其の弐 ジャッキー君とセイレーン、ドラゴンに会う
ふふふと怪しげな笑みを浮かべ、セイレーンがやって来た。ジャック・オ・ランタンは薪割りをしていた手を止め、動いていたから流れるのとは別の汗が伝うのを感じた。
「俺、今忙しいんだけれど。見ればわかるだろう」
「何よ、私とそれとだったらどっちが大事なわけ?」
「薪割り。もう山では雪も降っているし、冬支度しておかなければこっちもじきに寒くなる。これは今のうちにやっておかなきゃ後が辛くなることだからな」
嫌な予感しかしない。早めに帰ってもらうには、こうやって理由を見せつけるのが一番だということを長い付き合いから理解している。
「もう。電気引こうよ、電気」
むくれてそう言うが、ここは辺鄙な場所なのだ。そもそも電気というものは、人間が作ったものだ。人間がいないところにあるわけがない。自分が住んでいるところは水中だが電気鰻などといった生物による発電施設があるからと、一緒くたにされても困る。
「こんな場所に電気が通るわけがないだろう」
「それならお引越ししよ。はい、それで万事解決。こうやって薪割りをする必要はなくなった」
「無理だろ。俺はあの世とこの世の狭間が住処なんだって。他で上手くやっていけるとは思えない」
確かに不便なことも多いが、長年、それもこのセイレーンが生まれるずっと前からこうやって生きてきたのだ。今更生き方を変えていく必要はない。
「まっ、良いや。ジャッキー君はどうせ私の意見聞かないだろうし、まぁ、それは別にどうでも良いや」
実にあっさりとどうでも良いと言われ、「お前なぁ」と頭を押さえた。それなら何でその話題を振ってきたのかと言いたくもなるが、それはいつものことなので言いだしたらきりがない。
「私、今日はジャッキー君と一緒に行きたいところがあって、お誘いに来たのよ」
「そうか。だが断る」
「何でよ」
「何でってお前、これまでのことを思い返してみろよ」
本当に解らないのかと言外に問えば、彼女はまったくと首を振った。
「この前の魔女のこともそうだったが、その前もそれよりずっと前も良いことなんか何一つとしてなかっただろうが。寧ろ、俺は貧乏くじを引かされていた。それを今更、どの口がお誘いだなんて可愛らしいことを言いやがる」
絶対行かないからなと頑なに言い張れば、「ふーん」そうとセイレーンは呟いた。
「だからもう、帰ってくれ」
再び薪を割ろうと背中を向けると、首に衝撃が走った。
目を開ければ、セイレーンの満面の笑みが見えた。
「というわけで、やってきました竜王山」
「ちょっと待て。どういうわけだよ。俺、全然記憶がないんだけれど」
そう、さっきまでは家で薪割りをしていたのだ。しかし、今目の前に広がるのは雄大な自然。白一色に染められた雪山だ。
どういうわけかと問いただすと、「しかたがないじゃない」と唇を尖らせる。可愛くはあるが、今はそれが憎たらしい。
「私のお誘いを断るジャッキー君が悪いんだからね。だから、強硬手段を取らせてもらいましたぁ」
「つまりあれか? 俺を気絶させ、それで無理やり連れてきたってか」
あの時に首に受けた衝撃は、セイレーンが思い切り殴ったということだろう。首が寝違えたように痛むし、泣きたいような気分になって鼻を啜った。
「あれ、ジャッキー君どうしたの?」
「寒いんだよ、畜生」
コートを着込んで完全防備のセイレーンとは違い、ジャック・オ・ランタンは薪割りをした時の格好のままだった。汗も冷えて、体温が奪われるというレベルでは済まない。冬の雪山に薄着で来るなんて、死にたがりも良いところだ。無謀にも程がある。
「もうさ、俺、帰っても良いだろう。うん、俺は悪くない。だって、こんな所に居る理由がないからだ」
「帰っちゃ駄目」
「可愛らしく言われても、こっちこそ駄目だ。いろんな意味で」
「具体的じゃないから却下。もうここまで来たんだし、一緒に行こうよ」
