九十九神屋 ⑧
「興、早いわね」
「神の側面があると私あんまり出来る事がないのよねぇ」
拳を避け、大地から生える木を圧し折り、揺れる地面を踏みしめる衝撃で相殺しながら彼女が戦っていた。まるで女神のようだ。
思い出す度に、心に響き、この光景はきっと山野君が目指すべき理想だろう。出来る事ならば山野君に見せてあげたかったものだ。
「僕以外の皆が優秀なのさ。僕もお邪魔するよ」
「二人同時かー。私はいいけどねー。彼女が怒るよー?」
彼女が拳を叩き込み女がそれを片手で強引に防ぐ。膂力は彼女以上か、僕が攻撃を受けたら死ぬだろうね。
拳を受けた隙とも言えない隙へ強引に符をねじこめば、地面から生えた木がその符を貫く。
近づけば僕の身体にもう一つ使わない穴が開いていた事だろう。
だがそれでも。
「なに、僕の姫さ。我侭は言われて丁度いい」
彼女の大振りによる一撃を女は避け、反撃しようとした腕を少しだけ押す事によって狂わせる。直前に女の身体から生えてきた木は僕の身体に仕掛けられている符で迎撃。一度しか通じないだろう。
「我侭なんて言った覚えはないわよ?」
空振りに終わった腕から上半身をしっかりと捻り、右足を軸として溜めた左足を女へと振りぬく。さすがにこれを避けるのは骨が折れるだろう。当たれば粉砕だろうが。
「あははー、いい二人だね。私も旦那を思い出しちゃうわー」
その蹴りをまさかというべきか。女は足で受け止め、その足は吹き飛ばされる。
「あ、チャンスかしら?」
足を弓で貫く巫女の言葉に一瞬だけ思考が空白となり。
「興」
反射的に後ろへと飛ぶ。
「あ、勘がいいね。避けられるとは思わなかった」
血が噴出すかと思われた足から数百の木の枝が生まれる。まるで人の手のような枝。悪趣味としか表現の出来ない、生理的な気持ち悪さを持つ枝だろう。
「うーん。強い方だね。ただ圧倒的な強さじゃあ、ないね。そこの君は完全な状態じゃないからかな。完全だったら私と同じ強さはあると思うよー?」
木の枝は収束し、蠢くように集まり足の形となる。
巫女が射った足へと視線を向けてみればそこには一本の木が生えており、理解を得た。
「……山姥。山の妖怪にして豊穣の女神。自身の領域である山が肉体そのもの、といった所だろうか。山を破壊しなければ君を殺すのは不可能なのだろうね」
山野君にもその性質は多少なりとも受け継がれているが、彼の場合は体外にある木を内部に取り込めるという程度だ。
やはり真性の人外と比べれば格が違うのだろう。
「大体ご名答かなぁ? それでどうするのかなー? この妖怪様を相手にさ」
地面から椅子の形をした木を生やし、それに座りながら僕らを睥睨する様は女王のようである。神であるならば、殺しきれる自信はある。妖怪であるならば封じられる自信はある。
両方ともなると少し難しい。
「……交渉を再開するには難しいだろうね」
「この土地を私たちの場所だと認めるなら、見逃すよー?」
当たり前の言葉だろう。優勢の時に優位な条件を出さない理由はない。圧倒的だと思っていれば思っている程に。
「やれやれ。どうしましょうね。二人はどうする?」
巫女が溜息を吐きながら離れた場所でこちらへと問いかける。わかりきっているだろうに。
僕と彼女で受けた依頼は今の所、全て達成しているのだ。
「興?」
「少しで十分だ」
打てば響くとはこういう事を言うのだろう。山野君と朱莉君も最近はこんな感じだが、僕と彼女はそれ以上だった。と言うのもやはり惚気になってしまうだろう。
「何を企んでるのかわからないけど、無理だと思うよー?」
それでも阻止のために動き僕の前へと女は降り立ち。
「興に触れていい女は私だけよ」
目にも留まらぬ疾駆によって近づき放たれた彼女の拳によって僕への攻撃は中断される。
「私も頑張りますか」
呟いて巫女もまた弓から矢を放ち女の動きを制限する。巫女の矢は破魔の矢だ。神の部分には効かないだろうが妖怪の部分を併せ持つ山姥に対してはそれなりの効果を発揮するだろう。
