九十九神屋 ②
里に居たのは人間のような、人間を捨てた者たちであったり、名を持つ強大な妖怪であったり亡霊であったり。
国津神なら討ち果たせそうな連中がごろごろしていた。最も弱い者だと名乗った男も居たがそれでも並以上の鬼と素手で渡り合える実力があったと言えばその里がどれ程までに異常だったのか理解できるだろう。
彼らの中の一人は陰陽術に長けており、八卦を用いて僕の身体を作り直した。肉体の内に世界を作り僕の魂をそこに留めるようにしている、らしい。
詳細は現在の僕でも不明だ。
繊細な陣で作られているため解析などどこから手を付ければいいのかもわからない。
どうにせよ並の手腕ではないだろう。本来なら有り余るはずだった霊力はその世界を循環させるために用いられているため僕自身の力は並より上程度の霊力しか使えないのだが。
さて、僕もまたそこで育ったのだから並の強さではない、と言う事は出来ない。確かに通常の霊能者よりは強いという自覚もあったが、現在時点では見る影もなく。
最盛期でようやく彼らに手加減をなくしてもらえる程度の実力だったのだ。要は一瞬で勝負を決められるという事なのだが。
「君が里へ来てから六年か。長いものだよ。逞しく育ったものだね、境」
結界を構築した時に僕は新たな名を与えられた。それは真名ではないが、それでも代用にはなり得る名前。
里外・境。おそらく僕が里の外へ出る事を彼女は予感していたのだろう。だから里外なんていう名をつけたのだ。境というのはきっと僕の身が生と死の境にあると言う事を忘れさせないように、なんて親心だったのかもしれない。
名前が変わり、成長して身体も変わった。
しかし彼女はやはり、変わらない。空に瞬く星のようにと言っていい程、遥か高く遠い存在のように感じられたのだ。
「いいえ。それ程でも」
日課の相手は彼女が多かった。まだ相手を出来たのは、だから彼女だけだった。長年殴られ続けてきたので、それ故の勘が働くだけで目に留める事も出来ない動きなのだが。
天狗と名乗るのも頷ける程の疾駆。右に居たと思えば後ろに回れ込まれ、前に居たと思えば右から拳が飛んでくる。
それが森の中だろうと変わる事なくまるで無人の荒野を行くように彼女は移動するのだ。
「一つ質問なんですけど」
里に来てから四年。雨の日も風の日も雪の日も関係なく里を走りまわされ続け、ずっと気になっていた物がある。
「あの人形、何ですか?」
姿は見えなかった。だがその異常な気配だけは感じて居た。生き物のような、だが無機質な気配。
まるで濃厚な霧の如き存在感。人形の居る場所に近づくだけで殺されそうな圧迫感。
「ん? いまさらかい? アレは、うーん。何と言うべきだろうね。ゴーレム。わかるかい?」
ごーれむ。西洋の式神である。式神と違い確かな実態を持ち、刻まれた文字を消さない限りは死なないという厄介な物だ。文字さえ消してしまえば簡単に壊れるのだがね。
「あの人形がそうだというんですか?」
問うが、きっとそれは違うのだと思った。はずだ。
当時の僕は今の僕よりも諸々の性能は高いが知識という点において現在の僕よりも遥かに劣る。こればかりは、生きる年数が違うので仕方がないが。
「そうなのだがね。ちょいと座りなさい。軽く教えよう」
彼女は言って懐からパイプを取り出し、指を鳴らして火を付ける。ライターなりマッチを使えば良いと思うのだが、きっと見得だったのだろう。
「アレはかつてね、この里へ来た西洋人の置き土産さ」
紫煙を深く吐き出しながら彼女は感慨深げに、同時に苦い顔で言葉にする。
「西洋人が己の作り出したゴーレムの実力を試そうと来たのだが、何故か来た時点で瀕死の状態でね、そのまま西洋人は死んだ」
当時も思ったし今でも同じ事を思う。どういう事だと。
僕の怪訝そうな表情を見ても彼女は変わらず話を続ける。続けた後が本題だ。
「しばらく、百年程かな。私たちも放置していたのだよ、アレを。壊すには惜しいと思う一品だからね。ただ倉庫に入れておいたら、正直私たちが悪いのだが、あの当時は戦時中だったからね、意識を外に向け過ぎてしまった」
誤魔化すように言うが、それでも彼女の言わんとするはよくわかった。
放置しすぎたのだろう。ろくに手入れもせずに、しかも主人の無念が篭った人形を。
「付喪神と化したのですね」
