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Absolute Zero 4th  作者: DoubleS
第七章
71/146

残された時間 4

 二月四日 月曜日 晴れ


 いつものごとく、風華に過激な方法で叩き起こされ、霜華の作った朝食を胃に納める。そして、いつものごとく、コートを着て、カバンを抱えて霧矢は家を出た。

 久々に太陽が出て、白雪の積もった路面は日光の反射できらきらと輝いている。しかし、霧矢の気分は普段と変わらず、上向きにはならなかった。

 カバンの中には、文香が読みたいと言っていた薬局のパンフレットやそれに関連する書籍が入っている。パンフレット自体は何度も読んだことがあり、理屈は理解している。しかし、実際にうつ病の人間と接した経験はない。それを考えると、もういっそのこと時雨から距離をとってしまおうかとも考えていた。下手に振る舞い相手を傷つけてしまうくらいなら、そっとしておいたほうがよいのではないだろうか。

 しかし、距離をとろうにも、急によそよそしくしたら相手にも怪しまれるし、それがもとで傷つくこともあるかもしれない。それに、霧矢の役割は暴走しがちな西村のブレーキ役でもある。時雨のそばにいることの多い西村から離れるのもあまりよいこととは思えない。

 結局のところ、すべての懸案事項において面倒なジレンマに陥るのは三条霧矢という人間に課せられた宿命のように思われる。むしろ、今まででジレンマから逃れられたことなどあったのだろうかとさえ思える。

 自分の靴を見ながら霧矢はため息をついた。

 現状を改めて見返してみると、面倒事に巻き込まれないために動いていたはずなのに、自分から面倒事に突っ込んで行ってしまったようにも思われる。しかも、今更引き返すにはもう遅い。引き返すのに必要な労力を考えると、この状態をだらだら続けている方がまだ楽だ。

 駅の自由通路を抜け、学校へ向かう道の橋の上で立ち止まり、ふと川を眺める。そんな霧矢を気に留めることもなく、他の生徒は霧矢の背後を通り抜けていく。

 川の水面を走る風を思い切り吸い込む。冷たい空気を肺に取り込み霧矢は空を仰いだ。しかし、気分はよくならない。重苦しい気分が続いていた。

「…別に大丈夫だ。僕に構うな。もしも連中に見られたらどうする」

「うん……」

 声をかけられる前に、振り向かずに霧矢は答える。気分は沈んでいても、背後に立っている人間の気配は理解できた。きっと後ろに立っている幼馴染は自分のことを心配してくれているのだろう。朝から沈んだ表情をしていると。

 いつも通り振る舞っていればよい。時雨が自分から話そうとしなかったのだから、霧矢も気づいていないふりを続けていればよい。それだけなのに、どうしてもそう思えない。

 そうするのは、何か間違っているような気がする。だが、間違っていても、その間違いを無理に正してしまうと、余計軋轢を生むことになるかもしれない。それならば放っておく。それが、三条霧矢のやり方なのだから。



「おはよう! 中里」

「相変わらず、朝から早いんだね。西村君。でも、何か今日はやけに調子が強い気がする」

「そ…そうか? でも、月曜の朝はこれくらいのモチベーションじゃないとな!」

 生徒玄関で楽しそうに談笑している二人に、相変わらず一年三組のメンバーは不快そうな視線を向けていた。しかし、ここ数週間で変わってきたことと言えば、一年三組のメンバーの反応が完全に二つに分かれたということだろう。

 明らかに敵意に満ちた視線を向ける人と、もうどうでもいいといった風に無関心に通り過ぎる人の二パターンが確立しつつある。前者は田中彩を筆頭とするクラスの女子と柄の悪そうな一部の男子であり、後者は特にまわりとの付き合いを持たない女子や普通の男子生徒だ。

 時雨本人は、無視されることは別に問題ではない。彼女が苦痛に感じていることは、嫌がらせを受けることであって、無視された方がましであると考えている。今では、西村や霧矢、文香や生徒会のメンバーといった話し相手がすでにいるため、クラスでの孤立は気にするほどのことでもなくなっていたようだ。

