果報者と傍観者 12
「霧君、電話!」
午前七時を回った頃だっただろうか。三条霧矢はまだ夢の中にいたが、霜華の呼ぶ声で霧矢は夢の中から引き戻された。
風華に過激な方法で叩き起こされるよりははるかにましだが、土曜日の朝に電話で起こされるというのもなかなか不愉快なものだった。パジャマ姿でボサボサの頭を掻きながら、霧矢はカーディガンを軽く羽織って、保留中の電話に出た。
「はい、電話変わりました。霧矢です。どちら様ですか?」
電話に出た霜華からは誰からの電話なのか何も言わなかった。今は、台所で朝食の支度をしているのか、包丁とまな板が接触する音が寒い廊下に響いていた。
「龍太と連絡が取れない!」
鼓膜が破れるかと思うほどのものすごく大きな声が受話器から響き、半分眠っていた霧矢の目は一気に覚まされた。キンキン鳴る耳の痛みをこらえて、霧矢は再び受話器を耳に当てた。
「…龍太と連絡が取れない…こんな朝っぱらから西村の野郎、どこに行ったって言うんだ?」
「そんなの、私の方が聞きたいんだよ! 朝起きたら、『出かけます。昼ご飯はいらない』とだけ書かれた紙だけが残されていただけで、携帯にかけても出ないんだよ!」
セイスの声は不安というよりも、憤りの方を強く含んでいた。霧矢が黙っていると続ける。
「霧矢なら何か知ってるんじゃないかと思って、電話かけてみたんだけど」
「…うちの電話番号よく知ってたな。風華から聞いたのか?」
「いや、電話帳で復調園調剤薬局を調べた。でもそんなことはどうでもいい!」
朝にもかかわらず大声で叫んでいるセイスに霧矢はため息をついた。寝起きの弱々しい欠伸交じりの口調で霧矢はセイスに質問する。
「西村の野郎、お前に何も言わなかったのか?」
「何って……何を?」
彼女の反応から察するに、西村は本当に彼女に何も伝えていないのだろう。
中里時雨という女子生徒とつきあい始めたことや、今日、彼女と出かける約束があるということも、一言も自身の契約魔族に対して明かしていないに違いない。
さて、どう説明すべきか。セイスのような思考よりも行動が先に出るような相手に説明するのは非常に面倒なことだが、かといって知らないと嘘をつくのも気が引ける。
「…お前、中里時雨という人間を知っているか?」
「龍太がたまに話す人だね。学校の友達でしょ」
霧矢は西村と時雨の関係について、どこまで話すか悩んだが、結局、すべて言ってしまうことにした。
「一言で言ってしまえば、西村のガールフレンドだ。おとといのバレンタインデーにめでたくくっついた。まあ、それ以前もなかなかいい雰囲気だったんだが……」
「…何それ。龍太は私に何も言ってないんだけど」
「……先々週だったか、僕の家にお前来ただろ。その時西村は僕や木村と一緒に電車で行ったわけだが、西村は行き先について何も説明してなかったのか?」
時雨の家にテスト勉強と称して出かけたときは、セイスも浦沼駅までは付いてきていた。しかし、彼女の話では霧矢や文香と二人で出かけるとだけしか言われていなかったらしい。夕食を共にしたときも、その時の話題はすべて、風華やセイスの近況を霧矢が聞いていただけで、霧矢から何かを話すことはなかった。時雨について霧矢からセイスに詳しい話をした記憶はないし、風華もセイスにそういうことは話していないのだろう。
「龍太は単に友達の家に行くって言ってただけだよ。私は恵子のことだと思ってたけど…違ったんだ」
霧矢が西村の身の回りにあったことを説明していくにつれて、普段おしゃべりなセイスはだんだんと無口になっていった。相槌を打つ声も少しずつ憤りを含むようになり、電話越しでは見えないが表情もきっと硬くなっていったに違いない。
「…へえ…龍太、私に黙ってそんなことをしてるんだ……」
