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しょうせつか頭部が何らかの要因により吹き飛ばされた怪物は暫し女性を握ったままその場に硬直するかのように棒立ちとなる。
だが未だに女性が解放される様子はない、人間であば頭部が吹き飛ばされたのであればなんであれそれで即死に違いないのだが……。
頭部を吹き飛ばした程度で死ぬ事はないのか、そもそも生物の範疇を逸した化物が果たして生物と同じように死ねるのかどうかすら怪しい。
しかしそんな事など、そんな化物の事など、化物に戦いを仕掛ける彼らは既に分かっていた。
――頭部を吹き飛ばした? それがなんだというのか、この化物からすればたかが己の肉体の一部が無くなっただけの事、足を吹き飛ばすよりも“足止めとして少し効果的なだけに過ぎない”。
であると、だからやって来る。
この化物と同じように上から、あるいは空から……“降りて来る”。
だがそれは新たな化物ではない。人、それは紛れもなく人のカタチをしていた。
「シィィィイイイ……ッ!」
例えるならばまるで蛇のように静かに息を肺から吐きながら。
それは女性と化物を繋ぐもの――すなわち化物の腕めがけて一直線に落下。
化物のものと比べ短く細い腕を、より正確には手を、更に言えば縦に立て刃に見立てたような構え――手刀を。
落下しながらも真っ直ぐに一直線、女性と化物と繋ぐその異形の長腕をその手で……“叩き切った”。
切断。
落下の勢いも加味した手刀の一撃は金属から研磨された刃ではないにも関わらず化物の太い腕を切り飛ばし、女性を化物より解放させた。
解放された女性は支えを失い地に落ちる。正気を失った今の女性に受け身など取れるはずもなくこのままでは頭部からアスファルトの上に落ちてしまう。そうなったら大怪我は免れない。
しかしそこで怪物の腕を叩き切った人物が素早い身のこなしで落ちてきた女性を寸でのところで受け止める。
化物と同様に上から飛び降り、かつその勢いのまま素手で化物の肉体を破壊したのは意外な人物であった。
その人物は小柄の――少女。
ポッキーのものと同じような黒色の特殊スーツ――ただし若干彼のものより薄地で軽そうに見える。を身に纏う少女、ただしヘルメットは着用していない。
代わりに着けているのはボクシング選手が使用するようなヘッドギアに近しい、とでもいうべき代物。
よってポッキーとは異なり顔付きが窺えた故に少女だと判別が出来た。
「ポッキー、こちら『タケノコ』、解放に成功」
淡々とした。感情の起伏をまるで感じさせない、必要最低限ことしか告げない冷めた(そしてこころなしか拙い)口調。
少女は東洋系の人間だ。人種特有の黒髪を短く、視界の妨げにならないようにショートにまとめ、口調と同じように感情の彩がまるで見えない目付き。
感情こそは分からないがその小さな少女の全身から発せられるものは明確な、かつ研ぎ澄まされた殺意と殺気。
この少女を見た者は誰もが彼女を“暗殺者”だと称してしまうかもしれない。少女にはまるで相応しくないもの、だがその少女という存在を言い表すとなると“その不相応な三文字があまりにも適し過ぎていた”。
「続けて目標攻撃、する……!」
暗殺者たる少女は自らを『タケノコ』と口にしつつ受け止めた女性を丁寧に、かつ手早くに地面へと置いた後。
タケノコは素早く腰を低くして捻り、力強く地面をブーツ越しに足裏で踏みしめ、左腕を弓を扱うように後方まで引き絞る武道の構えらしきものを取り……その一瞬後には“風を裂くような音”と共に頭部と片腕無き化物の懐へと入り込む。
ここで彼女は自らが引いた左腕を一直線に、そして手首を曲げ掌の手首に近い肉厚の部分を前へ、化物の腹に目掛けて突き出す。
これは通常の拳技とは異なり対象の内部へのダメージを与える『掌底打ち』だ。
だがそれは本当に人間の肉体が、このような小柄の少女がなせるものなのかと疑問にすら抱くほど、少女の放った掌打は“風を裂くような音”すらたてて化物の体を叩く。
そして叩かれた化物の肉体は……信じがたい事に“宙に浮いた”。
化物の半身程度の大きさしか持たない少女の掌の一撃を貰い、その勢いに押されるように巨体が宙に浮いたのだ。その高さは地面から1メートルほどといったところ。
一体どのようなマジックを使えばこのような事が可能となるのか、それともそれだけこの少女は武道の天才であり体格差や体重差といったハンディキャップを無視できるだけの力量を秘めているとでもいうのか?
