九十九神屋 ⑤
「……母に一目ぼれしたんですか?」
「いや、そう言うわけでも。あるのだろうか。……今でもよくわからなくてね。好ましく思っていたのは確かだが」
先ほどの口ぶりだとそうとしか思えないのですが。……そうだとすると、少し、嫌だ。
自分の容姿は母と似ているから、この人はそんな所で人を見ないけれど。でもきっと重ねて見る事はあるだろうから。
悔しくて、ほんの少しだけ、妬ましい。
「最後まで彼女とは良い友人のままだったのは君も知っているだろう。君の父上は余り良い顔をしてはくれなかったがね」
それは当然でしょうに。この人は確かに、美形ではないのだけれど。格好いい。
雰囲気とでも言うもので魅了される。きっとそれは男の人から見てもそうなのでしょうね。
母が、この人をどう思っていたのかはわかりませんけれど。嫌ってはいなかったのは確かで。
「……それで。何で貴方はこの街で過ごす事になったのですか?」
気を取り直して再度問いかける。この人が人間を信じられないというのは、今でも何となく理解できる部分ではありますし、そこを更に追求する意味はないでしょう。
……一応、この人は過去と今でもそれ程までには変わっていない事を言っておくべきなのでしょうか。言わなくてもいい事な気はしますが。
「うん。……本人を前にすると言い難いが、君だ」
「へ?」
私が? それは、少し嬉しいけれど。……こういう時は、どういう顔をすればいいのかわかりませんね。
きっと悪い意味なのでしょうから。素直に喜ぶ事が出来ない。
「どういう意味でしょう」
「君が悪いわけじゃなくてね……。あの時に、知ったんだ。幼少時の事なんかすでに忘れていたから」
主語が抜けている。だから、重ねて問う。
「どういう意味でしょう」
同じ言葉で問いかける。私が悪くないというのなら尚更に知りたい。
私がどんな理由となったのか。
「……恥ずかしい話だが、僕にとって人間というのは大人しか居なかった。人を害す力を持つような力を持つ者という認識しかなかった。だから君と会って思い出したんだよ。人間には他人を害すどころか自分の身を守る事が出来ない者も居るのだと」
長く人外の里で暮らしていたから、人の存在を忘れる。自分も人だというのに。
余りにも長く人でないモノと暮らしていた弊害なのでしょう。とは言っても、確かに恥ずかしい。自分が人間である事も忘れていたという事に他ならないのですからね。
「本当、馬鹿なんですね」
「甘んじて受け入れよう」
人間である事を忘れていた事ではなく、今の自分が昔と然程に変わっていないと気づいていない所が。
この人は、そういう所で駄目な人だから。気は回る癖に、誰よりもお人よしな癖に、自分では偽悪者だと信じている。人を殺した語った所なんかは声から後悔している事がわかる程であり人を信じられなかったと言った箇所はまるで懺悔でもするかのようだった。
当時からそうなのだとしたら母がこの人に甘かった理由もわかる気がしますね。あの人は本当に子供に甘かったから。
「ただ、その時に会ってしまったせいと言えるのかな。君のような力ない子を守るため、という大義名分を得てしまったんだ。本来なら僕は、もう少しここで大人になっておくべきだったんだよ」
妥協や諦めを知って人は大人になるものだから。この時にこの人はそのどちらもしないで、ただ別の理由に縋った。
もしもの話に意味はないのでしょうけれど。もしもがあるとするならば、この人はそこで少し変わっていたのでしょうか。
「その後は、簡単だ。依頼を受けて次から仕事だよ。その間に境内の掃除や神学について。一般知識なども教えて貰ったかな」
その辺りは私にも記憶があります。いつからかこの人が母と共に仕事へ行っていた後ろ姿。
母を先頭とし左右にこの人と、あの人が歩いていたのでしたか。
いつか母たちのようになりたいと思うような、頼もしい背中でした。今はもうそれは叶う事はありませんけれど。
「一度、鬼と戦った事がありましたよね。その時は驚きました」
