九十九神屋 ⑩
女の言葉が聞こえたような、気がした。
痛みはいつの間にか無くなり、よろめきながら起き上がれば、目の前は、神話の世界。
「……何が」
起きているのか、わからない。
少年が立つ土地は草が枯れ土地は潤いを無くし、その力を少年へと捧げるように力尽きていく。
巫女は空に浮かびながら苦い顔で光の弓矢を打ち続けており。
彼女は、破壊されながら、即座に自らの身体を再構築し直している。
「大将。ガキを鎮めて、巫女を殺すんです。あの、山姥が、そう言って、大将の身体を、治してやした」
息も絶え絶えに、僕の隣に立つ満身創痍となった子が言う。
理解を拒否したくなるような言葉であり、意味を知りたくは無い言葉だった。
仲間を殺した敵の息子を鎮める。それは救うという事だ。何よりも、僕の身体を治したという事は。
「……あの女は、死んだのか」
「へい。理由は知りやせんが」
殺して、戦い、死に、勝手に託す。神というのは、こういうものだ。
こちらの都合など構わず自分の思うがままに意志を貫く。
これだから、神は嫌いだ。
後々に思考したところ、推測は出来た。結局の所、自分が助かる見込みがないから僕を助けただけだったのだろう。命を助ければ助けるだろうと勝手に信じてね。本当に勝手な話だ。
そこまで息子の事を大切に思うのならば、こうなる前に手を打っておけばよかったのに。
「……ッ。残っているのは?」
「あっしを含めて十四す」
こうもあっさりと壊滅か。いや、だが僕と彼女を含めて十六だ。まだ、まだ。壊滅してはいない。そんな言い訳で自分を擁護する僕の姿は浅ましい。根底で自分と彼女さえ無事ならばいいとでも思ったのだろうか。きっとそんな考えだから誰も守れなかったのだ。
「彼を鎮めて巫女を討つ。そのために動く」
「へい」
走る。身体は、軽いとは言えない。肉体は治った。だが内側に存在している結界に違和感がある。先ほどの巫女の一撃で何か異常があったのだろうか。
「興、無事?」
彼女の隣に並び立つ。身体に傷はなく、そして僕と常に居る時よりも力が漲っているように思える。理由を探せばすぐにわかった。
「……君の、奥の手か」
付喪神と化して彼女のような力持つ物が何も変化がないわけがない。
ごーれむの特性は真理の文字を消されない限りは不死という事だ。そして命を持った彼女は。
「ええ。……里の人に負けた証として、だったんだけど。流石にいいかなと思ってね」
簡単に頷くだけで、当時の僕は済ました。よく考えればわかるだろう。守るために、この場から生き残るために自身の矜持を捨てたのだという事ぐらい。
戦う事に必死だったというのは言い訳だ。頭が回らない子供だったという事なのだろう。
「なら、二人に負けるわけにはいかない、な!」
駆ける。巫女の下へ。
その間に彼は波一つない水面のような動きで腕を振るい、枯れ果てた大地を割る。地面が揺れ亀裂が入り何をしたいのかを悟る。
「どうするの?」
「彼に巫女を倒して貰おう。誘導を頼むよ」
頷いた気配を感じて彼女が彼へと向かう。そして僕は、巫女と対峙した。
まるで初めて会ったかのような重圧に腹の中身を吐き出しそうになる。それ程の威圧感。上位、いや中位の神と対峙するとこれ程の恐怖があるのか、と頭の隅で場違いな感心をする。
「……どうしてだい?」
下から空に浮かぶ巫女へと問いかける。巫女は笑い、多少若返ったように見える顔で小首を傾げる。僕の質問の意図がわからない、わけではないだろう。
意図がわかり、どれを応えて欲しいのかという疑問だったのかもしれない。
「どうして、その力を得ようと思った」
問い。僕がしたかったのはこの問いなのだろうか。何故裏切ったのか、どうして今行動したのか、他にも様々な疑問があったはずだ。
「……貴方には、わからないのかもね。人間は弱いの。老いて死ぬし、妖怪と渡り合うのは難しい。大切な人を守るためには大きな力が必要なのよ。ふふ、それに永遠の若さというものに女は皆憧れるものよ?」
最後だけは冗談なのだろう。もしかすると多少は本音が混ざっていたのかもしれない。
「人間は弱い。だからこそ守るべき価値があるのではなかったのか! 貴女は強いというのに!」
巫女は強い。神を降ろす姿こそ終ぞ見られなかったが降ろさずとも人間の技術だけで大抵の妖怪と渡り合える。それ程の人間が。
「でも全てから守れるわけじゃないでしょう。貴方も無力を感じているはずよ、もっと強い力があればと」
冷めた表情で、教え子を諭すように言う声色は優しい。
