8月
入り口の鐘が涼しげになるのを聞いて手元の小説に落としていた視線を上げた。
「久しぶり」
ストレートの髪を一つに束ねた彼女が片手を挙げて店に入ってきたのは一番暑い午後二時だった。
「久しぶりだね、いらっしゃい」
冷たいお絞りと氷とレモンを浮かべた水を出すと、カウンターに置いた。
「ありがと、暑いわね。外は殺人的よ」
水をがぶ飲みする彼女に「いつものでいい?」と聞けば小さく頷いたので、カウンターの奥へ入った。
「こんなに暑いのに、若い子達は元気よね。おばさん、日に焼けちゃうのとしみができるの気にしてキャミソール一枚とかできないわよ」
アイスコーヒーを彼女の前に置けば、彼女はキャミソールの上に羽織っている白い長袖のシャツをぱたぱたしながら冷気を取り込んでいた。
「あなたも十分若いでしょう」
「あら嬉しいこと言ってくれるのね」
二つ年上、二十五歳の彼女が言うにはあまりにおかしい言葉に苦笑しながら思ったことを言えば、彼女はバッグから取り出した濃緑の扇子を広げ、嬉しそうに笑った。
「でも、やっぱり十代の女の子には負けるわ。肩やら背中やら足を惜しげもなく出せるんだから」
そう言ってあははと笑う彼女も、彼女の言う若い女の子に負けないと思うのは俺だけなのだろうか。白すぎず、黒すぎもしない肌に黒いレース付のキャミソールを着て白いシャツを羽織り、濃紺のジーンズというシンプルな格好の彼女は流行に乗っていないのに綺麗だ。性格も竹を割ったようにすっきりしている。普段は。
親父の代からのお客様でもある彼女は就職してこの町を離れるまで事ある毎にここに来ていた。彼女はここで彼氏と待ち合わせていたこともあるし、喧嘩をしていたこともある。中学生の頃から店を手伝っていた俺は彼女の恋愛遍歴とここで見てきた。初めて彼女がここでその当時の彼氏と喧嘩をした時はさすがに迷惑な客だと思ったものだが、男が出て行った後の彼女を見て、彼女の本質を見た気がした。普段はがさつで男勝りなふりをして本当は傷つきやすい誰よりも優しい彼女を。だから彼女に恋心を抱くのも自然だったと思う。伝えてはいないが。
「そういえば、今日はどうしてまたここへ?」
彼女は就職とともにこの町から離れたはず。
「お盆よ?帰省中なの。でも、やることないしね。さすがに三日目ともなると暇で」
そういえば可愛い子がお店やってたなと思い出してさ、と続ける彼女の声色は明るい。
「か、可愛い……ですか」
絶対今、情けない顔してると思う。
「可愛いわよ。弟みたいでさ」
彼女は爆弾を落とすだけ落とすと俺の様子に気付くでもなく、「明日もまた来るわ」とにこやかに帰っていった。
彼女の空けたグラスの中の氷が音を立てたのは、俺の恋心の崩れる音だったのだろうか。
いかがでしょうか。
2月に8月のものを書くと言うのは…と思いながら書いていました。
この主人公のお店の店主は主人公の父親です。ただ大学が休み中だから任せていると。
彼女は素直な人ではなさそうなので、本当に彼を弟のように感じているかは謎です。