「来たも何も、お前が連れてきたんだろうが。意識がないのを良いことに移動させるなんて、誘拐で訴えるぞ」
すると、セイレーンはふふんと不敵に笑んだ。
「何だよ」
「できもしないんだからそういうこと言わないでよ。だって、ジャッキー君は一度懐に入れた相手には甘々じゃない。だから、そういうことはしないわよ。それどころか、折れてくれる。違う?」
顔を覗き込まれ、うるせぇとデコピンをした。
「本当にもう、これっきりだからな」
「やったー。ジャッキー君大好き」
ちょろいと言われているような気がしたが、これで家に帰れたとして、この先永遠とぐちぐち言われるのなら堪ったものじゃない。そう思うことで、自分を納得させることにした。
二人で連れだって歩くが、雪が足場を覆い尽くしてしまっている為に道などありはしない。それに、歩いた傍から雪によって足跡も消えていく。
「ところで、今回は何だってこんな所に来たんだ?」
「それはもちろん、ドラゴンに会う為に決まっているじゃない」
「それはまぁ、そうだろうな。そうじゃなきゃ、ドラゴン達の総本山である竜王山なんてこないわな。それで? どういった理由でなんだ?」
「それは勿論、この音痴を直してもらう為よ」
ジャック・オ・ランタンは「はぁっ」と呆れた声を漏らした。
「まだ諦めていなかったのかよ。この間のあれでもう諦めたのかと思った」
「私があの程度で諦めるわけがないわ。この私を舐めないでちょうだい」
別になめているわけではないが、なんだかなぁと溜息を吐いた。
白い息が出る。氷点下の世界では節々が凍る為、ジャック・オ・ランタンはヘタしたら春まで氷漬けだなと思った。寧ろ、このままでは冷凍されること確実だった。
「一つ思ったんだけれど、ドラゴンって冬眠はあるのか?」
「さぁ?」
「さぁって何だよ、さぁって」
「だってそんなこと知らないもの」
「まぁ、確かに」
ドラゴンが何の生物に分類されるのかは不明だが、外見的なものを見る限り爬虫類の仲間なのだろうか。それとも、恐竜とかそういう系統の仲間なのだろうか。普段関わり合いになることなどない為、不明である。
「それじゃあ最悪の場合、無駄足になることもありえるってわけか」
「何を言っているの? 寧ろ好機じゃない」
「好機って何でだ? だって、ドラゴンに会いに来たんだろう?」
「そっちの方が楽に宝物庫に入れるじゃない」
きらきらとした瞳で語られる内容に、一瞬言葉を失った。絶句というやつだ。
「お前、盗む気満々なのか。どんなものがあるのかもわからないのに、ドラゴンの宝を狙うだと? 全ドラゴンを敵に回すなんて何て無謀なことを考えているんだよ」
本当に無謀すぎて頭痛がしてくる。ドラゴンは幻獣種の中でもかなり大型で、力もある。それどころか、仲間意識が強い。つまり、こんなドラゴンがうようよしている所で何かをやらかしたら総攻撃なんてこともあり得るのだ。
「けど、ドラゴンっていえばやっぱり宝珠よ。きっと何か良いものがある筈だわ」
「俺からすると、そんなピンポイントで都合の良いものはないと思うんだけどな」
「あるわよ。ある、ある。だって、ドラゴンよ。ドラゴンみたいに凄い種族はきっと何でもありだと思うのよ」
「何でもありなら、やっぱり魔法だろうが。けど、その魔法関連でこの間は失敗した。つまりは、そういうものはそうそうないと考えるのが妥当じゃないのか?」
「夢を見なきゃ。そんなんじゃ立派なトレジャーハンターにはなれないわよ」
「なれなくて良いし、ならねぇよ。そんな危険極まりない職業に就くつもりはこれっぽっちもないね。寧ろ、楽と怠惰に満ちて生きる堕落した人生を送りたいくらいだ」
会話にならんと内心で思っていると、眼前の左右に巨大な石像がある。ドラゴンの形をしている。双竜だ。
「入り口っぽいところにでたなぁ」
