科学部員の仮説
この作品は、Absolute Zero シリーズの第四作です。前作をお読みになっていない方は、まず先に前作をお読みになることをおすすめします。
一月十六日 水曜日 雪
雪国の冬の空は鉛色だ。そして、窓の外には白銀の田園風景が広がり、その奥には雪山がそびえたっている。
ここは、県立浦沼高等学校の二階、化学教室である。放課後になると、基本的には一名の女子生徒がここを占拠し、適当に実験をしたり、図書を読んだりしている。
眼鏡をかけ、白衣を着た女子生徒の名前は木村文香という。まだ一年生だが、現在活動中の科学部の部員は彼女しかいない。一名しかいないので実際は休部になってしまったのだが、教師に許可を取って、一人でも活動を続けていた。生徒会も黙認、むしろ公認してしまっている。
来年度に部員が入らなければ、規定上は部員不足で自動的に廃部になってしまうのだが、彼女は生徒会の役員とパイプがある。成績も優秀なので教師にも気に入られている。彼女が説得すれば、全員容易に部の存続を許可してくれるのは目に見えていた。
文香は窓の外から、視線を散らかっている机の上に移した。机の上には解き終わった今年の大学入試センター試験の問題と、理科の参考書、それと自分の研究ノートと、何やら古風で分厚い本が数冊、乱雑に置かれていた。
彼女の成績は学年でランキング一桁であり、理系教科では学年一位を取ることもあるくらいの秀才だ。その反面、科学実験がやたらと好きで、人を平気で実験台にするということもあって、周囲には敬遠されがちだった。
だが、最近彼女にとって、今まで信じていたものを揺るがすような出来事が発生した。この世界には存在しないと思われていた、異能を使える存在、魔族が目の前に現れたのだ。それも一人ではなく、数人だ。しかも、彼女の友人がその渦中にいる。
その友人の名前は、三条霧矢と上川晴代、西村龍太といった。他にも、浦沼高校の生徒会長である雨野光里や副会長の有島恵子も関係者である。
そして、彼女は魔族について独自で研究を行っている。その研究をまとめたものが、今、机の上にあるノートだった。そして、魔族の力を利用して犯罪を行っている集団から奪った本も机の上にある。
その本は非常に難解だったが、魔族の力を使った術やマジックアイテムなどの解説が詳しく書かれていた。そして、現在の彼女が勉強の次に取り組んでいることと言えば、部の活動を一時休止し、その本を理解することだった。
「……魔道具、通称マジックアイテムの生成には魔力の充填を伴い、その充填は、原則として契約主でなく魔族によってなされなければならない。また、その充填を行う魔族も属性に適したものでなければ、魔道具の効力は生じる余地もなく、故に……」
ぶつぶつと小さな声で本の一節を文香は読み上げていく。小声だったが、誰もいない化学教室に女子にしては低い声が響いた。
「…The recipe of magical potion」
あらかた日本語の書籍に目を通し終わると、後回しにしていたこの分厚い英語タイトルの本に目を通すことにする。一年生にもかかわらず、今年のセンター試験で、数学IAは九十点以上、物理・化学のセンター試験問題で八十点近く獲得できる学年上位の優等生とはいえ、それでも彼女はまだ一年生だ。専門用語の多い英語の書物を読むのはまだまだ難しいことだった。
「…魔法薬調合法…か」
わからない単語は辞書を引きながら、文香は総論的な部分から先に読み始める。各論を読むのが一番楽しいのだが、先に総論を理解しておかなければ、訳がわからなくなるのは容易に予想がつく。我慢しながら、総論部を読み進めていく。
理系少女が本を読んでいる中も、鉛色の空から白い雪がちらちらと舞い降り、部屋の中ではストーブの低い燃焼音が単調に鳴り響いている。
(……今日で総論をすべて読んで、明日、各論を読むとちょうど良いな)
冬至を過ぎ、日はだんだんと長くなりはじめているが、それでも午後五時を過ぎると、鉛の空は群青色に変わり、あたりは雪明かりで青一色になる。
(……今日はここまでにするか)
文香は白衣を脱ぐと、書籍類をカバンの中にしまっていく。下校時間も近くなり、いつも一緒に下校している生徒会メンバーが迎えに来る頃合いだった。
「文香、帰ろ!」
化学教室の戸が勢いよく開く。三人の生徒会執行部のメンバーが立っていた。全員とも、魔族との関係がある人間だ。
細身で活気のない顔をしている男子生徒、三条霧矢。ショートカットの髪で活発な印象のある女子生徒、上川晴代。やや長身で精悍な顔立ちの男子生徒、西村龍太だった。
