王子と乞食……乞食は3日やったら止められない
『あれっ? ここは何処だろう?』
高校から自転車で帰宅する途中、トラックにはねられて、空を飛んだのまでは覚えている。
『脊髄でもやられたのかな? 動けない……!!
ここは病院じゃないよね』
交通事故で意識を無くした少年は、なんと『王子と乞食』の世界に飛ばされていた。
『えええ~、赤ちゃんになったんだ!
身動き出来ない程、おくるみを巻きつけられていたんだな……それにしても、ぼんやりしか見えないけど、コスプレイヤーばかりなのかな?』
煌びやかなヘンリー8世の王宮に、待望のエドワード王子として産まれた少年は、病弱だったという歴史的な文献とは違いすくすく育った。
『どうやら、歴史で習った世界とは少し違うようだ。でも、母上が私を産んで亡くなったり、メアリー姉上とエリザベス姉上が宗教的に対立しているのは一緒だな』
エドワードが9歳になった時に、父王が病に倒れる。
『冗談でしょう! これが歴史通りなら、僕は15歳で死んじゃうの?
その後は流血のメアリー女王と、栄光の処女王エリザベス! 歴史では病弱だと書いてあったけど、ぴんぴんしてるんですけど……』
気難しい姉のメアリーに毒でも盛られるのか、優しそうだが嘘つきで男好きなエリザベスに殺されるのかとエドワードは悩む。
父王が病の床についてから、エドワードは重臣達に別の棟に移されて、見舞いに行くこともままならない日々を送っている。
「父上に会わせて欲しい」
毎朝、顔を見にくる重臣に何度も頼んだが、要望は通らない。
『彼等にとっては私は父上の血を引く駒に過ぎないのだ。
姉上達が旧教徒と新教徒の旗頭として、国を内戦に巻き込まない為の存在に過ぎない。
奴らはきっと私の顔も見ているが、ちゃんと覚えてないだろう。王冠を載せる頭がついていれば、顔などどうでも良いのだ』
煌びやかな王宮で、出産の時に母上を亡くしたエドワード王子は、今また父上を亡くそうとしていたが、会うこともままならない。
世継ぎに病が移ってはいけないと、別棟で孤独に過ごしている。
その上、傲慢で冷酷なメアリー王女と、有能で嘘つきのエリザベス王女が、父上が亡くなった後の自分の後見人争いをしているので、姉上達の誘拐を警戒して面会人もない孤独な生活にエドワードはうんざりする。
『私の母上は出産で亡くなったが、メアリー姉上の母上は離婚され塔に閉じ込められて亡くなり、エリザベス姉上の母上は首を斬られた。はっきり言って、父上は苦手だし、王座など姉上達に任せたい』
何人もの妻の首を斬ったことで有名な王を父に持つと、エドワードも王座などに夢を持ちようもない。
「今日は日曜ですので、教会で父王の回復をお祈りするミサがおこなわれます。
エドワード王子は列席なさいますようにと、宰相閣下からの御伝言です」
重臣達が自分のスケジュールを勝手に決めて、侍従に告げさせるのにも、エドワードはうんざりだ。
しかし、父上の回復を祈るミサをパスするわけにはいかないので、侍従が差し出す豪華な上着を着て、ロンドンの教会に馬車で出かける。
『凄く長いミサだったな。これで父上が回復なさると、良いのだが……』
馬車の窓からロンドンの市民達を眺めていたエドワードは、生活は苦しいだろうが気楽で良いなと羨ましく思う。
一方の乞食のトムは、酒飲みの親父にもっと稼いで来い! と尻を蹴り上げられて、教会の近くで物乞いをしていたが、そこを縄張りとしている乞食の集団に見つかって、逃げ回っていた。
「ゴホン、ゴホン!」
走ったせいで咳き込み、喉から血を吐く。
地面に落ちた血を見て、トムはお婆ちゃんが肺の病で死んだ時と同じだと怯え、パニックになって道に飛び出す。
「危ない! 止めろ!」
馬車の中からロンドンの町を覗いてたエドワードは、急に飛び出して来た少年に気づいて大声で命じた。
ヒヒヒ~ン! と急に手綱を強く引かれた馬達は驚いて、後ろ脚で立ち上がる。
エドワードは侍従の制止を無視して道に飛び降りると、馬車の前で倒れている少年に近づく。
金髪に華奢な身体! 似ているとエドワードは驚いて、大丈夫か? と尋ねる。
開いた目の色まで一緒だ!
