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三話 九十九神屋 ①

「君と二人で仕事をするのは随分と久しぶりだ。初めてだっただろうか」


 暗い中で気を紛らわすためなのだろうけれどこの人が不意に口を開いた。

 低い声なのはあえてなのか、私の焦った心を落ち着けてくれて。

けれど、別の部分では落ち着かせてくれません。


「いえ……随分と昔に一度だけ。まだ母が存命だった頃に」


 今から十二年前、十二歳の時に一度だけ。大した依頼ではないと息巻いて、簡単に妖怪を退治できた事を誇り。この人の服が汚れているのにも気づきませんでしたね。


「ああ。……そうだね。あの時は何の妖怪だっただろう。僕も歳のせいか覚えてなくてね」


 覚えている。確か溢れ過ぎた魑魅魍魎だった。私が相手をしたのは少ない数。

 事前に聞いた村人の話では夥しい数だと言われていたので拍子抜けしたのを覚えている。

状況を考えれば、ほとんどはこの人が倒したのだろうと、今ならそう思えます。


「さぁ、私も昔の事なので覚えていませんね」


 嘘を吐く。意固地になっているのはわかっていますけれど。もうこの意地を崩せると思えませんね。こうやって人は深みにはまるんでしょう、と内心で泣きたくなります。


「それでどうしましょうか、この状況。貴方ご自慢の付喪神たちは店なのでしょう?」

「ははは。土蜘蛛も知恵が回るよ。まさか僕たちをこんな穴倉に閉じ込める事ができるなんて。かつて最悪の妖怪と呼ばれた彼らも時間の流れで弱体化しているのだろうか」

「昔の土蜘蛛ならば力だけでこちらを倒そうとしたはずですからね」


 私の依頼でこの人を連れてきてしまったのはやはり間違いでした。

 ここまで巻き込むつもりもなかったのに。……私が見得を張って、いい格好を見せようとしなければこんな事にはならなかったのに。


「どうにかはなると思うよ。手は打ってある。しかしどうにかなるまでの間が暇だね。少し眠って時間を潰すかい?」


 出来るわけがない、と思うのはどういう私なのでしょうか。

 巫女としての私か、女としての私か。多分どちらでもあってどちらでもないのでしょうね。


「いいえ。……いい機会だと思うので、話してくれませんか。私の母が死んだ時の事を」


 そして彼の恋人が死んだ時の事を。

 詳しくはわからないけれど、あの日から彼の隣に立っていた儚く美しい女性を見なくなった。


「ふむ。……前に言ったはずなのだけれどね」

「あれは、真実味が感じられません」


 この人を庇って、母が死んだ。でもあの人がただの妖怪にやられるなんてあるわけがない。

 才能は私が上だといわれているけれど実力を言うなら、この人の言を信じるなら私を遥かに上回っていた人なのに。


「……そうだね。君には言ってもいいかもしれない。その前に僕の過去を少し挟む事になるがいいかい? あとこれから話す事は全て誰にも言わないでくれるとありがたい」


 心臓が高鳴る。

闇の中でその音が彼へ聞こえてしまうのかもしれないと思うと更に鼓動が早まった。


「寒いね。もう少しこっちへ来なさい。長い話になるし身体を冷やしてもいけない」


 何も見えなくて良かった。きっと今の言葉で私の顔は紅葉のような色になっているはずだ。

 暗い中を手探りでゆっくりと声と気配のある方向へと進む。ここで足でも滑らせてこの人に抱きつけるなら幸せを感じられるのかもしれないと邪な考えが浮かび、振り払う。

私は巫女で、神に仕える身。穢れの塊といえるこの人に自ら触れる事は許されない。なんてそんな事は言い訳ですね。穢れならすぐに払えるのに。逃げ道を作っているだけなのでしょう。