使われなかったがための念だけではないだろう。主の後悔を、残念を受けた影響。そして何より、日本という地だったのも大きい。
海外では物に命が宿るという現象はないが、日本では起こりえる。何より日本でも最高クラスの人外が存在している里なのだ。その場に宿る力自体が尋常ではない。
「妖力。霊能力。そして魔力。三つの異なる力が妙に混ざり合った付喪神となってねぇ。荒魂化していたのもあり、こちらも多大な被害を被った」
かつては聞き流した事だが、異常な事態だ。この里に被害を齎したという事実。
想像するだに恐ろしい。下手をすれば天津神に近い力量でもあったのではないだろうか。
「それ程の被害があったというのに、何故」
何故あの付喪神は今も存在してられるというのか。
「流石にこちらの不手際だったからね。魂も鎮めたし。何より戦力になる。弱体化したとは言え君より格上だよ。戦中だった当時としては一つでも多くの戦力が必要で、ね」
言葉に整合性はある。だがそれでも心に引っかかる違和感は捨てられない。当時はその違和感を無視したのだが、理由はあったのだ。
かの付喪神を滅せられない理由が。
「……今度、その付喪神と会ってもいいですか?」
何を考えていたかなんて、僕は覚えてない。そんな言い訳だけはしておこう。
「別にいいけど、アレは君に興味を持たないよ」
確かにそうだろう。確かに、そうだった。格下には勿論、同格相手ですら大した興味を示さないような存在だった。
「いいえ。興味を持たせてみせます」
ここまで拘る理由なんて、数は少ない。いや彼女にはすでにお見通しだったのだろう。だからこそ止めようとしたのだ。そんな不毛な事などやめろと。
「……君、見たね?」
「……はい」
人形。ゴーレム。付喪神。
どのように言葉を変えようともその本質が変わろうとも。アレは、彼女の姿は変わらない。その核もまた変わりようがない。
「見ました。彼女の姿を、見たんです」
金色に煌く髪は夜ですら輝きを放ち、七色の虹彩を秘めた瞳は悲しそうに伏せられていた。それで居て完全ではない。左目は空洞。完全な美を発揮したであろう片腕は綺麗に切断されている。ただ身体を構成する上で最も重要な胴体は遠めから見ても完全なばらんすを有していた。
簡素なまでに言葉を削ぎ落とし、当時の僕から言うならば。いや、現在の僕から見ても。
彼女は、美しかった。
人外として、人形として完全な美を有していた。片腕がなかろうと片目が失われていようとそれは何一つとして変わらない程に。
有体に言えば僕の好みに合致していたのだ。
「別に構わない。君がどう想おうと、それはアレに対して意味がない。アレは付喪神となった今でさえ強者と戦う事を目的としているし、アレを従えようとしているのならやめておきたまえ。君では敵わない」
実力的にも、精神的にも、何もかもが当時の僕には足りていないだろう。肉体的には発展する余地はあったがそれも僅かなものだ。それ以上の実力をつけるには技を得るしかない。
「敵うようになります。打ち勝ちます。でも、だから今、どのくらいの力量差があるのか知りたいです」
彼女へ向ける目はどのような色だったか、僕はもう覚えていない。情熱があったのか、慕情だったのか、自己顕示だったのか。
全てが混ざったものだったかもしれないし、そのどれでもなかったかもしれない。
「ふぅん。いいさ、行ってくるといい。介抱だけはしてあげるよ。君も、ここらで一度死の恐怖を得た方がいい」
呆れたかのような物言いを聞き流し、僕は高鳴る鼓動を抑え、いや抑えきれる事なく後ろを向き走っていく。その姿を見送る彼女に気づく事なく。
「……初恋だったんですか?」
心がちくりと、針で刺されたかのような痛みを知らせる。過去の話なので、現在では意味がないのに。それでも傷みは襲ってくる。
「そうだね。……多分、そうだったのだろうね。彼女を一目見て、魅せられたのだから」
彼がどのような顔をしているのかわからなくて良かった。わかっていたら私は胸が締め付けられるような気持ちになっていたはずだ。
きっとその瞳は遠くを、過去の彼女を浮かべていて。
闇の中ですらわかるように心は彼女に強く囚われている。
「美しい人形で、気高い付喪神だった」
熱に浮かされるかのような言葉はこちらの心をスプーンで抉るようだ。
