ライトな人体実験 8
「お待たせしました。先輩、仕事終わりましたよ」
「まったく、誠也さん。すべて俺たち一年に任せたりしないで、先輩も少しくらい自分たちでやってくださいよ。大変だったんですから」
頼まれていた仕事を終わらせた晴代と西村が生徒会室に疲れた様子で入ってくる。
「お茶を入れといたけど、雨野と三条が来るまで、もう少し待とうぜ。全員で飲みたいからな」
「そうですか。わかりました。もう少し待ちましょう」
西村は自分が罠に掛けられているなど、微塵も思わずに雲沢の言葉を鵜呑みにする。
「あれ、文香も来てたんだ」
「晴代…そのお茶は…」
文香は晴代に警告しようとしたが、雲沢ににらまれ、黙らざるを得なかった。
「…いや、何でもない」
晴代は文香の顔を覗き込みながら、いつもと何か様子が違うというのを感じていた。しかし、今の晴代は仕事の後で疲れていて、文香の様子について詳しく考えることができない状態だった。面倒だったのでそれ以上は追及せず、晴代は窓の外を眺めて力を抜いていた。
もう一度生徒会室の扉が開き、額にあざを作っていた男子生徒と、満足そうな笑みを浮かべた女子生徒が部屋に入ってくる。
「おや、今日はお茶菓子があるのね。持ってきてくれたの誰?」
雨野の問いかけに対して、西村が「俺です」と答える。雨野は簡潔に礼を言うと、自分の席に腰を下ろした。
「どうした、三条。そのおでこの青あざはよう」
「……ナイフ代わりの金属棒が命中した。かわしたと思ったら、まさかの二本目を使われた。ほとんど不意打ちに近いぞ、あれは」
「相手がナイフを一本しか持っていないなんて保証はどこにもないのよ。少なくとも、相手を倒すまで、気を抜いてはいけないってことよ」
霧矢の愚痴に答え、雨野は自分の席の前にあったお茶を口に含む。その瞬間、わずかではあるが、雲沢の表情がにやりと緩んだ表情に変わり、有島と神田は気の毒そうな表情をした。
「会長を倒すなんて、正直今の段階じゃ、無理の一言に尽きますよ。僕の不意打ちだって、余裕で防御しきったじゃないですか。不意打ちですら勝てないんですから、まともにやったって勝てっこないですって」
霧矢は文句を言いながらも、お茶菓子を口に含み、お茶で飲み下した。西村や、晴代も同様にお茶を口にしていく。雲沢は満足そうな表情をするが、文香は嬉しいようなまずいような、何とも形容しがたい表情をしていた。
「雲沢、何であんたはそんなに、嬉しそうな表情をしているの?」
「いや……別に、俺は何も……」
雲沢の表情があまりにもにやけているのを不審に思い、雨野は雲沢に問いを投げかける。そして、雲沢の言動も怪しいので、雨野は雲沢が何か企んでいるということを直感した。
椅子から立ち上がると、雨野は雲沢の襟首を掴む。
「また性懲り無く、何かいたずらを仕掛けたわね。何をしたのか、白状しなさい。さもなければ、今日があんたの五体満足の最後の日になるわよ」
有島と神田はそれ見たことかとばかり、雲沢に冷たい視線を向けた。雲沢は表情をひきつらせると、雨野から目をそらせた。しかし、それがさらに、雨野の逆鱗に触れることになった。
「ちょ…ちょっと、俺の首が…もげる……」
「もげたところで、あんたの生命力ならどうせ後でくっつくでしょうに。さっさと吐きなさい」
雨野は雲沢の首をねじっていく。ミシミシという首の皮の悲鳴が聞こえ始めたが、雨野は手を緩めようとしない。雲沢の首が百八十度回転すると、観念したのか、ようやく白状した。
「……木村が作った、魔法薬を皆さんのお茶に盛りました。申し訳ありません」
その言葉を聞いた途端、霧矢、晴代、西村の三人は口に含んでいたお茶を吹き出す。しかし、もはや後の祭りとしか言いようがなく、三人とも、すでに薬が体内に回っている。
「先輩、いくら先輩が上級生だといっても、俺らにも我慢の限度というのがありますよ」
「文香! どんな効果の薬なの!」
晴代が金切り声で、文香を問い詰める。文香は視線を宙に走らせると、一言だけ答えた。
「あるものを逆転させる…」
「それだけじゃわからんぞ! 木村、詳しく説明しろ!」
霧矢が大声で文香に迫ったとき、後ろの方でバタリと倒れる音が聞こえた。後ろを振り向くと、晴代と西村が倒れていた。