荘厳で迫力のあるそれに感嘆の息を吐く。
「骨? 彫刻? 面白いわね」
「これを見ての感想がそれか? 品性を疑われるぞ」
雄大な自然の中にそびえ立つそれは、曲りにもそんな感覚で表して良いものではない。重さが感じられる代物だった。
「まぁ、良いじゃん。そんなことよりも先に行こう」
レッツゴーと、テンション高く拳を上げる。
「俺が言うのもあれかもしれないが、お前はもうちょっと情緒っていうものを持つべきだと思うぞ」
「情緒じゃお腹は膨れないわ。それどころか、私の願だって叶わないもん」
「そういう問題じゃなくってさぁ、何かあるだろう、こう、肌で素晴らしさを感じる瞬間っていうやつが」
「ないわ」
清々しいほどきっぱりと彼女は言う。
「確かに凄くはあるかもしれないけれど、その価値は人それぞれでしょ。だったら、みんなが同じに感じることなんてありえないもの。それに、それが私に何か有益なことを齎してくれるとは限らないでしょ? だったら、目の前の手に入らないものより、手に入る可能性があるものを選んだとしても間違いっていうわけではないでしょ?」
「花より団子かよ」
「当然。何が団子になるのかは、私自身に選ぶ権利があるもの」
「そりゃぁ、まぁなあ」
現実主義だ。歌が上手になるなんていう夢を見ているくせに、妙な所で現実的である。それだったらもう、音痴が治らないという現実を見つめた方が簡単な気がするのだが、あくまで可能性というものを信じているのだからこそ、またこういう風に足を運んでいるということなのだろう。
「お前、本当に難儀な性格だよな」
「あら、どこが? 結構わかりやすいと思うんだけれど」
「そういうところが、だよ」
ジャック・オ・ランタンは肩を竦めた。
「あっ、見て。ドラゴン」
指を指した方を見れば、数体のドラゴンがいた。雪化粧に似合う、水晶なようなドラゴンもいれば、燃え盛る炎のようなドラゴンだっている。動物園ではないが、これほどの色合いのドラゴンを一度に見るのは圧巻である。
「貴様ら、何の用だ」
何処からか声がかけられた。
周囲を見回すが、声をかけたと思しき者は見つからない。二人して首を傾げていると、「こっちだ、こっち」と再び声がかけられる。
上の方を見てみれば、二人の上に影を作っていたのはどうやら若草色のドラゴンだったようだ。裂けた口元からは粒子的な何かが漏れている。
必然的に見上げるような形になる為、「首が痛い」と零せば「悪い、悪い」とドラゴンはその姿を人の形へと変えた。
「人間になれるわけ?」
「そりゃぁ、まぁな。百年を生きれば大体のドラゴンはなれるさ。あの巨体じゃあ、買い物一つするに不便だからな」
いかにも物怖じしなさそうな、年若い青年である。服装も今時の若者が好みそうなものだし、人懐っこい笑みを浮かべている為こちらに警戒心を抱かせない。
「それで、何の用でこんな所まで足を運んだんだ? あまりにも珍しかったから、つい声をかけてしまったよ」
「あぁ、うん、まぁ」
非常に言いづらい。何と言えば良いのか迷っていると、横でセイレーンが「ドラゴンのお宝を強奪しに来たの」と言った。
「ちょっ、お前、ふざけるな」
何故よりにもよって、その言葉のチョイスなのだろうか。
阿呆だろうと襟元を締め上げて揺さぶるが、「別に良いじゃない」とまるで動じていない。自分が言った言葉がどういう意味なのかを理解していなかった。
「宝物庫はどうやって行けば良いの?」
「まだ言うか」
ぎょっとして更に首を揺さぶるが、ドラゴンの青年は笑い声を上げただけだった。
「いやいや、君たちと同じようにここにお宝を求めてくる奴はもちろんいるよ。けど、まさかこんなに堂々とそれを言われるとは思わなかった」
「それはそうだろうな」
