彼女が願ったもの 6
浦沼からさらに離れた魚沢市の辺境とも言うべき集落に、西村龍太は住んでいる。まわりには畑と棚田しかなく、飲み物の自動販売機すら近くにないという、浦沼温泉街よりも田舎である。駅まで五キロ以上離れているが、バスは三時間に一本しか出ていないため、アクセスは非常に悪く、交通の足は自家用車に頼り切っているのが現状だった。
山奥にあるため、この寒波を受けての降雪は半端ではなく、家の一階は完全に埋まっていた。家は農家であるため、冬はそれほど忙しくはなく、西村本人も家の手伝いで時間を取られることもなく、悠々と休日を過ごしていた。
はずだったのだが、それは先月までの話だ。彼の生活は、ある一人の魔族の少女によって激変していた。
「龍太! おなか減った、ねえ、何かないの?」
「お袋が買い物から帰ってくるまで待ってろ! それと、もう冷蔵庫を漁っても何もないぞ!」
冷蔵庫の戸をバタバタと開閉しながら、食欲に満ちた目をしている金髪の少女の襟首をつかんで、西村は冷蔵庫から引き離そうとするが、床にへばりついたガムなみの粘着力で離れない。
彼女の名はセイス・ヒューストンという。西村の契約魔族で、司る属性は土だが、残念なことに食べることに対しての執念は常人のレベルを凌駕していた。彼女が来て以来、西村家の食料の消費量はとんでもないことになっている。家業が農家なのでまだましだが、もしも西村家がごく普通のサラリーマン家庭だったら、破産しかけていただろう。
もっとも、彼女もただ西村家の穀潰しになっているわけではなく、土の術等で農作業の役に立ってはいるのだが、いちいち付きまとわれる西村本人にとっては、面倒な存在だった。
「冷蔵庫の中のガムシロップなめていい?」
「虫歯になるぞ。それに、それは単体で食うべきものじゃない!」
「じゃあ、この冷凍食品食べていい?」
「それは冷凍食品じゃなくて、保冷剤だ! 食い物ですらない!」
ギャーギャーと台所で大騒ぎを繰り広げていたが、空腹の限界になったのか、セイスは大人しくなった。西村はほっと一息ついて、今度こそ彼女を冷蔵庫から引き離した。
「ねえ、いつになったらご飯食べられるのさ」
「買い物に行ってるお袋が帰ってきてから、昼飯の支度をして、それからだ」
「無理! 我慢できない!」
「ないものは仕方ないだろ! それに、何か買ってこようにも、家から最寄りのコンビニまで片道徒歩三十分だ! この豪雪の中、お前歩けるか!?」
セイスは力なくうつぶせに倒れた。西村はやれやれと首を振ると、彼女の襟をつかみ、引きずるようにしてリビングまで連れて行った。
リビングのテーブルの上には、週末課題のプリントが鎮座している。西村自体は学校での成績がそれほど悪いわけではないため、課題で苦労することはあまりないのだが、セイスの食べ物がらみの妨害行為は確実に功を奏していた。進行はかなり遅れている。
現在のセイスは空腹が過ぎたせいで動けなくなっており、課題を進めるのは今がチャンスとなっていた。椅子に腰かけ、プリントに目を走らせると、彼の携帯電話が鳴った。
(三条か。何の用だ?)
――昨日、僕の家に来るって言ってたけど、天候的に無理そうか?
――見ればわかるだろ。電車も止まってるし無理だ。
――この寒波は月曜まで続くらしい。おそらく、お前学校には行けないと思う。
――別に構わないが、中里の件はどうするつもりなんだ?
おそらく、霧矢が言いたかったことはこれに尽きるだろう。しばらく待っていると、返信のメールが届いた。
――とりあえず、中里も電車通学だから学校には行けないだろう。火曜日に何かすればいい。
するといっても何をするべきなのかわからず、西村は携帯のディスプレイを見ながら考え込んでいた。単に何かするといっても、候補がいろいろあり過ぎて困る。
――それはとりあえず後に考える。今は、週末課題が先だろ。
――僕は結構はかどってるけどな。お前はどうだ?
――セイスの妨害がなければ…ってところだ。とりあえず、何かあったらまた連絡するぜ。
携帯をテーブルの上に置くと、西村は、空腹で力なくテーブルに突っ伏しながらぶつぶつと、ごはんごはんごはんごはん…とつぶやき続けているセイスを眺めた。
「お袋が帰ってくるまでの辛抱だから、我慢しろ」
「うーん。お母さん、早く帰ってこないかな……」
セイスが枯れた声でつぶやくと、西村家の電話が鳴った。
「セイス、出てくれ」
「うい」
フラフラと立ち上がって、セイスは受話器を取り上げる。
「はい、西村です」
「あ、セイス? お母さんだけど、ごめん。帰り道の道路で小規模な雪崩が起きて、除雪が終わる夕方まで通れないらしいの。ごめんなさい、冷蔵庫の中は空だから、ちょっと遠いけどコンビニまで行って好きに買って食べてね。お金は龍太が持ってるから」
セイスはゆっくりと受話器を戻した。クワッと目を見開くと、西村をにらみつける。
「龍太……!」
「何だ? どうしてそんなに不機嫌になっているんだ?」
プリントから顔を上げた西村にセイスはアッパーカットを繰り出す。顎にクリーンヒットし、彼は椅子ごと後ろに倒れた。
「何しやがる!」
起き上がった彼はセイスに当然抗議するが、彼とて馬鹿ではない。電話の相手が誰だったのかはわかっている。そしてその電話の内容も大体想像できる。
「アクシデントでお袋が帰れなくなったのか…」
「りゅうた~」
「……で、お袋はどうしろって言ったんだ?」
セイスは、合格発表を見て三浪が決まった受験生のような声を出した。西村はため息をつくと、椅子から立ち上がる。
「面倒くせえ、でも飯は食いたいしな、俺は行くが、お前はどうする。ついてくるか?」
セイスはその言葉を聞くと腕組みをして考え込み始めた。彼について行けば、コンビニで買った後、行儀は悪いが店の外ですぐに食べることができる。しかし、大雪の中を歩いていくのは体力を非常に消耗するだろう。だが、ついて行かなければ、西村が戻ってくるまで空腹のまま、留守番をするはめになる。
「俺は支度する。それまでについてくるかどうか考えておけ」
西村は部屋を出ると、雪道を歩く準備を始めた。しかし、セイスの結論など決まっている。
「はあ……雪道は歩きたくないけど、空腹よりはましかな」