しかし驚くのはまだ早い。掌打で化物を打ち上げた少女は続け様にその化物目掛けて打ち込む。
……ここからが驚きの、そして常識を疑う光景だ。
飛び上がった少女は宙に浮く化物のボディに今度は強烈なアッパーを叩き込む、今度は拳の一撃だがインパクトの強さは先の掌打と変わらないようであり更に高く浮く化物の体。
だがそこで少女の攻撃は終わりではなかった。ジャンピングアッパーカットを決めた少女はここで腰を大きく捻り空中で体を横に回転。
横回転していく最中で自らの足を上げて再び化物を正面に体を向けた直後、自らの上足底で化物を蹴ったのだ。いわゆる“回し蹴り”である。
少女の蹴りを受けた化物は今度は横に、信じがたい事に数メートルほど先にあるビルの壁に向かってほぼ“水平に”ぶつかった後、ズルズルと壁を沿ってぐったりと地に落ちた。
……手刀といい、掌打といい、今見せたアッパーからの連続空中回し蹴りといい、目の前に本物の化物がいる手前、このように称するのは不適当だろうがこの少女は本当に人間なのかと疑いたくなる。
彼女の正体が戦闘民族の宇宙人やら小宇宙を力とする聖闘士やらというわけではないにしろこの力は人間が出せる範疇から明らかに逸脱している。
ビルの壁まで蹴り飛ばした事に、難なく地面に着地したタケノコは満足そうにひとつ頷くと倒れている女性へとしゃがんで彼女の体を……持ち上げた。
女性の肩と足に手を伸ばして横に持つ、横抱き――俗称で「お姫様だっこ」と呼ばれる抱き方である。ちなみに女性は大柄というわけではないが少なくとも少女よりも身長は高い。
だから自身よりも身長が高い女性を横抱きする少女の姿は酷く……珍妙なものであった。この場の空気がまともならば少しは笑いが取れたかもしれないが。
ともかくあの化物ですら拳や蹴りで打ち上げ、そして蹴り飛ばしたこの少女からすれば女性の体重などあって無いようなものなのだろう。
よって楽々と女性の体を抱え持つ事に成功するタケノコ、しかしその時……。
「……!?」
物音がした。
発生源は少女が蹴り飛ばした化物がいる辺りから。
「該死……っ!」
明らかに日本語ではない言語で顔をしかめて悪態を吐く。
発生源の方へ顔を向けたわけではないが彼女は分かっていた。その物音の正体が。
化物――。
頭部と腕を失い、少女の猛打を受けてなお、ソレは動いた。
少女が化物の方を向いたその時には既に化物は立ち上がる。
目も鼻も耳も、外部からの情報を受ける各感覚器官が無いというのに確かに化物は少女と女性二人を正面に捉え……跳躍。
ビルとビルの間を飛び跳ねる脚力は健在だった。化物は攻勢に出たのだ。自身に猛打を与えた少女、そして元からの獲物であった女性を狙って。
タケノコは舌打ちひとつすると女性を抱いたまま化物と同じように前に跳ぶ。化物は直ぐ傍まで来ていた。そして己の唯一残った長腕をまるで……いや、鞭そのもののようにしならせ、それに跳躍からの落下の勢いをも乗せて振り落とす。
粉砕。
彼女が咄嗟に前方に跳んだ事で化物は狙いは外れた。しかし腕の振りの勢いは止まらずそのまま地面激突する。途端に起きる激しい粉砕音、そして立ちこめる大量の粉塵。
地面が、アスファルトが砕かれた。化物が振り下ろした腕によってものの見事に。
ワンテンポほど少女の判断が遅れていたら化物のこの攻撃に、アスファルトの地面すらも砕いた化物の一撃を貰っていた事だろう。
こんな攻撃を受けたものならば人外じみた力を持つ少女は分からないとしても明らかに普通な一般人である女性は確実にミンチにされてしまう。
脚力だけにあらずこの腕力……頭部や片腕を失っても化物は化物という事か。タケノコは今一度女性を地に降ろして構えを取るべきかと判断、いざその行動を起こそうとしたその時。
「どっせぇぇぇいっ!」
通路の横にある別の道より新たな人影が現れる。今度は男。
荒々しく豪快、若き血潮滾るような雄叫びと共にその男は横から飛び出ると勢い良く、そして迷いも躊躇もなく化物めがけて肩からぶつかる。ショルダータックルだ。