『これは……王子と乞食だ!』
何となく歴史とは違うと、感じていた違和感の元をエドワードは悟った。
「この少年を王宮に連れて帰るぞ。父上の回復を祈るミサの帰り道で、怪我をさせたまま放置するのは神の御心に反するし、良くないからな」
ぐったりしている少年を侍従に馬車に抱き上げさせて、エドワードは王宮に帰った。
馬車には接触してないが、肺病と昨日から何も口にしていない空腹で倒れたトムは、王宮のエドワード王子の部屋でタップリと食事を取る。
『物語では、トムと服を着替えて遊んでいたら、家臣に追い出されるのだが……』
エドワードはトムの顔色の悪さが気になった。
「何処か病気なのか?」
生まれて初めてお腹いっぱい食べたトムは、悲しそうに多分長く生きられないと打ち明ける。
「この時代は肺病は治らないのか。しかし、栄養をとれば延命はできる筈だ。
よし、決まった! 今日からお前はエドワード王子だ。そして私が乞食のトムになろう」
トムはとんでもないと辞退するが、エドワードは此処にいると6年しか生きられないと打ち明ける。
「私は健康そのものだが、多分姉上達のどちらかに殺されるのだ。しかし、トムなら病弱だから、毒を盛る必要もないと、優しくして貰えるだろう」
トムはエドワード王子が頭が狂ったのかと、後ろずさる。
しかし、説明を聞いているうちに、王族も大変なんだと解ってくる。
「私はどうせ長くは生きられませんから、ここで影武者になって毒を盛られようとかまいません。でも、エドワード王子様は酔っ払いの私の父親に毎日殴られるのですよ」
それは遠慮したいと、エドワードは逮捕状を書く。
「これで父親は牢屋に繋がれる。児童虐待などしているのだから、当然の報いだ!」
父王が病に倒れてから、エドワード王子の部屋に置いてある玉爾を逮捕状に押して、二人はお互いの服に着替える。
「あっ、その顔は拭いた方が良いな。後、この玉爾がエドワード王子の証明になるのだから、ちゃんと隠しておけよ」
『王子と乞食』では、玉爾の隠し場所を知っているエドワード王子が本物だとされるのだ。
お約束通り、家臣に追い出されたエドワード、いや、トムは教えて貰ったボロ小屋に夜になってたどり着く。
今にも倒れそうなボロ小屋の前では酔っ払った父親が、兵達に逮捕されて連行されるのを、母親が泣きながら見送っていた。
「あんた~! 兵隊さん、家の人が何をしたのですか……」
兵隊に邪険に突き飛ばされた母親を、トムは優しく抱き起こす。
「母上! 大丈夫です、私が母上と妹達の面倒を見ます!」
酔っ払った父親は、頭がおかしいのか! と怒鳴りながら連行されたが、母親と妹達も何か変だとトムを眺める。
トムはちゃっかりと王宮の食べ物をポケットに詰め込んで来たので、怪訝そうな顔をして眺める母親に渡す。
「こんな高価そうな物……トム、あんた盗んだんじゃ無いよね!」
「違うよ、教会の周りで馬車にはねられそうになって、屋敷で介抱されたんだ。そこで、これも貰ったのさ」
少し砕けた口調にしたトムに、やはり母親は変だと感じていたが、昨日から何も食べてない娘達に、ハムやパンを薄く切ってやる。
「お兄ちゃん、凄く美味しいよ」
痩せこけた妹達が、少しずつ味を楽しみながら食べる様子に貧しさを実感する。
トムは自分の身代わりになってくれたお礼に、この家族を養っていこうと決意した。
~~ 1日目 ~~
次の朝からトムはロンドンの町で乞食をする。
格好はこれ以上は汚せない程のボロなので、乞食ですと言わなくても、欠けた木の椀を持って歩けば金を恵んでくれる筈だと思っていた。
「全くケチばかりだなぁ~」
王宮育ちのトムは、乞食としては新米だ。
乞食には縄張りがあることも知らない。