「……帰ってきたら思い切りぶん殴ってやるといい。まあ、デートの道中で教団関係者に襲われないことを祈りながらな」
「別に殴ろうとは思わないけど、無断で出掛けられるのはやっぱり心配。まあ、話だけじゃ時雨は教団とコネクトはないみたいだから、よしとするけど」
嫌々といった口調だったが、セイスとしては西村と時雨の交際自体は容認するようだ。しかし、霧矢はセイスの「教団」という言葉に反応した。
「…そう言えば、お前と直接話す機会はあまりないから、今のうちに聞いておこうと思うんだが、先月、お前と西村を襲った魔族って、マリー・ハーシェルって名前で間違いなかったよな?」
セイスが「うん」と即答すると、霧矢は西村や晴代から聞いた彼女の外見の細かな点も併せて照会するが、彼女はすべてその通りと答えた。霧矢は少しためらったが、話すことに決めた。
「そのマリーが先月の下旬に、晴代と接触したらしい。契約主だから興味本位で話しかけたみたいなんだが、これについて僕は西村にまだ話していない」
「どうして、そんな大切なこと黙ってたの! 晴代に万が一のことがあったら!」
セイスは霧矢を責め立てるが、霧矢としてもこの事実を知ったのはごく最近のことだ。それに、西村は時雨のことで頭がいっぱいで他に何かできるような状況ではなかった。
「……晴代は、別にマリーは危険じゃない、むしろ信頼できると言っていたが……」
霧矢の説明に、セイスはかなり焦った様子で問い返した。
「まさか、晴代をどこかに連れて行ったとか、誰か他の人と会わせたとかじゃないよね!?」
霧矢が聞いた限りでは、晴代は単に時雨や学校生活にについてその場限りでの相談をしていただけだった。それを話すと、セイスの語気は少し和らいでいった。
「なら、よかったけど…でも、あいつは人心を掌握する術に長けていて、教団内じゃ、人材のスカウトとか、敵対する相手との交渉をするのが仕事だから……晴代が取りこまれてないとも限らない。それはちょっと心配だな……」
元同僚の特徴や経歴をセイスは霧矢に事細かに説明していく。説明されるたびに、霧矢は西村の説明がいかに大雑把でいい加減なものだったかを実感せざるを得なかった。
「……まあ、人間としては悪い性格じゃないけど、仕事が仕事だけにそう簡単に信頼はできない相手だよ。仕事を抜きにすれば、優しい大人の女性だから、あくまで『プライベート』の彼女が晴代の相談相手だったのなら、まあ、大丈夫なのかもしれないかも……」
心配そうな口調を崩していなかったが、セイスなりに霧矢の提供した情報を分析した結果、晴代は大丈夫と判断したようだ。
「とりあえず、今日、私はそっちに行くわ。晴代に直接会って、事の真偽を確かめないと。ついでに風華にも会おうと思うから、伝えておいてね」
「…うちに来るのか?」
できれば、他の場所で会ってほしいと願いながら、霧矢がその問いを口に出すと、セイスはそれを察したのか、三条家には来ないと答えた。
「…喫茶・毘沙門天にしておくよ。直接晴代のところに行った方がいいしね」
「ぜひそうしてくれ」
これ以上、三条家の冷蔵庫や食糧庫の中身を減らされるのはごめんだった。
「あと、念のため、霧矢からも龍太に連絡取ってもらえるかな。多分、龍太のことだらか、霧矢からの電話も届かないようにしてるだろうけど、ダメもとで」
「はいはい、わかったよ。じゃあ、ごきげんよう」
「バイバイ。私も朝ご飯そろそろ食べたいな……」
相変わらずの食に関してのコメントを残すと、セイスは電話を切った。霧矢も受話器を戻すと、大きく伸びをしてあくびをした。
「二度寝しようかな………」
独り言をつぶやいたが、風華にまた寝込みを襲われる可能性を考えると、顔を洗った方がましだという結論に至った。