化物ほどではないにしろ男の身長は高く百八十以上は余裕であるだろう。更に体格もガッチリしているように見えた。
身長の高さ、体重の重さ、そして飛び出た時の勢いもあって化物の体は大きく揺らいだ。
しかしタックルを行った男は単に化物にぶつかっただけではない、肩をぶつけたまま彼は更に地面を踏み込んでダッシュ。
男は化物を押し上げて再びビルの壁に激突させる。当然暴れる化物だが彼は決して化物から離れない。
「がぁ……っ! くっさっ! 体臭てげきっちぃ! 風呂入らんかこのバッケモンがぁッ!」
強引に壁へ化物を押し込んで動きを封じるという手段を行使したやたらと訛りある口調な男の姿を改めて見る。
体格は先にも言った通り大きく、その服装はポッキーやタケノコと同じ特殊スーツ――こちらはタケノコとは反対にポッキーの物と比べより厚く、重厚な造り。を着込み頭部には少女と同じようなヘッドギアを装着。
顔付きを見ると若い男といった風だが……濃い、とにかく濃い。そして何より暑苦しい。
一昔前のガキ大将といったような野太い眉毛が特徴な精逞な面構え、何処までも果てなく響き渡るよな野太い地声、そしてその図体のデカさを加えてやたらとこの男の存在感の濃さと暑さをアピールしている。
だがそんな特徴もこれを見てしまえば些細な事となるだろう。
これとはつまり彼の両手に握られている物。それは何と……“巨大な刀剣状の物”であった。
刃渡りは実に1メートル以上、そして刃の幅も非常に広くまたブ厚い。だが明確に刀剣――と言い切るには少し語弊がある。だからこそ“刀剣状”だと称したわけだが。
その理由、それはこの大きな刀剣状の物体には……“刃がなかった”。
剣である以上、それは対象を斬るために鋭い刃が当然ある。しかしこの男が持つそれにはそんな敵を引き裂くような刃がないのだ。
刃がない剣など、この剣状の大きさからして鉄板同様である。だが刃に代わるように刀身全体に渡って隙間らしきものがある。特異な形状だ。
大剣全体を見てもそれは無骨な剣というよりまるで機械で出来た剣を思わせるような……その意味でも非常に特異な大剣である。
「『カキピー』……!」
タケノコは化物を肩で押さえ込み、そんな大剣を持つ男の事をそう呼んだ。『カキピー』と、確かに彼女はその名で彼を呼んだ。
つまりそれはこの男こそが彼女の、そしてポッキーのもうひとりの仲間。
「おう。タケノコ! コイツは俺に任せてその女ぁ連れてはよ行け! ……くぅ、一度言うてみたかったわこの台詞っ!」
「……謝謝、ここは任せる」
カキピーが化物を取り押さえている間にタケノコは(何故か感極まるように感動している)彼の言葉に従い女性を抱いたままグッ、と膝を大きく曲げて高らかに跳び上がる。その高度は一気にビルの半分にまで達した。
しかし抱えている女性の事もあってか目指す高さまで跳ぶ事は叶わず失速してしまう。このままでは地面に落ちてしまう……。
「ふ……っ!」
が、なんとそこで少女は空中でビルの壁に向けて足を伸ばしその壁を勢いよく蹴り。そしてその蹴った勢いで再び宙へと舞い上がったのだ。
アクションゲームで良く見るような“壁蹴りジャンプ”である。だがまさか現実にこの技を成功させてしまうとは、しかも人を抱えたこのような小柄の少女が。
これではまるで“忍者”……もとい“NINJA”である。あるいは“くノ一”というべきか。
その後、更にもう一回反対側にあるビルの壁を蹴りより高度を高めた少女はビルの屋上にまで到着しこの場から急ぎ離れて行く。
そこまでの過程をカキピーは察した。彼女は無事役目を果たしたのだ。
「ヒュー! さすがやね、おっしゃ、うちも負けんどぉ……いッ!?」
タケノコの身体能力とその芸当に素直な称賛を贈るカキピーだったがそこで肩で押さえ込んでいた化物の頭部を失った首から複数もの触手が肉を突き破って出現した。
カキピーは女性と違い神経が相当図太いようでそんな光景を見ても正気を失う事は無かったがそれでも血色の良い顔色が若干悪くなる。
「げぇ、触手ぅっ!? んなキモイもんそっから出すなや……っ! 『バイクラ』のジャイアントかっての!」