「準備はできている。それでは帰るか」
化学教室の鍵を閉め、職員室に返すと、四人は学校を後にする。
「ところで、木村、お前最近何か熱心に本を読んでいるみたいだが、何の研究をしてるんだ?」
「…いろいろと調べているが、私が、今一番興味があるのは、『生身の人間はどうして、魔族や契約主のように異能を使うことができないのか』だ。それを考察している」
「は? 生身の人間がどうして異能を使えないか?」
訳がわからないといった表情で、霧矢は文香を見た。文香は説明する。
「普通の人間でも、魔力を自身で生成している。そして、生成した魔力は生命の維持に不要であり、また、魔法攻撃からの耐性をつけるために、外部に放出し微弱ではあるが、魔力障壁を作っている」
霧矢はうなずく。それは、すでに知っていることだった。
「しかし、それだったら、人間も自分の魔力を使って、異能の力を行使できてもおかしくはないはずだ。だが、人間に異能は使えない。何が原因としてあるのかと、考察する」
晴代は道端の雪をすくいあげると、雪玉を作る。
「じゃあ、契約主についてはどう思うの?」
晴代の手が赤く光り、雪玉が熱せられ融けていく。熱湯と化した雪は晴代の手をこぼれ、雪道の上へ落ちていく。
魔族と契約を交わした人間のことを契約主といい、契約主は契約異能という特殊な力を行使できる。上川晴代も契約主であり、手で触れたものを加熱するという力を持っていた。
「俺も、正直使う機会がないから使わないけど、一応、異能の持ち主なんだよな」
西村も自分の手を見ながら、一人、つぶやく。
「契約主と普通の人間の差、それが何なのか、僕もよくわからない」
三条霧矢と木村文香は普通の人間であり、上川晴代と西村龍太は契約主である。両者の違いは何なのか、文香はそれを本から得ようとしていた。
「魔族でもむこうの世界であれば、自身で魔力を生成できるという話を聞いた。つまり、むこうの世界では、魔族と人間に魔力生成面では大差はないということになる」
全員が文香に注目する。文香としてもまったく根拠もない話だが、話すことにした。
「魔族の魔術の行使は、体内で魔力を加工して行うものだと本には書いてあった。つまり、私が思うには、人間と魔族の違いは、その加工が可能か否かだけではないかと。人間には加工できず、それ故に、魔力をただ漫然と放出することしかできない。魔族は加工できるため、魔術を使える。おそらく、契約主も大筋では同じではないかと思うが」
全員が、感心の声を上げる。確かに根拠も何もないが、筋が通っていたからだ。
「じゃあ、加工する方法があれば、生身の人間でも使えるってことになるのか?」
「私の説が正しければ、そうなるだろう。だが、そんなことができたら、裏世界はひっくり返るだろうがな」
霧矢は突然くすくす笑いを始めた。全員が、何事かと彼を見る。
「悪い悪い。裏世界がひっくり返るって言うから、塩沢が仰天するのはどんな感じかなって思ってさ。ツボにはまった」
塩沢というのは、霧矢たちが少し前に会った探偵の助手のことだ。一応表向きは探偵の助手という肩書ではあるが、実際は何でも屋であり、葬儀屋などという二つ名までついている有名な殺し屋だ。普段は基本的に無表情か薄ら笑いであり、慌てたり仰天したりすることは絶対にないため、霧矢はそれを思い浮かべて、笑いが止まらなくなった。
「……確かに、塩沢さんの驚いた顔は想像しにくいかも」
晴代も難しそうな顔をして必死で思い浮かべようするが、浮かんでこない。
「まあ、それに関してはどうでもいいや。それで、もし、その魔力を加工する技術とやらが見つかったら、お前も火の魔術を使えるようになるってことか?」
「……まあ、使えるようになったとしても、おかしくはないだろう」
「マジか……」
霧矢は胡散臭そうな目で文香を見た。
霧矢としては、文香の言っていることが怪しいから胡散臭い目で見ているわけではない。文香は学術的なことならば相当信頼がおける人間だ。むしろ、心配なのは、文香が異能の力を手に入れたら何をするかわからないということだった。実験と称して、あちこちで火遊びをするようになられては、霧矢、ひいてはこの学校の平穏が乱されることにもなりかねない。
「三条、何故、貴様は私をそんな変人を見るような視線で見ているのだ」
「いや、別に……何も…思っていませんとも…」
三条霧矢と木村文香、二人は生身の人間だが、「力」というものには少し違った考え方を持っていた。