泥棒が自分は泥棒と言っているようなものだ。そんなことを堂々と言うのだったら、盗みが成功するわけがない。それでももしも公言するような者がいるのなら、それは余程の策士か馬鹿かのどちらかだろう。そして、セイレーンが後者であるということは間違いようがない。
「君たちはどんなお宝を狙っているわけ? 金銀財宝っていう言い方は古臭いかな。魔法とかそっち系のもの?」
完璧に面白がっている。青年からは、おちょくるとかできるわけがないと高を括っているわけでもなく、単純にこちらの反応を楽しんでいるそれがあった。人間に変身した見た目同様、年若いのだろう。
「歌が上手くなりたいの。そういうお宝、無いかしら?」
目を輝かせるセイレーンのことを青年は一瞥し、首を傾げる。
「歌って君、セイレーンだろ? そんなことをしなくても十分に上手いだろうに。向上心からそいうことを言っているのかもしれないけれど、下手すると貪欲だと取られ兼ねないぞ」
「いや、こいつ音痴なんだ」
「セイレーンなのに音痴? 何かのギャグ?」
「いや、一応本気。それでこいつ、歌が上手くなる為に色々と手を出しているわけ。昔は変な通販とか壺とかにもはまっていて、あの頃はやばかったな」
「通販とか、壺って……」
つぼに入ったのか、青年は腹を抱えて笑った。抱腹絶倒。大きく声を上げる彼に、セイレーンは「笑わないでよ」と喚いた。
「こっちは切実な問題なんだからね」
頬を膨らませて睨みつければ、「悪い、悪い」と彼は言うものの、まだ笑い止んでいなかった。
「悪いな。けど、そういうお宝があるとか聞いたことはないな」
「嘘っ、本当に。絶対にあると思ったのに」
「普通、どう考えてもなさそうだろ。もうあれだろ。ドラゴンはドラゴンでも竜の方にして、供物の球を集めて願いを叶えてもらった方が速そうだ」
「あぁ、竜ね。彼らは神秘的だよね。ある意味親戚的な種族だけれど、未だに彼らがどうやって空飛んでいるのか知らないんだよね」
「そうだな、七不思議だな」
やれやれ無駄足だったなと踵を返そうとすれば、セイレーンにシャツを掴まれる。
「待ってよ。何で帰ろうとしているわけ」
「いや、だってさ。ここにはそういう宝はないんだろ。だったら、長いは無駄だろう。もういい加減感覚も麻痺しつつあるけれど、俺は寒いんだって。早く家に帰って、暖炉に火をくべたい気分だ」
「そうかもしれないけれど、この人が知らないだけで、ここには実際にそういうお宝があるってこともあり得るでしょう。それに、もっと長く生きている人ならそういうことを知っているかもしれないじゃない」
「両方ともあくまでも可能性の域だし、確証がない以上俺は帰りたい。そもそも、ここまでお前が無理やり連れてきたんだろうが。いい加減、俺の人権を認めてくれても良い頃だとは思うんだが」
二人は互いに火花を散らして睨み合っていたが、「それなら妥協案はどうかな?」と横から割って入られた。
「妥協案?」
そう妥協案、と青年は繰り返した。
「せっかくこんな所まで足を運んだんだし、どうせだったらここで一番物知りのドラゴンにでも話を聞いてみたら? そしたら何かわかるかも」
「確かに一理あるが、誰なんだ?」
「ドラゴン族の長老だよ。確かにちょっとボケは入っているけれど、受け答えはしっかりとしているから大丈夫な筈。ここでは一番物事を知っているし、見る目を持っているのは間違いなく長老だろうね」
「ボケって……」
不安の残る言い方である。ドラゴンも寄る歳の瀬には敵わないということなのだろう。どんな生き物であろうとも同じだということだ。何とも現実的な問題に涙が出そうになる。ボケが入っているということは、覚えていないという可能性も、混同視してしまうという可能性も高い。完璧に無駄足になると決まったわけではないが、あまり期待はできそうにないだろう。
「けど、良いのか?」
「何が?」
「俺達みたいな余所者をそんなお偉いさんに会せたりして」
「……うん、まぁ、大丈夫だろう」
「何だよ、その間は」