「教会の前なら、信心深い人達が哀れな乞食に金を恵んでくれるだろう」
半日歩き回って、トムは転生して初めて空腹を感じていた。
昨日、父王のミサを挙げた教会に向かったが、また来たのか! と縄張り荒らしだと乞食の集団から石をなげられる。
慌てて逃げ出して、橋の下に隠れる。
「お前さん、素人だね。乞食をするにも、頭を使わなきゃいけないよ。私みたいに年寄りだとか、赤ちゃんを抱いてミルク代も無いと憐れみをかけて貰わなきゃな」
乞食の爺さんは、朝から一働きして、のんびりと川に釣り糸を垂らしていた。
「縄張りとかもあるんだね」
そんなことも知らないのかと笑いながら、暇にまかせて説明してくれる。
「教会や、市場は縄張りを仕切っている親方に、金を払えば商売させてくれるよ。
私は教会に朝早く行って、お参りする人に、神の恵みをと言うんだよ。こんな年寄りに少しの金をやれば、良い行いをした気分になれる客は多いから、親方に金を払っても食べていけるさ」
トムは成る程ね! と教えて貰ったことには感謝したが、働きもしない親方に金を払うのは嫌だと思った。
「ねぇ、縄張りが無い場所はないの?」
爺さんは少し考えて、金融街のシティは乞食の縄張りが無いと教えてやる。
「シティ? 金持ちの銀行家がいっぱいいるのに、何故、乞食の親方は縄張りにしないのかな?」
けたけたと歯の無い口を開けて笑う。
「そりゃあ、乞食の上前を取るようなケチや、業突く張りだらけだからだよ。それに、あの町には警備隊がいるから、しつこく物乞いしていたら、警棒で殴られるぞ」
縄張りで金を取られるぐらいなら、警棒隊に客が文句を言わないような乞食になれば良いとトムは考えた。
~~ 2日目 ~~
「確かに乞食は居ないな」
1日目は全くお金を恵んで貰えなかったので、王宮から持ち出したパンとハムを薄く切ったのを食べた。
今日はそのパンも無くなったので、絶対にお金をゲットしなくちゃいけないと、トムは張り切ってシティに来たのだ。
周りをせかせかと歩く銀行家達は、小汚い格好のトムを露骨に避ける。
トムは町を一回りして、人の流れを観察する。
シティの中で一番立派なロスチャイルド銀行の前にイオニア式の柱があり、そこの端が商売には良さそうだとトムは考えた。
長期戦に備えて、持参したボロ布を大理石の柱と柱の間に敷くと座り込む。
「おおっと! 爺さんに教えて貰った小銭を置かなきゃ」
木の椀に1、2枚の見せ金を置くと、次々と小銭が放り込まれ易いと聞いたのだ。
「金は寂しがりやだから、金のある所に集まりたがるって爺さんは言ってたけど……」
華奢でボロな服を着たトムではあるが、王子様育ちなので、乞食には相応しく無い背筋の通った座り方だ。
「場所が悪いのかなぁ。シティはやはりケチばかりなのかも……」
どうも哀れには思ってくれそうにも無いと、トムは別の方法を考える。
「爺さんは年寄りという売りがある。私には王子としての教養と、重臣達の情報と、転生したので歴史を知っているという売りがある」
歴史は最後の手段にしようと考えて、家庭教師に教えられた詩の暗唱を始める。
シティの銀行家は大学を出たインテリが多く、道端で乞食の少年が詩を暗唱しているのに興味を持つ。
「それしか出来ないのか? どうせ意味もわからず、乞食の親方に教え込まれたのだろう」
足を止めた銀行家に、トムは『アーサー王と円卓の騎士』を暗唱する。
変な乞食がいると、足を止めては小銭を椀の中に投げ込んで、銀行家達は通り過ぎる。
トムは余り初日から儲け過ぎないように、パンが買える金額が貯まったのでシティを後にした。
~~ 3日目 ~~
「この坊主かぁ、詩を暗唱するという乞食は」