ぼろぼろで帰ってきた三人。この人は傷だらけで、あの人は顔にヒビが入っており。母は無事でしたが服などは埃塗れとなっていたのでしたっけ。
「ああ。あの鬼は強かった。君の母上が穢れを落としながら僕と彼女が近接戦闘でね。相手をした中でも上位には来ると思うよ。その他にもだいだらぼっちや三種の憑きものを持っている亡霊なども相手をしたかな。小さい妖怪などもいたが、強敵難敵だったのはその三つだったと思う」
狗神、蛇神、飯綱でしょうか。……考えたくもないような相手ですね。
憑き物筋なんてそもそも相手にするのも大変な相手だというのに。労力が三倍になるというのはそれだけで苦労が想像できます。
「君も知っている通り、この地には悪いものが良く溜まる。今は僕が状態を作り上げてある程度の自浄作用を持たせているが、前はもう少し酷かったよ」
「……そうだったんですか?」
初耳だ。私が子供の頃は確かに嫌な気配が多かったのは覚えているけれどいつからか少なくなった。理由にはこの人の働きがあったからとは、思わなかった。
彼はうん、と頷き言葉を続ける。
「結界というよりは風水の類だがね。この地は僕らが来た事からわかるように妖怪などの魔性を引き寄せる街だ。今でも少なくない数が来る事からわかるとは思うが、前は今よりも酷かった」
おそらく、という前提で言うのですが龍脈が走っていたのでしょうかね。この土地を管理する身ながらそういう話は聞きませんけれど。……いえ、そうなるとやはりおかしいとは思いますが。
「……聞きますが、何故なのですか?」
「うん。この街には神が居た形跡があったんだ。それが、何時からか突如居なくなった。神だからね、気まぐれなのだろうが。その時に出来てしまった穴に良くないモノが入ってきたのだろうね」
ああ。それなら少しわかりますね。神が居て、居なくなって、けれど力はそれなりにあり。
神の力というのは放置しておけば消えるというわけではないのですからね。薄れていくのなら良いのですが。得てして何かが、誰かが、それを手に入れてしまう。
「その穴になる前のものは?」
「ああ、対処してあるよ。その話はまたいつか話そう」
いつかという機会が訪れるかはわかりませんけれど。今は流しておくならそうしましょうか。
終わった話だというのならば大した事ではないのでしょうしね。しかし、ならば。
「母はそれに気づいていなかったのですか?」
あの母が気づいて居なかったというのは不自然な話です。無意味に放置していたとは思えないのですが。
「いや気づいていたと思うよ。あの様子なら気づかない方が不自然だ。力が合った事は気づいてなかったにしろね。その状況をどうにかしようとしたのだとは思うが、アレは簡単にどうにかなる事態でもなかったからね。来るモノへの対処で手一杯だった可能性が高い」
それでも母ならば、と思うのはきっと憧れの分なのでしょう。思い出や記憶の中の人はいつだって現実よりも上に見てしまうものですから。
内心で少しだけ残念を感じてしまうのは、期待の分なのでしょうかね。
「そう、ですか。……貴方が行った仕事もその中に?」
「少しだけさ。……あぁ、でもそうだね。維持は今でもしているよ。君は気づいていないかもしれないが父上に聞いてみるといい、毎年一定額が僕に振り込まれている」
そこは知りませんでしたね。金銭面の全体的な管理は父に一任しているので気づく事もありませんでしたが。……やはり、この人でなければ駄目な理由でもあるのでしょうか。
理由がなければ父がこの人に頼む姿が想像できないですし。
「そんなところで話の続きをしようか。眠気は大丈夫かい?」
「はい。問題ありません」
「君らのおかげで色々助かるわ。それに仕事、随分覚えたみたいね。飲み込みが早いって若さからなのかしら」
「どうなのかしら。風水、八卦、陰陽、適正があるのかもしれないわね。どれも突出しているというわけでもないのが痛い所だと思うけれど、ね」