彼に他意はなくて、単なる過去を思い返すだけの行為。
なのに、きっと、だから。
彼の過去に私は居ないというのは寂しい。彼の過去に私が触れられないのは、悔しい。
「打ち倒すまでに数年はかかったけれどね。今使っている武術はその時に習ったものなんだ。元々は天狗、というより修験者が扱っていた武術のようなんだが」
「そう、ですか。合気道のような技だったと記憶していますが」
詮無い事だと彼に気づかれないように頭を小さく振り、考えを無理に切り替える。
狭間流武術、と彼は嘯いていたが、あながち嘘ではなかったのかもしれない。天狗の技をただの人が扱えるように改良したのだとすれば最早一つの流派であるのは真実だ。
「うん。本来なら速さを重視したものなんだが、天狗である彼女の速さがあって始めて物になるものでね、だから僕向きに少しね。……ただ、当時は今以上に不恰好な技だった」
私から見れば十分だと思うのですけどね。達人と呼ばれる人にとってはまだまだ未熟な技なのか、それとも彼の理想が高すぎるからか。
「随分、良い武術のように見えますが」
天狗の技を人間が使えるようにしたにしては何の違和も感じられない身体の運び方だと思うし、技同士の連携もきちんとしている。
あの技だけで妖怪と渡り合えるのだから達人の域なのは明白。尚且つ彼の式である山野君も使えている事から洗練された技術である事は間違いない。
「いや。彼女の技と比べると見劣りする。彼女は拳だけで戦闘機や戦車とやりあえるからね」
比べた所で意味はない気がするのですけれど、ね。完璧主義というか神経質というか。
人間の枠内で物事を判断して欲しいというか、なんと言うか。
「貴方は人の身なのですから十分なのだと思いますけれど」
素直にそう思う。武術に関して私は嗜み程度なのですけれど、だから余計にそう思う。
巫女としては一流。けれど、それ以外の人間性では、どうなのでしょうね。
恋愛に関して初級にも至っていないのはわかりますが。
「これでも山野君を教える身だからその程度ではいけないのさ」
彼の店には珍しく普通の妖怪なのでしたっけ。その正体はわかりませんが。ただ、彼は妖怪でないような気配もするのですよね。
「妖怪の身で武術を扱うとなるととても強いのでしょうが。……彼の正体について聞くつもりはないですが強いのですか?」
朱莉ちゃんは山野君をとても強いと評していました。けれど、彼以上に強いとは思いません。この神殺しを為した人よりも。
「うん。強い。荒削りだが多くに才があるよ。肉体的に見れば僕を遥かに凌駕するが、経験の差で僕が勝てる程度だね」
なるほど。ならばあと数年後までこの人が負ける事はないのでしょう。それに安堵を抱き、けれど、と考えます。
「貴方は、どれ程の早さで」
聞こうと口を開き、それ以上は舌をまわす事が出来なかった。
これは、同業者として聞いてはいけない事だ。
「いえ。何でもありません」
「気にする事はない。それに、君になら言っても口外しないだろう。もって三年だ」
三年。それは長いのか、それとも短いのか。拝み屋、退治屋としてみれば彼はすでに三十を過ぎているから引退してもおかしくはない年齢であるのだけれど。
それ以上に彼の身体は、侵食されている。
「解かないのですか?」
「絆は切れないらしい」
上手い事を言ったつもりなのでしょうかね。呪いで繋ぐ絆なんて、そんな物ならなくても良いぐらいだと思うのですが。それでも本人が解く事を求めないのならば他人がどうこうできる問題ではないわけで。
「生きていられるのは」
「もう少し長いと思うがね。先ほど話した内部の結界が、ぼろぼろなんだ。この年齢ではもう構築し直す事に耐えられないだろう」
肉体を構築する結界。八卦。私の伝手を探した所でそんな事が出来るのは数少ない。その上その数少ない人たちは彼と敵対関係にある。
「修復程度ならば」
「無理だ。里へ行く事も考えたが、やはりこれは僕の咎だ。それを捨てる事なんて、とんでもないよ」
彼が自身の胸へ手を当てたのが分かる。強情な人だ。けれど、そういう所に私は惹かれたのでしょうね。……心変わりさせる事の出来ない自分が情けなくなりますけれど。
「さてそろそろ話を元に戻そうか。彼女と戦った辺りだったかな?」
「えぇ、そうです。最初の一回でしたか」




