明日世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える
「明日世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える――って言葉、知ってる?」
彼が何故、この言葉が好きだったのか
今なら わかる気がする。
私は、小さい頃から転校を繰り返していた。
いわゆる、転勤族というものである。今回の場所で、もう4回目。
人生で初めて転校することになったとき、友達とのお別れが寂しくて仕方がなかった。
でも、まだ小さかった私には、その寂しさをどうすることもできなかった。
今その時の友達が、どこで何をしているのかは分からない。
でもきっと、私がいない世界にもすっかり慣れて、普通に生活しているのだと思う。
2回目の転校のときに、私は悟った。
ああ、どうせ友達を作っても、またすぐにお別れしなければいけないのだな、と。
どうせお別れしなければならないのなら、友達なんて要らない。
それからの私は、学校で誰とも話をすることなく、ずっと一人で本を読んで過ごすようになった。
今、私は高校2年生である。しかし、この学校とも今年度の終わりにはお別れすることが決まっている。親の仕事の関係で、県外へ引っ越すことが決まっていたのだ。
高校1年生の夏にここに引っ越しをしてきて、先生がした私の紹介はこうだった。
「来年度までしか居ないけど、みんな仲良くしてあげてね。」
途中から突然やってきて、更に在学期限まで付いている人間となど、一体誰が仲良くしてくれようか。
むしろ、私の方からそんなのは御免だった。
あなたたちは、あなたたちで高校生活を送っていればいい。
私は一人で本でも読んで、ここでの期間をやり過ごすから。
そうして友達も特に作らずに、2年生になった秋の頃だった。
この学校での生活も、あと半年ほど。
そんなとき、突然クラスのある男の子が話しかけてきた。
「お前さ、なんでいっつも一人で本ばっかり読んでるんだ?」
私はその子を無視した。私に、関わらないでほしかった。
どうせ、またすぐに居なくなるんだから。友達なんて作っても辛いだけ。
しかし、その日から彼は事あるごとに私に話しかけてくるようになった。
私はそれを、来る日も来る日も無視し続けた。
ある日の放課後、偶然彼と帰り道で出会った。
「お!文学少女!今日は何の本読んでるの?」
その日もいつものように無視して歩いた。彼は、私の横をついて歩く。
「なあ、そろそろ教えてくれよ。なんでお前、友達作らないんだ?」
私は彼のしつこさに いい加減、苛立ちを覚えていた。
この質問に答えれば、彼は私に関わって来なくなるだろうと思い、その日初めて彼と口を聞いた。
「……私、すぐいなくなるから。」
「え?」
「どうせ、今年度でまた転校するから。だから、友達なんて要らない。」
それを聞いて、彼は黙ってしまった。
その時の彼の顔が、少し悲しそうに見えた気がした。
すると、私に聞こえるか聞こえないかの声で、彼がポツリと呟いた。
「そんなこと言ってたら、何も出来ないじゃん。」
そう言うと、いきなり私の手を掴んできた。
「えっ、何?!」
「ちょっと来いよ!良いもの見せてやるから!!」
彼は私の手を掴んで走り始めた。私も仕方なく彼について走る。
どうしてこうなってしまったのだろう。
「……見て。」
彼が連れてきたところは、この街が一望できる高台にある公園だった。
ちょうど夕方の日が沈む時間帯で、街は沈んでいく太陽の光で紅く染まり、まるで街全体が夕陽に浸かっているように見えた。
「綺麗……。」
私は思わず口にしてしまった。それを聞いて、彼が喜んだ。
「だろ?おれのオススメの場所なんだよ。地元の人でも知ってる人はあんまり居ないんだ。
だから、ここは秘密の場所。」
彼は近くのベンチに座りながらそう教えてくれた。
「明日も、ここで待ち合わせな。」
「えっ?」
一体、この人は何を言っているのだろう。
「イヤよ。私は、友達なんて要らないの。どうせすぐ別れが来るんだから……。」
「別れなんて、いずれ誰にだって来るものじゃん。
お前は自分がいつか死ぬからって、一生友達作んないのかよ。」
「そ、それは極論よ……。」
「いいや!そういうことだね!じゃ、また明日待ってるから!!」
翌日、私はかなり悩んだけれど、もし本当に待っているとしたら待たせたままというのもなんだか悪い気がしてしまい、最後に一度だけその場所に行くことにした。
「おっ、来たね。」
「何よ。」
「いや、少し本の話でもしようかと思ってね。」
