第4話(7月の海へ)
「ねぇ翔ちゃん。翔ちゃんの高校の文化祭、招待して?」
7月のなかば、結花がこんなことを言ってきた。
「もちろん、そのつもりだけど、どうして?」
「愛子が友だち募集中なの。うちは女子高でしょ。それでけっこういろいろと大変なの」
「ははぁ。彼氏探しか。うちの高校、いいのいないぞ?」
「でも、和尚さんにも彼女いないんでしょ?」
「あいつか、あいつはな…」
――和尚には、正直言って、たくさんのラブコールが届いていた。
でかくて強い身体に学力優秀とあれば、順当に考えて、よりよい子孫を残そうとする女性が多く集まることだろう。
ぼくは、なんで自分のような男に結花がついてきてくれるのか、この頃、よくわからなくなることがあった。
「優しいからいい」って言うけれど、ぼく程度の男なら、結花の美貌ならいくらでもつかまえられるだろう。
「でも、ちょっと時期が早すぎるな。文化祭は9月だからな」
「え〜。愛子が和尚さんに会いたいって言ってるのにな」
「結局、和尚狙いかよ。あいつは難しいぞ」
「ねぇ、文化祭のまえに、4人でどこかへ行けないかな?」
「仕方ないな」
ぼくは、結花の友だち思いに付き合ってやることにした。
「でも、繰り返し言うけど、和尚は固いぞ」
だが、和尚に話を持ちかけると、彼は意外と乗ってきた。
「海なんかいいね。おれ、太陽大好き」
――こうして、ぼくらは、電車に乗って、海水浴へ行くことにした。
「はじめましてー」
と活発そうな、賢そうな、短髪の女の子が、挨拶する。
この子が愛子か。
ぼくらは、お互い自己紹介をし合ったあとで、男女に分かれて車内でおしゃべりしていた。
海に着くと、さっそくぼくらは水着に着替えて、まずは波打ち際ではしゃいだ。
「わたし、沖へいくわ」と愛子が言う。
「いいね。おれも」と和尚が続く。
「あいつら、けっこういい感じじゃないのー」
とぼくは、波に乗ってすいすい泳いでいく二人を見ながら、結花を振り返った。
「う…うん。そうだね」
結花は、なぜか硬直していた。
「どうしたの?」
「うん…なんか、わたし、和尚さんって苦手かも」
「え?」
「なんか、あの人怖い…。なんでだろう」
「なんで?いいやつだよ。頭が回りすぎる嫌いはあるけど」
「ううん。そういうのじゃなくて…なんか…身体も大きいし…」
結花は、あたまが混乱しているようだった。
ぼくは、彼女を休ませるために、波打ち際から上がり、砂の上に二人で寝そべった。暑い砂が気持ちいい。
「どう?ちょっと気分はましになった?」
「うん。大丈夫。わたし、なんか変ね。熱があるのかな」
「まじで?」
ぼくは、結花の額に手をあててみたが、すでに温められた手で、体温が測れるはずもなかった。それをしたのは、たんに、ぼくが彼女に触れたかったからだ。
「なにか、飲み物を買ってきてやるよ。なにがいい?」
「じゃ、…冷たいオレンジジュースかなんか、いい?」
「おっけ」
ぼくは、立ち上がって、バカみたいに値段の高いオレンジジュースを買いに、海の家へ歩いていった。
そのあいだ、結花はじっと身じろぎもせず、波間を見つめていた。
「ただいまー」と、和尚と愛子が、明るい笑顔で帰ってきた。
「和尚、泳ぐの上手いね〜」
「おれ、サンフランシスコ生まれなのよ」
「なんだ。じゃあ、音楽聴きながらローラースケート履いてたわけね」
「そう、ロックンロールを聴きながらね」
「何年代の人なのよ、それ」
彼らは、冗談を言って笑いあっていた。ぼくも、つられて笑っていた。
でも、ぼくはなにか空気の異変を感じていた。それは、結花の様子がおかしかったからだった。
夕焼けとともに、ぼくらは海をあとにし、電車に再び乗った。
和尚と愛子は、相変わらず、くだらない冗談を続けていた。和尚にしては、それは珍しかった。ぼくは、こんなに昂揚した和尚を見るのは初めてだった。
「愛子のこと、気に入ったのかな…」
ふと、ぼくの横にいる結花を見ると、彼女の視線は和尚に釘付けになっていた。
ぼくは、なんだか少し、嫌な予感がした。和尚は、柄にもなくバカ騒ぎを繰り広げている。
ぼくは、彼の冗談が、愛子を楽しませるものではなく、なにかから逃げ出すために行っている作業だという気がした。
それは、どうにも拭い去れない直感のようなものだった。
でも、ぼくは、その気持ちに蓋をして、結花の肩をそっと抱いた。