昨日、変な乞食がいると噂を聞いた銀行家が、面白がってやってくる。
しかし、トムは王子とはいえ9歳に過ぎないので、大学を出たインテリのリクエストに応えることは出来ない。
トムは所詮は乞食の街道芸だなと馬鹿にされるのが悔しくて、本を手に入れたいと考えた。
この日は『アーサー王と円卓の騎士』をかなり長く暗唱して、1日目の3倍は稼ぐ。
「これなら、そのうち本が買える」
乞食の爺さんに習った通りに、金は少な過ぎず、多過ぎず木の椀の中に置いておく。
トムがそろそろ帰ろうとした時、目を付けられていたのか警備員が警棒で柱を叩きながら近づいて来た。
『しまった! 場所替えするべきだったんだ!』
トムは木の椀を持って逃げ出そうとしたが、反対からも挟み撃ちされてしまう。
「シティで物乞いだなんて、皆様のご迷惑だろうが!」
警棒をバシバシと手に打ち付けて威嚇する警備員二人が、自分の金が目当てなのに気づいた。
『どうせ取り上げられるなら、殴られるだけ損かも』
王子として剣も習ってはいたが、大人2人には剣を持っていたとしても勝ち目は無いと、トムは初めて乞食は嫌だと思った。
しかし、自分の銀行の前で物乞いをするトムを興味深く見ていた銀行家が、警備員二人を咎める。
「私の銀行の前で暴力は止めたまえ。この坊主は面白いから、此処に置いているのだ」
シティでも有数の金持ちに、誰も逆らえない。
警備員達はすごすごと立ち去った。
「ありがとうございます。折角貰ったお金を取り上げられるところでした」
銀行家は乞食の少年が、キチンとした発音と優雅にお辞儀をするのに驚いた。
「お前は何者なのだ?」
『しまった! 育ちが良すぎるんだよなぁ~』
トムが何の事でしょうと、すっとぼけようとした時に、ロンドン中の教会の鐘が鳴らされた。
「ヘンリー8世が崩御されたのだ!」
シティは大混乱に陥り、トムはあまりお会いしたことがなかった父上の死に、考えていたよりもショックを受けた。
~~ 6年後 ~~
「まだ銀行に勤める気持ちになれないのかね?」
相変わらずシティで乞食をしているトムに、銀行家は何度目かの就職を断られて肩を竦める。
「ロスチャイルド氏、そろそろロンドンを離れた方が良いですよ。メアリー女王はカトリック教徒以外は皆殺しにするつもりですから」
エドワード6世が病弱で病が重いとは噂で聞いてはいたが、ロンドンでは姉のメアリーではなく、重臣の息子と結婚した従姉妹のジェーンが継ぐと囁かれていた。
「ジェーンは在位9日でメアリーに首を斬られます。流血のメアリーの時代が訪れます」
トムがそう言って立ち去った後、病弱な少年王の崩御の鐘が鳴り響いた。
「トムや、本当にフランスに行かなきゃ駄目なのかい?」
トムの乞食の稼ぎで、実は裕福な暮らしをしている家族は、突然フランスへ引っ越そうと言われて戸惑った。
しかし、トムのお陰でお金に不自由をしない生活を送れているので、信頼してついて行く。
トムはドーバー海峡を渡りながら、エリザベス女王の戴冠式までイギリスには帰らないと決める。
「お兄ちゃん、フランスでも乞食をするの?」
新しく引っ越した家ではキチンとした身なりで過ごしているし、本を読んで勉強もしているのに、昔の家で着替えて乞食を続ける兄が家族には理解できない。
「そうだなぁ、エドワード王子との約束も守る必要が無くなったな。フランスに行ったら、名前も変えようかな……」
トムは自分の影武者としてエドワード王子が生きている間は、乞食をし続けたのだ。
「名前を変えるの?」
「そうだなぁ、ペンネームのウィリアム・シェークスピアを名乗るかな……」
ウィリアム達を乗せた船はフランスへ向けて航海を続けた。