。ほんとは、ミスグランプリの女の子なら、誰とでも付き合うって言った男だよ」
「…………」
「それからね。そのうちアメリカへ行っちゃう男だよ」
「……っえっ?」
ぼくがそれだけ言って、離れの部屋を出ると、門のあたりで、和尚がばつの悪そうな顔をして立っていた。
ぼくは、下を向いて、彼のそばを無言で通り過ぎた。
やつに、ぬかりはない。ちゃんと、結花が傷つかないように見張っていたのだ。