いっそ和解を叫びそうになる気持ちはある。だとしても、友を殺した巫女を生かしておくことは僕の中にある基準として許される事ではなかった。
故に、残った妖怪達を刃として突きつける。この刃を維持する間ですら身体の中が破裂しそうな痛みを堪えて。
「友に頼ればいい。仲間に頼ればいい。貴女がその身をもって教えてくれたことだろう!」
共に戦い背中を預けた。彼女と共に戦うのは楽しい。しかし巫女と共に戦えるのは安心すらあったのだ。信頼できる仲間であり、友であり、憧れた女性だったから。
「ならごめんなさいね。私は、一人で戦える力を求めたのよ」
これ以上の言葉は不要と巫女は数百を超える光の矢を放つ。僕はそれを、妖怪の力をもって空へと飛ぶ事で避ける。
言葉はいらない。これ以上は無意味である。
後はただ戦った。近づこうと動き、しかし一歩も近寄らせず。僅かな隙で肉薄したところで自在に伸びる薙刀が身体を掠め、間髪置かずに矢が放たれる。
圧倒的な力と矮小な存在。それを自覚するためだけの戦い。
「鬼さんこちら」
緊張ははちきれそうな状態がどれ程長く続いたのかわからない。わからないが、彼女の声が聞こえ。
「鏡、下へ!」
咄嗟に地面へと降り立ったと同時に僕が必死で飛んでいた空を何かが通過する。
何かを確認しようと思った時には風の衝撃波が周囲に巻き起こり。
「――」
咄嗟に風から庇った腕を下げれば、半身が吹き飛ばされた巫女と、片腕を無くした彼が空から地面へと崩れ落ちる所だった。
「ッ!」
駆ける。どちらを受け止めるか、迷うことは、なかった。
「っと」
青白い顔になった彼を、少年を受け止める。
後ろからは骨がひしゃげ肉が撒き散らされるような音。振り向けば、予想通りに巫女がその場に崩れ落ちている。
左肩から足の付け根までを獣に喰われたかのような身体になって。
「……ふふ。……強い、わねぇ。本当、でも」
ただでは死なない、とでも言うように巫女が笑い。刃が、砕けた。
刃がでない。彼らの存在が。
「な!」
「貴方の全てを奪うわ。羨ましいの、貴方が、本当に。まるで物語の主人公のような貴方が妬ましいから」
ゾっとするような声。この世に存在する全ての悪意を煮詰めたソレに、身動きが封じられ。
「母様を、殺した、奴、まだ、生きて、るのか!」
腕の中に居る彼が目を見開き僕の足元が乾く。考えるに、山野君が荒神となった際の能力は大地から力を奪い取るという能力なのだろう。
龍脈にまで届いてしまえばそれだけで日本を危うくするような、恐ろしい力。
判断がつかず、呆けていた僕の腕をするりと抜け、巫女へと迫ろうとする彼は。
彼女によって受け止められる。
「……死ぬわ。もう、放っておいても死ぬ。でも。そうね、私たちの責任だもの。友人だった者として私が殺すから。貴方はその手を汚さないで。ね?」
受け止め、抱きしめ、殴り飛ばした。
彼が殺さないように。彼に殺されないように。
「そういう事だから。さようなら、巫女さん」
「……ええ。あの娘によろしくね。いい母親ではなかったから」
巫女は微笑み、彼女は苦い顔をして。
首を、手刀で切断し渾身の力で頭を粉砕した。
いかに神といえども、いや人に信仰されていない神で、その成りかけ。まだ人間である事を残している以上頭を破壊されては生き残れやしない。
何もできず、僕はその光景を見ていた。確かに彼女が言う通り、無力という事に絶望しながら。
親しい者が彼女以外全て居なくなった。夢なら覚めて欲しいと願うような現実。同時に彼女だけは生き残っているという僅かな希望。
「それじゃああの子を、鎮めましょう。鏡、貴方が使役なさいな。封印は私を使うから」
その希望さえも打ち砕かれる。
「何を、言って!」
「あの子の魂は鎮まらない。なら封印するしかないけど、貴方の中にあった結界は半分壊れているじゃない。それを使うのはもう無理。あれだけの存在を封印するのなら、私の全てを使わないと手段がないのよ。わかるでしょう?」
更に言えば、彼女を使った所で完全に封印は出来ない。だから使役して配下とし力を適度に発散させろと言う意味なのだろう。頭ではわかった。理性は納得した。
感情は納得しない。
「なら、彼を!」
「ダメよ。ねぇ、鏡。お願い」
悲しそうな顔で、申し訳なさそうな表情で、泣きじゃくる赤子をあやすような口調で。
彼女は、言う。
わかっていた。彼女が自分を曲げない事は。それをどうにかできるなんて思ったわけではない。それでも彼女を失いたくはなかったのだ。
「後のことはお願いね。これから大変だろうけど」
吹き飛び気を失っている彼を抱き上げ、彼女は微笑みを浮かべる。
「愛しているわ鏡」