緩い笑みを浮かべ麦茶を縁側へと置く巫女に僕は何も言わず彼女が返す。僕の評価は厳しいようだ。実際に今の僕を見てわかるように、ある程度の力量にはなったのだがある程度でしかない。
万能と言えばいいのだが突出したモノを相手にする時には酷く苦労した。
そんな辛辣でいて正確な評価を下した彼女は僕の膝へと頭を乗せて眠たげな顔で太陽を見つめている。
美人だ。体温が低い身体も触っていて心地よい。彼女の肌は冷たかった。だが冬場でも微かな温もりに安堵出来ていた。
「けれど君や、彼らのような付喪神を使役しているからね。僕の能力が低くともある程度の補佐が期待できるだろう?」
神社だと言うのに僕の見る先の庭は、傍目にはゴミ捨て場のような様相となっている。何体かは彼女の子供の相手をしてもらっていたのだが。
いやはや巫女の夫には毎度微妙な目で見られるのが頭の痛い話だった事を思い出す。
「珍しい発想よ。妖怪を、付喪神を使役するなんてね。貴方は、どう思う?」
「そうねぇ。私みたいな人間には余り出てこない発想じゃないかしら。小さい妖怪を使役するのなら式神をきちんと作ればいいもの」
巫女の言葉は尤もだ。一度作り、その手順を記したものがあれば空いた時間に作る事が出来る。当時の僕では少し力不足感は否めないが、ある程度の物を作る事が出来るだろう。問題は指示通りにしか動かない事か。
動物などをベースに作ればある程度の自律思考を持たす事は出来るだろう。それを行わないのは単純で、そして子供のようなものだが。
「……それだと寂しいじゃないですか」
子供の物言いだ。そしてただの感傷でしかない。打ち捨てられ、朽ちていく。道具ならばまだ使い道もあるだろう、いや使い道がないのならきちんと捨ててくれればいい。だと言うのにただ其処で朽ちていくのは悲しい。
膝に乗ってきた草鞋の付喪神を撫でながら青臭い言葉を口に出す。
「まだ使えるのにもう使わずに、勝手に妖怪になったから退治される。そんなのは間違っているでしょう」
人間が嫌いな理由は増えた。けれど、好きな理由も増えている。まだ嫌いな理由の方が多い事は否定しないが。
「へぇ、ふーん。だから家を買ったの?」
巫女の言葉に頷く。半分付喪神と化していた家だ。壊そうとすると機械に異常があったため半ば朽ちるに任せるかのように放置されていた場所なのだが、それを僕が買い取った。
仕事を手伝いながら借金も返し終わり資金の方も随分と貯まっていたからその使い道を見つけたという事だ。
彼女も諸手を挙げて賛成をしてくれた。……下世話な話なのだが、神社で二人きりになる機会というのは余りない。これ以上を言う気はないが家を買ったのはそういう事情もある。
頼めば他の付喪神たちは離れていてくれるだろうしね。
「きょうさんどこか行くんですか?」
とっとっと、という軽い音と共に廊下の角から八歳ぐらいの高野君が現れる。この頃はまだ僕の事を
「きょうさん、きょうさん」などと呼んで懐いてくれたものだ。当時を思い返すと少しばかり寂しい。
「うん。少し下の方に。でも歩いて来る事が出来る距離だから余り変わらないよ」
朝と夜に居ないだけで基本はここに居る事になる。どちらにせよ仕事はここからしか請けていないのだから当然なのだ。僕が骨董屋を兼用する事になるのはまだしばらく先の事になる。
……今思い返してもこの神社は儲かっていたものだ。それだけ妖物の災いが多かったという事になるのだが。
「きょうさん居なくなっちゃうんですか?」
僕の袖を引いて涙目になる高野君に後ろ髪を引かれてしまう。だがらこういう時には彼女に全てを任せていた。全くもって情けない男だ。
視線を受けて膝の上に頭を乗せていた彼女が起き上がり高野君へと目線を合わせる。こういう気遣いの出来る女性だった。僕が異性へと求める条件を全て満たしていたと言っても過言ではないのだろう。
「大丈夫だよ。私も彼も君へと会いに来る。毎日でも来るさ。だから安心するといい」
余り僕へは見せない笑顔で言われても零れ落ちそうな涙はそこにある。だが、それでも泣く事はなかったようだ。小さく頷き、彼女へと手を伸ばす。