咄嗟に押さえつけていた化物から逃れるようにその場から勢い良くバックステップするカキピー、その判断は間違ってはいなかった。
首から飛び出た触手が一斉に彼を突くように真っ直ぐに伸びてきたのだ。ギリギリのところでそれを避けたところで触手は彼が先まで立っていた道の上に突き刺さる。
接触した触手から順に次々と道路に穴と生み出していく、アスファルト舗装されたコンクリートの道路をこうまで容易く貫通するとは恐るべき威力だ。
やはりあの触手の先端部分は異様に硬い。あの触手の攻撃は何としてでも受けたくないものである。
威力的には無論、生理的にもお断りしたい。あのような触手が自らの肉体を抉って内部から蹂躙されるような光景などホラー映画やゲームの中だけで十分だ。
「ったく、うちは触手モノはだっご嫌やけんねぇ……!」
カキピーはハンドガードが付いた刃無き機械的な大剣の柄を強く握り横に構え持つ。
これだけの大きさの大剣だというのにその動作は軽々としたもの、だが刃なき剣で一体どうしようというのか?
それと同時に化物から伸びてきた一、二本の触手、狙いは紛れもなく彼だ。
「汚物、もとい触手は消毒やぁ!」
群れて来る触手を叩き斬るが如く、彼は大剣を横に大きく振るう。その途端、剣に変化が起きた。
“発火したのだ”。
大剣の刃に代わるようにあった隙間から灼熱の、強烈な炎が噴き出たのである。
これは何かの魔法、それとも手品、あるいは大剣に備えてある技術か? 先の少女の身体能力とは別のベクトルで現実を疑う光景だ。
だが大剣より噴き出た炎は向かってきた触手を一瞬にして焼き焦がし、その攻撃を無力化する。これは紛れもなく現実に起きた事。
あの炎は決して幻でもなんでもない、物理的な力、“燃焼”の力を明確に持った炎なのだ。
首からの触手を焼き絶たれた化物は今度は中ほどから折れた腕から新たな触手を伸ばし放つ。
首だけにあらず腕からまで、この化物の体内は触手で構成されているのかと思いたくなる。
「きぇぇええいっ、もう一丁ォ!」
しかし焦る事もなく今度は足と腰と腕、そして寄声を発するために腹に力を入れて下から上へと炎を噴く大剣を斜め切り。
またも強烈な炎を噴き出し腕からの触手も先と全く同じように焼き切る大剣。
剣も異様だがこれだけの大きさと重さを持ちかつこのような現象を起こすモノをこうまで易々と扱えるとはこの男もまた先の少女と同様に化物じみた力を持っている。
「へへっ、見たかバケモン。俺の得物は硬ってぇし熱っちぃどぉ~、そうりゃっ!」
二回連続で触手を大剣の炎で焼き落とした彼は得意げに笑って化物に向かって突撃、今度は化物本体へと切りかかった。
あの触手を一瞬で焼却した事から察して大剣から噴き出る炎の温度は数百というレベルを越えて数千にまで達しているはず。
だとすれば驚異的な火力である。そしてそれを制御するこの大剣も驚異的だ。素材的にも技術的にも。
この大剣はこの炎こそが刃無き大剣の刃だというのか、しかしこの火力ならばこの化物を焼き裂く事だって出来るかもしれない。
事実彼はそのつもりなのだろう。不敵に笑って振るう大剣の勢いには迷いは感じられない。
「ありゃ……?」
必殺の一撃のつもりで放ったそれ、だが聞こえてきたのは化物の絶叫(頭部は既に無いが)でもなく間抜けな声。
化物は彼の攻撃を……かわした。また新たに首から伸ばした触手をビルの壁に突き刺し、それを支えとして自身の体をこの場から引き上げるという奇っ怪な方法で。
炎の真っ赤な軌道と共に空を斬った大剣、これだけの大剣を悠々と振り回すその力は確かに見事だが大きな武器は攻撃から次の攻撃に移るインターバルがどうしても長くなる。よってカキピーに隙が生じた。
狙ったというのか、化物はビルに突き刺していた触手をここぞとばかりにそれを外し更にビルの外壁を蹴り加速を得て隙を見せた彼を契機とばかりに上空から迫ってきた。
その次の瞬間……聞こえて来たのはカキピーの悲鳴でもなく、まして化物の歓声でもない。
それは“銃声”。