ただそれなりの域ではない以上、僕も努力はしなければならない。
「僕のやろうとしている事は簡単だよ。君を倒すための行動さ。つまり僕を真っ先に倒さなければならないわけだが」
簡単には行えないだろうね。ただこれまで一度も簡単だった瞬間なんてない。この時もそうだし、これ以後もそうだ。
動く。無数ともいえる枝が生えるがそれに時間を使えない。彼女は女が抑えているためこちらに手を回す余裕などはないが。
あったとしても、僕を助けようとは思わないだろう。彼女は僕を護ると言った。だが僕はそれに甘んじていられないと、そう誓ったのだから。
「この程度は、どうにか、出来るさ」
自分を奮起させるように言葉を区切る。
枝の起点である大地へ疲労回復の符を投げつける。大地に疲労はない、だが今のそこは女の支配下で一部でもある。
土は枝の出現する勢いに耐え切れず枝も四方へと飛び散るように放たれる。僕へと向かう数は百に満たない数。それを避けるのは易い。腰を後ろへと曲げ横へと重心を移動させながら迫る枝を蹴り抜き数歩分だけ移動。
そう長く脆いままでいられないだろうが、少しだけ持ってくれるなら十分だ。疲労の状態を即座に解きたいのならば、山への支配を解除しなければならない。
「ふぅん、小賢しいね? でも、人間だからこそかなー?」
木を生やす事はまだ継続して行われてはいる。片手間の作業でありそこからは彼女を相手にして、巫女の攻撃を払って、なお余裕があるという事なのだろう。
強い。並の妖怪でないのはわかっていたが、それでも異常とも呼べる強さだ。
何がここまで強さの原動力となっているのだろうか。深く疑問に思わなかった事は、きっと感情というものを無意識の内に軽視していたせいかも、しれない。
付喪神以外の、人間や他の妖怪の感情を。
「君たる天に、地は迷う」
世界を脳内に作り出す。天地の創造、いや想像。浅い構築方法だ。言葉に出している所が情けない。だが当時の僕ではこれが限界だった。
「風の入り、時は始まり雷を招ず」
女は気づく。それがどのような効果なのか。全てを知っているとは思えない。
「暗闇に火、感じるは水」
しかし、止めようとした所でそれはすでに遅い。
「不動の山、よろこびの沢」
すでに構築は終わる。
「八卦、天地創造!」
叫ぶ。魂から、意味のない雄叫びを。
隙だ。致命的で、壊滅的で、どうしようもないような。そんな隙だ。
「やらせ、ないよー!」
先ほどまでの楽しげな口調とは裏腹の焦ったような口調は女の状態を表している。
叫んだ時点ですでに効果は完了している。ならば、すでに女の支配力は。
「興!」
彼女の叫び声が聞こえる。すでに結界は展開されているのだ。ここで僕が倒れるような事があろうとも敗北はありえない。
最悪、僕が傷つこうとも回復は可能だ。だったのだ。
だというのに、巫女は、前へ、出た。
「な!」
「ちっ!」
僕の前に飛び出した巫女の胸を女が貫く。世界の時間が遅くなったように見えた。
舞い散る鮮血が僕の頬まで飛び、背景から聞こえる付喪神達と妖怪達の声が遠く聞こえ、彼女の拳が女を叩き潰し、最後に。
「母上ぇぇぇぇぇー!」
子供の絶叫が、響いた。
「その後は飛ばそう。そして、あっけないだろうがね。これが真実だ」
痛むような嘆くような口調の彼に私は何も言えない。何故、母がそんな行動をとったのか。
当たればきっと致命傷。治す手立てがあった事を失念していた、なんて事はなかったはずなのに。
「……本当、ですか?」
「ああ。真実だ。あの人は僕を庇った。実際に僕が抉られていれば助からなかっただろうね。神の呪詛を持った傷だよ、簡単に治るはずがない」
成程、言われてみれば腑に落ちますね。巫女であった母がその事を知りえないはずがありません。ならば、自分よりも彼を守った、そういう事なのでしょう。
なんとも母らしい。
「……彼女の、方は何故?」
「子供がね。まぁ、その子は山野君だったんだが。話の流れからわかる通り、彼が山姥の子供でね。あの子を守るために山姥は限界以上の力を、出していたのかもしれないね」