「いや、大丈夫だと思うよ」
悪い奴ではないのだろうが、それでもこうもはっきりとしにない言い方をさせると苛々してくる。下手に何かが起こって、それでこちらの所為にでもされたらたまったものではない。
「まぁ、大丈夫、大丈夫」
デジャビュだ。前にもこんな台詞を聞いたことがあった。それも、つい最近。
「何か、そこはかとなく不安なんだけれど」
「もう、ジャッキー君。そんなこと言わないで行こうよ。大丈夫だから」
「だからさぁ、その根拠は何処から出てくるんだよ。実はこれが罠で、入って来た奴を甘い言葉で誘導して殺すとかそういうのだったらとか考えろよ」
「それ、本人を目の前にして言う言葉じゃないよね」
まぁなと肩を竦める。
「けど、こいつが頭すっからかんな分、俺が警戒心抱いていないといけないんだよ」
「何それ。私、結構頭は良いんだよ。これでも学校は首席で卒業したんだから」
「わかった、わかった。お前が勉強はできるのは知っている。だが、勉強ができるのと頭が良いのとは別物だ。頭というのは所謂閃きの部分。これは一朝一夕で身に付くものではない。だからこそ、お前はもう少し警戒心を持たないといけないんだ」
額を小突けば、うっと眉が顰められる。反論はできないといった感じだ。
「まぁ、ある程度の身の保証は僕ができるから行こうか」
「わかった。ここはお前の顔を立てることにする」
ありがとうと言うと、青年は再びドラゴンの姿に戻った。
「背中に乗って」
苦戦してよじ登ると、彼は飛び立った。
雪が煙のように上がり、風が肌を切っていく。身が凍えそうな冷たさがあったが、それでもそんなことよりも絶筆しがたい光景がそこにはあった。
「綺麗」
情緒なんて無縁だって断言したセイレーンが思わずそう漏らした。
一面銀色の世界。普段見慣れている青さとは違った色の世界を見て、言葉を無くしているようだった。ジャック・オ・ランタンも思わず口笛緒を吹いた程だった。
「凄いな」
「そうでしょう。季節が移ろいゆくと世界はその度に姿を変え、違った一面を見せてくれる。この静謐な美しさはこの時期にしか見られないからこそ、何よりも代えがたいものなんだろうなぁ」
しみじみとした呟きだった。
確かにこの世界には限られた地域では四季というものが存在する。それは移りゆく時間の美しさであり、似たものはあったとしても決して同じものは二度としてないのだ。だからこそ、その一瞬に価値が見いだされるのだろう。
「何か良いな、こういうの」
「どうして?」
「いや、俺が住んでいる所は寒暖の差こそはあれど、基本的に風景は変わらないからな。朝も昼も夜もなくて、ただそこにあるものだけがあるというだけ。まぁ、この世でもあの世でもないから、その半端で停滞している世界こそがすべてだからな」
「だからお引越しすれば良いのに、って言っているのに」
「それはできないんだって。それが俺の性だから」
「意味わかんない。まぁ、私が基本海の中じゃなきゃ駄目なのと同じか。いくらこんな風に陸で生活できても、ここじゃ生きることはできないものね。それに、思い切り泳げなければ息が詰まっちゃうし、それと同じっていうことなのでしょう?」
つまりはそういうことなのだ。どんなに他の所に足を延ばそうとも、根底を担う場所というものは誰にだって存在する。それがみんな異なり、その場所こそが故郷であって自身が本当の意味で帰る場所なのだろう。
「二人ともは仲が良いようだけれど、種族が違うから大変だね」
「そうなの。ジャッキー君は私の所に遊びに来てくれないから、基本私が会いに言っている感じだしね」
「それは仕方が無いだろう。それに、俺はお前が会いに来るとろくな目に遭ったことが無い。いい加減、来るのなら厄介ごとまで連れてくるのは止めてもらいたい」
「僕でも何となく想像はつくかな」
「ほら、見てみろ。短時間しか居なかったというのに、もうお前のその短慮さが見抜かれている」