彼のする本の話は、私が読んだことのある本ばかりであった。本を読んでも、今まで誰かとその感想を話し合う機会がなかった私にとって、それはとても楽しい時間であった。
気がつけば、その翌日も、その翌日も、毎日毎日、その二人だけの秘密の場所に行き、本の話などの他愛もない話をして過ごしていた。
「明日世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える――って言葉、知ってる?」
「ううん、知らない。誰の言葉?」
「うーん、確か、マルティン・ルターだったと思う。」
「ふーん。どういう意味?」
「さあ。でも、おれこの言葉がなんだかすごく好きなんだ……。」
私は今まで、自分の存在というものを感じたことがなかった。
私が友達というものに関心がなかったし、そんな私に関心をもつ人もいなかった。
私など、居ても居なくても変わらない存在なのではないかと感じていた。
でも、二人でくだらない話をしているときは、確かに私はここに居るのだという実感があった。
そんな日々も終わりに近づき、私が転校する2日前。彼は突然学校を休んだ。
試しに秘密の場所で待ってみたが、その日彼は来なかった。その次の日も、彼は休んだ。
どうしたんだろう、と思ったが、私にはどうする事も出来なかった。
そして、彼に会えないまま、転校する日が来てしまった。
父の車で空港へ向かう。飛行機でなければいけないほど、遠くの地へ引っ越ししてしまうのだ。きっと彼にはもう会えないだろう。
父の車に乗り込む瞬間、後ろから声が聞こえてくる。
「おーい!」
一度も話をしたことのない、近所に住んでいる同じクラスの男の子の声だった。
「ハァ……ハァ……間にあった……。」
「どうしたの?」
「うん……君、途中から転校してきたから、たぶん知らないよね。彼のこと。」
「え……?なんのこと……?」
――――
「離して!!お父さん!!」
私の腕を掴む父親に向かって叫ぶ。
「一体、どうしたというのだ!」
「やっと気付いたの……。私が、すぐいなくなるから友達なんて要らないって言ったとき、彼がどうして悲しい顔をしたのか……。
私……何も知らなかった……。
あいつが……病気だったなんて……。」
彼は、重い病気を患っていた。あまり例のない珍しい病気で、見た目は健康そのものなのだが、実際はいつ何があってもおかしくない状態らしい。
だから入院をしてしっかりと治療をしよう、と医者は言った。
でもそれは治るための治療ではなく、死期を延ばすだけの治療だった。
彼は、それを嫌がったのだ。
残りの人生を病室で一人過ごすよりも、学校でみんなと過ごしたい、と。
彼の望みから、普段は学校で過ごすことが許されていた。しかし2日前に体調に変化が見られたため、緊急入院したということだった。
「今行ったら、飛行機に間に合わなくなるぞ!」
父親が、私を引きとめる。
「でも……友達だから……!!」
「友達?なんだお前、友達なんて出来たのか?
どうせ、すぐに別れてしまうのだから 作らなきゃ良かっただろう。」
「そんなことない!!すぐに居なくなるとしても、確かに私はここに居たんだよ!
あいつも、確かにここで生きていたんだよ!友達になれたことで……それがわかった……。
彼が教えてくれたんだよ……。」
私と彼が、それから会うことは叶わなかった。たった一度で良かった。
ただ、感謝の気持ちを伝えたかった。ただ、お別れの挨拶をしたかった。
もう最後に交わした言葉が何であったかも覚えていない。
また明日も会えるからと、適当に帰るべきではなかった。彼に明日は約束されていなかった。
クラスの男の子から渡された、私宛の彼からの手紙を強く握りしめながら、私は声をあげて泣いた。
「手紙を書くのなんて、慣れてないから照れくさいな。
別れの挨拶も言えずにさよならになっちゃって、ごめんな。
実はおれ、病気なんだ。いつ死ぬか分からない。
もしかしたら、明日突然死ぬかもしれない。
そう考えたら、明日を信じられなくなって、友達を作ることも怖くなった。
でも、そうやって生きていくうちに思ったんだ。
明日突然死ぬかもしれないなんて、命あるものはみんなそうだよな、って。
そんな中でみんな、明日を信じて頑張っているんだよな、って。
だからさ、どうせいつか終わるからいいやとか、そういう風に
終わることを想定した生き方なんて、してほしくなかったんだよ。」
私は意味がないからと、リンゴの木を植えることをしなかった。
彼はそんな中で、リンゴの木を植える意味を見つけていた。
だから、彼はそんな私に 昔の自分の姿を見て
一緒にリンゴの木を植えようと 誘ってくれたのだと思う。
もし明日、彼の世界が終わっても そのリンゴの木が彼の生きていた証。