こいの空回り ⑥
「仁君は僕を過大評価しすぎている。そう思うんだよ」
朱莉君を縛っていた蔓を切り終わってから鬼が戻ってくるまでに即席の迎撃準備を終える。上手く仁君が時間を稼いでくれたのだろう。
ただあの子は大抵の事で死なないからと無理をするのが心配なのだが。
「あやつがお主へ向けておるのは、信頼というか、なんじゃろうな。父へと向ける全能感なのかもしれぬのぅ。……評価を落としたいのならば普段通りに働かぬ、というのも手ではないか?」
それでも彼ならば「俺たちに全て任せようとしたんだろ? 悪ぃな大将。期待に応えられなかったぜ」などは言いそうである。いやはや、僕程度に過分の信頼だ。
「それも一つの手ではあるが、僕は彼の面倒を見なければならなくてね。それに、彼の前では並の相手に負けるわけにもいかないのさ」
契約と言えるのかもしれない。実際はただの口約束に過ぎないのだが。
あの時に死んだ彼女と恋人のためにもね。
「……こやつのは切らずとも、良いか。面倒そうじゃし」
明日まで残り十五分。鬼が嘘を吐く時はその場に居る者を皆殺しにしなければいけない。鬼という種族は嘘を吐かない事を誇りとする種族だ。もしも嘘を吐けば、同じ鬼から殺されるだろう。だから彼女が明日まで傷付く事はないだろうが、彼女にごねられると少々面倒だ。大人しくしてもらうのが無難だろうね。
「まぁ、お主と山野の事じゃからなぁ。私は何も言えぬが……む。掛かった!」
朱莉君が視線を向けた先で火柱が立つ。周囲に植物が燃えないのはそういう妖術だからだろう。しかし、どんな方法を使っているのやら。
罠にかかるまで鬼の気配は感じなかった。今はすでに鬼の憎悪と殺意の気配が肌に突き刺さりそうな程に感じているというのに。人外ならば僕の結界内に入った者が感知されないはずがない。
「……気配を感じなかった理由、わかるかい?」
「知らぬ。じゃが罠にかかった以上は現実に存在はしておるのじゃろう。身を隠すや薄くするという方法ではない、という事しかわからぬが、これ以上気配を隠す意味も鬼にはあるまい」
即物的な判断で何よりだ。確かにこの場ではこれ以上のことはわからない、か。後々のためにも知っておきたいと思ったのだがね。
しかし鬼が来たか。仁君はさっきから同じ場所に居るという事は、負けたと判断していいのだろう。今の状態の彼でも、並の鬼なら相手にする事が出来るはずなのだが。出来なかったと言うのならば、並ではないのだろう。
朱莉君は近接戦闘に向いては居ない。ならば力不足ではあるが僕が相手をするしかない。
火柱が上がった方向に目を向ければ月明かりに照らされて鬼が姿を現す。彼女の術は感情を燃やすという術だ。アレ程に大きな火柱ならばこの鬼もまた激情を持つはずだと言うのに。
「闇に紛れての奇襲を行わないのかい?」
「月と星が明るすぎるのでな、人間」
焼け焦げた身も、裂傷で血を流す傷も、打撲だとわかる痕も気にする事なく鬼は冷静そのものの声色で僕の前へと現れた。……成程、これは仁君には厄介な相手だ。
激情を抱きながら、しかし表には出さない。この状態、この鬼は、狂っている。どんな妖怪でも抑えきれない感情を抑える事は出来やしない。
「ああ、良い夜だからね。……初めまして。僕は九十九屋百鬼店主、狭間・興。君との交渉を行いにきた。出来る事ならば話し合いで解決できないだろうか」
怒気が膨れ上がったのを感じる。
威圧。思わず頭を下げ、逃げ出したくなるような畏怖の感情。流石、鬼。
だがそれらを全て無視して観察する。
目は二つ。一つ目ならばそれは神と同質の力を持つ。そうでないならやりようはある。
指は五本。それは慈悲の心を持つという事だ。交渉の余地はある。
「名乗らないのならば、君は名を持たない鬼なのだろう。だが僕が感じる威圧感は今まで出あった鬼たちの中でも五指に入る」