「嘘だぁ。そんなことないもの」
不満そうにしている姿を横目にしていると、「もう到着するよ」と声がかかる。この話題はここまでのようだ。
急滑降する風圧に負けそうになるが、それでもドラゴンの動き自体は非常に滑らかだ。鳥のしなやかさとはまた違った躍動美がある。
「さっ、ここだよ」
ドラゴンから人の形へと変化する。
洞穴のようだ。確かにドラゴンの住処というだけあって、その大きさは並外れている。
「お爺ちゃん、お客さんを連れてきたよ」
中に入る青年の後に続く。
「お爺ちゃん?」
「そう、僕のお爺ちゃん。っていっても、曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾お爺ちゃんだけれど」
「隔たりがありすぎだろ、それ。最早血縁というより、祖先だろ」
一体何代前なのかと指折り数えてしまいそうになる。ドラゴンはかなり長命ではあるが、ここまで生きているのならその平均をかなり上回っているのだろう。ドラゴンは官幣に人型に姿を変えられるようになると、成人しているということになる。つまりは約百歳前後で小作りできるようになるということだ。だがこの頃は遊びたい盛りの為、子供を作るのはもっと遅くなる。それこそ、三百とか四百歳とか。それから逆算すると、少なくとも二千どころか三千は上回っているのだろう。
部屋というよりも洞穴の中央部分、そこに横たわった巨体は青年とは比べものにならないほどの大きさだった。それこそ、大人と子供どころか、大人と胎児くらいにまでの差があった。
天井から入ってくる日の光を浴び、白金の鱗が無数の光を放っている。そう、とても美しかった。
「いらっしゃい。これは珍しいお客人のようだ」
しわがれているが、それでも不思議とどこか耳に馴染む声だった。
「それは、俺らは一応歓迎されているということで?」
「何故そう思う?」
「お客と言われたから。それにもし俺らのことを疎んじているのだったら、ここに来る前に始末してしまえば良いだけだから。だってあの入り口付近に居たドラゴン達、俺らには反応しなかったけど、居ることは解っていた。それで警戒は解かなかったが、襲ってもこなかったから、かな」
一陣の風が吹いた。空気が振動し、衝撃として襲ってくる。
長老が笑ったのだ。声を上げて楽しそうに笑っている。ただそれだけのことであるというのに、凄い風圧だ。
「成程、頭の良い御仁だ。回転が良い者は嫌いではない。して、お主等は何故ここに足を踏み入れたのだ?」
問いだ。問いかけである。しかし、優しくこちらを見る眼差しには探るような色が微かに感じ取れた。
さて、下手に堪えられなくなってしまった。ジャック・オ・ランタンは内心で、最近はこんなことばかりだと思った。
「ここには、歌が上手くなるお宝ってないの?」
実に直接的な問いである。しかし、向こうの問いには一切答えていない。
「はて、儂はそれなりに長い時を生きてきたが、そんな宝があるなんて聞いたことはないのぉ。あったら、儂が使いたいくらいだ」
セイレーンの無礼な物言いに対しても、実に朗らかな言葉だ。寧ろ、傍で聞いている方がひやひやとしてくる。
「して、それがここを訪れた理由なのかい?」
「うん、そう。けど、ここにはないみたいね、残念。聞いたことがないってことは、そういうお宝が他の所にもないっていうことでしょ?」
心底残念そうにしていると、長老は再び大きな声で笑った。
「主は何故、歌が上手くなりたいのか?」
「凄い音痴だから。みんなあまり触れてはこないけれど、それは解っているの。だから、私はセイレーン達の中には居場所がないの」
「それで、主は仲間たちを見返してやりたいのかい?」
少し迷った後、首を横に振った。
「わかんない。けど、歌が上手くなったらあの輪の中に入れるってずっと思っていた」
