果報者と傍観者 2
四限の授業が終わり昼休みになると、バレンタインデーだけあって、テスト期間にもかかわらず余裕のあった女子が、意中の男子にチョコレートを渡しているのが散見された。
「……三条。やっぱり、もらえないと寂しいな」
「寂しいかどうかなんて僕にはどうでもいい。甘いものはそんなに好きじゃない」
西村は素っ気なく返した霧矢の顔面を凝視して観察するが、霧矢は負け惜しみではなく本気でそう思っていた。百歩譲って、もらえる人間がうらやましいと思ったとしても、別にもらえないから寂しいといった感情は一切抱いていなかった。
しかし、その超然とした霧矢の態度が、西村を余計苛立たせていた。お互いにまだ獲得数ゼロの状態だったが、平然としていられる霧矢と自身を比べた時に劣等感を抱かずにはいられなかったのだ。
「いずれにしても、僕をにらんでも何にもならないだろう。でも、お前も運が良ければ、木村から何かもらえるかもしれないぞ」
「……それで、俺は病院送りになるのか?」
考えるだけでも嫌だという口調で西村は首を横に振った。霧矢はそんな彼を無視して机の上に弁当を広げていく。西村も霧矢にならって昼食の支度を始めた。
「ところで、中里が来るのが少し遅くないか? いつもなら、昼休みになったら五分以内に来るっていうのに、まだ来てないぜ」
「……僕に聞くなよ。中里にも中里なりの事情があるんだろう。先生に呼ばれたとか、何か調べものがあるとか、そんな用事だろ」
弁当に箸をつける前に、霧矢は水筒から湯気の上がっているお茶をコップに注いでいく。熱い液体を飲み干すとリラックスして息を吐いた。
「まあ、クラスのガラの悪い連中にからまれてる可能性もゼロじゃないと思うぜ。あと五分経っても来なかったら、様子でも見に行ってみるか?」
「……大丈夫だろう。そのうち来るだろうさ」
*
弁当箱を持って廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ねえ、木村さん」
声で誰かわかり、文香はゆっくりと声の方へ振り向いた。儚げな雰囲気の女子生徒が立っていて、彼女の手には弁当箱ともう一つ何か包みがある。
「……そういえば、今日はバレンタインデーだな。相手は三条と西村か?」
「まあ、そうなんだけど。ちょっと頼みごとがあるの」
時雨が小さな声で文香に耳打ちをした。
「了解した。では少し待て」
*
「三条、少しだけ時間をもらえるか」
一年一組の教室に入ってきた眼鏡の女子生徒の唐突な申し出に霧矢はまばたきをする。いぶかしがる霧矢に、文香は黙ってついて来いとばかりに背を向けて歩き出した。仕方なく霧矢は席を立つと、西村を待たせて文香とともに廊下に出た。
「何なんだよ。いったい藪から棒に」
「貴様に用があるのは私ではない。彼女だ」
霧矢はため息をつくと文香の指先に視線を向ける。その先の人物が視界に入った途端、霧矢は背筋をピンと伸ばした。
「中里……」
「三条君、最近お世話になってるから…これ」
小さな色彩にあふれた紙の包みを霧矢に手渡そうとする。霧矢は少し躊躇したがその包みを受け取った。
「…ありがとう」
包みから顔を上げて霧矢は時雨の目を見た。
(……?)
「三条君……?」
霧矢の目つきが妙だったのか、時雨は不審そうな声を上げた。霧矢は慌てて首を振った。
「……いや、やっぱりもらえると嬉しいって思ったんだ。ありがとな」
霧矢は包みを制服のポケットに突っ込んだ。
「それで、一つお願いがあるんだけど……いいかな?」
上目づかいで時雨は霧矢に話しかけてくる。霧矢が構わないと返事をすると、時雨は小さな声で話し出した。
「西村君にはまた別に放課後に渡すつもりだから、私が三条君に渡したってことは、私が西村君に渡すまで言わないでほしいんだ」
西村に、時雨は霧矢だけに渡した、と思われると気まずいことになると考えたのだろう。
「…本命には、きちんとした場所、状況で渡したいんだろ?」
優しげな口調と笑みでちょっとした意地悪な言葉を霧矢は口に出した。時雨の顔に少し赤みが差した。霧矢は続ける。
「きっと、あいつは喜ぶさ。モテないってのがコンプレックスだった男だ。お前みたいな女子からもらえたら舞い上がって踊り出すぞ。きっと」
霧矢はポケットから包みがはみ出していないことを確認すると、踵を返した。
「じゃあ、僕と木村は先に一組教室に入るけど、お前は三十秒ほど経ってから入ってこい。その方がきっとあいつの目には自然に映る」
「お待たせ。まったく………」
文香と一緒に教室に入り、二人は椅子に腰を下ろした。西村は興味深そうに何があったのかを聞いてきたが、霧矢の代わりに文香がその問いに答えた。
「魔章のデータを採取させてもらおうとしたのだ。ただ、上手くいかなかった」
「……よくわからないぞ。俺にもわかるように説明してくれ」
文香は口元に笑いを浮かべると、ポケットから手帳を取り出した。
「貴様にもわかるように説明するとなると、最低でも十分はかかるが、構わないのだな?」
「悪い。やっぱり説明いいわ」
霧矢は文香のごまかし方に舌を巻いた。素人相手に専門家の詳細な説明をしようとすれば、誰だって辟易する。それを逆手に取った見事な作戦だった。
「三条、お前も大変だな。得体の知れない実験につき合わされたりするなんて……」
同情した目つきで西村は霧矢を見るが、霧矢は別のことを考えていた。
「………あれは……」
腕組みしながら膝を眺めて、独り言をつぶやいている霧矢を見て、西村は肩を叩いた。
「三条?」
「……! 悪い、考え事をしていた。何の話だ?」
はっと我に返り、霧矢は顔を上げた。しかし、西村は大して気にもかけてないようで、それ以上は何も追及しなかった。
「ごめん、ちょっと用事があった。待った?」
文香が手帳をポケットに戻すと、時雨が教室に入ってきた。西村は待ちかねたとばかりにいつも彼女の座る椅子を指さした。
時雨は椅子に座ると、てきぱきと弁当を広げていく。全員が弁当を広げ終わったところで、それぞれ、弁当の中身を口に運び始めたが、その中で霧矢だけは、弁当を眺めるだけでなかなか箸をつけようとしなかった。
しかし、他の三人は話に夢中になっており、そのことに気が付く様子はない。
(……あれは…)
弁当に手を付けることもなく、霧矢は考える。
先ほど、時雨から包みを受け取った時、彼女の瞳の奥で何かが蠢くような感じがした。実際に何かが動いたわけではないのだが、彼女自身が持つ「気」のようなものがわずかではあるが変わるような感触がしていた。
水底で暮らす大魚のシルエットが水面近くまで上がってきた。そんな感じがした。
別に気にかけるほどのことでもないのかもしれないが、霧矢の頭からその考えは離れようとしなかった。必要もないことなのに深く考えるのは三条霧矢という人間の悪い癖だが、考えずにはいられない出来事だった。
無理やりに考えを止め、ぶんぶんと首を横に振ると、霧矢は弁当に箸をつけた。