抱っこをして欲しいのだろう。この時に僕は母親にしてもらえばいいと思ったのだったか。子供にまで嫉妬するとは浅ましい男である。
「ふふ。すっかりその子も貴方の事を気に入ってるわねぇ」
とうの本人と言えば微笑ましく二人を見守っている。彼女は僕を離れ高野君を抱き上げており、ふと理解したのだ。
自身の子など作れないのだな、と。付喪神はどれだけ人の形を模す事が出来たとしても器物だ。妖怪であっても生身ではない。
行為自体は不可能でなくともその身に子が宿る事はないのだ。他の妖怪であるならば可能であろう。だが付喪神だけは違う。だからだったのだろう。彼女が子供に対して優しいのは。
「そうね。私も欲しくなるわ。手伝ってくれるかしら? 興」
家を購入する際、戸籍を偽造した時に狭間・興にしたのだったか。里でつけて貰った名を使わなかったのはどこから足が付くかわかったものではないからだ。
里の彼らならそんな事は関係なく探り当てる事は可能だっただろうがね。
「……あ、ああ。勿論」
子供の前で何を言っているんだ。高野君は純粋培養されたのでそういう知識には疎いので問題はないし彼女もそれをわかった上で言っているのだろうが。
教育に良くない事は確かだ。とは言え当時の僕も年頃なのでそこまで頭が回らなかった。夜の事で頭が一杯だったと言い換えてもいい。
「こらこら。昼間から何言ってるの。それにそういうのは二人の時にやりなさい」
何故か僕だけが頭をはたかれる。理不尽だ、とは思わないが。
「ご忠告ありがとうね。これから気をつけるわ」
抱いていた高野君を降ろしながらさして反省もしてなさそうな顔をしている彼女が羨ましい。巫女に叩かれるのは案外痛いんだ。心も身体も。
涙を眼にためていた高野君は抱かれていて眠くなったのか、それともこの陽気が眠気を誘ったのだろうか。
巫女はそんな彼女を抱き上げて苦笑しながら部屋へと戻っていく。僕らも、そろそろ家へと向かう事にしようか。
付喪神たちの虫干しも終わった事だ。切りもいいだろう。
初めての自宅。いや、この神社も拠り所ではあった。だが此処は僕のモノではない以上は仮宿だったのだろう。
里は故郷というべき地であり心安らぐ事は出来た。けれど自分得られた場所ではなかった。
「行きましょうか」
「うん。帰ろうか」
片腕しかない彼女の手を取る。付喪神たちには隠形の符を持たせたから自分たちで歩いてきてくれる。人型を取れるモノも数体は居るしね。ここで得た荷物は彼らに持ってもらい、歩きだす。
「それではまた来ます。……最後まで仲良くはなれませんでしたがあの人にも宜しくお伝え下さい」
巫女の夫であり、この神社の神主を思い浮かべながら高野君を置いてきた巫女へと言伝を残す。僕が嫌いだったのではないだろう。
純粋に相性が悪かっただけなのだと思う。いや、それもあるのだろうが人に慣れておらず彼には悪い態度を取ってしまった。嫌われたとしても文句を言えはしないだろう。
それでもこの時は大分改善され、たまに食事を囲うようにはなったのだ。会話は一言もなく、巫女が死んでからはその機会すらもなくなってしまったが。
惜しい。もしもがあれば、彼ともきちんと話が出来るような関係になっていたのだろうか。
「電話は引いておくので今度こちらにかけますね」
「うん。新居の掃除とか、はやったんだっけ。色々頑張りなさい。仕事は合同でやるけど君もコネがあるんだから幾つか自分でとるようにしなさいね?」
母親というのはこういう存在だったのだろう。小言のような事を言われて、しかし僕は苦笑いを漏らすばかりだ。
言われている事は正しいのだから何とも言えない。実際にその後はコネを使い仕事を取るようになったのだが。
骨董屋というアドバイスをくれた情報屋には感謝してもしたりないものだ。勿論しっかりと金は取られたが。
「気をつけてね。防犯は、大丈夫だろうけど」
「ええ。大丈夫です」
「私がいるもの。また来るわ」