かなり小さくて安っぽくくぐもってはいるがカキピーはそれが銃声だと分かった。ここが日本、先進国でありながらも世界的にも例をみないガチガチな規制法により現代兵器の要といえる銃器類から縁が遠い国だという事を知っていながら、である
日本で発生した殺人事件における銃器使用の割合も世界で一番下から見た方が早いというくらいだ。日本で生きている大抵の者は一生本物の銃器を見る事なく生涯を終える事が大多数だろう。
そんな日本で相応しくないこの音、しかも一発分だけではない。
一瞬たりとも間を置かず続けてパパパパパ、と爆竹のような爆発音を連続で発生させ空気を震わせる。続けざまに弾を発射する際に生じる連射音。
「おおうっ!?」
時間としてはたったの数秒の音、その後どさっ、とカキピーの頭上、真上の一歩手前といったところに化物の体が落ちて来る。
驚きながらも咄嗟に一歩下がった彼は大剣を正眼に構え落ちて来た化物を見てみる。化物の体中には“幾つかの穴ができていた”。
やはり間違いない、先の銃声は本物だったのだ。そしてカキピーはこの銃声を、つまりは銃を使ってこの化物を撃ち落とした人物に心当たりがある。
「……危ないところでしたね」
と、そこで銃声の今度は人の声が、しかもカキピーの直ぐ後方から聞こえた。
「おうわっ!? い、いきなり話しかけんなし……! おっじぃやろうがっ!」
ビクリと、彼はその巨体を情けなくも動揺させて顔だけを背後に向ける。
すると……
「それはすいません、ついクセで……一応、攻撃が分かるように銃声だけは消さないようにしていたのですが」
何もないはずの空間が突然、まるで凹凸のレンズ越しに見る景色のようにあらゆるものが歪み、そして薄らと何かの輪郭らしきものが見え始めた。
その歪みは時間経過と共に更に酷く、見えて来た輪郭もより明瞭に分かるようになったその途端。
“人が現れた”。
歪みんだ空間から現れたのは特殊スーツと特異なフルフェイスタイプのヘルメットといった恰好。
そしてその手には現代社会における力と破壊の象徴たる銃器、これが先程の銃声の正体だろう。サイズと先の発砲音数からしてそれは短機関銃と呼ばれるタイプの銃。
形状はベルギーの有名銃器メーカー、FN社が設計・製造したPDW。
金属ではなくプラスチックを多様したブルパップ型でトリガー部と銃口が極めて近く良く言えば近未来的、悪く言えば玩具っぽい。
人間工学に基づいて設計されたが故のインパクトのあるデザインで日本においてはその特異さから一躍有名となりアニメやゲームといったサブカルチャーに引っ張りだこなカルト的の人気を持つ『P90』……を連想させるような銃。
銃全体のほとんどを何かラバーらしきもので覆いトリガーガードもグローブを着用しての使用を前提としたものか大きくて広い、サイズこそさほど変わらないが銃全体にかけて厚みがあり軽量なイメージがあるP90よりずっしりとした重量感がある。
かなり強引な解釈となるがかつてアメリカのマグプル社が開発していたというM4カービンに代わるブルパップカービン、『Magpul PDR(マグプル・パーソナル・ディフェンス・ライフル)』とP90が混ざり合ったような……そんな形状をした銃だ。
だが何より目を引くのはこの銃には“排莢口”が無いという事。銃には弾頭を射出するために用済みとなった排莢を外へと捨てる排莢口があるのにこの銃にはそれらしきものが見当たらなかった。
加えて減音器やダットサイトなどなど……多彩のオプションパーツを取り付け素人目でも分かるほどの高級仕様。
いかにも某国や某国の特殊部隊が使っていそうな高級仕様の謎の銃を持ってはいるその人物、その姿と声から疑いようのなく正体は先程まで物影に隠れて化物と女性の様子を窺っていたポッキーである。
「……棒読み謝罪なのは置いといて、やっぱ良いなぁその能力、『光学迷彩』とかだごかっけーど? 『防殻』みてぇやし」
「正確には『完全迷彩』です。隠れ蓑やら17式とは違って周りの環境の変化にかなり強いですからね、湿気や埃などに」
