九十九神屋 ④
「あらあら。妙な気配があると思えば……。付喪神と、その主人、という所なのかしら?」
暗い森の中。幾多の妖怪の屍が倒れる中央。そこに僕と彼女は居た。
僕の服はところどころが破け、ちぎれ、そして傷からは肉がありありと見える。彼女もまた迫り来る妖怪を僕を護りながら戦ったために全身におびただしい程の傷が存在している。
彼女の傷を思い出せば今でも恥ずかしさが先に来る。何故僕は彼女を護れなかったのだろうかと。
「誰だ、貴女も、彼女を狙いにきたのか」
幾たびの襲撃ですでに僕らはぼろぼろだ。彼女ですら得体の知れない人間を前に片ひざを付くぐらいには疲弊していた。
僕に至っては気力だけで立っているような物だ。
血を失い過ぎたし、連夜に及ぶ襲撃から精神も大きく疲労していた。
「まさか。ただ妖怪が集まっているから気になっただけよ。巫女ですからね」
巫女の髪は確か長かったような気がする。ただこの時はそれだけしか覚えられなかった。
敵だと思っていたし、多くを覚えようとする気がなかった。
「なら、僕らも敵か」
震える拳を構える僕を見て、彼女はどう思ったのだろうか。その顔には憐憫も同情もなかったように思う。
「いいえ。私はこの街を護る者です。貴方はこの街を害す意志があるのでしょうか?」
問いに首を横へ振り、意志を持って言葉を紡ぐ。
「僕は、ただ、彼女と、静かに過ごす。それだけだ」
「……私は少し、私としてあるために戦いが欲しいけれど」
ただ僕の意志に反するかのような彼女の言葉が続く。それも仕方ない。何せ彼女の主目的は強者との戦いなのだ。里に住む者は余りにも格上過ぎるから論外だとしてね。
「成程。わかりました、でも今のままではどちらの望みも果たせないでしょうし、こちらも商売をしますね。代価は力、対価は幾多の妖怪から身を隠す力。どうでしょう?」
それは魅力的な交渉だった。僕と彼女の力があれば多く災禍から多くの人を護る事が出来るだろう。
上位の鬼とだって渡り合える実力を持つ一人と一体だ。その力の持ち手を扱う事が出来るのならば。
「……信じられない」
人間を信じられない。かつての事から、人を信じる事ができない。
「あらあら。これでも好意なのですけれど、ね。……貴女はどうですか?」
僕へは言っても聞かないと判断したのだろうし、その判断は正しい。おそらくこの状態の僕ではどんなに言葉を費やした所で、いや言葉を弄すれば弄する程に信じる事はしなかっただろう。
「私は。……別に、信じてもいい。私を捕えるならそれでもいいけれど。嘘はないように思う」
彼女はそう言って僕を見る。きっとその言葉は僕を説得するものだったのだろう。このままの状態で戦い続けても先は見えているのだ。
ならば、立ち止まるより進んだ方がいいという当時の僕より男らしい判断なのだろう。
無表情で語られた言葉に僕は肯定も否定もしない。いや、出来ない。彼女の言葉だろうと作られた価値観を即座に翻す事はできないし、何よりちっぽけな誇りが人に助けを求める事を邪魔する。
巫女は仕方ないとでも言うように微笑み僕の後ろへ立つ彼女を見る。僕は前に立つ人間へと目を向けており、後ろから僕の意識を失わせるために動いた彼女に終ぞ気づく事はなかった。
気が付けば見知らぬ天井があった。地面は柔らかく久しぶりの布団の感触なのだと知るのにかかった時間はおそらく十秒前後だっただろうか。細かい時間に意味などないのだがね。
起き上がろうとすれば全身に鋭く貫くような痛みが走る。だがその頭で最初に浮かんだのは。
彼女の事だった。はずだ。
「……う、あ」
飛び起きて喉から絞り出されるのは苦痛の声。全身から来る痛みが喉から這い出るような感覚。それを無理に捻じ伏せその場へ膝を付く。彼女の存在を確認しないといけないという焦燥感のみで立ち上がる。
