ライトな人体実験 1
県立浦沼高校一年、三条霧矢の実家は温泉街にある処方薬局である。その処方薬局には一人の薬剤師と、二人の住み込みの店員がいる。
薬剤師は、霧矢の母親で三条理津子といい、看板娘こと店員は、北原霜華と北原風華という姉妹だった。そして、この姉妹は戦災から逃れて、異世界からこちらの世界へやってきた魔族(厳密にはハーフ)であると同時に霧矢の胃に少なくないダメージを与えている存在でもある。
ちょうど一月ほど前、いきなり家に押しかけてきて、紆余曲折の末、店員に落ち着いている。現在の霧矢の率直な感想としては、いたら便利、いなくても困らないくらいのものだが、理津子からの評価は高く、また、看板娘としてご近所からの評価も高い。
「ただいま」
「なあんだ。霧矢だけか、晴代はいないの?」
トコトコと玄関の方へ歩いてくるちんちくりんの少女は、霧矢を見るとつまらなさそうな口調で言い放った。霧矢はぶっきらぼうな口調にため息をついたが、もはやこれは一種の習慣と化しており、どちらも気にするようなことではなくなっていた。
今日の店番は霜華の仕事らしく、風華は居間で本を読んでいたらしい。片手には大学生レベルの薬学の入門書が握られている。
「……そんなものよく読めるようになったな」
「…淳史から貰ったの。君くらいなら読めるって言ってたし」
霧矢の父親は、薬学の研究者で、現在海外で研究を行っている。先日、たまたま父親と会う機会があり、その時に貰ったものらしい。
(…もしかして、僕よりも頭いいんじゃないのか? こいつ)
絶対に認めるわけにはいかないが、残念なことにどうしてもそう思わざるを得ない。
妹ではあるが、姉よりも性格は少し大人びている部分があり、それは読書好きという性格にも現れ始めていた。しかも、十二歳でありながら、あらかたの漢字が読め、慣用句や古語も理解できるという秀才で、国語力では高校生である霧矢を上回っている。
一方で姉の方は、性格は子供っぽいが、家事や手作業に長けている。そのため、現在の三条家の家事は、ほとんど霜華が代行しているに等しい状態になっていた。
「それならそれでいい。じゃあ、僕は夕飯ができるまで少し休ませてもらう」
「何て貧弱。これくらいでへこたれるようじゃ、ダメだね」
「ダメで結構。僕はダメ人間だよ。どうせ」
指を振りながら、風華はバカにするような台詞を吐いたが、霧矢は適当に流した。これも三条家ではもはや習慣のようなものになっていて、霧矢がいちいち気にするようなことではなくなっていた。
古い木造の家の急な階段を上がり、霧矢は自分の部屋の戸を開けると、ストーブの電源を入れる。まだ寒い部屋の中、カバンを脇に放り投げ、乱暴に椅子に腰かけた。
机の上に名刺サイズくらいのカードのような紙切れを投げ出すと、紙切れにもかかわらず、重い文鎮を投げたようなゴトリという鈍い音が響いた。
これが、最近霧矢が疲れ気味になっている原因でもある。このカードは重さが数キロにもなる代物で、中に長さ一メートルほどのロングソードの模造剣が収納されている。霧矢は護身用として、ここ二週間ほど持ち歩いているのだが、魔術原理を用いた仕組みにもかかわらず、なぜか質量保存の法則だけはきっちりと守られていて、カードサイズにもかかわらず、重さはそのままという状態になっている。
ただ、それだけではなく、霧矢は力砲―ルーンブラスター―という自分の放出する魔力の一部を用いて魔力の矢を放つ武器も持ち歩いている。力砲の方がずっと軽くて扱いやすく、携帯に向いているのだが、威力が高すぎるため、霧矢は使用を控えていた。その威力は、人に向けて使おうものなら、高確率で対象は死亡するほどに達する。
そして、霧矢はさらに強くなるため、生徒会長である雨野光里に稽古をつけてもらっていた。彼女は、普通の女子高校生とは思えないほどの戦闘力を誇る。噂では、彼女にからんできた武器を持ったチンピラ十数名を無傷で瞬殺したらしい。
そんな彼女と訓練しているので、霧矢の体の痣も自然と増えていって、毎日、体のあちこちが痛んでいる状態だ。
「いってえ……」
肩を動かしながら、霧矢は痛みで言葉が出る。
霧矢は今日の放課後もいろいろと訓練をつけてもらっていた。霧矢が武器として剣を使うと決めたため、雨野もそれに即した訓練を行っている。しかし、霧矢はまだ剣の扱いに慣れておらず、雨野の攻撃を何度も受け、体が痣だらけになっていた。
机の引き出しを開け、中から湿布の箱を取り出す。まだ部屋は温まっていないが、上着とワイシャツを脱ぐと、霧矢は鏡の前に立った。殴られた箇所が青黒く変色している。
(……手加減してこれだもんな。会長が、本気出してたら、骨が折れてたな)
痛みをこらえながら、手を動かし湿布を患部に貼り付ける。すべて張り終えると霧矢は上着を着て、椅子に座ると机の上に突っ伏した。
机の上にある重たいカードを指でつつきながら、霧矢はもう片方の手で、ストーブの吹出口を自分の体の方に向ける。温風が足元を吹き抜け、霧矢の心地よい眠りに誘っていく。
(……宿題あるのに…ダメだ、やる気しない…)
霧矢の意識が途切れ、部屋はファンヒーターの音が鳴っているだけになった。