「お…おい…二人とも…どうした……」
霧矢は顔を青ざめさせながら、二人の体を揺する。顔色自体は悪くないので、命に別状はなさそうだったが、それでも、薬が関係していることは明らかだった。
「…あれ、何で三条と雨野には効かないんだ? 二人にも飲ませたのに……」
雲沢がつぶやくと、雨野は雲沢の顔面に正拳をぶち込む。めきめきという嫌な音とともに拳が顔面にめり込んでいった。そのまま、雲沢はノックアウトされた。
「しかし、何で僕と、会長には効かないんでしょうか……?」
「さあ…私にもよくわからないわ。でもそんなものを作るなんて……」
二人とも顔を合わせて、首を傾げた。文香は薬が効かない二人を興味深そうに眺めていた。
「う……うう……」
二人からうめき声が聞こえ、全員が彼らに注目する。むくりと二人は起き上がると、晴代は雨野を、西村は霧矢に注目する。
「おい…大丈夫か…?」
「……あれ、なんだろうな。この気分は…三条…お前…」
「…ええ。あたしもなんか、雨野先輩がとっても、魅力的に見える……」
霧矢と雨野は一歩下がる。二人の目が異常な光を帯びており、二人とも本能的に、自分の身に危険が迫っていると感じていた。
「…木村、正確に答えろ。この薬の効果は何なのか。隠すことなく教えろ」
「恋愛対象の性別を一時的に逆転させる薬だ。二人とも今は同性愛者になっている」
なっていなければ、それはそれで問題だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「もしかして、三条や雨野に薬が効いていない理由って、もしかして、お前らの恋愛対象は……グヴォァ!」
いつの間にか、復活していた雲沢が口を挟むが、言い切る前に霧矢と雨野の鉄拳制裁ダブルコンボで再び黙らされた。鈍い音が響くと生徒会室に死体と血だまりができる。
「ねえ、雨野先輩、あたし、雨野先輩のこと、お姉さまと呼んでいいですかあ…?」
晴代が雨野に抱き付いてくる。雨野も相手が女子なので、いきなり殴るわけにもいかず、抱き付かれるまま、ただ戸惑っていた。
「三条…俺は、どうして気付かなかったんだろうな……」
「やめろ! 気色の悪いことを言うな! それ以前に僕に近寄るんじゃない!」
修羅場と化している生徒会室の中で、有島と神田、文香の三人だけが、穏やかにお茶を飲んでいた。もはやその三人と、霧矢たちの間には見えない壁のようなものがあり、まったく別の状況を醸し出していた。
「来るなー、僕にそういう趣味はなーい!」
霧矢はものすごい勢いで生徒会室から飛び出していく。雨野も晴代を振り払うと、霧矢の後に続いて、走り出した。
「あ、お姉さま、待ってくださいよ~」
「おい、待ってくれ。お前は、俺の……」
騒々しく飛び出していく四人を見送るのは、ゆっくりお茶を飲む三人と、一体の死体だった。
「それにしても、どうして三条と会長に、薬が効かないのだろうか」
結果をノートにまとめながら、文香は有島に意見を求める。有島はお茶を飲み干すと、自分なりに考えをまとめていく。
「おそらく、三条君の魔力抵抗が強すぎるからじゃないでしょうか。あれだけの魔力を体内に宿していれば、ちょっとやそっとの魔力干渉くらい、簡単に無効化してしまいますから」
文香はなるほどといった感じでノートに書き込んでいく。有島は続ける。
「光里ちゃんの場合、おそらく、契約異能が反応したんだと思います。薬を有害なものだと判断して、契約異能が自動的に解毒を行った…と考えるのが合理的かと思います」
文香は有島の意見をノートに書き留めていく。
「少なくとも、契約主の魔力抵抗は常人よりも低くなりますから、あの二人に少量にもかかわらず薬があんなに効いたとしても、不思議なことではありませんね」
先ほどからずっと押し黙っている神田は、無言で雲沢の死体を揺さぶっている。霧矢と雨野という二人でリンチされたので、さすがの雲沢でも復活には時間がかかっているようだった。
「まあ、面白い薬ではありますが、勝手に試したのは、よくなかったですね」
有島はバツの悪そうな微笑を浮かべると、つぶやく。
「……面白かったですけど」