人目がない場所でこの人と一緒に居て我慢なんて出来るはずがない。


「ほら。これで少しは温かいだろう」


 彼の隣から拳一つ分離れている場所へ座り、肩から彼の上着が被せられた。……嫌な人ですね、本当に。何で変な所で気遣いが出来るのでしょう。


「さて。それでは話を始めよう。あれは僕がまだ十に満たない時の話だ」


 意識を切り替える。仕事時の意識にしないと。


「はい。どうぞ、お願いします」






 当時はとても、嫌な子供だった。

 自由気ままに振舞い、他人へ理不尽を強いて、同年代の子を苛めていた。

 小さな閉鎖された村。そのような村では地主が多大な権力を持つ。そして、後を継ぐべき子も当然のように権力を持つ事になる。

 産まれながらに人の上へと立つ位置。

今ならそれがどれ程に恵まれた地位だったのかがわかる。

 ただあの位置へ返り咲く事は決してないだろう。僕の意思としても、現実的な判断としても。


「ふぅん。君は、喰われてるのか」


 小さな暴君として君臨していた僕の名を呼ぶ者は限られていた。しかし両親ですら僕の名を呼ぶ事はなかった。

 幼いながらも微かな違和として感じている事だった。だから苛立ち周囲へと八つ当たりのような事をしていたのだ。所詮は言い訳なのだろうが。


「誰だよ、アンタ」


 森と村との境界。森を抜ければ山があり、山は人外魔境と教えられていた。

 何故そんな場所に居たのかは、今となっては予測となるが。

 自身は特別であり、だからこそ禁忌なんてものに縛られない。

 大方そう考えて居たのだろうと予想出来る。


「運が悪いね。良いのかな? うん、歪だ。穴だらけの巨大な霊力。存在を維持しているのは、だからこそなんだろうけどねぇ。遠くない内に君は死ぬよ」


 木の上。下駄を履き、上半分しかない天狗の面を付けた女は笑いながら言った。その笑いは嘲笑しているようであり、哀れんでいるようでもあった。


「地主の息子だろう? ふふ、最悪の中で最善を選び続けたような人生だねぇ」


 視線が気に入らないと思ったはずだ。

けれど何よりも怖かったのだろう。得体の知れない女が。誰からも敬語で話されていた僕へ気軽に声をかける女が。


「何だよ、アンタ。俺は偉いんだ、だから死なない」


 一目で強がりとわかる声色だった。女もそれを理解しているのか、いや理解していたのだろう。口元を歪に歪ませ木の上から舞い降りる。

 木の葉が落ちるように、風に揺られて花が舞うように。軽やかな身のこなしで物音も立てる事もなく僕の前へと降り立つ。


「ふぅん、へぇ。君みたいな子嫌いじゃないよ。可愛さ百倍って感じでね。ふふ、地主さんの所へ行こうか。君を殺してあげる」


 背筋が震え、足が動かなくなる。言葉の有無が理解できないわけではなく、告げられた死の言葉が本気なのだと悟れる。

子供の僕には余りにも重すぎた。


「い、いやだ」


 死にたくない、と心から願った。それともここから居なくなる事が怖かったのだろうか。今ではわからない。


「なぁに、君はもう彼らの中では死人も同然さ。そうだろ? 名前を喰われた少年君。誰にも呼ばれぬ存在なんて、死んだのとどう違うのだろうね?」


 言葉は僕の存在を貫く。魂を砕く。心を溶かす。何よりも、脳は理解する。

 意味はわからずとも納得だけはすとんと収まった。


「……ッ」

「いい絶望だね。大丈夫、私が君を見つけたのだ。甘い絶望に浸る事を許さず、灼熱の希望に身を曝してあげよう」


 手を握られて僕は歩き出す。女の言葉は頭に入ってこなかったがこちらを慰めるような体温だけはやけに記憶に刻まれた。




 天狗。彼女はそう呼ばれていた。そのように見えただけなのか真実天狗なのか今となっても理解できないが、おそらく現在でも彼女は当時のままなのだろう。

 人間を捨てたのか、人間である事を見失ったのか。それはわからない。

 それは、などというと僕が彼女の事を何か一つでも知っているのかと思われてしまうか。

 言い直そう、僕は彼女について一切を知らない。不明の一言に尽きる。

 女性であり天狗。それだけ知っていれば十分だったのだ。


「……僕は、どうするんだ、ですか?」


 彼女は父親の所へ行き、一言問うた。


『この子の名前を知らぬかね?』


 父親は何も言わず天狗へと僕を明け渡した。気づいていたのだろう、息子の状況を。

 旧家である以上、子供が異常だったと言う事は隠すべき事だったのだろう。やはりこれも今だから思える事だ。当事の僕は捨てられたという絶望に心を喰われ、抗う術がなかった。


「まっ、何。君は社会的に死んだだけで別に本当に死んだわけじゃなし。気にする程でもないだろう。さて、君は何になりたい? 神を身に宿したいかい? 大自然の力と一体化するかい? それとも魑魅魍魎を扱う? 宿木を使うのもありかもしれない、あとは魔を扱う術を知るのも悪くない、ふふふ、君ほどの力があれば何でも可能だったろうね。それで名が欠けてるのだから正常に生きてさえ居れば歴史に名を残したか、それとも神として奉られる事になるか……もったいないが、運が悪いね」


 ぺらぺらとよく喋る人だった。僅かの理解も出来なかったが、それでも疑問は浮かぶものだ。


「名前が、欠けてるって」


 木の根に引っかかり転びそうになる。いやなった。彼女は転んだ僕を省みる事なく先へと進み、僕は慌てて立ち上がり泣く間もなく追いすがる。

 彼女だけが頼みの綱であったのだ。そう仕向けたのだろうが。


「ずーいぶん昔から居るんだ、名前を喰らうモノ。そういう生物なのだろう。歴史を漁っても出てこない。名前を喰われると存在が希薄になって死ぬ。そういう厄介な奴さ。倒そうにも見つからないし天災みたいなものかな」


 気軽に言う口調の中には確かな敵意が見える。ならば過去に彼女も同じ被害にあったのかもしれないし、親しい者が同じような事になってしまったのかもしれない。


「運が悪い。そう、それだけだ。さて私たちの里で君は頑張ってもらおう。なぁに、死なないんだ。死ぬ程の目にはあってもらうさ」


 それからの話は語る程の事ではない。

 あえて言うなら、修行の日々だったといえばいいだろう。

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