「土曜日はありがとう。おかげで、わからないところが解けるようになったよ」

「いやいや。俺こそ、お前の家で有意義な時間を過ごせたぜ。ありがとな」

 二人で並んで歩きながら、教室を目指す。不快な視線やヒソヒソ話にはもうすでに慣れっこになっており、二人とも堂々と雑談しながら廊下を歩いていた。

「さてと。今日の放課後も、わからないところあったら、教えてやるぜ。生徒会室に来いよ」

「うん。ありがと」

 時雨は駆け足で教室に入り、荷物だけ机の上に置くと、再び廊下の西村の下に戻ってくる。できるだけ、三組で過ごす時間は減らしたいようだ。

「じゃあ、英単語の復習。何か問題出してみて」

 単語帳を渡す。西村はそれを受け取ると、パラパラとめくって適当な単語を質問する。

「まずは、簡単なものから行くぞ。trust」

「…信頼する、だっけ」

 正解だと答え、西村はカードをめくる。

「betray」

「……何だっけ?」

 わからない時雨は首を傾げるが、後ろから正答が述べられる。

「あまり、よい意味の単語ではないな。『裏切る』だ。おはよう、二人とも」

「おっす。木村、おはよう」

 眼鏡をかけた女子生徒に西村は元気よく挨拶する。文香は隣の時雨を認めると、少し戸惑ったようにまばたきをし、再び西村の方を向いた。

「三条はまだ来ていないのか? う…例のものを読みたいのだが」

「お、おい…じゃない。ああ、まだ来てないぞ。まあ、いつもそれほどあいつは早く来てるわけじゃないし、待っていれば、そのうち来るだろうよ」

 口を滑らせかけた文香に、西村は少し焦ったが、何とか取り繕った。二人とも危ないところだったと息を漏らした。幸いなことに時雨が怪しんでいる様子はない。

 西村は深呼吸すると背中を廊下の壁に預けた。コンクリート柱のひんやりとした感覚が伝わるのを感じ、何とも言えない気分になる。

「それでは、私は教室へ行く。三条が来たら昼休みに受け取りに行くと伝えてくれ」

「ああ。また、昼飯時にな」

 教室に入っていく文香に、西村はぎこちなく手を振る。再びクイズに戻ろうと単語帳を取り出すと、時雨が不意に話しかけてくる。

「木村さんって三条君と何か約束でもしてるの?」

「えっと……本を借りたいとか言ってたな。俺も詳しくは知らないけどな……」

「本?」

 訝しげに質問する時雨に、西村は苦し紛れに言葉を濁す。

「ほ、ほら。あいつの家、薬局でしかも父親は大学の先生だからさ。木村が興味を持ちそうなその手の本を結構いっぱい持ってたりするんだよ。俺は読んでもさっぱりだけどな」

「ふうん……でもさ、やっぱり、頭のいい人っていいよね……」

 話の内容を安全圏に引き戻すために、西村はとっさに反応する。

「だろ! だから頭良くなるために、こうやって勉強するんだ! 次、mental」

「精神・心の」

「正解だ! この調子で頑張っていくぞ!」

「うん!」



 結局、思索だけに時間を費やし、のろのろ歩きながら霧矢が学校に着くころには、もうすでに始業五分前になっていた。

 下駄箱を開けると、相変わらず一目見ただけではわからないような手の込んだ嫌がらせがされている。靴の左右を入れ替えたり、靴の中に小石や消しかすを入れたりなど、小学生の悪戯レベルだが、まだ続いていた。すでにもう数週間が経ち、霧矢も西村も慣れっこになってしまっているのだが、ここまでくると、よく飽きずに続けられるものだと逆に感心する。

 靴の左右を正しく入れ替え、中に隠れている小石を取り出す。いつも通りの動作をして、霧矢はのろのろと教室に向けて歩き出した。

(それにしても、僕も有名になったものだな……)

 下駄箱には毎年交換するのが学校にとって面倒なため、生徒の名前のプレートは張られていない。そのかわりとして、所属学級と出席番号が四桁の数字で書かれている。

「一年一組、十五番、一一一五。僕の出席番号までわざわざ調べるとは、よくやるもんだ」

 階段を上がって教室に入ると、ほぼ全員が着席していた。霧矢が席に座ると同時に、担任が教室に入ってきた。

 期末試験まで、残り一週間である。

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