「言葉を尽くす事に意味はないぞ、人間」
「……だが言わせて貰う。君はきっと、将来名を得る鬼だ。そんな鬼を人間は退治しなければならない」
かつて名を得た鬼たちは各地を荒らして回った。大江山の酒天童子を始めとして、茨木童子。紅葉。温羅。この鬼はきっとソレらに匹敵する力を持ってしまう。
「それでも僕は敵対を望まない。だが、晶さんも渡せない。どうか対話で解決できないだろうか?」
鬼の返答はすぐに来る。拳という形で。
「っ!」
咄嗟に左へ跳ねて避ける。地面を抉るように放たれた拳によってさっきまで立っていた場所は抉り取られていた。
鬼の瞳には怒りの炎。やはり対話で解決は不可能、か。
「朱莉君!」
「うむ!」
反応するまでもなく朱莉君が晶さんを担いで走る。流石、妖怪。人を担いでいてもその足取りの軽さは僕よりも速い。
もう一度、抉られた地面を見る。爆ぜるように吹き飛ばされた地面。もしも僕が当たれば即死だろう。
「警告だ。逃げるというのならば追わずにおく」
成程。まだこれで容赦をしてくれるとは、お優しい事だ。その優しさには悪いが、逃げるというのは出来ない。
店のためにも、僕のためにも。何より彼女のために。
「魅力的で頷きそうになるね。だが困っているモノを見捨てるのは店の流儀ではなくてね。君も困っているなら力を貸そうか?」
皮肉に聞こえる言葉を最後まで鬼は聞かずに、迅雷の如き動きで迫り来る。避けて、避け続ける事は不可能ではない。
だがそれでどうなるのか。最後には体力が切れた僕が倒され、朱莉君たちが捕えられて終わりだ。
「ぬ!?」
僕の身体は鬼の拳によって貫かれる。まるで紙のように。いや、紙だ。
貫かれた身体はいとも容易くその形を失い数十の符となり鬼の腕へと絡みつく。
「身代わりの術。ではないけれどね。忍者の真似事さ、効果はご覧の通り」
僕の形をした符を動かすのは少し疲労するが。しかし彼の右腕を縛ったのは大きい。
この符は循環の符。本来は外へと向かう力を内へと留め、傷を癒したり消耗を抑えるのが目的だが、使い方を変えれば相手の力を内へと向けて縛る事が出来る。
「小細工を……!」
「人間だからね、何でもするさ」
先ほどまで朱莉君たちを捕えていた場所から起き上がり走る。後ろからの迎撃には少しの時間を要するだろう。
声のした後ろへと振り向き、右腕を下げたままの鬼がこちらに顔だけを向ける。
これ以上の僅かな時間でも与えれば鬼は更に迎撃態勢を整える事になるだろう。拳も驚異だが、それ以上にあの足も恐ろしい。
「仁君と戦い、朱莉君の罠にかかり大分傷も負っただろう。医者なら戦闘を止めるはずだ」
「貴様の知っている医者は藪医者なのだろう!」
軽口に乗ってくれる優しさと余裕を見えてくれるとは、腕一本程度では揺らがないか。
と、思考する合間に鬼は足で大地を踏み抜く。結果として起こるのは地面の微かな揺れ。
鬼が武術を扱う。規格外なものだ、まさか地面を震えさせるとは。この地面をまともに走るのは困難だ。脳が大地を確かめるのに時間がかかり、結果、足元がおぼつかなくなる。
僕が武術を習っているとしても、だ。
「仁君の師匠が誰か、味わうかい?」
震える地面を駆ける。身体を一気に倒し相手の視界から外れるために、また速く動くために。鬼はこれを見た事があるのか視線を即座に下へと向けて、吼える。
「甘い! 二度見た技が効くと思うか!」
成程、仁君はやはりこれを使っていたか。使う時は仕留める事の出来る確信を得た時に行わなければならないのだが。
いやはや、彼もまだ判断が甘い。
「そうだね。蜂蜜のように甘い。彼も、君もね」
踏み抜いた状態で僕を待っていたように鬼は足を振りぬく。まともに当てられたらその部分が引きちぎられる威力の蹴撃。一度見たとは言え何の混乱もなしに出来るとは見事。
「焦りと油断、どちらかな?」