「確かになぁ、仲間外れは辛いわな。けど、主はもう既に主が選んだ他の輪の中にいるであろう。果たして、それは今持っているものを捨ててまで得たいと思うほど価値があるものなのであろうか」
「どういうこと?」
セイレーンはそう尋ねたが、ジャック・オ・ランタンは長老が何を言いたいのかすぐに理解した。つまりは、種族の仲間として受け入れられるということは、今既に築いてきた他者との関係を捨てる行為にも等しい。何かを得るということは、これまでと同じことには決してなれない。居場所があるのだったら、ジャック・オ・ランタン自身は彼女が来るのを許せないだろう。外れ者同士だからこそ付き合いがあるということに彼女は気づいていない。彼女の歌が上手くなるということは、決別を意味するのだ。
流石は長老。本質を見抜いた言葉に冷や汗が流れた。
「確かに儂等は生を受けた時、一つの宝珠を抱いて生れ出てくる。それは力の源であり、何にも代えがたい宝だ。しかし、それを差し出してでも守りたいと思う宝も確かにあるものなのだよ」
「宝? 何が宝なの?」
「主はそれを自身で見つけなくてはならない。それこそが、主の今後の人生を左右するのであろうなぁ」
「つまり、さっきの輪云々の話に繋がっているってこと?」
しかし、長老はそれには答えなかった。ただ、優しく目を細めただけだった。
「儂から見れば、主はもうそれを持っておる。しかし、気が付けていないのだな。何、人生はまだまだこれからだ。生きている間にそれがわかれば幸せであろうな」
久々の会話で少し疲れた、と長老は瞳を閉じた。すると、青年が「ごめんね。お爺ちゃん、今じゃあ寝ている時間の方が多くって。だから、もうお開きにしてもらっても良い?」と申し訳なさそうに言った。
「いや、別に構わないよ。短時間だったけど、有意義な会話だったし」
そう、改めて考えさせられる言葉だった。会話というのは時間ではない、質なのだ。さっきの会話は時間にして五分どころか三分にも満たない。しかし、その質が高い会話を聞き、改めて気づかされたのだ。
「そう言ってもらえると嬉しいな」
こんな答えになっていないやり取りだけしかできず、何か文句があるのかとも思えたがセイレーンは無言だった。静かだったと言っても良い。
行きとは違い、帰りは青年が麓まで送ってくれた。その間も彼女は一言も口を利かなかった。
そのまま青年と別れると、「あぁ、良かった」とジャック・オ・ランタンは言った。すると、「何が?」と応えがある。そのことに少しほっとした。
「こんかいはお前の歌がなくって」
「何よ、それ。そんなにお望みだったら歌ってあげようか」
「おい、止めろよ。山は響くんだ。確かにもう下山はしているけれど、お前の声量で歌ったら雪崩くらいは起こるだろ。実に危険極まりない」
普段だったらそこで何かアクションがあるものだが、セイレーンはむっつりと押し黙っただけだった。
「どうした? 何か、変だぞ」
顔を覗き込むと、セイレーンは瞳を合わせてきた。
「大切な宝か……。何なんだろうね」
それは答えるまでもない。長老が言うように自身で気が付かなければ意味はないのだろう。
ジャック・オ・ランタンは昔に一度それを全て絶ってしまった。だからこそ、新しくできたそれは本当にかけがえの無いものであるということを理解している。まだ年若いセイレーンには解らないのかもしれないが、失ってから初めてその重さとか大切さに気付くということはよくあるものだ。
視線を彼女から前方へと向ける。
「さあな。けど、あの爺さんがああ言うんだし、案外ふとした瞬間に見つかるかもしれないな」
彼女はジャック・オ・ランタンにそれを理解しているのかは問わなかった。何となく、セイレーンも気づいてはいるのだろう。馬鹿でもそこまで察しが悪いわけでもないのだから。
そして彼女は小さく頷き、肯定した。