第5話(結花の変化)
海から戻ると、夏休みが待っていた。
ぼくと結花は、あちこちデートした。それこそ、近所の盆踊りから水族館なんかまで。
「ねぇ、この頃、あんまり手をつながないね」
ある日、ぼくは街の雑踏のなかで結花に言った。
「え?そうかなぁ?…翔ちゃんの思い過ごしだよ」
「じゃ、つなごうよ」
ぼくらは、いつものように手をつないだが、どことなくぼくは、ぎこちなさを覚えた。
まるで、結花は、その手にのみ神経を集中して、身体をこわばらせているようだった。
こんなことは、いままでなかった。
ぼくはそっと結花を盗み見た。彼女は、最近、見違えるほど美しくなっていた。
まえから美少女だと周りから言われてきたけれど、いまは幼さがぬけて、一片のもろさを秘めた思春期の美しい女性になっていた。
もう、結花は、すべり台から降りて、ジーンズを汚したりしない。
ぼくは、彼女の内部で、なにか変化が起こったのを悟った。
ぼくは、ふと和尚の存在を思い出した。結花は和尚のことを「怖い」と言った。
でも、それはたんに、彼女がいままで成熟した大きな男性の身体を意識したことがなかったからじゃないのか?
ぼくは、自分の発想に、ぎょっとした。
そうだとすれば、ぼくはいままで結花に、男として見られてなかったということになるじゃないか。
こんな大事なことを、ぼくはずっと放置しておくわけにはいかなかった。
駅の改札を出たとき、ぼくはふとした瞬間を盗んで、結花にキスしようとした。
でも、彼女はぼくの動作をすっとかわして、何気ない調子で歩き続けた。
――決定だ――、
ぼくは予期せず、自分の勘が当たったことに、がくぜんとした。
結花は、和尚に恋をし始めている。
間違いない。
◇◇◇
「おい、どうした?」
和尚の長い脚に蹴られて、ぼくははっとした。
ホームルームの時間だった。ぼくは、議長から、名指しで意見を求められていた。
「はいっ…」
ぼくは、あわてて返事した。周りが、どっと騒ぐ。
「え?なにこれ」
「聞いてなかったの、翔?文化祭でやる題目だよ」
「なに?」
「おまえ、いま、ミスコンに賛成したの。あんまり決まらないから、次のやつの意見にみんな従おうってことになってたんだよ」
「えー?!ぼく、やだよ。ミスコンなんて」
「でももう決まりだな。ほかのやつらも、さっさと面倒はすませたいのさ」
あっという間にホームルームは終了して、各自解散となっていた。中間テストが近いので、ほとんどが帰宅の準備をしている。
ざわざわと人の声と足音が混ざる教室で、和尚だけは身動きもせず、じっとぼくを見ていた。
彼の視線ビームはX線仕様で、人がびっくりするほど的確に、物事の骨格をとらえることが出来た。
「なにを悩んでる?」と和尚が口を開いた。
「ぼくが?いつものことだよ。これでも、青春の1ページを読んでる男のコなんだから」
「2ページ目をめくってみると、そこになにかが書いてあったというわけか」
ぼくは、和尚をちらっと見た。
それが和尚、おまえへのライバル意識だなんて、ぼくに言えるわけないだろう。
「和尚。それより、ミスコンだぜ?あらゆる美女が集まってくる。おまえにどれかいいのを、ぼくがあてがってやるよ」
「おれはいいよ。自分で選ぶ」
「ほう」
「もしかしたら、優勝した子に無条件でアプローチかけるかも知れない」
「えっ?!恋愛感情なしで??」
「もちろん、なしで」
「おまえらしくないな、和尚」
「じつにおれらしいと思うけどな」
和尚は、淡々とした口調で語った。
「おれはね、おまえみたいにこころの暖かい人間じゃないんだ」
「信じられないな」
「おまえのことが、ときどき羨ましいよ」
「なら、そんな変な告白するなよ」
和尚はそのとき、自分を少し哀れむかのように言った。
「おれもね、年相応の経験値は積んでおきたいの。ほんとうの恋愛をしたときのためにね」
ほんとうの恋愛――。その予感のする相手は、和尚、おまえにとって誰なんだ?
ぼくは、海へ行ったときの、和尚の奇妙なはしゃぎぶりを思い出した。あれ以来、彼のあんな姿はまだ見ていない。
ぼくは、ぼくなりのレーザービームを、和尚に向けて発射した。
「このまえの愛子ちゃんって、どうなのよ。和尚、やたらと気が合ってたじゃん」
「ああ。あいつか。面白いな、彼女」
「彼女にはアプローチしないの?」
「するわけないだろ。あいつ、こころは男だよ」
「なに」
「夏休みは男連中とツーリングだってさ。彼女が欲しいのは男友だちだよ。ぼくはその一人に認定された」
「そうなのか…」
少なからず、ぼくは落胆した。
愛子は、和尚の恋愛対象になり得なかったのだ。――