残された時間 9
「ただいま」
ガラガラと戸を開けて、霧矢はカバンを玄関に放り出した。いつもなら帰ってくる時間にはすでに日は暮れているが、今日はまだ日は暮れていない。冬に西日の差した玄関を見るのは、なかなか珍しいことだ。
この時間帯はまだ店は閉まっていないので、霜華と理津子は店の方にいる。家にいるのは風華だけだろうが、家に人の気配はない。おそらくは夕食の買い出しにでも出かけたのだろう。
「疲れたな……」
ぼそりと独り言をつぶやくと、霧矢は靴を脱いで家に上がる。居間の戸を開け、こたつとストーブのスイッチを入れると、サイドボードの湯飲みにお湯を注いで、熱い液体を胃に流し込んだ。少し体温が回復したような気分になる。
ごそごそとカバンの中を漁り、教科書を取り出すと、適当にページをめくった。
勉強を始めてからしばらく時間が経ち、外が完全に暗くなったころ、玄関の開いた音がし、威勢の良い足音が台所に駆け込むのが聞こえた。
(……風華が帰ってきたのか)
冷蔵庫をバタンと閉める音が聞こえ、足音は居間に近づいてきた。霧矢が机の上に散らばった教科書類をまとめ終わると同時に、居間の戸が開いた。
「……随分と早い。光里との訓練サボったの?」
「人聞きの悪いことを。今日は試験が近いからお休みだ。会長も勉強する必要がある」
両者ともぶっきらぼうな口調でとげとげしく話す。これもいつものことだ。
「お前こそ、随分と長い買い物だったな。道草を食うのはよくないな。暗くなると不審者が出ることだってありうるんだぞ」
「普通の不審者なら、返り討ちだけど。私を襲ったところで、暴風で吹き飛ばされて、壁に叩きつけられるのがオチ。さすがに血は見たくないから、空気の刃で切りつけたりはしないけど」
はいはいそうですか、と気の抜けた返事をして、霧矢は教科書をめくる。
確かに魔族である風華を襲ったところで勝てる見込みは低いし、風華の場合、時速四十キロオーバーで走って逃げることもできる。不審者関係の事柄で説教をしても意味はなかったのかもしれない。
もぞもぞとこたつに霧矢の向かい側から入ると、風華はごろんと横になった。霧矢は気にすることもなく、教科書を読み続ける。
「一週間お疲れ様、霧君」
居間の戸が開き、後ろから声をかけられると、霧矢は教科書を閉じて振り向いた。霜華は霧矢の隣に座ると霧矢の顔を見た。
「……僕の顔に何かついているのか?」
「きっと、ゴミがついているって言いたいんだと思う。それか、顔が汚い、のどっちか」
「だ・ま・れ」
横から口を出してきた風華に霧矢は低い声で凄んだ。しかし、風華は気にすることもなく、こたつで寝そべりながら本を読み続けている。
「…何か、ちょっと変わったことが起こった。違うかな?」
霧矢はため息をつく。霜華の観察力には脱帽せざるを得ないが、こうやって心を読まれるのは、快く思うことができなかった。
「……西村と中里がくっつくかもしれない。その兆候がある」
「それはめでたい。西村君もいよいよ彼女をゲットすることになるのかな?」
霧矢は腕を組みながら唸り声を上げた。あくまでその兆しがあるだけであって、明確にそうなるとは断言できない。
「僕としては、よくわからない。ただ、中里もいろいろと問題を抱えてるみたいだし、西村がマイナスに作用しなければいいんだが……」
心配そうな声を上げた霧矢に、霜華は何も言わなかった。その代わりに、風華がこたつから起き上がると霧矢に質問した。
「セイスは、龍太がその女の子と付き合うってことを知ってるのかな?」
「そのことについて、あいつは何も話してない。だから、僕は知らないぞ」
満足のいく回答を得られなかった風華は、残念そうな表情を浮かべると、後ろに上体を倒した。バタンという畳と背中のぶつかる音が響いた。
「……セイスは龍太が彼女を作ったとすると、どんな反応をするかなあ……」
天井を眺めながら風華はぼやいた。霧矢もセイスが取ると思われる反応を想像してみる。
「…兄に彼女ができた妹……という感じか?」
「近いものはあるんじゃないのかなあ。私もそんな感じがするよう」
霧矢の答えに霜華は同意する。風華も特に異論を口にすることはなかった。