母が子を守るために。その愛情は計り知れず。妖怪であるならばそれが力となる。
どれ程の力を得たのか。想いだけで強くなるのは難しいですが、母親という存在ならば。
「彼女は荒神と化した彼を止めるためにその身に宿った力を使い、彼の半分を封印する力となり果てたよ。僕だけの力では、不可能だったから、ね」
その身を犠牲に、神を止める。戦いにならなかったわけではないないでしょう。
きっと壮絶な争いだったはずです。彼の所に居る付喪神の中に、子供の頃に見た物は一つもない。ならば九十八の付喪神も神を抑えるために消えていったのでしょうね。
「そこまでの?」
「ああ。そうだね、簡単な例えだが、名前を持つ鬼を君は相手に出来るかい?」
考える。可能か不可能かでいうならば、不可能。完全な準備と数人程の腕利きが居れば話は別ですが。一人では無理があるでしょうね。
「彼は多分一人で三体までの鬼を相手に出来る」
馬鹿げた強さですねそれは。流石は、神の子供というべきなのでしょうか。それとも妖怪の子供? ……いえ、どちらでも正しいのでしょうね。
神の血と妖怪の血が混じっていて。いえ、でも。なら。
「……彼は人間との子、なのですか」
「よく気づいたね」
山姥は人に触れるだけで数万の子を作ったと言われています。ただ彼一人だけしか子が居ないのならば。……まぁ、その、そういう事なのでしょうね。
「麓の村に居た人間との子らしい。……今更だが、彼の事を責めるのは」
「しませんよ」
思う所がないわけではありません。
ですが。
「こんな仕事です。いつどこで命を落とすかもしれないというのはわかっています」
覚悟は、出来ていました。この人に八つ当たりをしてしまった事があるのは否定しません。ですが、山野君はきっとならば私と同じなのでしょう。母を殺された者同士。
悪意よりも同情の方が先に立ちます。何よりも、これが一番大きいのかもしれませんが、もう何年も前の事です。
今更ほじくり返すようなみっともない真似をしたくはありません。この人に幻滅されるかもしれませんしね。
「ありがとう。そして、すまない」
心の底から申し訳ないと思う気持ちが伝わってくるような言葉です。
……この人は、本当に。ここぞという所でこういう態度を取るから、好きになってしまう。
「いいえ。……それからは、今のように?」
「うん、そうだ。山野君とは今のような関係なるまでに長くかかったがね。仲間を得て、朱莉君と戦い、今のような日々を過ごす事になっているよ」
言葉にすればあっという間ですが苦労があったのは想像に難くありません。
最愛の人を殺した相手。許す事が簡単だなんて誰が思えるでしょうね。でも今は実の子供のように接している。
それがどういう意味を持つのか。わからない程、子供ではありませんから。
「……これからも?」
「ああ。可能なら限りね。……いや、無駄話を長々とすまないね。疲れただろう」
それ程でも、いえ、ですが、確かに眠気が少し。
「何、眠るといい。結界は張ってあるからね」
言葉に安堵を覚え、瞼が徐々に重くなり。
「ゆっくりと、眠りといい」
彼の言葉と共に意識が、落ちる。
「……悪い事をした」
術により眠りについた彼女へと小さく謝罪の言葉を送る。まさかここまで話が長くなるとは思わなかった。流石天才巫女と言えるだろう。
全ての言葉の裏に眠りの意味を込めていたとは、さすがの彼女も思わないだろうが。
「……だが、最後以外は真実だ」
言い訳だろう。彼女にはもう聞こえていない。
最後だけ。そう、巫女が死んだ場面の事実以外は全て真実だ。巫女は、あの女はそんな簡単に死ぬような奴ではなかった。
災害の如き力を発揮した、あの巫女は。
「知らない方がいい事もある」
あんな事は、彼女にはまだ早い。いや永遠に口を噤むべきだろう。父親の方は薄々だが気づいていると思うが。
思い出す。凄惨にして壮絶な争いを。
そして、全てを無くし、山野君と共に歩く事になった始まりを。