「無理に起き上がったらダメだよ」
心に響くような美しい声は僕の痛みを一瞬だけ和らげる。それは気のせいであるのだろうし彼女の声にそんな効果はないのだが。恥ずかしくも僕が彼女にそれだけ夢中だったという事だろう。
彼女に視線を向ければ、服装が違った。カジュアルなスーツに身を包み黒い眼帯で片方の眼を隠し、汚れていた顔や髪は綺麗に整えられている。
部屋をきちんと見渡せば和室。部屋の雰囲気はいやに、心がざわめく程に澄んでおり障子から見える外は暗く月が影を作り出している。
「こ、こは」
「巫女の神社。倒れた貴方を連れて来たの」
彼女が白い手で僕の背を撫でる。落ち着けようとしてくれていたのか、それともまた別に何かがあったのか。何にせよ彼女から感じる無機質な体温は少し混乱を得ていた頭を冷静に戻すには十分な効果はあった。
「ほら、これ」
僕の背中をさすりながら彼女がスーツを少しはだければ白い肌と僅かに胸が見える。更に浮かび上がる鎖骨が見えてしまい一瞬だけ顔を背ける。
「……別に胸まで見て欲しいわけじゃないよ。これ、鈴」
顔を無理やりに胸元あたりに首を戻される。うぶな僕だ。今なら、多分きっと、視線を逸らす前に鈴へと眼を留められたはずだ。おそらく。
「あ、あぁ、うん。鈴、だね」
ちりんと音が転がった気がした。けれど。
その鈴をじっと見てわかる。この中には本来あるべき玉が入っていない。ならば音が聞こえたのは気のせいだったのかと言えばそうでもない。
何かがあるのだろう、この鈴には。とそこまで考えた所でようやく思い至る。察しが悪いというべきだろうか。それとも頭が悪いというべきか。おそらくどちらもなのだろう。今の僕でも変わらないのだ、当時の僕が今の僕を上回っていたとも思えない。
「あの、人間の言っていた?」
身を隠す力というものだろうか、と問いかければ彼女は肯定の頷きを返す。
「隠すものだって言っていたわ。詳しい事はわからないけれどそういうものだと」
あやふやな言葉だが、彼女は真実わからなかったのだろう。戦闘に関する知識は一級品なのだがいかんせんその他の知識が圧倒的に欠けていた。
後に二人で暮らす事になってわかるのだが料理どころか掃除すらもまともに出来ないらしい。
戦闘用のゴーレムとして作られたのだから致し方ない事なのかもしれないが。
「成程、ね。それで」
「貴方は二日眠っていたわ。もう少し寝るといいかもしれないわね。眠れないのなら、手を握っていてもいいわよ」
なんとなく優しげな声で投げられた言葉を完全に理解するよりも前に僕の意識はまどろみへと落ちていく。それは彼女の無機質な体温によるものなのだろう。
不安と恐怖で寝れない中、微かにあるかどうかわからない温もりを感じて寝た数日間の事が脳裏に深く刻まれていたのかもしれない。
心は安堵を、身体は癒しを求めていたのだろう。一瞬の覚醒はすぐに次の眠りを欲した。
次に目を覚ました時には障子は開けられ心地よい風が僕の頬を撫でていた。
外から顔をのぞかせる陽の光が心まで温めてくれるような錯覚に囚われる。
「あら。起きたの。大丈夫?」
とっとっと、という小気味良い音が廊下に響き、巫女服の女性が太陽を背にして現れる。
一瞬だけ、心奪われた。かもしれない。いや、これに関しては断言しよう。心奪われたのだと。
「……はい。どうも、ありがとうございます」
移り気な男だと判断されても仕方がないだろう。しかしこればかりは男として仕方がない。
微笑ながら問われた言葉は慈愛を滲ませ、縛られた黒髪は透き通るようで、慎ましいとは言えない胸と程よく引き締まった腰。勿論顔にはある程度の皺はあるがそれを差し引いても美女と呼べるような女性だったのだ。
