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其の参、ジャッキー君、悪魔に会う

 小さな物音がした。ドアの方からだった。

 気づいてしまったのだからしょうがない。ジャック・オ・ランタンはぼうっとする頭でベッドから降り、「こんな時間に何の用だよ」とドアを開けるなり言った。

「やぁ、久方ぶりだね」

 いかにも親しげに挨拶され、眠気が一瞬で吹き飛んだ。

「お前は……」

 またかと言う前に、ドアの隙間から勝手に入って来た。

 それは影だった。靄とでも言っても良い。

 真っ黒い闇の塊であるそれは実態がない。形状はアメーバにも似ている。ただ、深さと闇だけを感じさせる存在だった。

「よくもまぁ、実に気軽く俺の家にやってくるよな」

 嫌味というわけではない。心底呆れているのだ。

「まぁ、そう言うなって。今回はヴィンテージもののワインを持ってきたんだから」

「良いだろう、もらおう」

「つまみも出せよ」

 応と答え、台所の戸棚からチーズを出してある程度の大きさに切って皿に並べた。彼は勝手知ってたる他人の家と言わんばかりに、所謂1DK の部屋の中央に置かれたテーブル二脚ある椅子の一つに座って既にくつろいでいるようだった。

「それにしても、お前は暇人なのか? 恰も久々を装って来るけれど、月に二度はここを訪れるだろ。決まって満月と新月の日に」

「良いだろう? ちゃんと日は決めてやってきているんだから」

「けど、一度たりとも約束した覚えはないけれどな」

 ひひひと笑う。アメーバ状の為、どこが口かはわからない。

「そんなことよりもワインを開けようぜ。酒こそ、人間が作り出した最も優れたものだよな。他の種族も作ることは作れるけれど、こうも繊細な味は作り出せない。まったく、人間というものはどうにも強欲で傲慢で、それこそ悪魔よりも悪の塊のようで嫌悪感さえもあるけれど、この点ばかりは褒めてやっても良いねぇ」

「人間云々の愚痴に関しては完全に同意するわけじゃないけれど、美味っていうのは納得」

「ほら、我が来るのを心待ちにしていた」

「まさか、酒だけだよ。お前は無駄に舌が肥えているからか、持ってくる酒だけは外れがないからな」

「言ってろ」

 コルクを抜くと、芳醇な香りが広がる。血を連想させるような赤いそれをグラスに入れ、乾杯の合図もなく、二人とも一息に飲みほした。

 その後は手酌だ。時たま会話はするが、その大半は意味のないものだ。

 ずっと前から、それこそ人間じゃなくなった時から彼はこうしてここを訪れる。

 彼は悪魔だ。それこそ、自身をこんな身に変えた存在であるのにも関わらず、一緒に時を過ごすのは不思議と悪い感じはなかった。それはつまり、憎まれ口は叩いても心の中では彼を恨んでいないからということに他ならない。ある意味、昔からの友人のようにさえも感じている。だからこそ、ジャック・オ・ランタンはこうやって彼と向き合うことができる。

「今の生活は楽しいかい?」

「何だよ、急に」

 長年居たが、こんなことを聞かれたのは初めてだった。真剣な視線を感じ、ワイングラスをテーブルの上に置いた。

「いや、戻りたくはないのかって思ってね」

 その質問の真意にはすぐに気が付いた。つまりは、自分を恨んでいるのかどうかっていうことを尋ねているのだろう。

「思わない」

 はっきりと断言した。すると、彼は不思議そうに「何故?」と尋ねる。

「何と言われようと、断固拒否する。だってあれだろ? ここでお前の提案を受け入れて契約を無かったことにすれば、俺は地獄逝き確定だろうが。誰が好んで地獄になんて行きたがるってんだ」

 そう、地獄には逝かないという契約をしているのだ。だからこそ、生前に悪いことをしすぎて天国にも逝けない。それが無効になれば、地獄に叩き落されるのは日の目を見るよりも明らかだ。

 それに、そもそも事の発端はジャック・オ・ランタンが彼を騙したことがきっかけでこういう羽目に陥っている。つまりは、恨むのなら彼ではなくて自分自身であり、悔いるのならその生前の行いだ。長い年月の間に自分の気持ちには折り合いがついている。しかし、それでも彼は気を揉んでいるのだろう。悪魔だというのに、妙に優しい彼は。

 だからこそ、ジャック・オ・ランタンはにひるに笑う。自分の身が可愛いのだということを伝えれば、悪魔は安心したかのように喉の奥でくつくつと笑った。

「そういう君だからこそ、気に入っているのさ」

「俺も、俺を地獄に行けなくしてくれたこととには感謝しているね。お蔭でこうして旨いものをまだまだ堪能できる。俺が人間をやっていた頃は、こんなに美味いものはまだなかったからな」

「確かにそうだ。美味いものを食べられるのは生きるに値する。何せ、人間の三大欲求の一つなのだからな」

 相変わらず強欲だ、と彼は言う。

「勿論。だから、今度はもっと美味なものを持ってこい」

「その期待には応えかねるね。まぁ、味覚音痴だと思われてもあれだからなるべく努力はしよう」

 つまり、また限りなく美味いものを持ってここを訪れるということだ。

 彼は音もなく椅子を立った。

「行くのか?」

「あぁ、直に夜が明ける。悪魔は退散の時間だ」

 別れの言葉もなく、その身は宙へ霧散して消えた。

 柄にもなく感傷的になっている自身に気が付き、やはり悪魔のことを気に入っているのを悟る。既に二人の間には確執はないのだ。あるのは、妙な付き合いから素直になれない間柄というだけの関係だけだ。

 控えめなノックが響いた。

 こんな朝っぱらから誰かと思いドアを開けると、「おはよう」とセイレーンが立っていた。

「あれ、誰か来ていたの?」

「何故?」

「だって、グラスが二つあるもの。それに、ジャッキー君はチーズってあまり食べないでしょ? 付き合い程度に抓むくらいじゃない。それなのに出ているっていうことは、誰か来ていたのかなって」

 ドアの隙間から室内が見えたのだろう。彼女は感心したかのように「余程気に入っている人だったのね」と言った。

「目ざとい奴だな」

「んっ? 何が?」

「いや、何でも。それにしても、こんな朝っぱらからどうかしたのか?」

 問えば、セイレーンは途端に目を輝かせた。

 反射的にドアを閉める。

「ちょっと、何で閉めるのよ」

「その顔は悪い予感しかしない」

 ドアをどんどんと叩かれるが、こちらとて開かないように必死で攻防する。

 人間をやっていた頃よりも退屈することはなくなった。寧ろ、慌ただしい日々を送るこの頃だ。

 色々と迷うことはあるし、後悔や葛藤だってある。けど、悪くはないのだ。そう、生きているという充実だけはあった。

セイレーンの喚き声を聞きながら、今ここで生きていることにだけは後悔していないということに気が付いてひっそりと笑った。


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