いきなりこのようなカタチで現れた彼に最初こそ驚きつつもカキピーは一瞬のうちに調子を元に戻した後に彼は言った。
ポッキーが突然このように現れた際に起きた謎の空間が歪むように見えた現象は予め彼が起動していた『光学迷彩』――視覚的(光学的)に対象を透明化、カモフラージュする技術。を解除した事によるものだと。
90年代までは完全にSF世界における近未来技術扱いであったが2000年代に入ってからというもののメタマテリアルといった新素材の登場。
そして学者たちによる研究が進み、SF上のこの技術は実用化にむけて着々と進みつつあるがポッキーのそれは周りの環境次第で機能低下を起こさない光学迷彩――『完全迷彩』だという。
「それはそうと……まだ目標は動くみたいです」
ポッキーの言葉を聞いたカキピーは顔の位置を元の正面に戻す。
彼の言葉通り、銃弾をを何発も受け撃ち落とされたはずの化物がまた動き出した。
頭部を無くし腕を切られた上でだというのに……一体どれほどの耐久力を持つというのだこの化物は。
動き出した化物に向けて慌てる事なく銃口を向けるポッキー、保持安定のために取り付けられたフォアグリップをしっかりと握り、安定性重視の腰溜めで構えてすかさず僅かに重みがあるトリガーを引き絞った。
その途端に銃に起きるのは装填と撃発のサイクルが遊底の往復運動によって連続に行われる事で可能となるフルオート射撃。
装着しているサプレッサーにより発射音とマズルフラッシュが抑えられた銃口より弾頭が雨あられと放出される。しかしその銃弾を前方に弾きだすためにお役御免となった排莢は銃からは出てこない、代わって機関部側面より煤のようなものが飛び散った。
向かってくる弾という弾の幕に対し化物は横に激しく動く事で弾幕をやりすごそうとする。空中に跳ばず地上を直にジグザグに移動する事で撃ち落とされる危険性を回避する選択を取ったようだ。
その化物の考えは“悪い事に”功を奏し、何発が銃弾を受けたはずなのだが化物は動きを止める事なく二人がいる細道から脱け出してしまう。
「あっ! おい、逃げんなしっ!」
「くっ、頭が無いくせに頭を使う……! カキピー、僕は目標を追います。おそらくタケノコと餌を追って行ったと思うので」
このままにしておくわけにはいかない、良いように逃げおおせた化物を追うべくポッキーは追跡行動に入るとカキピーに告げる。
そのカキピーから「おう! うちも追い掛けっからな、気ぃ付けろよ!」という言葉にひとつ頷きつつポッキーは化物を追って駆け出した。そして細道から出た途端にグッと地面を踏み締め高らかに跳躍。
先の少女と同等、いや彼女と違い女性を抱えていない分より早く、彼もまた風を裂くような音をたててより高くその身を宙に踊らせた。
重力などまるで無視した常識外れの跳躍力で建物の屋上に着地すると化物と同様にそこからまた跳躍し別の建物の上に着地、それを繰り返して無音無人と化している都市の中を自由自在に駆け巡る。
跳んでいく中でポッキーは撃ち尽くして空になった弾倉を銃本体から排出、弾倉の装着場所はP90と同じく銃の下部にあるのではなく上部にあり弾倉自体のデザインもP90のものと似て弾丸を横向きにし複列装弾する事で弾倉自体はコンパクトながらも装弾数を飛躍的に上昇させたヘリカルロードマガジンだ。
腰に装着した多目的ベルトに取り付けているマガジンポーチから新たな弾倉を取り出して再装填、弾数がフルにまで戻った銃を確認すると通信を入れる。特定の者だけではなく仲間全員に向けて。
「こちらポッキー、すいません、目標は逃走。おそらくはタケノコと餌を追っているかと思います。よってタケノコは注意を……『オレオ』、目標の捕捉は? ではお願いします。以上」
通信を終えたポッキーは新たなビルの屋上に着地し、再び跳び上がった瞬間。その姿が突如として変化を起こす。
空間に溶け込むように、呑まれていくかのように彼の姿が、その輪郭が透明に薄れて消え始めた。先程とは真逆の光景、これが『完全迷彩』の起動の瞬間である。
やがて完全に彼の姿がその装備と共に夜空の景色の中と同化して消え失せた。