ただこの時の僕はその気持ちに気づいてはいないし、例え気づいたとしても認める事はないだろう。
「いいわよ、言ったでしょ取引だって。だから早く身体治して……とは言っても、もうその必要はないかもしれないわね」
彼女が僕の方を向き、僕も自分の身体を見る。
……まぁ、言わんとする事は伝わるだろう。当時は僕も年頃の男なわけだ。起きたばかりの下半身がどうなるかというのは想像に難くない。
「……そういうのは、あんまり好きじゃないです」
山に居たあの人らはそういうのに無関心というか、触れなかったのではなくどうでも良かった部分が強い。
少しいじられるなりしていたのなら耐性が付いていたのかもしれないが。
「初心なのねぇ。あんな可愛い彼女が居るのに。……でも怪我とかも目立った部分がないのは凄いわね。本当に人間?」
近寄られ身体を触られる。勿論下半身の部分は隠すようにしたのだが。
「人間です。それより、余り触らないで下さい。余り好ましく思いません」
美しいと思おうと、ある程度の好意を得ようとそこは変わらない一線だった。
「あぁ、ごめんなさいね。でも、うん。いいわね。次の仕事から貴方たちの力を借りるから頑張ってね」
「僕は受けるとは言ってません」
その言葉に、彼女はにこりと微笑む。まるで出来の悪い子を見るような目で。そして、明らかに子供を見る目で。
「それじゃあ、彼女の事はどうするのかしら。これからも戦い続けて、死ぬの?」
反論は出来ない。出来るはずがない。僕の言う言葉は感情から来るものだ。それに対して正論で来られては何も言えない。
だから俯き、歯を食いしばり、頭の中で屁理屈をまわす。愚かであるし、恥ずかしい。
人間誰しも未熟な時というのは存在するが僕はこの時にここまで未熟であって欲しくなかった。
「……ゆっくり考えていていいわよ。幸いまだ仕事は来ていない事だし、それに貴方たちの力を借りるような相手は滅多にいないもの。結論を出すまではここに居ていいしね。境内の掃除やらはしてもらう事になるけど構わないわよね?」
「……はい」
一時的にこの件を保留するという意味だというのはこの時の僕でも理解は出来た。いや、実際の所は選択など出来ない立場なんだ。
どうであれ結果は一つしかない、というのに考える時間を与えるというのは、彼女の優しさではなく甘さを物語っているのだろう。
しかし、甘えない道理はない。いや、甘やかされて育ってきたのだ。肉体を鍛える事に甘えはなかったが人格に関して言えば里の彼らは異常な程に甘かった。礼儀作法から人との接し方まで。
対人関係との経験が極端に薄い。せいぜいが人間と争い、殺しあったぐらいだろう。
こうして人間と話す事なんてこの時まで存在しなかった。幼少時まで遡れば話は別なのだろうが。
「わかっては、いるんだ」
彼女が部屋出ていった後。残された僕は一人呟く。理解はしていたのだ。ただ感情の整理がつかないだけで。人は襲ってくるもので、こちらを遠ざける者で、裏切る者だ。
そんな相手の言葉を信じる事は出来ない。だがこうして事実匿ってもらっているのだから信じないわけにもいかない。
簡単な話だ。もう少し強い理由さえ、信じる理由さえあれば信じられる。だとしてもその理由はここにはないのだが。
付喪神たる彼女は心の機微を理解する事があっても、弱い僕を守るという言葉があったとしても守るだけだ。そこに助けの手を出す事はない。
巫女たる彼女は理解したとしても最後まで手は出さなかっただろう。
理由を後押しする者がいない以上は理由を自分で作り出さなければならない。もしくは感情を押し込めるか。どちらかを本来ならばここで選ぶ必要があったのだ。
「……おにいさん、だれですか?」
だからきっと僕はこの時点で失敗をしたのだと思う。