身体が解けて先ほどと同じように鬼の片足は封じられる事となる。右腕と右足。利き手と利き足の二つを、鬼は完全に封じられた状態。これでようやく五分、いや三対七で僕が不利だろう。
「……! 焦りと、答える!」
鬼は周囲を視線だけで見て僕の姿を探す事を諦め、朱莉君の走る方向へと残った片足だけで跳ぶ。いい判断力だ。弟子にしたくなる。
けれどそれを行わせるわけにはいかない。
「悪いがね、僕の前で攫わせるわけにはいかない」
朱莉君に抱えられていた晶さんの身体、その表面が解け、符が地面へと落ち彼女よりも大きな僕が姿を現す。流石に、少し窮屈だったね。
解けた後の僕を朱莉君が投げ捨て、晶さんを隠してある場所へと走っていく。全く、投げ捨てられる僕の身にもなって欲しい。
「来るがいい鬼よ。相手になろう」
宙から落ちる鬼が罠にはめられた事に気づき顔を悔しそうに歪め、即座に意識を切り替えた。
「三度仕掛ける気はあるまい! ならばここで殺す!」
殺意が迫る。一歩でも選択肢を間違えれば僕の死は確定する。繊細な器用さと大胆な観察。何よりも培った技を発揮しなければならないだろう。
上から迫る者と下で迎え撃つ者。技量が同じだと言うのならば、落下速度と腕力を考えて僕が不利。何せ掠りもすれば僕はそれで敗北だ。緊張で目眩がしそうになる。
だが避けたとしても、着地した後に広がる無数の可能性から勝利を掴むのも難しい。ならまだ成功すれば勝てる方法を使用した方が勝てると判断する。
念じ、擬態を解いた時に落ちた符が鬼へと殺到する。これに相手を傷つけるような効果はない。そもそも擬態を解いた時点で効果のないただの紙となっている。
それでも目くらましの効果にはなるだろう。
鬼は僕を見失い、僕は鬼の場所を正確に知る事が出来る。我武者羅に鬼が僕の居る場所に当たりをつけて拳を伸ばす。しかし、無意味だ。
「狭間流『枝垂れ』」
伸ばされた腕を掴み、捻り、そのままに叩きつける。
「グ、ァ」
骨が折れ、肉を引き裂いた音が聞こえた。残った左腕はこれで使い物にならないだろう。残っているのは片足。その状態で抗おうと思う程、鬼も馬鹿ではないだろう。
いや、そういう問題ではなく感情の問題だ。例え首だけになっても抗う事は出来るのだから。
「大人しくして欲しい。そして、聞いてくれるかい。君は彼女を殺してもその怨みが晴れる事はないよ」
予期せぬ痛みに呻く鬼の四方を宙に浮かんだ符で囲い結界を作り出す。だが二回のヒトガタの行使を行った関係上、僕の霊力は厳しい状態だ。
常に朱莉君や仁君を使役している関係で、僕は実戦で符などが余り使えない。今回は余裕を見せていたが実際の所はかなり際どい状態なのだ。
「ほぅ。何か推測出来たのかのぅ、狭間。どのようなものか聞かせて欲しいのじゃが?」
晶さんの様子を見終わり、こちらが一段落着いたと判断したのか朱莉君が寄ってくる。警戒をかかさないのは、彼女が僕の店へ入ってから覚えた成果だろう。
「仁君が来たら話そう。彼ならそう遅くもなく来るはずだ。……それに、今の状態を維持するのは少し難しい」
後半は朱莉君にだけ聞こえるように言葉にする。言葉の内容が理解できたのか申し訳なさそうな顔で朱莉君は頷く。
こんな怨念が渦巻く山の中、僕の縛りがなければ朱莉君は荒魂へと染まりかかる。やれやれ、敵陣というのは厄介な場所だ。
「何を、言っている、人間! 俺の怨みが晴れぬだと、何を根拠に! 俺にはある! あの女を殺す理由が、意味が、恨みがある!」
理解できる。頭の中で組み立てた推測が当たっているのならば、彼には彼女を殺すに足るものがある。
だからこそわかる。その全てには何の意味もないと。
「あ! すみません、この蔓切ってくれませんか?」
……厄介な場面で起きてくれたものだ。
気絶してもらうのが早いのだが、僕は今手を出そうにも出せない。
「起きましたか、晶さん」




